3 ル・パレ・ロワイヤル
王都フローリアスの近郊まで来ると、氷竜のクライオスは人目を避けるようにして、広大な林の奥深くへと降り立った。
そこから精霊たちは霊石に宿り、サクラは白狼に変化したクライオスの背に乗って、林の中を駆け抜けた。
王都の正門近くまで行くと、クライオスが少年の姿に変化してから、二人は林の外へ出た。
高く聳え立つ城門の前には、検問を待つ人々の長い行列ができており、サクラたちはその最後尾へと並んだ。
サクラがそわそわしているのを見て、クライオスはそっと声を掛けた。
『サクラ、なんだか嬉しそうだね』
「うん。わたし、行商人になって、お父さんと各地を回るのが夢だったの。だから、ギルドカードが手に入ると思うと嬉しくて。それに行商で稼げば、お母さんに仕送りができるし、お父さんを探すこともできるから」
『サクラのお父さん、どうしたの?』
「一年前に行商へ出たきり、戻って来ないの。もう死んでいるとか、貧しい生活が嫌で逃げ出したとか言う人もいるけど、わたしとお母さんは絶対にそんなことはないって信じているわ」
その時、後ろからガラの悪いトサカ頭の男が、ぼやきながらやってきた。
「クソッ! めちゃくちゃ並んでやがるな。ったく、ちんたら検問しやがって、日が暮れちまうだろうがよ!」
吐き捨てるように毒づいて最後尾に並んだ男は、眼前のサクラたちを睨みつけた。
「オイ、ガキども。親はどうした?」
「親はいません。わたしたち二人だけです」
男の威圧的な物言いに、サクラは思わず身を竦ませて答えた。
王都には手厚い庇護が約束された孤児院がある。トサカ頭の男は、孤児の二人がそこへ身を寄せるためにやって来たのだと考えた。
「どけ、邪魔だ!」
男はサクラとクライオスを両手で乱暴に突き飛ばし、無理やり列に割り込もうとした。
「きゃっ!」と小さな悲鳴を上げ、地面に倒れ込むサクラ。
その瞬間、クライオスは男の腕をつかむや否や、目にもとまらぬ速さで大きく投げ飛ばした。
そしてすぐに、倒れたサクラのそばへ歩み寄り、そっと手を差し伸べた。
『大丈夫、サクラ?』
「うん。ちょっと擦りむいたけど、大したことないわ」
放り投げられた男は、数メートル先の地面に叩きつけられ意識を失った。
それを目撃した門兵の一人が男の方へ、もう一人の巨漢がサクラたちのもとへと駆け寄った。
「おい、あのトサカ頭に何があった? 誰か見ていた者はいないか?」
巨漢の門兵は並んでいる人たちに問い質したが、誰もクライオスが投げた瞬間を見ていなかったので、口を揃えて知らないと答えた。
門兵はトサカ頭の男を指さしながら、最後尾のサクラたちに問うた。
「あの男、お前たちの保護者か?」
「違います。わたしたちは二人だけで来ました」
二人を身寄りのない孤児だと判断した門兵は、面倒くさそうにため息をついた。
「チッ! なら、俺についてこい。詰所で詳しく話を聞く」
門兵についていきながら、サクラはクライオスに尋ねた。
「あのトサカ頭の人、どうしてあんなところで寝ているの?」
『ボクがあの男を投げ――』
二人が竜語で会話していると、クライオスの言葉を遮るように、巨漢の門兵が割り込んだ。
「おい、お前たち。さっきから妙な言葉を使っているな」
「えっと、彼は異国の出身で、旧言語しか話せないんです」
「旧言語だと? どこの国の言葉だ?」
「それは……フロストハイム王国です」
サクラは一瞬迷ったが、門兵に国のことを聞かれても答えられるよう祖国にした。
すると旧言語に詳しかった門兵は、サクラの嘘を見破りニヤリとした。
「……で、王都へ来た目的は何だ?」
「えっと……『ル・パレ・ロワイヤル』という宿に泊まって、それからギルドカード――」
「ル・パレ・ロワイヤルだと!? 嘘をつくなら、もっとマシな嘘をつくんだな。そこは『王立賓館』だ。平民はもとより、貴族ですら滅多に立ち入ることの叶わぬ最高級の宿だぞ。お前たちなど近づくことさえ許されぬ場所だ」
巨漢の門兵はサクラとクライオスの腕を乱暴に掴み、そのまま詰所へ引き立てようとした。
だが、すぐさまクライオスは門兵の手首を掴み、力ずくで彼の手を引き剥がした。
「痛たたっ! は、放せ、このクソガキッ!」
たまらず門兵は、サクラから手を放してクライオスに殴りかかったが、逆に詰所前まで軽々と投げ飛ばされてしまう。
この光景に検問待ちの行列がざわめきだし、起き上がった門兵は剣を抜くと、二人に向けて構えた。
「抵抗するなら斬るぞ!」
「何事だ!?」
騒ぎを聞きつけた隊長が、詰所の中から飛び出して、巨漢の部下に問うた。
「隊長。この怪しいガキどもを捕らえようとしたら、投げ飛ばされました。訳のわからぬ言葉を旧言語だと偽り、ル・パレ・ロワイヤルに泊まるなどと、見え透いた嘘ばかりつきやがるんです。王族を狙う刺客かもしれません。でなければ、この俺があんなガキに投げ飛ばされるはずがない!!」
