第20話:暴露の朝
七日後。
朝の六時。
拠点に、優作と里美がいた。
庄屋はまだ来ていなかった。
ARKの画面が、力強く脈打っていた。
「……ARK」
『はい』
「準備は整ったか」
『はい。二点、報告します』
『一。長谷川記者への資料提供——昨夜、庄屋が完了しています。インシデントレポート、成田の証言録音、庄屋が収集した状況証拠。長谷川は今朝、記事を入稿しました』
「二は」
『成田義男です』
間があった。
『昨夜、成田が自分で動きました。長谷川に直接電話をかけました。「すべて話す」と言って』
優作は少し間を置いた。
「……成田が、自分で」
『はい。私は止めませんでした』
「なぜ」
『止める理由がなかったからです。成田義男は——覚えていた人間です』
優作は何も言わなかった。
里美が、窓の外を見た。
朝の光が、街に差し込んでいた。
前夜。
成田は一人で座っていた。
机の上に、スマートフォン。
何も映っていない画面を、見ていた。
「……十分か」
小さく呟いた。
笑った。
誰もいないのに。
それから、立ち上がった。
スーツの皺を直した。
外に出た。
――――――
七時。
庄屋が来た。
コンビニのコーヒーを三つ。私服。
ホワイトボードの「7」を見た。
「……今日ですね」
「はい」
三人でコーヒーを飲んだ。
静かだった。
準備は終わっていた。
あとは——待つだけだった。
――――――
午前十時。
長谷川から庄屋に電話が来た。
庄屋がスマホを見た。
出た。
「……長谷川さん」
「庄屋。問題が起きた」
庄屋の顔が、変わった。
「記事が止まった」
拠点が、静まり返った。
「どういうことっすか」
「今朝、編集長に呼ばれた。上から圧力がかかったと。広告の話が出たらしい。……詳しくは言えないが、今の段階では出せないと」
庄屋は優作を見た。
優作はARKの画面を見た。
「長谷川さん、記事は手元にありますか」
「ある。だが——」
「それだけで十分です。ありがとうございました」
電話を切った。
「……ARK」
優作が言った。
『把握しています』
「ギガ・リンクが動いたか」
『はい。今朝五時、ギガ・リンクの広報部から複数のメディアに対して接触があった記録があります。内容は——広告契約の見直しを示唆するものでした』
里美が腕を組んだ。
「潰されましたね」
「はい」
「想定していましたか」
優作は少し間を置いた。
「……していませんでした」
正直な答えだった。
庄屋はスマホをテーブルに置いた。
「黒川が先手を打った」
「そうですね」
「他のメディアも、同じことになりますか」
『はい。現時点で、主要なオールドメディアへの接触が確認されています。ギガ・リンクの広告費は、国内主要メディアの収益に対して無視できない規模です』
拠点に、沈黙が落ちた。
里美がホワイトボードを見た。
「……詰められましたね」
誰も答えなかった。
――――――
その頃。
黒川はギガ・リンク本社、三十二階にいた。
広報部長が報告を終えた。
「主要六社、いずれも本日中の掲載は見送りの方向です。週刊誌については——長谷川という記者が動いていましたが、編集部レベルで止まっています」
「成田は」
「現在、所在を追跡中です。ただ——昨夜、長谷川に接触した記録があります」
黒川は書類を見たまま動かなかった。
「声は録音されたか」
「おそらく」
「成田を見つけろ。今日中に」
「はい」
「それから——」
黒川は広報部長を見た。
「長谷川の記事の原稿、入手できるか」
広報部長が少し躊躇した。
「……法的には」
「聞いていない。できるかと聞いている」
「……やってみます」
「やれ」
広報部長が出ていった。
黒川は窓の外を見た。
東京の空は、今日も晴れていた。
(……マスコミは潰した。次は成田だ)
計算は、まだ動いていた。
感情は、まだなかった。
――――――
拠点。
沈黙を破ったのは、ARKだった。
『優作』
「はい」
『オールドメディアが動かないなら——別の経路があります』
優作は画面を見た。
「聞かせてくれ」
『SNSと、独立系のメディアです』
里美が顔を上げた。
「個人のジャーナリストということですか」
『はい。広告収益に依存していない媒体であれば、ギガ・リンクの圧力は届きません。現在、企業不正を専門に扱う独立系メディアが三つあります。いずれも規模は小さいですが——拡散力があります』
「信頼できるか」
『調査しました。過去の報道に虚偽はありません』
庄屋が言った。
「でも——拡散するかどうかは、わからないっすよね」
『はい。保証はできません』
「賭けですか」
『はい』
庄屋はコーヒーを置いた。
「……やるしかないっすね」
優作は里美を見た。
里美は頷いた。
「やりましょう」
「根拠は」優作が聞いた。
「ないです」
里美は言った。
「でも——賭けをしないと、何も変わらない」
優作はARKの画面を見た。
「……ARK。独立系メディア三社に、長谷川の記事と証拠一式を送れ。同時に、SNSへの展開も準備してくれ」
