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32. 灰色の塔

 ナラネスラの王宮に着くやいなや、アンナはヨエル王子に引き取られた。

 見送ったシャーロットとフレデリックは、その足で国王に謁見した。

 救国の英雄の妹であるシャーロットが同席したこともあり、謝罪は何事もなく済んだ。


 それどころか一週間ほどゆっくりしていくようにと言われ、破格のもてなしを受けている。

 

 少々怪しいまでに好意的な対応だ。


 有能とされているフレデリックを引き止めることでリンデル王国の運営を妨げようとしているのかとすら思ったが、一週間やそこらでは何も変わりえない。

 

 彼らを人質に、リンデル王国に対して何らかの要求をしようとしている可能性もあったが、それなら一週間も待たずに今すぐ動けば良い。


 結局彼らの目的は読めないが、それを突き止めるためすぐに動けるほど、シャーロットの体力は残っていなかった。


 数日間に渡る旅の後、息つく間もなく国王に会わなければならなかった。

 謝罪が上手く行ったところで力が抜けてしまった。


 湯浴みをしに浴場へと向かい、更衣室で侍女に脱衣を手伝ってもらう。

 他国の物珍しさを堪能するでもなくうつらうつらとしていたが、侍女に控えめな調子で起こされ、シャーロットはやや気の抜けた返事をしながら彼女の方に目を向けた。


「……その、ノエリア様がご一緒されたいそうで」

「まあ、ノエリア様が?」


 湯浴み中に突入してくるとは、相変わらず破天荒な人だ。思わず苦笑するが、そういえばここ数日の間、まわりにいたのは気を張って対応しなければならない人ばかりだった。少し気疲れしていたところだ。

 久しぶりにあの明るい人の姿を見たいと思い、シャーロットは歓迎するようにと伝えた。


 果たしてノエリアは、弾けんばかりの笑顔でシャーロットに駆け寄ってきた。


「お久しぶりですわね、シャーロット様!」

「ええ。お元気そうで何よりです、ノエリア様。こんな場所で言うのもなんですが、この度は我が国がご迷惑をおかけしてしまい、申し訳なく思います」

「まあ、シャーロット様は何も悪くないわ! 政治なんて男連中に任せておけばよくてよ。一週間ほど滞在されると聞きましたけれど、何かありましたの?」

「いえ、国王陛下のご好意で……」

「へぇ。ふふっ、怪しいですわね!」


 仮にも父親に向かってばっさりとそう言うノエリアに、シャーロットは曖昧な笑みを浮かべるしかない。


「まあいいですわ。それよりわたくしの恋愛相談に付き合ってくださる? ほらわたくし、少し前にフレデリック様と婚約できる目がなくなったでしょう?」

「え、ええ……まあ……」


 そうした当人としては気まずいが、ノエリアは気にする様子なく、やや夢見がちな目をして続けた。


「そうなるとやっぱりクロード様が魅力的に移りまして! 漆黒の瞳がとっても知的で、面白いお話がたくさん出来そうだと思いませんこと?」

「えっと、でも結構寡黙な方ですから……」

「そんなのわたくしの手腕で口を開かせますわ! 先ほど久しぶりにお会いしましたけれど、細めの眼鏡もよくお似合いでしたわぁ……」


 非常に楽しげに話すノエリアに、シャーロットはひたすらに相槌を打つしかない。

 人の眼鏡が似合っているかどうかなど考えたこともなかったが、何となくレイナールで想像してみる。

 ……胡散臭い感じになりそうだ。


 シャーロットが思わず顔を引き攣らせる間にも、ノエリアの「相談」は続いていた。


「……ただ、今回のことでフレデリック様とアンナ様の婚約が白紙になりましたでしょう? 急にチャンスが舞い戻ってきてしまって、どうすれば良いのか分からなくなってしまいましたの……」

「……時間はたっぷりありますから、ゆっくりお考えになるのがよろしいかと」


 多分どちらか決めて欲しい訳ではないのだろうと考え、無難な受け答えに留めた。

 果たしてシャーロットは正しい選択を出来たらしく、ノエリアは「そうかしら」と上機嫌に笑った。

 

「あ、そう言えばわたくしはレイの話も聞きに――って、あら、想像していたよりお熱いのですわね」

「……へ?」


 シャーロットは既に、胸から下に一枚の布を巻いただけの姿となっている。

 ノエリアの視線の先は、露わとなっているシャーロットの首筋にあった。


 ――猛烈に、嫌な予感がした。


「あら、お気づきではありませんでしたの?」


 こてりと可愛らしく首を傾げるノエリアから逃げるように、シャーロットは更衣室備え付けの姿見に駆け寄る。


「……っ、あぁっ……!?」


 疑う余地もないほどにくっきりと、肌に口付けの跡が残っていた。

 顔に熱が込み上げるのを自覚しながら、いつのものだろうかと必死に考える。


 ……まさか、フレデリックが。

 

 いやそれはない。

 フレデリックの手が届く所で眠ってしまうようなヘマはしていないし、一番危なかった馬車内のあの時でさえ、つねられたり吸われたりした記憶はない。

 というか襟元を捲られたあの時、フレデリックはシャーロットの首筋を見て笑っていた。

 気づかれていたのだ……死にたい。


 そんなわけで、少し考えにくいがレイナールだとしか思えない。

 一緒に寝ていた彼ならいくらでも機会があったが、今でも跡が残っているということは出発前ギリギリだ。

 

 ……そういえば出発前夜に、ワインを……しかもシャーロットにはその時の記憶が……


「……っ」

 

