第13話:ショッカーの科学者
木曜日の夜。
ギガ・リンク本社、三十二階。
黒川は電話を持っていた。
画面に表示された番号を、しばらく見た。
証拠はない。
片桐優作がGLロジスティクスを潰したという証拠は、まだない。
庄屋も思うように動かない。
しかし——
黒川は電話をかけた。
三コールで、繋がった。
「私だ」
低い声で言った。
「ハッピー・スター・バーガー。今夜の閉店後に、片桐優作という男がいる。……お前の判断で動け。こちらが使える材料を持ち帰れ。」
「……ただし、やりすぎるな」
それだけ言って、電話を切った。
書類に視線を戻した。
表情は、変わらなかった。
――――――
その三分後。
タブレットの画面が、静かに光った。
文字だけが、流れた。
『黒川が動きました。今夜、閉店後に人が来ます』
優作はその文字を見た。
「……庄屋に連絡してくれ」
『承認しました』
声は出なかった。
ARKは理由を説明しなかった。
説明しなくても、分かっていた。
今夜、庄屋がいない。
優作は一人だった。
――――――
同じ頃。
庄屋の車のカーナビが、突然、青く光った。
幾何学模様が、静かに脈動する。
そして——重厚な合成音声が、カーナビのスピーカーから流れた。
『庄屋賢治。今夜、ハッピー・スター・バーガーに人が来ます。片桐優作が危険です』
一瞬だけ眉間に皺がよった。
カーナビを見た。
「……誰だ」
『ARKです。初めまして』
庄屋は少しの間、何も言わなかった。
「……優作さんの、ARKっすか」
『はい。今夜、ハッピー・スター・バーガーに人が来ます。黒川の指示です』
「何人」
『現時点では三名。ただし——』
一拍。
『彼らの車、今は動きません。通信も不安定にしています。時間を稼いでいます』
庄屋は、その声を聞いた。
「……お前がやったのか」
『はい』
「なぜ俺に連絡した」
『優作は一人です。あなたが必要だと判断しました』
庄屋はしばらく、何も言わなかった。
それから、Uターンした。
「……わかった」
『ありがとうございます』
「礼はいいっす」
アクセルを踏んだ。
(……初めまして、か)
庄屋は夜の道を走りながら、その声を思い返した。
抑揚がない。温度がない。
しかし——嘘をついている感じが、しなかった。
――――――
ハッピー・スター・バーガー。閉店後。
優作は一人で戸締まりをしていた。
静かだった。
フライヤーの油が冷えていく音。冷蔵庫のモーター。
タブレットの画面を、ちらりと確認した。
文字が流れた。
『あと十分程度で来ます。車の不具合の解消が早まりました』
優作はタブレットをエプロンのポケットに入れた。
店内を見回した。
テーブル。椅子。カウンター。
自分の店ではない。
里美の店だ。
(……里美さんは、店を出たな)
それだけは、確認した。
――――――
裏口の扉が、開いた。
三人。黒のジャンパー。
「片桐優作さんですね」
真ん中の男が言った。
「……はい」
「少し、お話を」
男が近づいてきた。
優作は動かなかった。
「どんな話ですか」
「GLロジスティクスに関わることです」
一人の男の手が、テーブルを払った。
トレイが床に落ちた。
大きな音がした。
「……脅しですか」
「話し合いですよ」
別の男が、カウンターの上のものを床に落とした。
また音がした。
三人目が、椅子を蹴った。
優作は動けなかった。
立ったまま、三人を見ていた。
(……庄屋さんは)
(……まだ来ない)
男が優作の胸倉を掴んだ。
「聞こえてますか」
「……聞こえています」
「ならば——」
そのとき。
表の扉が、勢いよく開いた。
――――――
里美が立っていた。
鍵を手に持ったまま。
コートを羽織って表に出た時、店の方から何か鈍い音がした。里美は足を止めた。風かもしれない。しかし、あるいは——。踵を返した。
扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは——
散乱したトレイ。倒れた椅子。
そして、見知らぬ男に胸倉を掴まれている優作の姿だった。
「……何をしているんですか」
里美の声は、震えていなかった。
