5 商業ギルド
暖炉の火が室内を心地よい温かさで満たし、お腹がいっぱいになったカエデは、こっくりこっくりと舟を漕ぎ始めた。
フレイヤがカエデをベッドへ運んで食卓に戻ると、サクラは真剣な眼差しで、これまでの出来事を語り始めた。
「お母さん。これから見聞きすることは、絶対に口外しないで欲しいの――」
精霊や氷竜、そして大量の食料や薪のことなどを包み隠さず話した。
あまりに突拍子もない内容に、母は困惑し戸惑いを隠せない。
するとサクラは玄関へと向かい、扉を開けて白銀髪の少年を室内に招き入れた。
「お母さん。わたしの話が事実だってことを、今から証明するわね――」
サクラの要求に応じ、クライオスは少年から氷竜へと姿を変え、精霊たちが姿を現した。
「彼が氷竜のクライオス。お爺さんが地の精霊でホルム爺、女の子が風の精霊でフィーネよ」
目の前の非現実的な光景に、フレイヤは息をのんだまま呆然とした。
やはり夢でも見ているのではないかと頬をつねってみると、はっきりと痛みを感じ、ようやく現実なのだと理解した。
続けてサクラは、クライオスや精霊たちと共に、行商をしながら消息不明の父を捜し、家計を助けたいと母に申し出た。
――異国出身の父・ジンは、困っている人を見捨てられない性分で、誰からも頼られ慕われていた。
サクラはそんな自慢の父を心から尊敬し、大好きだった。
また、髪も瞳も父譲りの黒だったこともあり、お父さんっ子に育った。
ちなみに、この国では髪も瞳も明るい茶色が普通である。
長い行商の旅から帰宅した父の膝の上は、サクラの特等席だった。
そこに座って旅先の興味深い話を聞くことは、彼女にとって至福のひと時だったのだ。
「わたし、大きくなったらお父さんみたいな行商人になって、一緒に旅をしたい」
「そうか。それじゃ約束だぞ」
娘と指切りを交わしたジンもまた、いつか共に旅ができる日を、誰よりも楽しみにしていた。
サクラは自身の異能について、父が何か知っているような気がしていた。
いつか確かめようと思っていた矢先、父は消息を絶ってしまった。
それから一年が経とうとしている――
まだ十歳の娘が行商で旅をすることにフレイヤが不安を募らせると、ホルムとフィーネが助け舟を出した。
『ワシらがついておるから、大丈夫じゃ』
『そうよ! 何があっても、アタシたちがサクラを守るから、安心してちょうだい』
「……そうよね。あの氷牙山へ行き、無事に帰ってきたのだもの。きっと大丈夫よね。サクラ、あなたを信じるわ。皆さん、どうか娘のことをよろしくお願いいたします」
フレイヤは優しい母親の表情で、三人に深く頭を下げた。
「サクラ、あなたは本当に良いお友達に恵まれたわね」
「うん、お母さん」
◇◆◇◆◇
翌朝、サクラは村から最も近い地方都市のノルディアを目指して出発した。
村から離れると周囲に人がいないのを確認し、サクラは隣を歩く少年に合図を送った。
「クライオス、今なら大丈夫よ」
クライオスが少年から白狼に姿を変えると、サクラはその首元にぎゅっと抱きついて顔をうずめた。
『ちょっと、サクラ。何してんの!?』
「でへへっ。いいじゃない。一日一回のモフモフタイムよ」
『そんなことされたら、クライオスだって迷惑……』
文句を言おうとしたフィーネは、クライオスの顔を見て言葉を失ってしまう。
鋭い眼光を放つ精悍な顔立ちの白狼が、ふにゃふにゃのだらしない表情を浮かべ、完全にただの駄犬と化していたからだ。
モフモフを存分に堪能したサクラが白狼の背に跨ると、ホルムが一つの小さな水晶を差し出した。
『サクラよ、これは霊力を蓄えられる霊石で、精霊が宿ることもできる優れものじゃ。ワシら精霊は、よほどのことがない限り人前に姿をさらしてはならない。これからは霊石に宿り、お主と行動を共にするのが良かろう』
