2 王族
サクラたちが草むらに身を潜めていると、多くの護衛に守られた豪華な馬車がやって来た。
馬車から降りてきたのは、アルセリア王国の国王夫妻と、王子を抱きかかえた従者の大男である。
王子はサクラよりも小柄で、ひどく痩せ細り衰弱している。
国王も枯れ枝のような体で、立っているだけでも辛そうだ。頬のこけた青白い顔に、白髪交じりの髪――とても年相応には見えない。
彼らは何かを話し始めたが、少し距離があるため、サクラには聞き取ることができなかった。
「フィーネ。あの人たちの声を、ここまで運んでちょうだい」
『わかったわ』
フィーネは風を操り、彼らの会話をサクラの耳元へ届けた。
従者が王子を水際まで運ぶと、王妃が銀の杯で泉の水を掬い、我が子にそっと飲ませた。
「どう? シオン」
王妃の問いかけに、シオン王子は虚ろな目で微かに首を振った。
「この泉でも治せぬか……」
国王は悲痛な面持ちで力なく呟いた。
「ごめんなさいね、シオン。健康な体に産んであげられなくて……」
「エレナ、お前のせいではない。すべては虚弱な王族の血を引く余が悪いのだ。すまない、シオン。一国の王でありながら、たった一人の息子でさえ救えぬ不甲斐ない父を許しておくれ」
涙ながらに、両親は我が子の細い手を取り、謝罪の言葉を重ねた。
「父上……母上……謝らないで……。だって、僕は……たくさんの、愛情をいただいて……とても幸せだったから……。二人の子供で……本当に良かった……」
シオンは、今にも消え入りそうな掠れた声で感謝を述べ、瞼をゆっくりと閉じた。
もう長くはないと悟ったエレナ王妃は、せめて最期くらいは自分の腕の中で安らかに逝かせてあげたいと、従者からシオンを引き取り抱きしめた。
その痛々しい光景に、サクラは胸が張り裂ける思いになり、ただ目の前の幼い命を救いたいという一心に駆られた。
「セレーネさん。精霊水なら、あの子を救える?」
『もちろんよ。でも、人間の命を救うために力を貸すつもりはないわ。かつて人間どもは、無断でワタクシの領域を侵し泉の水を盗んだのよ。それでも寛大なワタクシは見逃してやったというのに、あろうことか神聖な泉を血で穢した。恩を仇で返すような奴らに、与える精霊水などないわ』
サクラは少年を救って欲しいと懇願したが、セレーネは頑なに拒んだ。
「ふ~ん、そっか。本当は人を救う力なんて無いんでしょ。精霊水なんて、大したことないのね。ホルム爺とフィーネに、セレーネさんは見栄っ張りの嘘つきだって言っちゃおうかな」
『な、なんですって! 冗談じゃないわ! いいでしょう。精霊水の偉大な力を見せてあげるわ!』
シオンに残された時間は、もはや一刻の猶予もない。サクラはわざと憎まれ口を叩くことで、セレーネの自尊心を焚きつけたのだ。
サクラが草むらから出て行こうとすると、ホルムが彼女の服を掴んで引き止めた。
『何をするつもりじゃ? サクラ』
「あの子を助けてあげたいの。セレーネさんの精霊水なら、救うことができるから――」
『やめておけ。あやつらは王族、関われば大事になる。それに、無断で入国したことがバレたら、ただでは済まないのじゃろ? 最悪、命を落とすことにもなりかねんぞ』
辺りには、獣や魔物の襲撃に備え、物々しい警戒態勢が敷かれている。
王族に近づくことさえ許されぬ身分のサクラが、いきなり茂みから飛び出せば、護衛に討ち取られてもおかしくないと、ホルムは危惧した。
「クライオスがいるから大丈夫よ」
商業ギルドでクライオスが衛兵を圧倒して以来、サクラは彼を護衛として心から信頼している。
精霊たちが姿を消して霊石に宿ると、水晶は琥珀色と翡翠色、そこに瑠璃色が加わった鮮やかな三色となった。
サクラはクライオスを連れて、草むらから踏み出した。
その瞬間、周囲の空気が凍りつき、護衛の騎士たちが一斉に剣を抜き放った。
「子供!? ……お前たちは何者だ? どうして、こんな森の奥深くにいる」
近衛騎士団長は、サクラに剣を向けたまま、怪訝そうに問い質した。
「わたしはサクラといいます。わたしの家に代々伝わる『秘薬』なら、その子の病を治せるかもしれません」
サクラがシオンを指さして告げると、国王は反射的に声を張り上げて聞き返した。
「それは誠か!?」
「はい」
