第七幕 春の騒音
一週間後。
暁商店街に、変化が起きていた。
静かな変化だった。
誰かが「変わった」と言ったわけではない。ただ——人が、少しだけ増えていた。
青文堂に、午前中から客が入るようになった。タエの店に、見慣れない顔が混じるようになった。立花モーターズの前を、若い人間が通り過ぎる回数が増えた。
ARKの画面が、静かに数字を出す。
『来客数、先週比——全体で一・三倍』
優作はその数字を見た。「まだ誤差の範囲だ」
真壁が隣で言った。「でも、方向は合ってます」
「ああ」
「続けるだけですね」
「そうだ」
――――――
その頃。
立花モーターズの前に、一台のバイクが止まった。
古いホンダCB400four。大事にされている。でも、エンジン音の調子が悪い。
乗っていたのは、二十代の男だった。ヘルメットを外すと、髪が派手な色をしていた。
「……ここ、立花モーターズ?」
シャッターの隙間から、立花が顔を出した。「なんだ」
「あの、影山の兄貴から聞いたんですけど」
立花は男を見た。それからCBを見た。「何が聞きたい」
「キャブのセッティングを、見てもらえますか」
「金は持ってるか」「まあ、少しは」「工賃は高いぞ」「お手柔らかにお願いします」
立花は鼻を鳴らした。「入れろ」
――――――
それが最初だった。
三日後、また別のバイクが来た。二日後、また来た。一週間で、五台。
立花モーターズの前が、少しずつ賑やかになっていった。
――――――
影山が拠点に戻ると、里美が腕を組んで待っていた。「影山くん」「はい」「立花さんから苦情が来たわよ」
影山は首をかしげた。「苦情?」「ガヤガヤうるさい、若いのを連れてくるな、って」
影山は少し考えた。「……でも、断ってないですよね、立花さん」「断ってない」「じゃあ、大丈夫ですよ」
里美は少し笑った。「まあ、そうね」
――――――
翌日。立花モーターズのシャッターが全開になっていた。
中から、金属音が響いている。
覗くと、立花が若い男二人に何かを説明していた。男たちは真剣な顔で聞いている。
影山は入口で止まった。立花が顔を上げた。「……何を見てる」「いえ」「用があるなら入れ。なければ失せろ」「用はないです」「なら失せろ」
影山は一歩引いた。それから、小声で言った。「……楽しそうじゃん」
立花の眉が、わずかに動いた。「聞こえてるぞ」「すみません」「次言ったら工賃三倍だ」「はい」
影山は踵を返した。笑いをこらえながら、拠点に戻った。
――――――
その日の夕方。タエが惣菜を持って拠点に来た。
「最近、若いのが増えたね」里美が受け取りながら答えた。「そうですね」「うるさいけど」「どうもすいません」「でも」
タエは少し間を置いた。「……活気があるのは、悪くないね」
そう言って、踵を返した。里美はその背中を見て、小さく笑った。
――――――
夜。優作はARKの画面を見ていた。
『来客数、二週間前比——全体で一・八倍』
『青文堂、売上——三週間前比、二・一倍』
庄屋が覗き込んだ。「……いい感じじゃないですか」「まだ始まりだ」「慎重っすね、相変わらず」
優作は画面から目を離さなかった。「慎重じゃない」「まだ、本当の問題に触れていない」
庄屋は少し間を置いた。「……後継者と、借金の話ですか」
「ああ」
「それは——」「難しい」
「優作さんが難しいって言うのは、珍しいっすね」
優作は少し間を置いた。「難しいが、できないとは言っていない」
庄屋は笑った。「それが聞きたかったっす」
――――――
その夜遅く。
優作は一人で、青文堂の前に立っていた。
閉店後の、暗い店内。ガラス越しに、本棚が見える。褪せた背表紙が、街灯の光を受けて、かすかに光っている。
「……ARK」『はい』「この商店街で、後継者がいない店は何軒だ」『現在営業中の九軒のうち、六軒です』
「借入の問題を抱えているのは」『四軒です。うち二軒は、このままでは一年以内に限界を迎えます』
「一年か」
優作は少し間を置いた。「……真壁と相談したい」
『今ですか』
「今すぐだ」
スマホが、静かに震えた。
――――――
翌朝。真壁が、分厚いファイルを抱えて拠点に来た。目の下に、うっすら隈がある。
「夜中に電話してすまなかった」
「謝るならかけて来ないでください」
真壁はファイルをテーブルに置いた。「借入の問題、調べました。二軒とも、メインバンクが地方の信用金庫です。担保の不動産が値下がりしていて、借り換えに応じてくれないようです」
「解決策は」
「正面からでは難しいと思います」
真壁は優作を見た。「しかし——」真壁は少し間を置いた。「Satioが連帯保証人になれば、話は変わります」
沈黙。全員が、真壁を見た。
「リスクは?」
「かなり大きいです。二軒が潰れれば、Satioも傷を負う」
「それでもやるか」
真壁は少し間を置いた。「それは……優作さんが決めることです」
「Satioの資本は十分だと思うが……」
「最悪の場合でも、Satio本体は生き残ります。」
優作はテーブルの上のファイルを見た。しばらく、見た。「やろう」
真壁は頷いた。「分かりました。手続きを進めます」
里美がホワイトボードに向かった。マーカーを手に取る。「借入問題——着手」と書いた。その下に「後継者問題——次」
マーカーを置いた。「一つずつね」
優作は頷いた。「ああ。一つずつだ」
窓の向こう、立花モーターズから金属音が響いていた。若い声が混じっている。
春の商店街に、少しずつ、確かに、音が戻ってきていた。