サクラが霊石を受け取ると、精霊たちは吸い込まれるように石の中へと姿を消した。無色透明の水晶は、精霊が宿ると琥珀色と翡翠色の鮮やかな二色になった。彼女はそれを失くさぬよう、肩掛けカバンの奥へ大切に仕舞い込むと、目的地に向けて白狼を走らせた。
ノルディアに到着すると、サクラはクライオスを商業ギルドへ登録させるため、彼を青年の姿へと変化させた。行商人として活動するには、ギルドに属する必要があるからだ。
まだ登録可能な年齢に達していないサクラは、代わりにクライオスを登録させることにした。彼は美少年の面影を残した端正な顔立ちの好青年で、異国情緒あふれる装いをしている。
商業ギルドの前まで行くと、クライオスは急にオドオドしながらサクラにしがみついた。
『だ、大丈夫かな……。ボク、うまく演じられるかな』
サクラは、まるで大きくて気弱な弟ができたみたいだと思った。
「大丈夫よ。見た目は十分すぎるくらい立派だし、あとは堂々としていれば完璧。もし不安なら、わたしだけを見ながら適当なことをしゃべって、気を紛らわせればいいわ。どうせ誰にも竜語は理解できないんだから」
『う、うん……。わかった、そうするよ』
サクラがクライオスを連れてギルド内に入ると、どこか神秘的な異国の美丈夫に、受付嬢たちは一瞬で目を奪われてしまう。
すると正面入り口付近で立っていたギルド衛兵が「チッ」と忌々しげに舌打ちし、サクラが纏っているケープのフードを背後から乱暴に掴み上げた。
「物乞いなら他所へ行け! ここはガキの遊び場じゃねえんだよ」
質素な身なりのサクラを物乞いと勘違いした衛兵は、彼女を外へつまみ出そうとした。
だがその瞬間、クライオスが目にも留まらぬ速さで衛兵の手首を掴むと、圧倒的な力でねじ上げた。
『サクラに乱暴するな!』
「いてててっ! 放せ、腕が折れる! ひいいいいっ!」
「やめて、クライオス!」
クライオスが手を放すと、衛兵は痛めた腕を押さえながら苦悶の表情を浮かべた。
「っ……な、何なんだ、貴様らは!? 妙な言葉をしゃべりやがって」
「ごめんなさい。彼は異国の出身で、旧言語しか話せないの。わたしたち、行商人の登録に来たんです」
かつてアストライア大陸全土で商業ギルドが統合された際、それに伴い言語と通貨の統一も図られた。
旧言語とは、それ以前に各国で用いられた独自の言語だが、今や知る者はほとんどいない。
そこでサクラは、竜語を異国の旧言語と偽り、その場の追及を逃れたのである。
「お前、異国の旧言語がわかるのか!?」
「え、ええ。ひいお婆ちゃんが異国の出身で、その言葉しか話せなかったから……」
手入れはされているが質素な身なりのサクラと、端正な顔立ちに洗練された装いの青年。二人の関係を推し量った衛兵は、サクラを異国人の通訳をする奴隷だと勝手に結論づけた。
「なるほど。で、異国人の身元保証人はどこだ?」
「え? 登録に保証人が必要なの?」
「当たり前だ。商業ギルドに所属すれば、身分の保証と信用を得られる。それに、ギルドカードがあれば国境を越えるのも容易になり、異国での商売も可能になる。それだけの恩恵があるのだから、誰でも所属できるわけではない。確かな身元の保証人と、相応の登録料が必要だ」
「わたしのお父さんは、ヴォルガ村のジンという行商人なんです」
「行商人じゃ、ランクはアイアンだな。保証人は最低でも、シルバー以上か貴族でなければ認められん。父親にシルバーランク以上のつてがあれば、頼めるかもしれんがな」
「お父さんは行商に出たまま、もう一年も戻らないんです。お父さんについて、何か知りませんか?」
「知るか! 行方不明なら受付に報告しろ。案内してやるから付いてこい」
受付はすぐ目の前にもかかわらず、衛兵がわざわざ案内したのは、美人受付嬢のフィリアに好意を寄せているからである。
「フィリア、この嬢ちゃんの父親が行商人で行方不明らしいんだ。悪いが手続きを頼むよ」
サクラへの横暴な態度とは打って変わり、衛兵はニヤけた顔で鼻の下を伸ばしながら愛想よく話しかけた。