 両手を自分の頬に当て、そこが引き攣りそうになるのを抑える。


 今思えばあの次の日の朝、彼は意味深にシャーロットの首元を眺めていたような気がしてきた。

 そしてあの時彼は、聞いても夜にあったことを教えてくれなかった。


 ……自分は、本当にまだ純潔を保っているのだろうか。


 というかあの男は何のつもりだ。ある日突然こんな……執着を見せるというのは。

 心の中で言語化するだけで、あまりの羞恥にその場で座り込みたくなったが、そこでふと思った。


 そういえばこれから少なくとも一週間、彼とは会わないのか。

 それだけの時間離れているのは、出会って以来じゃないだろうか。


 兄への疑いを晴らすため家を出る決意をしたあの日の気持ちを、少しだけ思い出した。


「大丈夫でして?」


 鏡の前で固まったまま動かないシャーロットに、ノエリアが少し心配そうに声をかける。


「……ええ、お騒がせしました。体が冷えてしまう前に浴場へ行きましょうか」


 ○


 リンデル王国の王宮でのそれよりもずっと広い浴場に、シャーロットは思わず周りをきょろきょろと見回す。


 浴槽自体はそこまで広くないが、周りの装飾品が残りの空間を賑やかにしていた。

 装飾品はほとんどが石で出来ており、中にはシャーロットよりも背の高い石像もあった。それは一糸纏わぬ美しい女性で、祈るように両手を合わせ、空を見上げていた。


「壮観でしょう。ちょっと不気味ですから、あまり夜遅くに来る気にはなりませんけれど」

「……いえ、綺麗です。この女性の像、廊下にも飾られていたような気がするのですが有名な方なのですか?」

「かつてこの国で広く信じられていた宗教の預言者、ミリオレア様でしてよ」

「ミリオレア様でしたか。確か、ナラネスラ王家のご先祖様でしたよね」

「ええ、言わば王家の権威の象徴ですわ。癒しの力を擁するユースティル一族に民心を奪われかけているということで、どうにかせねばとあちこちに彼女の像を建てることになりましたの。この像が出来たのも、ごく最近のことですわ」


 滑稽ですわよね、と上品に微笑むノエリアに、シャーロットは何とも応えられず、ただ引き攣った笑みを浮かべる。

 話題を変えようと、唯一装飾品の並べられていない正面の壁に目を移した。


「……こんな所にカーテンですか?」


 何かを隠すように、一面を布が垂れ下がっていた。


「そうよ、窓がありますの。――リリア、そこのカーテンを開けてくださる?」

「かしこまりました」


 ノエリアに声をかけられた侍女は恭しく頭を下げると、楚々とした足取りで壁際へと向かった。


「……あの、窓の外から見えたりはしないのでしょうか」

「もちろんしませんわ。日が出ている間に限りますけれどね。その窓は外が明るい間は部屋の中を見えなくする、特殊な加工を施されていますの」

「そんなことができるのですか。すごいですね」


 侍女によって露わになった外の景色は、息を飲む美しさだった。

 この城は戦争の際、最終防衛拠点となるので、他より一段高い土地に建てられている。

 ここからはナラネスラ王国の街並みが、はるか遠くまでよく見える。


 近くでは貴族の屋敷だろう、白磁の家々が整然と並んでおり、手入れの行き届いた庭園の花がそこかしこで咲き誇っている。

 そして平らに舗装された道を、これまた純白の馬車が子気味良く駆けている。


 その少し奥では道行くたくさんの人が、夕方に差し掛かるこの時間の活気を形成している。

 閉店間際の喧騒がこちらにまで届いてきそうだった。


「良い景色でしょう。不便な丘の上で暮らす、数少ない利点の一つですわ」

「……本当に綺麗です。あの、少し奥まったところにある山の上の塔はなんです?」


 シャーロットの目に留まったのは、貴族街と市民街の間あたりにぽつんと(そび)え立つ、背の高い灰色の塔だった。

 ところどころが崩れてしまっているようだが、廃墟なのだろうか。


「お目が高いですわね。あれがユースティル一族の本拠地でしてよ。この国で教会と言えばあの場所ですわ」

「あー、あれが……」


 思ったよりボロボロだったという感想が伝わってしまったのか、ノエリアは苦笑を浮かべた。


「……あれは、かつての内戦で王家が攻撃をしかけた跡でしてよ。あの一族の財力をもってすれば修繕なんて簡単でしょうけれど、それをしないのは王家の非道を視覚的に訴えるためでしょうね」

「なるほど……でもあそこに住むの、結構危ないですよね?」


 言いながらシャーロットはノエリアに、やや意味深な眼差しを向けた。その意図を正確に読み取ったノエリアは、ふぅと息をつく。


「……ええ。癒しの力は病を治すことで知られていますけれど、あそこに住んでいるのがただの蛮勇でないとすれば、やっぱり怪我も治せると見て良さそうですわね」


 アレクセイの回復もやはり癒しの力によるもので間違いないだろうと、ノエリアは言外に言った。


「……とはいえ、今は唯一の使い手であられる教皇猊下の体調が優れないようで、癒しの力も使えなくなっているそうですから、本当に蛮勇になってしまっていますけれどね」

「……それ、私に言ってしまって大丈夫なのですか?」


 ノエリアの言うことが本当であれば、現在はナラネスラ王国に攻め込む絶好のチャンスだということになる。


 しかしノエリアは余裕の笑みを崩さない。


「あら、万全の体勢であなた方を誘い込む罠かもしれなくてよ?」

「……それは、まあ」

「ふふっ。言いたいのは、教皇一族が弱りに弱りきっている今、リンデル王国が教皇側についたところで内戦を上手く激化させるのは難しいということですわ。もう少し穏便な手を打たれるよう、フレデリック様にお伝えくださいまし?」

「……なるほど。承りました」


 政治は男に任せておけと言いながら、王女はちゃっかりした人だった。

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