「ル・パレ・ロワイヤルに泊まるのは本当です」
サクラはカバンから勅書を取り出し、隊長と門兵に差し出した。
王家の紋章が刻印された封蝋で閉じられた封書を見て、巨漢の門兵は一瞬怯んだが、すぐに動揺する声で反論した。
「……に、偽物に決まっている。こんなみすぼらしいガキが、勅書など持っているはずがない!」
「失礼ながら、その書状はどちらで賜ったものか、お聞かせ願えますか?」
隊長は顔をこわばらせながらも、極めて丁重な口調でサクラに尋ねた。
「今日、西にある大きな森の泉で、国王様から直接手渡されました。ル・パレ・ロワイヤルで、これを見せるように言われたんです」
国王がお忍びで泉へ向かったことは、軍の中でもごく一部にしか知らされていない。そのうちの一人である隊長は、巨漢の門兵を怒鳴りつけた。
「馬鹿者っ! 今すぐ剣を収めぬか! この勅書は本物だ!!」
隊長は、部下の首根っこを掴んで無理やり平伏させると、サクラに向き直り片膝をついて頭を垂れた。
「知らぬこととはいえ、部下が多大なるご無礼を働き、誠に申し訳ございません。勅書を賜りし御方に対し、あろうことか剣を向けるなど、断じてあってはならぬこと。この者の不始末は、教育を怠った私自身の責任にございます。この首を差し出しても足りぬ不手際、深くお詫び申し上げます」
事の重大さをようやく理解した巨漢の門兵は、顔面を蒼白にして石畳に額をこすりつけながらガタガタと慄いた。
「やめてください! 首なんか貰っても困ります。こっちこそ門兵さんを投げ飛ばして、すみませんでした」
困惑したサクラが土下座して謝ると、隊長は慌てふためいた。
「お、お嬢様! どうか、どうかお顔をお上げください。悪いのは我々なのですから」
「それじゃ、お互い様ね。もう謝りっこは終わりにしましょ。いいでしょ?」
サクラが人懐っこい笑顔で提案すると、隊長もつられて笑みをこぼし、三人は立ち上がった。
その後、隊長は馬車でサクラとクライオスを『ル・パレ・ロワイヤル』まで送った。
多くの人が行き交う庶民街の先に、高い壁で区切られた貴族街がある。
重厚な門をくぐり抜けると、それまでの喧騒が嘘のような、閑静で美しい白亜の邸宅街が広がっていた。
しばらく街路を進んで王城に近づくと、ひときわ豪奢な構えの最高級宿『ル・パレ・ロワイヤル』が見えてきた。
お城のような建物や、噴水や彫刻に彩られた広い庭に圧倒され、場違いな格好であることにサクラは気後れした。商業ギルドで物乞いに勘違いされたほど、質素な身なりだからだ。
「隊長さん……わたしなんかが、こんな凄いところに泊まっても、いいのかな?」
「何も問題ございません。国王陛下が滞在するように、仰られたのですから」
不安げなサクラを安心させようと、隊長は穏やかな笑みで返した。
馬車が玄関前に停まると、隊長は恭しく駆け寄った案内人に短く用件を告げ、すぐに支配人を呼びに行かせた。
三人が馬車から降りると、ほどなくして支配人がやってきたので、サクラは封書を手渡した。
勅書の内容を検めた支配人は、それを恭しくサクラに返すと、完璧な所作で深くお辞儀した。
「ようこそお越しくださいました。当館を代表し、心より歓迎申し上げます。恐れながら当館は、日頃より高貴な方々にご利用いただいておりますゆえ、お客様のご身なりでは、周囲の目を引いてしまわれるやもしれません。もし差し支えなければ、こちらでお召し物をご用意させていただきたいのですが、いかがでしょうか」
「是非、お願いします。こんな格好で泊まるのは、気が引けていたの。だから助かるわ」
気がかりが解消され、サクラは安堵の表情を浮かべた。
支配人がサクラとクライオスを、目立たぬよう従業員用の通用口へ案内しようとした。
するとサクラは振り返り、無邪気な笑顔で元気よく手を振った。
「さようなら、隊長さん。いろいろとありがとう!」
隊長は穏やかに微笑んでサクラたちを見送ったが、それとは裏腹に胸の内は惨憺たる思いに沈んでいた。
今回の不祥事は、自身の更迭に留まらず、男爵の爵位さえ剥奪されるかもしれないからだ。
支配人はサクラとクライオスを従業員用の浴室へと案内し、メイドたちに二人の世話をさせた。
女湯では、サクラがメイドたちによって体の隅々まで丁寧に洗われ、風呂上がりには髪を整えられるなど、至れり尽くせりのサービスを受けた。
宿が用意した衣装に加え、髪飾りやブローチなどでドレスアップした彼女は、貴族の令嬢と遜色ない可憐な姿に整えられた。
一方、クライオスは入浴を拒んだが、サクラに説得されて仕方なく受け入れた。
男湯の更衣室では、湯上がりの美少年を着飾るのが楽しくて堪らないメイドたちによって、彼は完璧な貴公子へと仕上げられたのだった。