「承知いたしました。では、お父様の情報についてお聞かせください――」
フィリアはサクラを外見で判断せず、笑顔で接し丁寧に応対した。
「それでは、ただちに行方不明者名簿に登録し、主要な取引先や街道を巡る仲間に照会をかけます。情報の収集には最低でも一ヶ月ほど要しますので、その頃に改めてお越しくださいませ」
「あの……あと、石を売りたいんですけど、どこかに買い取ってくれるお店はありませんか?」
「石……ですか? 宝石の類でしょうか?」
「これです。魔石といって、とても珍しい石なんです」
サクラは、ただの石ころにしか見えない魔石をカウンターに差し出した。
無一文の彼女は、それを売って当面の食費や宿代を稼ぐつもりである。
「魔石ですか? 聞いたことのない石ですね。どのような石なのでしょうか?」
「魔力を取り込むことができる石なんです」
「魔力……ですか?」
『魔力』という概念は、まだ人々に認知されておらず、フィリアは不思議そうに首を傾げた。
すると、先ほどクライオスに痛い目に遭わされ、好意を寄せるフィリアの前で恥をかかされた衛兵が、仕返しとばかりに横から口を挟んだ。
「嬢ちゃんに訳のわからないことを言わせ、ただの石ころを売りつけようとするなんて、ふてえ野郎だぜ。フィリア、この異国人はいたいけな少女を奴隷にしている変態野郎だ。さっきもフィリアのことを、いやらしい目で――」
「衛兵さん、言葉を慎んでください」
「だが俺は、フィリアのために忠告を――」
「衛兵さん、持ち場に戻らないのであれば、支部長に言いつけますよ」
フィリアに毅然とした強い口調で言われ、衛兵はクライオスを忌々しく睨みつけながら、正面入り口の横へ戻っていった。
「お客様。当ギルドの職員が、大変失礼いたしました」
フィリアはサクラとクライオスに向き直ると、深々と頭を下げて謝罪した。
「あの、クライオスは、そんなんじゃないです。とても優しい子で、わたしの親友なの。だから――」
謂れのない罵倒を受けたクライオスへの誤解を解こうと、サクラは懸命に擁護した。
「ふっ……ごめんなさい。ええ、わかってます。先ほどの彼は、まるでお姫様を護る騎士のようでしたもの」
二十代後半の青年を十歳の少女が「優しい子」と呼んで年下扱いしたので、フィリアは思わず吹き出してしまった。しかし、すぐに気持ちを切り替え受付嬢として言葉を続けた。
「それと申し訳ありませんが、魔石を扱う店は存じ上げません。おそらく国内では取り扱っていないと思われます」
「そうですか……教えてくれて、ありがとうございます。それじゃ、また来ますね」
色々とあったものの、親切に対応してくれたフィリアのおかげで、サクラは嫌な思いをせずに商業ギルドを後にした。
ちなみに、クライオスはサクラしか視界に入っていなかったので、衛兵に睨まれていても全く眼中にはなかった。
サクラは父親から、「珍しいものほど高値で取引される」と教わっていたので、魔石は高く売れると信じていた。
しかし、どれほど珍しくても『利用価値』がなければ意味がないことを、彼女は身をもって学んだ。
宝石のような輝きもなく、石炭のように火を熾せるわけでもない魔石は、人々にとってはただの石ころでしかないのだと。
「ねぇ、ホルム爺。魔石を何かに利用できないかしら?」
『魔石は魔力を溜め込むだけの石じゃからのう』
「溜め込んだ魔力は取り出せないの?」
『アルセリア王国に不思議な泉があって、そこの水に浸すと魔力が放出されるらしい。あくまでも古い伝承じゃがな』
「クライオス、魔石から魔力が放出されたら、どうなるの?」
『冷気として放出されると思う。ボクが吐き出していた息のようにね』
「それよ! 魔石から冷気を放出させればいいのよ。暑い国なら、魔石が売れるに違いないわ」
魔石の利用法を閃いたサクラは、思わずパンと手を叩いて喜んだ。




