31. 密室の危険
王都を抜けたところで、たちまち視界がひらける。貴族たちの豪華絢爛な邸宅は見られなくなり、代わりに質素な石造りの家がぽつぽつと建っているばかりになった。
普通ならばほっと穏やかな気持ちになるところだが、馬車の中の空気はそんな柔らかなものではなかった。
この狭い馬車の中、シャーロットはフレデリックと二人きりなのである。
貴族用の馬車は普通のそれよりも大掛かりで、運用コストが高い。
それに二人乗りなので、シャーロット、フレデリック、アンナの三人がそれぞれ別々の馬車に乗る意味はないと考えられた。
ところが彼らは謝罪をしに行くのであって、遊びに行くのではない。
フレデリックとアンナの組み合わせが許されないのは勿論のこと、アンナとシャーロットもかなり親密な間柄なので却下だ。
隣国への誠意を見せるためには、最も関わり合いの少ないフレデリックとシャーロットが共に旅をするべきだという結論になった。
とはいえそれについても、婚約者がいるという理由でシャーロット側から突っぱねるという選択肢がないこともなかった。
だが、シャーロットはそうしなかった。
フレデリックが何やら話したげにしているのに気づいたからだ。
その内容については正直あまり良い予感がしていないが、下手に目的地に着くまで待たせてしまえば、話をするために客室に押しかけられかねない。
それならばまだ、すぐ近くに護衛や騎手のいる馬車の中の方がマシだと考えたのだ。
「なぁシャーロット」
フレデリックがとうとう口を開く。
シャーロットは窓の外を見たまま、慎重に言葉を選んだ。
「……どうされましたか、殿下」
「レイナールに無理やり襲われたと訴えろ」
「え? ああ……」
……「人格否定をされた」などではなく「無理やり襲われた」と言わせようとしているのは、フレデリック自身がレイナールやアレクセイに対して人格否定のようなことをしてきたと自覚しているからか。
仮にも正式な婚約者相手にその訴えは、効果の確実性に欠けると分かるはずなのに。
シャーロットは思わず呆れを覚えるが、顔には出さないようにする。
そんな中フレデリックは続けた。
「俺の言う通りにすれば、お前の家には手出しをしないでやる」
「おぉ……」
ちょっと驚くほどに破格の条件だ。
とうとう妥協することにしたらしい。
四年前、シャーロットの兄は随分な殺意を向けられていた記憶があるが、レイナールの嫌われ方はそれを軽く上回っているということだ。
改めて、婚約者様には同情を禁じ得ない。
「信用できるとお思いですか」
「無論思わない。誓約書でもなんでも書いてやるさ」
「公にできもしない誓約書に、いったい何の意味があるのです? 誓約書もろとも私を消し去るだけでしょう」
取りつく島もないシャーロットに、フレデリックはため息をついた。
「バカが。誰がクソ真面目に『あなたが私のために虚偽告訴罪を犯したので、見返りにあなたの家族を殺さないでおきます』なんて誓約書を書くんだよ。公にできるようイジるに決まってるだろうが」
「……」
フレデリックが期待したほどバカではなくて、シャーロットは思わず顔を歪めた。
――これでは自分の茫漠とした、甘えた考えを言語化するしかなくなる。
「……私はレイナール殿下を裏切りません」
「はぁ? お前は色恋なんかで家族を危険に晒すつもりか」
「そういうことになりますね」
「……」
フレデリックは絶句して、ゆっくりと座席にもたれかかった。
シャーロットは自分に言い聞かせるように、意識的に隣の王子と目を合わせ、自らの決断を再度口に出す。
「私は家族の身の安全の確約よりも、婚約者の御身が大切です。よって殿下の策には乗りません」
胸に湧く罪悪感から目を逸らさないようにしながら、自らの発した言葉を噛み締める。
だからといって、家族を死なせてはならない。
これを懺悔に終わらせてはならない。
これは何を賭してもレイナールを国王にしなければならない理由であり、それを必ず実現してみせるというシャーロットなりの宣言だ。