「陛下。あのような得体の知れぬ者の口車に乗ってはなりません。これまで国内外から数多の名医を呼び寄せ手を尽くしましたが、シオン様を治すことは叶いませんでした。卑賎な身なりの子供ごときに治せるわけがございません。陛下の親心につけ込み、偽薬を高値で売りつけようとする親の差し金に決まっております」
国王の背後に控えていた侍医が、虫けらを見るような視線でサクラを一瞥し、強い口調で進言した。
その忠告には一理あると認めつつも、国王はサクラのまっすぐな瞳を信じた。
「皆の者、剣を収めよ。余は、サクラを信じることにした。異論は許さぬ」
語気鋭く臣下に命じた後、藁にも縋る思いで国王は、一介の平民である少女に頭を下げた。
「サクラよ、頼む。どうか、息子を救ってくれ」
サクラは銀の杯を借りて泉の水を掬うと、セレーネに頼んで精霊水へ変えさせた。
「呪文により杯の水を秘薬に変えました。これを飲ませてください」
サクラはセレーネとの会話を呪文だと国王たちに思わせたのである。
少女から銀の杯を受け取ると、国王は祈るような思いで、少しずつ息子の口に秘薬を流し込んだ。
すると、死人のように土気色だったシオンの肌に、少しずつ血の気が戻り始めた。消え入りそうだった呼吸は、確かな息遣いへと変わっていった。
やがてシオンは長らく見る力を失っていた目をゆっくりと開けた。
「父上……母上……。お二人の……お顔が……見えます」
抱き合い涙を流しながら喜ぶ親子の姿に、サクラは満足げな笑みを浮かべ見守った。
「そんなバカな……ありえん……」
侍医は、信じられないといった面持ちで力なく呟いた。
「セレーネさん、あなたのこと見直したわ。精霊水って、本当に凄いのね」
『オーッホッホッホッ! ようやく分かったようね。ワタクシの偉大さが。遠慮しなくていいのよ、もっと褒めなさい!』
サクラがセレーネを褒めちぎっていると、感極まった面持ちの国王が歩み寄ってきた。
「紹介が遅れたな。余は国王のカシアンだ。我が息子を救ってくれたこと、心より感謝する。礼をしたいので、後日改めて王城を訪れてくれないか? その際、望むものがあれば何なりと申すがよい」
「では、二つだけお願いがあります。一つは、秘薬のことを内緒にして欲しいのです」
「うむ、承知した。かように優れた妙薬の価値は計り知れぬ。その存在が知れ渡れば、不届きな輩に狙われ、サクラの身に危険が及ぶやもしれぬな。臣下らにも一切口外せぬよう厳命しておく」
カシアン国王は優しい声で快諾した。
「ありがとうございます。それから、わたしの身元保証人になってくれる方を紹介していただけませんか? わたし、行商人になりたいんですけど、保証人がいなくて商業ギルドに登録できないんです」
「わかった。手配しておくので、王都に着いたら『ル・パレ・ロワイヤル』という宿に滞在してくれ。準備が整い次第、使いを送ろう」
「あの……わたしたち、お金を持っていないんです。宿に泊まるのは……」
「心配はいらぬ。滞在にかかるすべての費用は王家が負担するのでな。後で渡す親書を見せれば、宿や食事などの支払いは一切不要だ。王都への出入りも、その書状一つで自由になる」
カシアン国王は親書をサクラに渡すと、王城へと帰っていった。
サクラは精霊たちに事の顛末を説明しながら、王族の一行が遠くまで離れるのを待った。
「もう、大丈夫そうね。クライオス、王都へ向かうわよ。氷竜の姿になってちょうだい」
『うん、わかった』
サクラたちは氷竜に乗ると、王都を目指して飛び立った。
サクラの腕の中にはホルムが抱かれ、彼女の肩にはセレーネが腰掛けている。
氷竜が空高く舞い上がると、セレーネは小さくなっていく泉を目に焼き付けた。
(『井の中の蛙』ならば、泉の中で生涯を終えるのも悪くなかったはず。けど……)
サクラとの出会いは、セレーネの小さな世界を広げ、輝きをもたらした。
『蛙』では見ることが叶わない絶景や、出会うことのない氷竜、そして他の精霊たち――
『――って、何なのよ、アンタは!?』
「どうしたの? セレーネさん」
『地上から離れたのに、なんでチンチクリンは、ワタクシみたいに小さくならないのよ!』
憤慨するセレーネの言葉を、サクラはホルムへ角が立たないように伝えた。
『ふむ。ワシは元からこの大きさじゃからな。セレーネは、本来よりも大きな姿になっておったのじゃろう』
セレーネは相手に侮られまいと見栄を張り、泉の上では大きな姿になっていたのだった。




