第六幕 遅すぎた連絡
凛に続き、
技術担当だった瀬戸が合流して、三日後。
夜。
拠点に、優作が一人だった。里美は商店街の店主たちとの打ち合わせ。影山は立花モーターズ。凛と瀬戸は現場の確認。庄屋は外回り。
静かだった。
優作はノートPCの前に座ったまま、しばらく動かなかった。
画面には、一つの名前が表示されていた。
真壁誠。
「……ARK」
『はい』
「今、真壁は何をしている」
『都内の法律事務所に勤めています。残業中です』
「一人か」
『はい。今夜も最後まで残るようです。三年間、ずっとそうです』
優作は画面を見た。しばらく、見た。
「三年間……」
「……かけるか」
『かけない理由が、ありますか』
「遅すぎるかもしれない」
『はい』「怒っているかもしれない」『はい』「それでも、呼ぶしかないか」『はい』
優作は、スマホを手に取った。番号を表示する。
発信した。
――――――
コール音が、三回鳴った。四回目の途中で、繋がった。
「……はい」
低い声だった。疲れている。でも、聞き覚えがあった。
「真壁」「……やっとですか」
かすかに、震えていた。
「声、変わってないですね」「真壁も変わってないな」「そうですか」
『……』
「……遅いですよ」
静かな声だった。怒鳴らない。でも、その静かさの中に、三年分のものが詰まっていた。
「ああ」「連絡、取れなかったじゃないですか」「……ああ」「携帯番号もわからなかった」「ああ」「待ってたのに」
優作は何も言えなかった。
「成田の不正、掴んだんです。三年前」「知ってる」「報告しようとしたら——もういなかった」「……すまなかった」
真壁の声が、少し変わった。
「一人で抱えて、どうすればいいか分からなくて」「ああ」「法務として、見過ごせなかった。でも、誰にも言えなかった」「……ああ」「優作さんがいれば、って——何度思ったか」
優作は目を閉じた。
電話口の向こうで、真壁が息を呑む音がした。
それから。
小さな音が聞こえた。
泣いていた。
声を殺して、泣いていた。
三年間、一人で抱えてきたものが、その一言で崩れたのだ。
優作は何も言わなかった。ただ、電話を持ったまま、待った。急かさなかった。
――――――
しばらくして、真壁の声が戻ってきた。「……すみません」「謝らなくていい」「みっともないですね」「そんなことない」
真壁は少し間を置いた。「影山たちは、もう集まってるんですか」「ああ」「凛さんも?」「来てる」「瀬戸も?」「三日前に来た」
真壁は、小さく笑った。「……どうして私が最後なんですか」
「お前が一番、声をかけにくかった」「なんでですか」「一番、怒っていると思ったから」
沈黙。「……怒ってますよ」「知ってる」「今も、怒ってます」「ああ」「来ても、最初は怒ってますからね」「構わない」「怒鳴るかもしれませんよ」「怒鳴っていい」
また、沈黙。今度は短かった。
「……いつ行けばいいですか」「明日」「急すぎます」「来られるか」「……行きます」「頼む」
真壁は、もう一度だけ小さく笑った。「……まったく」
それだけ言って、電話が切れた。
――――――
翌朝。暁商店街の入口に、黒いセダンが止まった。
降りてきたのは、三十代前半。スーツ。きちんとしたネクタイ。革靴が、朝の光を反射している。ただ、目が少し赤かった。
影山が拠点の前にいた。「……真壁さん」
影山は少し笑った。
「影山くん」「お久しぶりっす」
「まだバイク乗ってるの」
「乗ってますよ」
真壁は少し間を置いた。「……相変わらずだね」
真壁は商店街を見回した。錆びたシャッター。古いアーケード。春の朝の、静かな路地。
「……こんな場所で、何をやってるんですか、みんな」
影山は少しだけ笑った。「知ってると思うけど」
真壁に小さく伝えるように言った。「世界征服です」
真壁は影山を見て、口角を上げた。
――――――
拠点のドアを開けると、優作が立っていた。
真壁は、優作を見た。優作も、真壁を見た。
沈黙。
真壁はスーツの襟を正した。それから、一歩前に出た。
「……来ました」「ああ」「怒ってます」「知ってる」「後で、ちゃんと怒りますから」「ああ」
真壁は少し間を置いた。それから、小さく、深く、頭を下げた。「……よろしくお願いします」
優作も、頭を下げた。「こちらこそ」
――――――
里美がコーヒーを六つ、テーブルに並べた。
影山、凛、瀬戸、真壁、庄屋、優作。
久しぶりに、全員が揃った。
しばらく、誰も何も言わなかった。コーヒーの湯気が、静かに立ち上る。
やがて、瀬戸が口を開いた。「……なんか、変な感じっすね」
「変?」凛が聞いた。「また同じメンバーで、同じことやってる感じがして」
「同じじゃない」真壁が言った。「何が違うんですか」
真壁はコーヒーを一口飲んだ。「あの頃は、誰かのために働いてた。今は——」
優作を見る。「自分たちの意思でやってる」
沈黙。影山が言った。「……かっこいいこと言いますね、真壁さん」「うるさい」
その時、庄屋が口を開いた。「……俺だけ優作さんのチームじゃなかったんすね」
「でも黒川直属で、幹部候補っすよ、俺」
凛が笑った。瀬戸も笑った。影山も笑った。
真壁は笑わなかった。だが、静かに言った。「だから一番、敵を知っている」
庄屋は少し黙った。コーヒーを一口飲んだ。「……そういうことにしといてください」
また、笑いが起きた。真壁も今度は少しだけ、笑った。
――――――
里美がホワイトボードに向かった。マーカーを手に取る。「真壁誠——合流」と書いた。
それから、全員の名前を見渡した。
影山巧。一ノ瀬凛。瀬戸健太。真壁誠。庄屋賢治。
「……揃いましたね」
優作はホワイトボードを見た。「ああ」
「ここからだ」
窓の外に、春の商店街が広がっていた。シャッターはまだ、たくさん閉まっている。
だが——
青文堂の灯りが見えた。タエの店の灯りが見えた。立花モーターズのシャッターが、半開きだった。
優作は窓の外を見たまま、小さく呟いた。「……みんな、すまない、そして、ありがとう」
誰も、それに答えなかった。
答えなくて、よかった。




