1 常春の国
地方都市ノルディアの外へ出たサクラたちは、近くの樹林へ入っていった。
ひと気がない場所まで行くとクライオスは青年から巨大な氷竜の姿になった。
サクラは氷竜の背に跨り、隣国のアルセリア王国を目指して飛び立った。
ギルドカードを持たないサクラは、正規のルートでは入国できない。
そのため、空から密入国するしかないのだ。
大陸の中央に位置するアルセリア王国は、『常春の国』と称されている。
一年を通じて穏やかな気候に恵まれた豊かな国だ。
その西部にある大森林の奥深くに、サクラたちの目指す泉がある。
やがてそれらしき泉を発見すると、その畔へ氷竜は舞い降りた。
サクラが氷竜から降りると、クライオスは少年の姿になり、精霊たちが霊石から姿を現した。
「ホルム爺、これが魔石から魔力を取り出せる泉なの?」
『うむ、間違いないじゃろう。他にそれらしきものは見当たらないからのう』
「クライオス、魔力が蓄えられた魔石を出してちょうだい」
クライオスが亜空間から取り出した魔石を、サクラは受け取り泉に浸けようとした。
その瞬間、クライオスの脳裏に、魔力が暴発して両親を殺してしまった時の光景がよぎった。
彼はとっさにサクラの手を掴んで叫んだ。
『待って! その魔石には膨大な魔力が蓄えられている。もし一気に放出されたら、一帯は凍り付いてサクラが死んじゃうかもしれない!!』
「そ、そうなの? それじゃ、どうしたら……」
『ボクがやるから、サクラは離れたところで見ていて』
「う、うん。わかったわ。それじゃ、お願いね」
サクラは魔石をクライオスに返すと、離れた場所にある大木の陰へ駆け込んだ。
彼は泉の水を一滴、魔石に垂らしたが、何も起こらなかった。
徐々に垂らす水の量を増やし、最終的には泉に浸けてみたが、魔力は放出されなかった。
しばらくしても変化が見られなかったので、クライオスは振り返って大声で叫んだ。
『サクラ! 何も起きないよ!』
サクラは足元にいるホルムに伝えた。
「ホルム爺、泉に浸けても魔力は放出されないわよ」
『う~む。ただの言い伝えじゃから、真偽は定かではない。それにだいぶ昔の話じゃから、水質が変わってしまったのかもしれぬ』
「そんなぁ……せっかく魔石が売れると思ったのに、魔力を取り出せなければ、ただの石ころじゃん……」
がっくりと肩を落としたサクラは、ぼやきながらクライオスのもとへ戻った。
『ふん。妙なのが来たと思えば、やはり泉目当ての俗物どものようね』
どこからともなく、清流のような澄んだ女性の声が、サクラの耳に届いた。
サクラは周囲を見回したが、人影はどこにも見当たらなかったので、声の主と同じ言語で問いかけた。
「あなたは誰? どこにいるの?」
『どうしたのじゃ? サクラ』
「今、女性の声が聞こえたの」
『ワシには川の流れる音しか聞こえなかったぞ』
『アタシもよ。それに近くに人間の気配はないわ』
ホルムとフィーネには、水の音しか聞こえていなかった。
『そなた、ワタクシの声が聞こえるの?』
「うん、聞こえるわ。もしかして精霊さん? 姿を見せてくれる?」
すると泉の中央から白い霧が立ち昇り、水の精霊が姿を現した。
鮮やかな青い髪をなびかせ、豊満な肉体と神々しさを兼ね備えた、二十代後半の美しい女性の姿をしている。
『ワタクシは水の精霊セレーネ。そなたは何者? なぜ、ワタクシと言葉が通じるの?』
「わたしはサクラ、人間よ。なぜか分からないけど、人以外の言葉も理解できるの」
相手が人間だと分かったとたん、セレーネは嫌悪の表情を浮かべた。
『ふん、やはり人間か。この一帯はワタクシの神聖な領域。人間ごときが踏み入ってよい場所ではない。今すぐ立ち去りなさい』
「ごめんなさい。わたしは隣国から来たの。だから、セレーネさんの領域だとは知らなかったの。魔石から魔力を取り出せる泉を探しているんだけど、知らない? このホルム爺は地の精霊なんだけど、この泉がそうだって――」
『そのチンチクリンは、地の精霊なの!?』
他の精霊を初めて見たセレーネは、驚きのあまりサクラの言葉を遮って聞き返した。
「そうよ。その横で飛んでいる女の子は、風の精霊でフィーネっていうの。彼は氷竜のクライオスよ」
『そなたは、精霊や魔物を従えているのか?』
「違うわ。三人ともわたしの友達よ。行商の旅についてきてくれたの」
ホルムとフィーネが会話しているのを見て、セレーネはさらに驚愕した。
『地の精霊と風の精霊は、言葉が通じるのか!?』
「そうよ。わたしが人間の言葉を教えたの」
他の精霊たちが人語を習得し、自分の知らない世界を旅していることに、プライドの高いセレーネは強いショックを受けた。