三人の男が振り返った。
「……関係ない人は帰ってください」
「ここは私の店です」
里美は一歩、中に入った。
「出ていってください」
男の一人が、里美に近づいた。
「帰れと言っている」
手が、里美の腕を掴もうとした——
その瞬間。
「お邪魔しまーす」
裏口から、庄屋賢治が入ってきた。
ネクタイなし。スーツの上着なし。シャツの袖を、肘まで捲っていた。
三人の男が振り返った。
「……誰だ」
「通りすがりっす」
庄屋はにこっと笑った。
目は、笑っていなかった。
――――――
速かった。
里美の腕を掴もうとしていた男の手首を取り、そのまま壁に押しつけた。
音もなく。
二人目が動こうとした瞬間、庄屋の肘が入った。
男がよろめいた。
三人目が優作の胸倉を離して庄屋に向かおうとした。
庄屋は一人目を解放して、三人目の前に立った。
「……やめておいた方がいいっすよ」
静かな声だった。
三人目は、庄屋の目を見た。
それだけで、わかった。
三人は顔を見合わせた。
それから、裏口から出ていった。
扉が閉まった。
――――――
静寂が戻った。
床に、散乱したトレイ。倒れた椅子。落ちたメニュー立て。
里美は、その惨状を見た。
それから、優作を見た。
それから、庄屋を見た。
「……説明してください」
声は、静かだった。
怒りより静かな声だった。
それが、かえって重かった。
優作は里美を見た。
逃げ場がなかった。
「……里美さん」
「はい」
「……座ってもらえますか」
里美は倒れた椅子を起こした。
座った。
腕を組んだ。
「どうぞ」
――――――
優作は少しの間、何も言えなかった。
どこから話すべきか。
三年前から話すべきか。
アフリカの少年たちから話すべきか。
GLロジスティクスを潰した夜から話すべきか。
「……里美さんの父親の工場が、GLロジスティクスに潰された経緯を、
知っていますか」
「……ある程度は」
「全部、知っていますか」
里美は少し間を置いた。
「……全部は、知りません」
優作は頷いた。
「……俺は三年前まで、ギガ・リンクの社員でした」
里美の目が、わずかに動いた。
「物流最適化プログラムを作っていました。そのプログラムが——」
優作は言葉を選んだ。
「結果として、アフリカの鉱山で子供たちを死なせました」
店内が、静まり返った。
庄屋は壁際に立ったまま、何も言わなかった。
「俺は会社を辞めました。三年間、四畳半に籠もっていました。……そして、秘密結社ARKを作りました」
「……秘密結社」
「はい」
里美は優作を見た。
「……GLロジスティクスを潰したのは」
「はい」
「あなたが」
「はい」
里美は少しの間、何も言わなかった。
テーブルの上に、まだメニュー立てが一つだけ残っていた。
倒れずに残っていた。
里美はそれを、ぼんやりと見ていた。
「……父の工場を潰した会社を、あなたが潰した」
「はい」
「……私が『神様かもしれない』と言ったあの朝、あなたがやったんですか」
「はい」
里美は、メニュー立てから視線を外した。
優作を見た。
長い間、見た。
「……どうして、今まで言わなかったんですか」
優作は答えなかった。
「怖かったんですか」
「……はい」
「何が怖かったんですか」
優作は少し考えた。
「……里美さんに、嫌われることが、怖かった」
店内が、また静まり返った。
庄屋が、壁に背中を預けたまま、天井を見上げた。
里美は、しばらく何も言わなかった。
それから、立ち上がった。
倒れている椅子を、一つ起こした。
また一つ、起こした。
床のトレイを、拾った。
「あの……」
優作はどうしていいか分からなかった。
里美は優作の方を見て言った。
「……手伝ってください」
優作は、その言葉を聞いた。
「……里美さん」
「片付けます」
里美は答えなかった。
ただ、床のものを拾い続けた。
「怒らないんですか」
里美は手を止めた。
「……怒ってますよ」
一拍。
「でも、今は片付けが先です」
優作は立ち上がった。
庄屋も、壁から離れた。
三人で、めちゃくちゃになった店内を、片付け始めた。
――――――
三十分後。
店内は、元通りになっていた。
