第17話:悪行の重さ
庄屋が成田のホテルに着いたのは、
夜の九時を少し過ぎた頃だった。フロントで部屋番号を聞いた。
教えてもらえなかった。当然だった。庄屋はロビーの隅に立って、
成田に電話をかけた。三コール。四コール。出なかった。
五コール目で、繋がった。
「……誰だ」
くぐもった声だった。眠っていたのかもしれない。
あるいは、眠れていなかったのかもしれない。
「庄屋です。ギガ・リンクの」
沈黙があった。
「……今、ロビーにいます。少し話せますか」
また沈黙。
「……上がってこい」
――――――
部屋は、薄暗かった。カーテンが閉め切られていた。
テーブルの上に、缶ビールが三本。
二本は空だった。スーツは脱いで、シャツ一枚だった。
GLのパーティーで武勇伝を語っていた男の姿は、
そこにはなかった。
「……何の用だ」
成田はベッドの端に座ったまま、庄屋を見た。
「黒川さんが、あなたへの接触を阻止しようとしています」
成田の目が、動いた。
「今夜、誰かが来るかもしれません」
「……なぜお前が、それを」
「調べていました」
庄屋はテーブルの前に立った。座る気にはなれなかった。
「成田さん。アフリカで死んだ子供たちのことを、
覚えていますか」
成田の顔が、わずかに強張った。
「……何の話だ」
「片桐優作が書いたプログラムを、あなたが改ざんした。
休憩時間を二十分から十分に削った。その結果、五人の子供が死んだ」
「証拠は」
「あります」
嘘だった。
しかし庄屋は表情を変えなかった。成田はしばらく、庄屋を見た。
缶ビールを手に取った。飲まなかった。
「……黒川に頼んだのは、失敗だったかもしれんな」
独り言のような声だった。
「あの男は——怖い。泣きついた俺を、
駒にしか思っていない」
「そうですね」
「お前は何が欲しいんだ」
庄屋は少し間を置いた。
「証言です」
「証言して、俺に何の得がある」
「黒川の手から、離れられます」
成田は笑った。
乾いた笑いだった。
「お前は若いな。黒川の手から離れた人間が、
どうなるか知っているか」
「知っています」
「知った上で、俺に証言しろと言うのか」
「はい」
成田はしばらく、庄屋を見た。
この男は——怖くない。
黒川とは違う。脅しでも、罠でもない。
ただ——真顔だった。
「……片桐は、今どこにいる」
「言えません」
「俺を守る気はあるのか」
「最善は尽くします。保証はできません」
成田はビールを置いた。
「正直だな」
「嘘をついても、あなたにはわかります」
成田は立ち上がった。
窓のカーテンを、少しだけ開けた。
夜の街が見えた。
「……GLRが潰れた夜」
静かな声だった。
「俺は——笑えると思っていた。
十分でビジネスが終わる、と言った。
その同じ夜に、自分の会社が終わった」
庄屋は何も言わなかった。
「笑えないな」
成田はカーテンを閉めた。
「……証言する。ただし条件がある」
「聞きます」
「黒川から、俺を遠ざけろ。物理的に」
「わかりました」
「もう一つ」
成田は庄屋を見た。
「片桐に——伝えろ。俺は、子供たちのことを、
覚えている。忘れたことは、一度もない」
庄屋は、その言葉を聞いた。
「……伝えます」
「それだけでいい」
成田はベッドに戻った。
缶ビールを開けた。
今度は、飲んだ。
――――――
庄屋がホテルを出たのは、
黒川の人間が到着する八分前だった。
ARKから通知が来ていた。
『間に合いました』
庄屋はスマホを見ながら、夜の街を歩いた。
(……間に合った)
しかし——
成田の最後の言葉が、頭に残っていた。
「子供たちのことを、覚えている。忘れたことは、一度もない」
あの男は——壊れてはいなかった。
壊れた振りをしていただけかもしれない。
あるいは——壊れたまま、覚えていた。
どちらが本当かは、庄屋にはわからなかった。
――――――
拠点に戻ると、優作と里美がいた。
庄屋はコートを脱ぎながら言った。
「成田、証言します」
優作は画面から目を上げた。
「……条件は」
「黒川から遠ざけること」
「ARK、できるか」
『はい。すでに手配を始めています』
里美がホワイトボードに何かを書いた。
「成田義男——証言者」
それだけ書いて、チョークを置いた。
庄屋はコーヒーを作りながら、言った。
「……もう一つ」
優作を見た。
「成田から、伝言です」
「なんですか」
「子供たちのことを、覚えている。
忘れたことは、一度もない——だそうです」
拠点が、静まり返った。
優作は画面を見たまま、動かなかった。
里美は、優作の横顔を見た。
庄屋は、コーヒーをかき混ぜた。
しばらく、誰も何も言わなかった。
優作が口を開いた。
「……そうか」
それだけだった。
しかしその三文字に、三年分の何かが混じっていた。
庄屋には、それがわかった。
――――――
同じ頃。
ギガ・リンク本社、三十二階。
部下が戻ってきた。
「……成田のホテルに到着しましたが、
すでに別の場所に移動した後でした」
黒川は書類を見たまま、動かなかった。
「先回りされました」
沈黙があった。
「庄屋か」
「……おそらく」
黒川は書類を置いた。窓の外を見た。
東京の夜景が、静かに広がっていた。
証拠がない。成田も逃げた。
しかし——焦りは、なかった。
怒りも、なかった。
ただ——計算があった。
庄屋賢治。あの男は今、どちら側にいるのか。
答えは、出ていた。しかし黒川は、その答えをまだ、
引き出しの中にしまっておいた。使う時が、来る。
必ず、来る。
それだけだった。




