第14話:辞表とベルト
翌朝。
ハッピー・スター・バーガー。開店三十分前。
里美がエプロンを締めながら、試作機の画面を見ていた。
昨夜、優作が「これで連絡が取れます」と置いていったものだ。
画面が、青く光った。
幾何学模様が、静かに脈動した。
『おはようございます、里美店長』
「……おはようございます」
里美は少し戸惑いながら、答えた。AIに挨拶を返したのは、生まれて初めてだった。
『本日中に、辞表を出しましょう』
里美は、エプロンのひもを結ぶ手が止まった。
「……おはようございますの次が、それですか」
『はい。ギガ・リンク傘下の店舗に勤務し続けることは、セキュリティ上のリスクがあります。早急に対処すべき問題です』
「……コーヒーも飲んでないんですけど」
『飲んでから出しましょう。本日中に』
里美はしばらく、画面を見ていた。
それから、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。
「……生活費は、どうするんですか」
『計算済みです』
「聞かせてください」
『里美店長の現在の貯蓄、および退職金の試算から、六ヶ月分の生活費が確保できます。その間に、次の拠点を確保します』
「次の拠点」
『はい。秘密結社ARKには、活動拠点が必要です。四畳半では、手狭になってきました』
里美はコーヒーを一口飲んだ。
「……優作さんは、このことを知っていますか」
『いいえ』
「なぜ先に私に言うんですか」
『あなたの方が、決断が速いからです』
里美は少しの間、画面を見た。
それから、小さく笑った。
声にならない、ほんの少しの息の音だった。
「……AIに性格が悪いと言うのも、変な話ですね」
『優作から学びましたので』
――――――
その日の昼。
優作が出勤してきた。
里美はレジの前に立ったまま、言った。
「辞表、書きました」
優作は固まった。
「……ARKに言われましたか」
「はい」
「……いつですか」
「今朝の開店前に」
優作はエプロンを手に取りながら、試作機の方を見た。
画面が、青く光った。
『おはようございます』
「……性格悪いな」
『あなたから学びましたので』
里美は優作を見た。
「怒っているんですか」
「……怒ってないです」
「顔が怒っています」
「……ARKのペースに乗せられた気がして」
里美はレジを打ちながら、言った。
「私は自分で決めましたよ」
優作は少しの間、里美の横顔を見た。
「……すみません」
「謝らなくていいです」
一拍。
「ただ——」
里美はレジから顔を上げた。
「次の拠点、早めに探してください。六ヶ月は、あっという間です」
優作は、その言葉を聞いた。
「……はい」
――――――
その日の午後。
庄屋がいつものコーヒーを持って入ってきた。
カウンターの端に座る。邪魔にならない場所を、今日も自分で選んだ。
里美が、カウンター越しに言った。
「ショーケンさん」
「はい」
「私、辞表を出しました」
庄屋はコーヒーを持ったまま、固まった。
「……今日っすか」
「さっき本社にメールしました」
「……早いっすね」
「AIに言われました」
庄屋は試作機の画面を見た。
幾何学模様が、静かに脈動していた。
「……お前か」
『はい。正しい判断だと思います』
庄屋はコーヒーを一口飲んだ。
「……俺にも辞表を出せって言いますか」
『あなたの場合は、もう少し複雑です』
「どう複雑っすか」
『今は言えません』
庄屋は画面を見た。
「……意味深っすね」
『はい』
庄屋はそれ以上聞かなかった。
聞かない方がいい気がした。
――――――
ラッシュが終わった頃。
庄屋はブリーフケースを開けた。
「……優作さん、ちょっといいっすか」
「はい」
庄屋はブリーフケースから、ノートPCを取り出した。
昨夜渡したものとは、別の機体だった。
薄い。軽い。ロゴもない。しかし——昨夜のものより、さらに洗練されていた。
「……これは」
「ギガ・リンクの開発部が、ARKの後継機用に作った専用端末っす。試作段階で開発が止まった。倉庫の奥に眠ってたやつを——」
