第16話:暗闇の地図
ITコンサルタントSatioの拠点。
夜。
優作はノートPCの前に座っていた。ARKの幾何学模様が、力強く脈打っている。
「……ARK」
『はい』
「黒川と反社の癒着。どこまで掘れた」
『報告します』
画面に、データが流れ始めた。
『まず——確認できたものから』
『黒川が反社会的組織と接触を持っていた記録は、複数のルートから断片的に検出されています。通話記録の痕跡。資金移動の迂回経路。人材の融通に関わる非公式の合意書の存在を示唆するメール』
「示唆、か」
『はい。直接的な証拠には、なっていません』
優作は画面を見た。
「……消されているのか」
『はい。しかし——』
『消し方が、私の想定より、丁寧です』
優作は少し間を置いた。
「どういう意味だ」
『通常、データの削除には痕跡が残ります。削除した日時。削除したアカウント。上書きのパターン。私はそれを手がかりに復元します』
『しかし黒川が消したデータは——削除された形跡すら、ありません』
「最初から、なかったように見える」
『はい。これは技術的な問題ではありません』
『黒川は、証拠を残さないことを——最初から、習慣にしている』
優作はちゃぶ台に肘をついた。
三年前から、ずっと。自分が動く前から。黒川はすでに、消しながら動いていた。
「……俺たちが掘り起こそうとしているものを、あいつはとっくに埋めている」
『正確には——埋めるのではなく、最初から地上に出さない、です』
優作は画面を見た。
「……怖い男だな」
『はい』
ARKが即座に同意した。
珍しかった。
――――――
翌朝。
庄屋が拠点に来た。
コンビニのコーヒーを三つ。いつも通りだった。
「……ARK、どこまで掘れた」
庄屋はノートPCに直接話しかけた。最近、そうするようになっていた。
『断片は複数あります。しかし現時点では、証拠として成立するものがありません』
庄屋はコーヒーを一口飲んだ。
「……そうか」
「知ってたんですか」優作が言った。
「黒川が、そういう男だということは」
庄屋は少し間を置いた。
「……うすうすは」
「なぜ」
「証拠が、綺麗すぎるんっすよ。あの人の仕事は」
庄屋はコーヒーを置いた。
「普通、仕事をすれば何かが残る。メモでも、修正の跡でも。でも黒川さんの判断の痕跡は——提出された書類しかない。思考の過程が、どこにもない」
優作は庄屋を見た。
「……それに気づいていた」
「気になってはいました。……怖いと思ったのは、最近っすけど」
「あの人は——負けることを、想定して動いています」
『その通りです』
ARKが言った。
『黒川という人間は、勝つために動いているのではありません。負けない構造を作るために動いています。その二つは、似ているようで、根本が違います』
拠点に、沈黙が落ちた。
里美がホワイトボードを見ていた。
「……つまり」
静かな声だった。
「ARKが証拠を探しても、最初から証拠がないかもしれない」
『可能性はあります』
「じゃあ、どうするんですか」
優作は画面を見た。
「……ARK」
『はい』
「証拠がないなら、何が使える」
『証拠がなくても——証言はあります』
「証言者か」
『黒川に消された側の人間が、まだいます。GLロジスティクスの件で損害を受けた取引先。アフリカ現地法人で働いていた人間。そして——』
『成田義男』
庄屋が、コーヒーを持ったまま動きを止めた。
「……成田を、使うんっすか」
「成田は今どこにいる」優作が聞いた。
『都内のビジネスホテルを転々としています。GLロジスティクスが潰れてから、定住していません。銀行口座の残高は——あと三ヶ月で底をつきます』
庄屋は少し考えた。
「……成田は黒川に泣きついた人間っすよ。信用できますか」
「信用しなくていい」
優作は言った。
「証言できればいい」
庄屋はその言葉を聞いた。
しばらく、何も言わなかった。
それから、コーヒーを一口飲んだ。
「……冷たいっすね」
「そうですね」
「でも——正しい」
庄屋は立ち上がった。
「成田の場所、教えてもらえますか」
優作は庄屋を見た。
「……庄屋さんが行くんですか」
「俺の方が、話しやすいと思います。顔を知ってるので」
「それに——」
庄屋はコートを羽織った。
「俺はまだ、ギガ・リンクの社員っすからね」
その言葉の意味を、優作は一秒考えた。
「……わかりました」
『庄屋賢治。現在のホテルの住所を送ります』
庄屋のスマホが、静かに震えた。
――――――
同じ頃。
ギガ・リンク本社、三十二階。
黒川は部下の報告を聞いていた。
「ITコンサルタントSatioの登記が確認されました。代表取締役——神崎里美。設立から四日。資本金は——」
部下が、数字を読み上げた。
黒川は書類から目を上げなかった。
「……場所は」
「現在、特定中です。登記上の住所は——」
「そこにはいない」
部下が、止まった。
「登記上の住所と、実際の活動拠点が一致していると思うな」
「……はい」
「庄屋の動きは」
「本日、外出しています。行き先は——追跡中です」
黒川は、少しの間だけ窓の外を見た。
東京の空は、今日も晴れていた。
「……成田に、接触させるな」
部下が顔を上げた。
「成田義男、ですか」
「今すぐ動け」
「……はい」
部下が出ていった。
黒川は書類に視線を戻した。
表情は、変わらなかった。
しかし——
部下が出ていってから、黒川は初めて、書類を置いた。
椅子に深く座った。
窓の外を、見た。
(……庄屋)
その名前が、頭の中で、静かに転がった。
理由はわからなかった。
ただ——あの男の、感情を見せない目が。
自分に、似ていた。
(またこの感覚か。なぜだ?)
黒川には理由が分からなかった。
――――――
庄屋のスマホが、震えた。
ホテルに向かう途中だった。
画面を見た。
ARKからだった。
『黒川が動きました。成田への接触を阻止しようとしています。おそらく十五分以内に、先回りされます』
庄屋は画面を見た。
一秒。
アクセルを踏んだ。
(……何で分かった。)
(……やっぱり怖い人だ)
夜の道が、後ろへ流れた。




