33. 失恋話
「ほんっと、驚くほどに至れり尽せりね。よほどリンデルと事を構えたくないのかしら」
アンナは人質として当てがわれた部屋で、そう独りごちた。
実際、暮らすには最高の環境だ。
出された食事は王族のそれと遜色ないものだったし、身の回りの世話をする侍女までつけてくれた。
ベッドも三人が一緒に使えるくらいには大きいし、クローゼットは内側の隅まで手入れが行き届いている。
唯一の変化は結婚についてで、この先政略結婚以外は認められないだろうことだが、そんなのは貴族令嬢ならば普通のことだ。
これまでアンナを自由にさせてきた、彼女の父親の方が特異だったのである。
友達も婚約者も失ったけれど、これまでの行いの報いだなんて言ったら罰が当たりそうなくらい、文句のつけようがない環境だった。
どんな扱いも覚悟していただけに、やや拍子抜けな気分になっていたら、部屋の扉をノックされる。
部屋に入ってきたのはつい数時間前アンナをここに連れてきた王子、ヨエル・ナラネスラだった。
「やぁ、アンナ嬢。不自由していないかな?」
「……」
――反射的に、彼を狙うべきか思案した。
人質の立場になってしまった今、最も円満に結婚出来そうなのは彼だ。
その上フレデリックやレイナールとは異なり、既に国王への即位が決定している。
アンナの狙う相手としては申し分ない。
……しかし、そうと分かった上で、アンナは何となくしっくりこなかった。
この期に及んで自分はまだ、フレデリックの心を得られなかった事を心残りに思っているのだろうか。
「はぁ……」
そう考えたりしたところで、全てが面倒になった。
関わる全ての男を落とさないと気が済まない、自分の図々しさに。こんな状況下でも目の前の男を値踏みしてしまう、自分の浅はかさに。
ヨエルを手に入れるチャンスなんて、今しかないかもしれない。
しかしアンナは彼に向かってにこりともせず、やや投げやりな言葉をかけた。
「……ヨエル様。さっき会ったばかりなのに、こんなにすぐに様子を見にくるなんて。よっぽど暇なの? それとも私に惚れたの?」
対して彼は、彼女の非礼に顔を顰めることもせず微笑を浮かべ、勧められてもいない椅子に座った。
「どちらでもないよ。急にこんなところで一人にされた、か弱いご令嬢の精神状態を案じただけだ」
「そんなバカな言い訳……」
言いかけたところで、彼の豪奢なアメジスト色の瞳が、アンナを真っ直ぐに見つめた。
「……本当みたいね。呆れたわ」
「私は腹黒な従弟とは違って、腹芸が苦手だからね」
「……どうしてあなたが、レイナール殿下のことを」
「へぇ、本当に腹黒だったんだ。カマをかけてみただけだったんだけど」
「チッ……」
良家の娘あるまじき舌打ちをかましたアンナは、これまた行儀悪く腕を組んだ。
「それで、何をしに来たの? 私を心配したのは分かったけれど、あなたが来たところで私の気分は何も変わらないわよ」
「つれないね。私と少し話すだけでも気が紛れるかもしれないじゃないか」
「ほとんど初対面のあなたと何を話すっていうのよ……」
「じゃあ、私の失恋話でも聞いてもらおうかな」
さらりとそんなことを言うヨエルに、しかしアンナはため息をついた。
「興味ないわ。どうせシャーロットでしょう?」
「……よく分かったね」
これには流石のヨエルも驚いたのか、しばし目を瞬かせた。
「あなたとレイナール殿下じゃ勝負にならないわ。失恋と言うにも烏滸がましいわよ」
「そうかもしれないね。――でも、彼女は私と初めて出会ったとき、少しだけ私に惹かれていたと思うんだ」
「……はぁ。まあ、否定はしないけれど」
全ての始まりだった、レイナールの誕生祭の日。
ヨエルを見るシャーロットの目には確かに、フレデリックやレイナールを見た時のそれとは異なる輝きがあった。
「他でもない君のお墨付きをもらえるとは心強いよ」
「結局失恋したのだから同じじゃない」
「思い出話くらい聞いてくれても良いじゃないか。君はどうせ暇だろう?」
「おかげさまでね。でもあなたは私と違って忙しいんじゃないの?」
「仕事を押してでも話を聞いてもらいたいんだよ」
「……本当に面倒な人ね」
とはいえ、アンナが狂うほどに暇なのは事実だ。
仕方なく聞く体勢に入ると、ヨエルは嬉々として口を開いた。
「あの時、彼女は私を一目見て、安心できると思ったんだ」
「……まるで自分事のように言うのね」
アンナは少し引いた顔をするが、ヨエルはどこ吹く風と微笑む。
「人の心を読むのは、私たちナラネスラ王家のお家芸だからね」
言われてノエリアやレイナールのことを思い出す。
「……」
反論は出来なかった。
「なぜ彼女が私を見て安心したかというと、私を普通の人だと思ったからだよ」
「は?」
「もちろんそれは、紛れもない事実だ。私が何の捻りもない、人格の根底までつまらない人間であることを、彼女は一瞬にして看破したんだ……それに気付いたとき、私は骨の髄から震えたよ」
「……想像の百倍気持ち悪かったわ」
アンナは尻軽とはいえ、これまで関わって来たのは上品な生粋の貴族令息や王族ばかり。
ここまで変態的な考えを赤裸々に話すバケモノは初めて見た。
