3 氷竜
「わたし、動物に乗るの初めてよ!」
目を輝かせながらサクラは、白狼の大きな背中に跨った。
ホルムはサクラの前に乗り、フィーネはサクラの肩に座っている。
『行くぞ。振り落とされないよう、しっかり掴まっていろ』
白狼がゆっくり走り出すと、銀狼の群れが後から続いた。
徐々に速度が上がっていくと、サクラは満面の笑みを浮かべた。
「やはり白狼さんに乗せてもらって正解だったわ。こんなに速くて快適なんだもの」
速度が増しても、冷たい風をフィーネが防ぎ、ホルムが霊力で温めたので、サクラは寒くなかった。
しばらくすると、三メートルを超える巨大な白熊が現れ、行く手を阻んだ。
白狼が唸り声を上げながら立ち止まると、銀狼の半数が追い越し白熊を包囲して引き付けた。白狼と残りの銀狼たちは、その脇を疾風のごとく駆け抜けていく。
いくら銀狼が数で勝っていても、白熊の鋭い爪で一撃を喰らえば命取りになる。
サクラは心配になって白熊の方を振り向いた。
「銀狼さんたち、大丈夫かな?」
『問題ない。戦えば無事では済まぬが、ワレを通すための時間稼ぎをしているだけだからな』
「よかった」
『貴様、本当に変わった人間だな。ついさっきまで貴様を食い殺そうとしたワレらを心配するとは』
「だって、わたしを運んでいるせいで、狼さんたちが酷い目に遭ったら嫌だもの」
ふん、と鼻を鳴らしながらも、白狼はわずかに口角を緩めた。
しばらくすると、白熊の相手をしていた銀狼たちが、追いついて合流した。
その後も行く手を阻まれるたびに、銀狼たちが対処したおかげで、サクラたちは無事に氷牙山の麓付近まで辿り着くことができた。
『これ以上は近づけぬ。送り届けるのは、ここまでだ』
白狼は足を止めると体勢を低くしてサクラを降ろした。銀狼たちは怯えて落ち着かない様子である。
「送ってくれて、ありがとう。助かったわ」
サクラは、白狼の首元に抱きつき、たてがみに顔をうずめながら感謝した。
いつまでも抱きついて離れないサクラに、フィーネが声をかける。
『サクラ、それくらいにして、もう行きましょう』
「でぇへへ。もう少しだけ、いいでしょ。だって、モフモフで気持ちいいんだもん。わたし、ワンちゃんが大好きなの」
『それ、犬じゃないから!』
大きく手を振りながら、去っていく狼たちを見送るサクラに、フィーネは呆れ混じりの声でたしなめる。
『まったく、これから氷竜のところへ行くというのに、呑気にもほどがあるわ』
「……だって、もう二度と、モフモフできないかもしれないでしょ」
生きて帰れる保証のないサクラにとって、最後のわがままなのだと察したフィーネは、返す言葉が見つからなかった。
狼たちの姿が見えなくなると、サクラはホルムを抱きかかえ、氷牙山へと向かった。
やがて一行は、山の麓にある大きな洞窟の入り口へ到着した。
その奥から強烈な冷気が漏れ出し、ここが寒冷化の元凶だとサクラは確信した。
「この奥に、氷竜がいるのね」
『そうじゃ。どうしても行くのじゃな?』
「もちろんよ。そのために、ここまで来たんだもの」
ホルムが最後の確認をすると、サクラは力強く頷いて洞窟の中へ足を踏み入れた。
尋常でない寒さに、ホルムは懸命に体温を上げたが、それでもサクラは震えが止まらない。
肺が凍り付きそうで呼吸するのも辛く、意識を失いそうになりながらも、彼女はどうにか最奥へと辿り着いた。
洞窟内は一面の氷に覆われ、外の光が乱反射してうっすらとした明るさに満ちている。
そこには巨大な竜が横たわり、周囲の空気を凍らせるような冷たい寝息を吐いていた。
恐怖で足が竦みそうになりながらも、氷竜の前に歩み出たサクラは、勇気を振り絞り人間の言葉で叫んだ。
「氷竜さん、起きて! 氷竜さん!」
氷竜は重い瞼をわずかに持ち上げ、ぼんやりとサクラを眺めた。
凍てつく死の世界である洞窟内に、これまで生物が入って来たことは一度もなかった。
故に、これは夢なのだと思い込み、氷竜は再び目を閉じてしまう。
「起きて、氷竜さんお願い!」
それでもサクラが必死に呼びかけ続けると、微睡みを妨げられた氷竜は、夢うつつのまま一喝した。
『――やかましい!』
そのまま口を大きく開けると、サクラを噛み殺そうとした。
『大地よ、隆起して壁となれ!』
とっさにホルムが呪文を唱えて岩の壁を突き出し、サクラが噛まれるのを寸前で防いだ。
岩を噛まされた氷竜はブルブルと顔を振り、ようやく意識が覚醒したものの、目の前の状況が飲み込めずにいた。
『やかましい!』で竜の言葉を理解したサクラは、必死に竜語で訴えかけた。
「氷竜さん、あなたにお願いがあるの! わたしの話を聞いて――」
『うわあああぁ! なっ、なんなんだお前は!?』
人間が竜語をしゃべったことに氷竜は驚き、巨大な翼を広げて後ずさった。
「わたしはサクラ、ヴォルガ村から来た人間の女の子よ」
『に、人間!? な、なにをしに来たの?』
氷竜がオドオドしながら尋ねると、サクラは祈るように両手を胸の前で組み嘆願した。