大森林の奥深くで君臨してきた彼女は、己が『井の中の蛙』に過ぎないことを痛感し、かつてない劣等感に苛まれたのだ。
このままでは自分だけが取り残されてしまう――セレーネは焦燥感を覚えずにはいられなかった。
『そなたの探している泉について、教えてあげてもいいわ。その代わり、ワタクシにも人語を教えなさい!』
「そう簡単に人語は覚えられないわ。ホルム爺とフィーネだって、随分と時間がかかったのよ。わたしは行商の旅に行かなくてはならないの」
『ワタクシがそなたに同行してあげる。それならいいでしょ?』
「もちろんよ。これからよろしくね、セレーネさん。それじゃ、その泉の場所を教えてくれる?」
セレーネが一緒なら、いつでも精霊水が得られる。
サクラは二つ返事でうなずいた。
『そなたが探しているのは、紛れもなくこの泉よ』
「え? でも、魔石を泉に浸けたけど、何も起こらなかったわ」
『ワタクシは、ただの水を「精霊水」という霊液に変えることができるの。かつてこの泉を精霊水にしたことがあったから、それに魔石が反応したのでしょう。今では、ただの水に過ぎないけどね』
「セレーネさん。また泉を精霊水にしてくれませんか?」
『お断りよ――』
その理由についてセレーネは語った。
かつて精霊水で満ちていた泉の畔では、色鮮やかな花が咲き誇り、果実はたわわに実った。その豊かな自然を愛でるのが、セレーネは好きだった。
だがある日、何日も大森林を彷徨い死に瀕していた男が、この泉へと辿り着いた。そして精霊水を飲んだ男は、すっかり回復し元気な足取りで帰っていったのである。
するとその噂を聞きつけた人間たちが、次々とやって来るようになった。やがて精霊水を巡って卑しき者たちが争い始め、清らかな泉は血で穢されてしまったのだ。
憤怒したセレーネは、その日を境に泉をただの水へ戻したのだった。
『欲に駆られた人間どもに、再びこの地を穢されるのは御免だもの。それに、これほどの水量を精霊水に変えるには、膨大な霊力を要するわ。まぁ、少量の水であれば精霊水にしてあげても構わないけど』
「クライオス、手を器にして水を掬ってちょうだい。それを精霊水にしてもらうから」
『うん、わかった』
クライオスが左手を器の形に変えて泉の水を掬うと、セレーネはそれを精霊水へと変えた。
サクラは先ほどの大木へ駆けて行き、その陰に身を隠した。
それを確認してから、クライオスは精霊水に魔石をそっと浸した。
魔石から程よい冷気が放出され、クライオスが成功を告げると、サクラは飛び跳ねて喜んだ。
「やったわ! これで魔石が売れる!」
軽やかな足取りでクライオスのもとへと戻ってきたサクラに、セレーネが尋ねた。
『それでサクラ、これからどこへ向かうつもり?』
「南にある『イグナリア帝国』よ。そこは灼熱の国と呼ばれていて、とっても暑い場所だから、きっとこの魔石が売れるはずなんだけど……セレーネさんは泉から離れても大丈夫なの?」
『ワタクシは水がなければ存在できないけど、大気中には微かながら水分が含まれているので問題ないわ。ただ霊力が弱まるから、実体化しても小さくなってしまうけどね』
セレーネが陸地へ足を踏み出すと、その姿は見る見るうちに縮んでいき、ホルムの半分ほどの大きさになった。
『ほほう。これはまた、随分とちっこくなったのう』
『ちょっと、そこのチンチクリン! 今、ワタクシを馬鹿にしたわね! ちっちゃいからって、見くびらないでちょうだい!』
目を細めて眺めるホルムに、侮られたと勘違いしたセレーネは、腰に手を当てて言い返した。
「違うわ、セレーネさん。ホルム爺は馬鹿にしたんじゃなくて、小さくて可愛いって褒めたのよ」
『そ、そうなの? チンチクリンのくせに、わかってるじゃない。ワタクシは美しさと可愛さを兼ね備えているのよね』
サクラはカバンから霊石を取り出すと、それに精霊が宿れることを、褒められて上機嫌なセレーネに説明した。
『サクラ、人間が近づいてくるわ!』
「えっ!? 本当なの、フィーネ?」
『うん。それも相当な数よ。ざっと数十人はいるわね』
「そんなに!? もしかしたら、密入国したのがバレて、衛兵が追いかけてきたのかも。どうしよう……」
『なにおろおろしているの、サクラ?』
「人が大勢こちらに向かってきているの――」
セレーネに問われ、サクラは事情をかいつまんで説明した。
『……なるほど。でも、そうとは限らないわ。ワタクシが泉をただの水に戻して久しいけど、今でも稀に人間が現れるもの。もはや効力はないと分かっていても、死期の迫った者が奇跡を求めてやって来るのよ』
サクラたちは、草陰に隠れて、様子を窺うことにした。