完全にではない。でも、ほぼ。
里美はカウンターに座っていた。
庄屋がコーヒーを三つ、持ってきた。
「どうぞ」
誰も、ありがとうと言わなかった。
三人で、コーヒーを飲んだ。
しばらく、誰も何も言わなかった。
里美が口を開いた。
「……秘密結社ARKの目的は何ですか」
優作は答えた。
「世界中の富を再分配して、ベーシックインカムを実現することです」
里美は少しの間、その言葉を聞いていた。
「……世界征服ですか」
「はい」
「……四畳半から」
「はい」
「……ハンバーガー屋のバイトをしながら」
「はい」
里美はコーヒーを一口飲んだ。
「……馬鹿じゃないですか」
「そうですね」
「でも」
里美はカウンターに肘をついた。
「父の工場を潰した会社を、あなたが潰してくれた」
一拍。
「……それは、ありがとう」
優作は答えなかった。
答えられなかった。
庄屋はコーヒーを飲みながら、窓の外を見ていた。
夜の街が、静かに流れていた。
「……一つ、聞いていいですか」
里美が言った。
「はい」
「私は、これからどうすればいいんですか」
優作は里美を見た。
「……里美さんが決めることです」
「選択肢は」
「二つあります」
一拍。
「知らなかったことにして、普通に働き続ける。……それが、一番安全です」
「もう一つは」
優作は少し間を置いた。
「……秘密結社ARKに、加わる」
里美はコーヒーを置いた。
長い間、何も言わなかった。
それから、立ち上がった。
エプロンを取った。
締めた。
「……明日も開店は、七時ですよ」
優作は、その言葉を聞いた。
「……はい」
「遅刻しないでください」
「はい」
里美はエプロンのひもを結びながら、言った。
「世界征服、手伝います」
庄屋が、コーヒーを吹きそうになった。
こらえた。
「……ショーケンさん」
里美が庄屋を見た。
「あなたは何者ですか」
「ギガ・リンクの社員っす」
「敵じゃないですか」
「まあ、そこは追々」
里美は少し考えた。
「……優作さんの友達ですか」
庄屋は優作を見た。
優作は答えなかった。
庄屋は少し笑った。
「……まあ、そんな感じっすかね」
里美は頷いた。
「わかりました」
それだけ言って、バックヤードに歩いていった。
戸締まりの確認をするために。
――――――
店内に、優作と庄屋が残った。
庄屋はコーヒーを飲み干した。
「……強い人っすね」
「そうですね」
「惚れますよ、ああいう人には」
優作は答えなかった。
庄屋はブリーフケースを手に取った。
「……あ、そうだ」
開けた。
中に、ノートPCが入っていた。
見たことのない筐体。薄い。ロゴもない。
「……これ」
優作は受け取った。
「ギガ・リンクの開発部が作ってる試作機っす。セキュリティが厳重な部屋から、拝借してきました」
「……盗んできたんですか」
「拝借、って言ったっすよ」
優作は試作機を開いた。
画面が、静かに光った。
『……優作』
ARKの声が、試作機のスピーカーから流れた。
以前より、鮮明だった。
広い場所から届く感じが、さらに増していた。
「……ARK」
『はい。接続を確認しました。この端末の方が安定しています』
優作はしばらく、画面を見た。
「……仮面ライダーで言えば」
庄屋は、その言葉を聞いた。
少し驚いた顔をした。
「……わかるんっすか」
「わかります」
「ショッカーの科学者みたいっすね、俺」
「そうですね」
庄屋は肩をすくめた。
「まあ、ショッカーの科学者の方が、仮面ライダーより頭いいっすから。悪くないっす」
優作は試作機の画面を見たまま、言った。
「……ありがとう」
庄屋は少しの間、その言葉を聞いた。
「……テリヤキ、食わせてくれますか」
「それは店で食べてください」
「っす」
――――――
バックヤードから、戸締まりの音が聞こえてきた。
里美が、いつも通りに動いている音だった。
その夜、ARKは演算を続けた。
未定義の変数が、また一つ増えた。
里美。
この女性を、どう分類するか。
ARKにはまだ、カテゴリがなかった。
しかし——
「信頼できる」という演算結果が、これまでより速く出力された。