「村では寒さのあまり作物が育たなくて、みんなが困っているの。だから、もう冷気を吐き出さないで」
『それは……できないんだ。体内から溢れ出す魔力を吐息として放出しないと、ボクは死んでしまうから……』
「そんな……」
絶望感からサクラが膝をつくと、ホルムが心配げに尋ねた。
『どうしたのじゃ、サクラ?』
「もう寒くしないようにお願いしたんだけど、断られたの。体内から溢れ出す魔力を吐き出さないと、氷竜さんは死んじゃうんだって」
『なるほど……それなら魔石を使えば、解決するかもしれぬぞ』
ホルムは顎ひげを弄りながら思案し、そう返した。
「魔石?」
『魔力を吸収して蓄えることができる鉱物じゃ。氷竜の魔力を魔石に吸収させれば、冷気を吐き出さずに済むかもしれない』
サクラの顔がぱあっと明るくなった。
「それって、どこにあるの?」
『大抵は地中の奥深くにある。ここの地下にもあるはずじゃ。ちょっと待っておれ』
ホルムは地中へと深く潜り、しばらくして『あったぞ』という声と共に再び姿を現すと、拳大の魔石を地上へ押し上げた。
サクラはそれを拾い上げると氷竜に差し出した。
「氷竜さん、これは魔力を吸収する魔石よ。これを使えないかしら?」
『それ本当!? やってみるよ!』
パクリと魔石を飲み込んだ氷竜は歓喜の声を上げた。
『すごい!! 体内に溜まっていた魔力が、どんどん魔石に吸い込まれていくよ!』
氷竜の吐息から冷たさがなくなり、サクラは寒さが和らいでいくのを感じた。
「ホルム爺、魔力の吸収に限界はないの?」
『無論、限界はあるぞ。石が魔力で満たされれば、それ以上は吸収されぬ』
「それなら、もっと魔石が必要ね。できるだけ多くの魔石を取り出してくれる?」
ホルムがたくさんの魔石を地中から押し上げると、サクラは氷竜に伝えた。
「予備の魔石を置いていくから、魔力が吸収されなくなったら使ってね。それじゃ、わたしたちは帰るわ。さようなら、氷竜さん」
『待って! まだ帰らないでよ!!』
「でも、暗くなる前に帰りたいの。それにお母さんを安心させたいから」
『じゃあ、また会いに来てくれる?』
「ごめんなさい。それもできないわ。森には多くの獣がいるから、襲われてしまうもの。無事に帰れるかどうかもわからないし……」
こんなことなら、白狼さんに待っていてもらえば良かったと、サクラは頭を抱えて後悔した。
『それなら、ボクも一緒に行くよ。その方が安心だろ』
「気持ちは嬉しいけど、あなたを連れて帰ったら、村のみんなが驚いてパニックになるわ。人間は氷竜を、恐ろしい厄災だと考えているの」
『それじゃ、この姿なら大丈夫でしょ?』
氷竜は徐々に小さくなり、人間の姿へと変化した。
雪のように白い髪で、青空のようなブルーの瞳をした、サクラより頭一つ分ほど背の高い少年である。
どこか神秘的な雰囲気を漂わせ、透き通った肌の息を呑むような美少年。思わず目を奪われたサクラだったが、次の瞬間、顔を真っ赤にして叫んだ。
「――って、どうして裸なのよ! 服着なさいよ、寒いでしょ!」
『寒くないよ。だって、普段から服なんて着てないもん』
「そりゃ、竜が服着てたらおかしいけど、人間の姿の時はちゃんと服を着なさいよね。見てるこっちが恥ずか……じゃなくて、寒いわよ!」
眼前の少年が氷竜であることを忘れて、サクラは思い切りツッコんだ。
彼は『わかったよ』と素直に頷き、身体の一部を服に変化させた。
『これなら一緒に行っても大丈夫でしょ』
「まぁ、それなら……って、連れて行くなんて、一言も言ってないわよ!」
『お願い。ボクも連れてって。絶対に迷惑はかけないから』
捨てられた仔犬のごとく、今にも泣き出しそうな眼差しで懇願する美少年。
「どうしてそんなに、わたしと一緒に行きたいの?」
少年はかなり躊躇っていたが、やがて重い口を開いた。
『幼い頃は両親と幸せに暮らしていたんだけど、ある日突然、ボクの魔力が暴発して……両親を殺してしまったんだ。とても悲しくて、ずっと泣いていたよ』
当時の記憶が蘇り、彼は辛そうな表情を浮かべた。
『それと同時に自分が恐ろしくなって、この洞窟から出られなくなったんだ。また魔力が暴発して、誰かを殺してしまうのが怖かったんだ。二百年以上ずっと独りぼっちだったから、サクラと話せたのがとても嬉しくて――』
人間や獣たちから畏怖され、厄災だと忌み嫌われてきた氷竜。
だけど本当は、誰にも迷惑をかけたくないと、ずっと独りで洞窟に籠っていた、心優しい竜なのだ。
自分のせいで大切な親を死なせてしまい、どんなに辛かっただろう。
長い間、こんな薄暗い洞窟に独りぼっちで、どんなに寂しかっただろう。
そう思っただけでサクラは、切なさと愛おしさに胸を締め付けられ、自然と少年を抱きしめていた。
「一緒に行きましょう。氷竜さん、わたしと友達になってくれる?」
『うん……ありがとう……サクラ……』
少年はサクラの腕の中で、堰を切ったように声を上げて泣きじゃくった。




