第19話:包囲網
ITコンサルタントSatioの拠点。
朝。
ホワイトボードに、里美が書いた文字が並んでいた。
「成田義男——証言者(アフリカ現地法人インシデントレポート——確定)」「黒川と反社の癒着——状況証拠(庄屋収集)」
二つ。
優作はそれを見ながら、コーヒーを飲んでいた。
「……ARK」
『はい』
「今の状況を整理してくれ」
『はい。現在、黒川を追い詰めるために必要な要素は二つです』
『一。証言者の保護。成田義男は現在、私が手配した安全な場所にいます。ただし——長期間の保護は困難です。成田自身が不安定です』
「どれくらい持つ」
『一週間から十日。それ以上は、成田が自分で動き始める可能性があります』
優作は頷いた。
『二。証拠の補強。庄屋が集めた状況証拠は、単体では弱い。成田の証言と組み合わせれば、マスコミが動ける水準になります』
「マスコミに持ち込むのか」
『はい。警察や司法では時間がかかりすぎます。黒川の社会的信用を剥がすには、報道が最も速い』
「つまり——今から十日以内に、すべてを動かす必要がある」
『はい』
――――――
そこに、庄屋が来た。
コンビニのコーヒーを三つ。しかし今日はスーツではなかった。
ジャケット。ジーンズ。
里美が一瞬、固まった。
「……私服ですか」
「辞表、受理されました。」
「早いですね」
「向こうも、早く出ていってほしかったんだと思います」
庄屋はコーヒーを渡しながら、ホワイトボードを見た。
「……進んでますね」
「庄屋さんのおかげです」優作が言った。
「俺は状況証拠を集めただけっす」
「それが一番難しかった」
庄屋はパイプ椅子に座った。
「で——次は何をすればいいっすか」
優作はARKの画面を見た。
「マスコミへの接触を、庄屋さんに頼みたい」
「俺が、っすか」
「顔が売れていない。ギガ・リンクの内情を知っている。そして——信用できる」
庄屋はコーヒーを一口飲んだ。
「……どのメディアっすか」
『三社、候補があります』
ARKが言った。
『いずれも企業不正の調査報道に実績があります。ただし——接触の方法を慎重に選ぶ必要があります。黒川の監視がまだ続いている可能性があります』
「俺の動きを、まだ見てると思いますか」
『はい。辞表を出した直後は、むしろ監視が強まると考えてください』
庄屋は少し考えた。
「……アナログで動く必要がありますね」
『はい。デジタルでの接触は避けてください』
庄屋はコーヒーを置いた。
立ち上がった。
「わかりました。心当たりがあります」
「誰ですか」優作が聞いた。
「大学の先輩っす。今、週刊誌の記者をしています。……三重大学出身なんっすけど」
庄屋は少し笑った。
「あの大学、意外と人脈があるんっすよ」
――――――
その日の夕方。
庄屋は一人で、喫茶店にいた。
向かいに座っているのは、四十代の男だった。
くたびれたジャケット。メモ帳を持っている。目が、鋭かった。
「……久しぶりだな、庄屋」
「ご無沙汰してます、長谷川さん」
「ギガ・リンクを辞めたと聞いた」
「今日付けで」
「それで、俺に話があると」
「はい」
庄屋はコーヒーを一口飲んだ。
「ギガ・リンクのアフリカ現地法人で、3年前に事故がありました。坑道の崩落で、現地の少年五人が死んでいます」
長谷川は何も言わなかった。
メモ帳を開かなかった。
ただ、庄屋を見ていた。
「その事故は、現地法人責任者による安全基準の無断改ざんが原因でした。会社はそれを知りながら、隠蔽しました」
「証拠は」
「あります」
「見せてもらえるか」
「今日は持ってきていません。場所を変えて、改めて」
長谷川は少し間を置いた。
「……お前、大丈夫か」
「何がっすか」
「命が、ということだ」
庄屋は長谷川を見た。
この男は——本物だ。
「今のところは」
「今のところ、か」
長谷川はメモ帳を閉じた。
「わかった。続きを聞こう」
――――――
同じ頃。
ギガ・リンク本社、三十二階。
黒川は部下の報告を聞いていた。
「庄屋の本日の行動です。午前中は自宅。午後——都内の喫茶店に入りました。接触相手は、週刊誌の記者、長谷川雄二。企業不正の調査報道で複数の実績があります」
黒川は書類から目を上げなかった。
「会話の内容は」
「店内での盗聴は——困難でした」
沈黙があった。
「困難だった」
「はい。席の配置上、接近できませんでした」
黒川は書類を置いた。
窓の外を見た。
「……マスコミか」
独り言のような声だった。
部下は何も言わなかった。
「長谷川の身辺を調べろ。現在進行中の案件を、すべて把握しろ」
「はい」
「それから——成田の居場所を、もう一度探せ。今度は別のルートで」
「はい」
部下が出ていった。
黒川は一人になった部屋で、窓の外を見続けた。
マスコミ。証言者。状況証拠。
包囲網が、静かに縮まっていた。
しかし——
焦りは、なかった。
黒川は引き出しを開けた。
一枚の書類を取り出した。
それを、静かに見た。
庄屋賢治の、個人情報だった。
生年月日。学歴。職歴。
そして——家族構成の欄。
黒川は、その行を見た。
長い間、見た。
それから、書類を引き出しに戻した。
鍵を、かけた。
表情は、変わらなかった。
ただ——
窓の外の東京が、いつもより遠く見えた。
それだけだった。
――――――
その夜。
拠点に、三人が集まっていた。
庄屋が長谷川との接触を報告した。里美がホワイトボードに「長谷川雄二——記者、接触済み」と書き加えた。
「……黒川は気づいていると思います」
庄屋が言った。
「そうですね」優作が答えた。
「急いだ方がいいっすか」
優作はARKの画面を見た。
拠点に、静寂が落ちた。
コーヒーの香りが、まだ残っていた。
窓の外に、夜の街が広がっていた。
何かが終わる。
三人は、それを知っていた。




