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25. リスクを取るということ

「――で、君も仕事の話か?」

「ええ……あ、わざわざすみません」


 この書斎では、二人掛けのソファ一脚と一人掛けのソファ二脚が、ローテーブルを挟んで向き合うような形で設置されている。

 先ほどまではレイナールが一人掛けの椅子に、シャーロットとクロードが二人掛けの椅子に並んで座っていたのだが、クロードが退室した後、レイナールがローテーブルを回りこむようにしてシャーロットの隣に移ってくれた。


 仕事の話し合いを重ねていく中で、低いテーブルに置かれた資料を腰を屈めて見つめるよりも、隣同士に座って手に持ったままの資料を一緒に覗き込むようにした方が楽だと気が付いたのだ。

 

 あまり行儀の良いやり方ではないが、今更この二人の間で品性を追求しても仕方がない。


「さてと……あー、文化支援の予算作成を頼んでたんだったか。何が聞きたいんだ?」

「えっと……」


 シャーロットはすぐ本題に入ることはせず、少し迷った末、資料をローテーブルの上に置いてしまった。


「……やっぱりこれは急を要する件ではないので、いったん後回しにしてしまっても大丈夫です」

「ん、どうしたんだ?」

「……殿下の中で、まだクロード様との会話が引っかかっているのではありませんか?」


 質問の形を取りながらも、シャーロットは確信に満ちた声音で指摘する。

 レイナールは動揺からか、一瞬だけこぶしに力を入れた。

 

「いや、そんなことは……」


 伏せられた瞳は、答えを言っているようなものだった。

 

 別に、あからさまに顔に出ていた訳ではない。

 シャーロットの方が少しずつ、彼の表情の微細な変化が読み取れるようになってきただけだ。


「まったく、完璧主義もそこまで来ると考えものですね……殿下だって人間なのですから、可能性を一つ見落とすことくらいありますよ」


 レイナールが気に病んでいるのは多分、クロードがナラネスラ王国への介入を控える姿勢を見せ続けてきた理由として、自分への攻撃だった可能性に思い至っていなかったからだ。

 先ほどの問答に、それ以外のミスらしいミスは見当たらなかった。


 シャーロットの予測は当たっていたらしく、レイナールは降参とでも言うようにソファに少し深く腰掛け、わざとらしくため息をついた。


「……最初にクロードの素性を話題にしたのは俺だったのに、結局彼には完璧に筋の通った話をされて終わった。

 これでは俺とクロードの敵対が口に出されたことでより明確なものになっただけだ。

 あわよくばクロードの寝返りをと思っていたのに、その可能性は上がるどころか下がってしまった」

「それはまあ、そうですね……」


 シャーロットとて、彼の失策を否定出来る訳では無い。

 話を聞いておくだけでも彼の心は軽くなるはずだと、ただ信じただけだ。


「……ですが、クロード様がフレデリック殿下の即位を強く確信していることが分かったのは、収穫だと思いますよ? これ以降は彼の寝返りを狙ったところで良い結果が得られることはないということだけは、確実となったのですから」

「……君、意外と優しいよな」

「一言余計です」


 しみじみと呟くレイナールにツッコミこそ入れたが、実はシャーロットが彼を積極的に慰めるような形となっているのには理由がある。

 今こそクロードの乱入により有耶無耶(うやむや)になっているが、シャーロットは昨晩の婚約パーティーにおける自らの奇行を忘れてはいないのだ。


 そもそも彼女はそれがあるからこそ、この書斎に来ることを忌避していたのに、クロードを上手く盾にするはずが、結局二人きりになってしまっている。

 

 シャーロットとしては今の話題のまま、レイナールの気を逸らしたままにしておきたいというのが本音なのだ。

 慰めにも気合いが入るというものである。


 ……とはいえもちろん、珍しく落ち込んだ様子の婚約者を元気づけてあげたいという気持ちも、全く無かったわけではないが。


「……最低限の義理として、シャーロットのことは後顧の憂いなく、ナラネスラ王国に送り出さなきゃならないと思ってたんだがな。クロードを味方につけられたら、万が一兄さんが暴走しても、彼に君を上手く守ってもらえると」

「殿下……クロード様のお話は本音のようにも聞こえましたよ。そもそも、クロード様が誰の味方だったとしても、彼は王子の妃という立場を持った人間を危険に晒す愚を犯す方ではありません」

「……かもな」


 レイナールは頷くが、その瞳に納得の色は見られなかった。

 きっとシャーロットとは、考え方の根底が異なるのだ。


 シャーロットはこれまで、家族を守るため、ありとあらゆる無茶を押し通してきた。

 国の筆頭公爵家であるサールグレン家の当主の書斎を漁ったり、夜会で第一王子のあとをつけたり。

 目的を果たすため、危険を顧みている場合ではなかったのだ。


 一方でレイナールは、そういう風に生きてきてはいないのだろう。

 彼は常に、リスクを取らないように生きてきた。

 

 そうできるだけの才があった。

 