「……そうか」
交渉は決裂した形だが、フレデリックは瞳に仄暗い光を灯しながら、ゆっくりと口角を上げた。
「俺はアイツを地獄に突き落とすことを目的に玉座を狙っていた訳だが、お前の協力が得られず、それが実現できないとなれば俺も、手段を選んではいられなくなるかもなぁ……」
「……っ」
突然肩を掴まれたと思うと、親指でなぞるように鎖骨を撫でられる。
思わず体を硬直させるシャーロットに、フレデリックは歪んだ笑みを向けた。
「その様子だとまだ手付かずか。臆病なアイツらしいな」
「……」
レイナールはこれまで、兄からの数々の嫌がらせに対してほぼ無抵抗でいた。それをフレデリックは臆病と称しているのだ。
目の前の王子の言葉の真意を読み取りながら、その作業を現実逃避だと自覚する。
どうする。
「なぁシャーロット。ここで俺がお前をモノにしたら、アイツはどんな顔をするだろうな」
「……さぁ」
言いながらシャーロットは、思い出したかのようにじわじわと湧いてきた本能的な恐怖を抑え込みながら、必死に頭を働かせる。
今外の護衛に助けを求めたところで、素早く手を離されてしまえば誤魔化されるだけだ。
ましてフレデリックとシャーロットは政敵同士。
シャーロットが彼の不貞を訴えたところで、誰も信じてはくれないだろう。
彼女によるこういった訴えは皮肉にもフレデリックの提案した通り、味方であるレイナールにを攻撃するときにしか有効たりえないのだ。
ここで声を上げてしまえば、シャーロットの方が汚い手を使ったとして冷たい目で見られることになりかねない。
こんなことでレイナールに迷惑をかけるのは避けたい。
……つまりは自身の貞操を守るか、婚約者の立場を守るかの二択。
シャーロットは、もう少し様子見をしてから決めることにした。
フレデリックも誤魔化しが効かなくなるほど派手なことはしてこないはずなので、この段階での決断は時期尚早だと考えたのだ。
方針を固めている間にも、フレデリックとの間の距離がじりじりと狭まっていく。
努めて平静を保っていたが、恐怖で呼吸が浅くなり、冷や汗が手のひらに滲む。
ドレスの襟元が捲られ、首筋が空気に触れる。喉の奥で小さく、笑うような音が聞こえた。
背筋がじわりと泡立つ。
涙だけは流さないように唇を噛みながら、拳を強く握る。
……何がそんなに怖いのか、自分でも疑問に思う。
だってこんなことは初めてじゃない。
レイナールにも出会った初日に人前でキスをされて結婚を迫られて、その日のうちに戯れながら押し倒されてもいる。
その時は特に、何とも思わなかった。
……認めたい訳ではないが自分は、貞操観念が比較的緩い傾向にあるはずなのだ。
調査のため、文字通り命懸けでめぼしい場所への侵入を繰り返してきているので、今更自分の純潔ごときに大きな価値を置いていられないのである。
今までそれを守って来れたのは、ただの偶然だ。
じゃあなぜ今になってここまでの嫌悪感が湧くのかと言えば、答えは一つしか思いつかない。
これでも自分は心の底で、あの婚約者様に操を立てると誓っていたのだ。
……それは今フレデリックに迫られて、自らの意に反するほどの拒絶反応を起こしてしまうほどに。
――気づいたら、握っていた拳を前に突き出していた。
丸められた手が、フレデリックの鳩尾に食い込む。
「……うぐっ!? げほっ、げほ……っ! おま、何してくれ――」
余裕で反逆罪だが、シャーロットはこの一瞬でなんだか吹っ切れたような気分になった。
――そうだ、反転攻勢に出る手だってある。
笑顔でフレデリックの襟を引っ張り、無理やり目を合わせる。
「――お好きに騎手にでもチクってください。あなたなら信じてもらえることを、心より願っていますね」
そう言うとフレデリックを解放し、改めて座席に深く腰掛けた。
――この密室で被害者ヅラが通用しないのは、フレデリックとて同じことだ。