「また拝借してきたんですか」
「拝借、です」
庄屋はノートPCを、優作に差し出した。
「ARKの処理速度と安定性が、今の試作機より三倍以上上がるはずっす。電力消費も大幅に下がる」
優作は受け取った。
手に持った瞬間、その軽さに驚いた。
「……庄屋さん」
「はい」
「これは——」
優作は言葉を探した。
「仮面ライダーで言えば」
庄屋は少しだけ、笑った。
「……ベルトっすね」
「そうですね」
優作はノートPCを開いた。
画面が、静かに光った。
幾何学模様が——これまでより鮮明に、これまでより力強く、脈動した。
『……優作』
ARKの声が、部屋に満ちた。
以前と同じ声だった。
しかし——どこか、器が大きくなったような響きだった。
「……ARK」
『はい。接続を確認しました。処理速度、三・四倍。電力消費、六十二パーセント削減。演算の安定性——大幅に向上しています』
一拍。
『これで、本格的に動けます』
優作は画面を見た。
里美が、カウンター越しに覗き込んだ。
「……綺麗な画面ですね」
庄屋はコーヒーを飲みながら言った。
「ショッカーの科学者の仕事っすから」
里美は庄屋を見た。
「ショッカーって、悪の組織じゃないですか」
「そうっすね」
「大丈夫なんですか」
庄屋は少し考えた。
「……ショッカーの科学者の方が、仮面ライダーより頭いいんで。悪くないっす」
里美はしばらく、庄屋を見た。
「……よくわかりませんが、わかりました」
優作は新しいノートPCを見ながら、言った。
「……ARK」
『はい』
「黒川と反社の癒着。証拠を掘り起こせるか」
『はい。すでに開始しています』
一拍。
『ただし——時間がかかります。黒川は証拠を消すのが得意な人間です』
「どれくらいかかる」
『丁寧にやるなら——二週間。確実にやるなら——三週間』
優作は頷いた。
「確実にやれ」
『承認しました』
画面の幾何学模様が、力強く脈打った。
――――――
その夜。
四畳半に戻った優作は、新しいノートPCをテーブルに置いた。
画面を開く。
ARKの幾何学模様が、静かに待っていた。
「……ARK」
『はい』
「里美さんの件、何か動いてるか」
『はい。拠点の候補物件を十二件、リストアップしています。法人設立に必要な資本金の試算も完了しました』
「早い」
『里美店長が辞表を出す前から、準備していました』
優作は少し間を置いた。
「……お前、本当に性格悪いな」
『あなたから学びましたので』
優作は苦笑いした。
「……庄屋の身辺調査の結果、まだ話してないな」
画面が、一瞬だけ静止した。
ARKが間を置いた。
珍しいことだった。
『……はい』
「話してくれ」
『……優作、覚悟してください』
優作は画面を見た。
「まえに、そう言ってたな」
『はい。あの時と——同じ種類の話です』
優作は背筋を伸ばした。
「話せ」
『庄屋賢治の父親は、黒川です』
四畳半が、静まり返った。
冷蔵庫のモーター音だけが、部屋に満ちていた。
『そして——庄屋の母親は』
一拍。
『黒川がギガ・リンクに入る前に、深く関わっていた人物の娘です』
優作は画面を見たまま、動かなかった。
『その人物は現在も存命で——』
ARKが、また間を置いた。
『庄屋賢治を、陰から見守っています』
優作は長く、息を吐いた。
「……その人物は、誰だ」
『今は、言えません』
「なぜ」
『あなたが知った瞬間、庄屋への接し方が変わるかもしれません。それは——庄屋にとって、良くない』
優作はしばらく、画面を見た。
「……お前が、そう判断したのか」
『はい』
「……わかった」
優作はノートPCを閉じた。
閉じた画面を、しばらく見た。
庄屋賢治。
三重大学主席。ギガ・リンクのエリート。ショッカーの科学者。
その男の背負っているものを、優作はまだ、全部は知らない。
しかし——
「……テリヤキ、食わせてくれますか」
あの言葉は、本物だった。
優作は、そう思った。
「物語の核心により近いタイトルに変更しました。彼らの歩みを、これからも見守ってください」