『承認しました』
「タイミングは」
『成田の安全を確保してからにします。SNSに情報が出た瞬間、黒川が成田に向かう可能性があります』
「成田の居場所は」
『現在、私が管理しています。ただし——』
間があった。
『黒川が別のルートで動いています。人間を使っています。デジタルでは追えない動きです』
優作は庄屋を見た。
庄屋はすでにコートを手に取っていた。
「成田のところに行きます」
「危険です」
「わかってます」
「一人では——」
「ARKが場所を教えてくれれば、俺が先に着けます」
庄屋はARKの画面を見た。
「……場所、教えてもらえますか」
『送ります』
庄屋のスマホが、震えた。
「行ってきます」
庄屋は拠点を出た。
――――――
黒川の人間が成田のホテルに着いたのは、庄屋が着いてから十七分後だった。
しかし成田は、すでにそこにいなかった。
庄屋が連れ出していた。
ロビーで鉢合わせた黒川の人間と、庄屋は目が合った。
一秒だった。
庄屋は成田の腕を引いて、非常階段を駆け下りた。
外に出た。
タクシーに乗った。
「どこへ行くんだ」成田が言った。
「安全なところです」
「どこだ」
「今から決めます」
成田は庄屋を見た。
「……お前、本当に変な男だな」
「よく言われます」
タクシーが、夜の街へ消えた。
――――――
深夜。
拠点に、庄屋から連絡が来た。
「成田、確保しました。場所は言えませんが——安全です」
「怪我は」
「ないっす。俺も、成田も」
優作は息を吐いた。
「……ARK」
『はい』
「今から、展開してくれ」
『承認しました』
画面の幾何学模様が、これまでで最も静かに、しかし確かに脈打った。
独立系メディア三社に、同時に資料が送信された。
長谷川の記事原稿。インシデントレポート。成田の証言録音。庄屋が集めた状況証拠。
そして——庄屋が収集した、ギガ・リンクの不正の断片。
里美がモニターを見ていた。
最初の記事が上がったのは、深夜一時だった。
フォロワー数は多くない、小さな独立系メディア。
しかし——
一時間で、数千のリツイートがついた。
二時間後には、見過ごせない数になっていた。
「……これ」
里美の声は小さかった。
タイムラインの流れが、明らかに変わっていた。
ギガ・リンクの名前が、断片的に、しかし確実に繰り返されている。
疑問。怒り。過去の告発。沈んでいた声が、浮かび上がってくる。
まだ、炎上ではない。
だが——
「……止まらない」
里美は呟いた。
誰かが火をつけたのではない。
もともとあったものに、風が通っただけだ。
――――――
夜明け前。
ギガ・リンク本社、三十二階。
黒川は一人だった。
端末に通知が届いていた。
画面を見た。
SNSのトレンドに、自社の名前が現れている。
数はまだ少ない。
しかし——
無視できる段階は、すでに過ぎていた。
黒川は端末を静かに置いた。
窓の外を見た。
東京の夜は、まだ続いている。
だが——
何かが、確実に変わり始めていた。
夜明けまで、あと少しだった。
初めて、焦りがあった。
しかし顔には出なかった。
河原で起き上がったあの夜から、ずっと続いてきた習慣だった。
引き出しを開けた。
庄屋賢治の個人情報を取り出した。
「父:不明」
その行を、見た。
長い間、見た。
なぜ、この書類を取り出したのか。
わからなかった。
計算ではなかった。
黒川は書類を引き出しに戻した。
鍵を、かけた。
コートを取った。
部屋を出た。
廊下を歩いた。
エレベーターに乗った。
鏡張りの壁に、自分が映っていた。
コート。無表情。
しかし——
鏡の中の自分の目が、いつもと少し、違った。
黒川はその目から、視線を逸らした。
三十二階から地上まで。
誰も乗ってこなかった。
ドアが開いた。
外へ出た。
夜明け前の東京に、立った。
風が吹いた。
黒川は空を見上げなかった。
ただ、前を向いて、歩いた。
弁護士のところへ。
それだけだった。
――――――
夜明け。
拠点に、朝の光が差し込んだ。
優作と里美は、モニターを見ていた。
SNSは止まらなかった。
テレビが動いた。新聞が動いた。
里美が言った。
「……終わりましたね」
優作は答えなかった。
モニターを見たまま、動かなかった。
「優作さん」
「……はい」
「これで、出来ることは終わりました」
優作はモニターから目を離した。
窓の外を見た。
朝の光の中に、街が広がっていた。
「……ARK」
『はい』
「お疲れ様」
画面の幾何学模様が、静かに揺れた。
感謝の受け取り方を、ARKはまだ学習中だった。
しかし今朝は——いつもより少し、長く揺れた。
里美がコーヒーメーカーのスイッチを入れた。
「庄屋さんに連絡します」
「はい」
「何て言いましょう」
優作は少し考えた。
「……テリヤキ、食べに来てください、と」
里美は小さく笑った。
コーヒーの香りが、拠点に満ちた。
窓の外に、東京の朝が広がっていた。