こんなのまで即座に落とせる親友の凄まじいカリスマ性に感服しながら、自分ならどう落とすだろうかと、思わず模索してしまう。
また悪い癖が出ていると自覚する前に、ヨエルが全てを見透かすような目つきでふっと笑った。
「――君は本当に、ただの女だね」
「……どういうこと」
「私と同類ということだよ。私はどこまでもただの王子だ。自分が王子であるという自覚以外、何も持っていない」
「……」
不覚にも、彼の言いたいことが何となく分かってしまった。アンナが黙り込む中、ヨエルは歌うように話し続ける。
「私たちには、身を焦がす覚悟がない。シャーロットやレイナール、フレデリックから感じられて、ノエリアからでさえその片鱗が見える、自らの掲げた信念を貫き通す覚悟がないんだ」
「……それは、私に政治は分からないから」
「政治の話をしてるんじゃないよ。君は人生を賭けて愛を教わりたいと考えているのに、この期に及んでそれを誰から教わるかさえ、決めきれていないんじゃないかな?」
「……っ!」
「癖で男を値踏みしてしまっているくらいだから、癖で色目を使ってしまうこともあるよね。君は既に、目的と手段を混同してるんだよ」
「……なん、で……」
ヨエルの口調はあくまで穏やかだったが、アンナは震えが止まらなかった。
「私は君と同じだから、それが分かるんだよ。私は民に愛されるのが得意だけど、民を心酔させることは一生できないだろう。いっそまともな教育を受けていないノエリアを女王にした方がマシなんじゃないかと、私は本気で思うよ」
明らかに頭が切れて、民心を掴むことにも十二分に長けている目の前の男は、しかしどこまでも自虐的だった。
そしてアンナが慰めの言葉をかけることはなかった。
……それは、納得してしまったから。
これがさっきヨエルに対して、何となくしっくり来ないと感じた原因の一つだと。
ヨエルとレイナールの瞳で、同じなのは色だけなのだと。
そして、自分とヨエルが同類だというのも、よく理解できた。
自分のような優柔不断さとは無縁な様子の親友、シャーロットに思いを馳せる。
思えば彼女は嘘をつくときも事実を打ち明けるときも、一切の迷いを見せなかった。
彼女が背負っていたのは、自らの恋愛遍歴なんてくだらないものでは無かったはずなのに。
アンナはヨエルの方を見やり、意地悪く笑った。
「確かに、あなたじゃレイナール殿下はおろか、シャーロット様にさえ太刀打ち出来そうにないわね。隠居したら釣り仲間にでもなってくれるかしら?」
「――いや、悪いけど私は王になるよ」
意外にも強い口調で宣言され、アンナは怪訝な顔をする。
「はぁ? ノエリア様に任せた方が良いんじゃないの?」
「謎めく彼女には社交界の統率者が適任だよ。
――それに、鬼才の眩しすぎる光で照らされ酔わされてばかりでは、人は凡才による統治の仕方、され方を忘れてしまうだろう?
私は私なりに、我が祖国を守ってみせるよ」
「……自信があるのかないのか、どっちなのよ」
「うーん……」
言われたヨエルは少し考える素振りを見せた後、再度口を開いた。
「一つ言えるのは、信念を持たない私たちは、裏を返せば従うべき対象が何もないということだ。私たちはきっと、彼らの誰よりも自由でいられる」
「自由、ねぇ……」
ふと、シャーロットがプリレーゼに向けた勉強を教えてくれていたときのことを思い出す。
結局無駄骨となってしまったが、あの時間は充実していたと思う。
アンナにとってはややこしいだけの経済学についてもシャーロットは、心から楽しそうに説明してくれたものだ。
確か「現状を色んな視点から見るのが大事だ」とか、そんなことを言っていたような気がする。
……ヨエルを狙う気にならなかった理由は、まだ他にもあったかもしれない。
だってそう考えたときに浮かんだのは、ただのフレデリックの顔ではなかった。
これまで見てきた彼の色んな表情が、次々に脳裏を過ぎるのだ。
彼は感情を抑えるのが苦手で、横柄な部分もあるけれど、死んだ母親のことは大切に思っている。
手先が不器用なところが面白くて、面倒くさがりな一面もありながら、実は国民をぞんざいに扱うことは非常に少ない。
口調こそぶっきらぼうだったけれど、クロードやアンナには優しかった。
アンナが嘲るようにしてつけたフレディというあだ名でさえ、初めはひどく嫌がったものの最近は慣れて来たのか、受け入れるようになっている。
……とはいえ、レイナールやシャーロットとの確執は本物だろう。
そして誰も詳しいことは教えてくれないが、どうせ悪いのはフレデリックの方だろう。
アンナは悲しいほどに、盲目にはなれない。
――でも、それを受けてアンナがどうするかは彼女の自由なのではなかろうか。
どうせ悪女で、どうせ人質だ。
失うものはもうない。
アンナは改めてヨエルと目を合わせ、生来の美しい微笑みを浮かべてみせた。
「――あなたは自由であることをアイデンティティにしているようだけれど、そこですら私に敵わないわね。同情するわ」
どこまでも無礼に煽る彼女に、しかしヨエルは魅入るように目を細めた。
「……いや。君はたった今、自由ではなくなったよ。レイナールやシャーロットたちと同じようにね」
「そうかしら。でも親友とお揃いなら、不自由な人生も悪くないわね」