 裏表が激しいこと、執務で兄の肩代わりをしていること、シャーロットを上手くナラネスラ王国に送り出そうとしていること。

 実は、彼のやっている事はどれも、バレてもさしたる問題にはならない。

 彼は何かを失う覚悟をせずとも、望むものを手に入れられるように動いているのだ。

 だから彼はほんの小さな不安要素も、無視することが出来ない。

 

 ……だがどうしても賭け事をしなければならない瞬間は必ず来るものなのだと、シャーロットはその経験から嫌というほど知っている。


「――心配しないでください、殿下。これからはずっと私がお傍にいます。リスクも責任も、二人で背負っていきましょう」

「……」


 微笑みかけると、レイナールは軽く目を瞠った。

 少し自嘲気味な苦笑を浮かべながら、口を開く。


「俺のより余程まともなプロポーズだな」

「……っ!? そんなつもりは!」


 言われて初めて、自分の言葉が通常はどう受け取られるものなのか気づいたシャーロットは、慌てて否定した。

 

「それは残念だ。ところで君、俺のことをリスクの一つも取れないヘタレだと思ってないか?」

「……へ? えっと……」


 混乱の最中に発せられた言葉は、シャーロットが全く想定していないものだった。

 完全に図星をつかれ、思わず言葉に詰まる。

 そんな反応にレイナールは大袈裟なため息をついた。


「俺は将来の伴侶にすら侮られていたか。泣ける」

「あ、侮っていたわけでは……」

「言っておくが君に初めて会った時、護衛の前でキスして既成事実を作ったのは相当な無茶だったからな? 君に訴えられたら、俺は一瞬で変質者扱いされて社会的に終わっていたぞ」

「……え、あー、確かに! あの状況、あなたが美形じゃなければ普通に訴えてましたよ!」

「……君も君で、美形なら何でも良いという思想が一向に抜けないな」


 レイナールは自分の行いを棚に上げ、呆れ顔を浮かべる。

 しかしシャーロットは心外だと口を尖らせた。


「……そんなことはありませんよ」

「へぇ、例えば?」

「ふふっ、無駄話は辞めましょうか」


 間髪入れず詰めてきたレイナールに、シャーロットはあからさまに話を逸らす。

 

「えっと、ご自分はヘタレじゃないって話でしたよね。それならどうして今回だけ神経質になる必要があるのです? クロード様の心の内まで考えていたら、キリがないと思われますが」

「……さあな」


 レイナールは、話を変えられたお返しとでも言わんばかりに口を閉ざす。

 しかし代わりに、頭をシャーロットの肩に預けた。


「……ふぁ」


 またしても突飛な彼の行動と、間近に感じたライラックの匂いで心臓がどくんと跳ね、小さな声が漏れる。

 そんな彼女の反応をも意に介した様子のないレイナールは、気だるげの表情のまま沈黙を保った。

 

 当然というべきか、堪らず最初に口を開いたのはシャーロットの方だった。


「そ、それにしてもクロード様は、崇高な信念をお持ちでしたね。あのような考え方も持てるようになりたいものです」

「……そうだな。彼の語ったことが本音だったとしたら、彼はかなりの理想主義者だ。現状を自分の力で変えようとする意思が非常に強いと言える……俺や兄さんなんかより、余程この国の王に相応しいのかもしれないな」


 レイナールの口調は、あまり軽いものでは無かった。

 少なくとも、クロードの話した全てが嘘だったとは思っていなさそうな口ぶりだ。


「クロード様はやはり、ナラネスラ王国とは関係のない方なのでしょうか」

「それはどうだろうな。嘘を信じさせるには、真実を織り交ぜるのが最も効果的だ。彼の言ったことが全て本当なのか、嘘があるならどれが嘘なのか、俺たちには知りえない」

「……掴みどころのない方ではありますよね」

「実際怪しいところもあったしな。政治に介入したのは兄さんに恩返しがしたかったからだとでも言っておけば良かったものを、クロードはわざわざ自分の行動原理を俺たちに説明した。このリスクは大きいぞ。兄さんへの忠義を疑われるし、何より、それこそ兄さんへの恩も自演じゃないかと疑われる……故意に怪しいところを作っておいて、本当の嘘を隠しているような、そんな不気味さを覚える」


 そう分析したレイナールは再度ため息をつくと、憔悴を隠そうともせず目を伏せた。


「……そう、ですね」

 

 いつになく弱気な婚約者の様子に、シャーロットはというと。

 不謹慎にも、彼が初めて本当の意味で心をさらけ出してくれたような気がして、感慨を覚えていた。


 レイナールは彼女に甘えてくれているのだ。

 

 それはきっと、昨日シャーロットから歩み寄ったからだろう。

 後悔していた行動だが、今は少しだけ、やって良かったという気分になった。


 そして、そんなことを考えていたら、ある日のアンナの言葉を思い出す。

 

 婚約パーティーに着ていくドレスの話をしたとき。

 

 頼んでもいないのに行われた恋愛指南で受けた、アンナからのアドバイスだ。

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