第ニ章 暁商店街の胎動
この物語は、パズルのようにつながる構造になっています。まだの方はぜひ第一章プロローグからお読みください。
第一幕 春の音
春。
暁商店街の外れ。
錆びたシャッターが並ぶ路地の奥に、「ITコンサルタントSatio」の看板が、申し訳程度に掛かっていた。
その日の朝、優作は拠点の前で缶コーヒーを飲んでいた。
隣の立花モーターズのシャッターは、まだ閉まっている。
静かだった。
春の朝の、水っぽい空気。商店街の奥から、かすかに鳥の声。
――――――
最初に聞こえたのは、遠くからだった。
低い。
だが、芯が通っている。
優作は缶コーヒーを持ったまま、路地の入り口に目をやった。
フォーーーン……
音が、商店街の路地を抜けてくる。
黒と金のラインをまとったカワサキZ750RSが、拠点の前に滑り込んできた。
エンジンが落ちる。
静寂。
だが、さっきの音が、まだ路地の空気に残っていた。
――――――
ヘルメットが外れた。
現れたのは、二十代半ば。髪が跳ねている。目が、子供みたいに輝いていた。
「優作さん……!」
影山巧は、バイクを降りるより先に声を上げた。
「……久しぶりだな」
優作は缶コーヒーを一口飲んだ。
「久しぶりって……三年ですよ、三年!」
「知ってる」
「連絡、急すぎますよ。『明日来い』って」
「来たじゃないか」
「来ましたよ!当たり前じゃないですか!」
影山は拠点の看板を見上げた。「ITコンサルタントSatio……」それから優作を見た。「何やってんですか、優作さん」
「色々だ」
「色々って」
「座れ。話す」
影山は、少し間を置いて、ニヤリと笑った。
「……待ってたんすよ、俺。絶対呼んでくれると思って」
優作は何も言わなかった。
ただ、缶コーヒーを路地の縁石に置いた。
――――――
その時だった。
隣の立花モーターズのシャッターが、数センチ、音もなく開いた。
人の気配。
それから、重い足音。
立花藤三郎が、油のついた作業着のまま、路地に出てきた。
Zを見た。
一秒。
それだけだった。
無言でしゃがみ込む。キャブ周りを、指先でわずかに触れる。次に足回りへ視線を移す。フロントフォークの突き出し量を、目だけで測る。
十秒、経っただろうか。
立花は立ち上がり、影山を見た。
「キャブのセッティング、薄すぎる」
低い声だった。
「あと、フロントの突き出し、三ミリ出しすぎだ。峠で腰砕けになるぞ」
影山の目が、丸くなった。
「……なんで分かるんですか」
「見れば分かる」
立花は踵を返した。
「待ってください」
影山が、一歩前に出た。
「弟子にしてください」
立花の足が止まる。
振り返らない。
「……断る」
「お願いします」
「うるさい」
「お願いします」
「耳が聞こえんのか」
「聞こえてます。お願いします」
沈黙。
立花は、シャッターに手をかけた。
止まる。
「……名前」
「影山巧です」
「巧か」
「はい」
「不釣り合いな名前だな」
「よく言われます」
立花は鼻を鳴らした。
「邪魔するな。仕事中に話しかけるな。勝手に工具に触るな」
「はい」
「返事だけは一人前だな」
シャッターが、ゆっくり上がった。
――――――
優作は、その一部始終を縁石に腰かけて見ていた。
影山が戻ってくる。
「……優作さん、あの人」
「立花さんだ。隣の」
「すごいっすね」
「そうだな」
「弟子にしてもらえますかね」
「さあ」
影山は、半開きのシャッターをちらりと見た。それから、Zに目を戻した。
「……キャブ、そんなにおかしかったですか」
「俺に聞くな」
「優作さん、バイク分かんないんでしたっけ」
「分からん」
「じゃあ立花さんに聞いてみます」
「やめとけ」
「なんでですか」
「今日はもういい」
影山は少し考えて、頷いた。
「……明日にします」
――――――
拠点のドアを開けると、庄屋がいた。
モニターの前に座って、コーヒーを飲んでいた。
影山を見た。「……誰っすか」
「影山巧です。よろしくお願いします」
「庄屋賢治です。ショーケンって呼んでください」
影山は少し間を置いた。「ショーケン……」
「何か?」
「いえ」
庄屋はコーヒーを一口飲んだ。それから優作を見た。
「優作さん、一つ言っていいっすか」
「なんですか」
「そろそろ、さん付けやめてもらえませんか」
優作は少し間を置いた。「……なぜですか」
「チームなんで。それに——」
一拍。
「新しい人間が入る前で、俺だけ他人行儀だと、序列がわかりにくいじゃないっすか」
影山が「序列って何ですか」と言った。
庄屋が「気にするな」と言った。
優作は少し間を置いた。
「……分かった。庄屋」
庄屋はニヤリと笑った。「それでいいっす」
影山は二人を見た。「……俺も呼び捨てでいいですか?」
庄屋が言った。「お前はまだ早い」
「なんでですか」
「序列だ」
「だから序列って何ですか」
優作はコーヒーを手に取った。「座れ。話がある」
二人が黙った。
拠点に、春の朝の光が差し込んでいた。




