4 商談成立
商業ギルドの応接室は、厚い石造りで屋外よりは涼しいが、それでもじっと座っているだけで汗ばむほどの暑さである。
暑がりで恰幅のいいガルド支部長は、滴る脂汗をハンカチで拭いながら、サクラの説明を聞き流していた。
彼女の話を微塵も信じていないガルドは、死んだ魚のような目で相槌を繰り返す。
サクラが魔石に精霊水を注ぐと、フィーネは風を操り、放出された冷気をガルドに浴びせた。
「……っ、ふぅおおおおっ……!?」
ガルドはぎょっと目を見開き、不意に水をぶっかけられたかのような奇声をあげた。
そして、身を乗り出し魔石に顔を近づけると、あたかも地獄で仏に会ったような表情を浮かべた。
「サクラ様、この魔石について、もっと詳しくお教えください! 効果の持続時間は? 氷を作ることも可能なのですか? 在庫はどれくらいあるのですか?」
ガルドは爛々とした目つきで矢継ぎ早に問いかけた。
氷も作れると聞いた彼は、即座に手を打たなければ大変なことになると察した。
この国では、氷の仕入れから卸までを商業ギルドが管理し、市場の安定を図ってきた。だが、特定の商会が魔石を独占し、氷を不当に安く販売すれば、ギルドは太刀打ちできない。ギルドは氷をフロストハイム王国から船で仕入れているので、莫大なコストがかかっているのだ。
そうなればギルドは壊滅的な損害を被り、氷業に携わる多くの者が失業に追い込まれる。また、競合がいなくなった後にその商会が価格を釣り上げれば、さらなる市場の混乱を招くことになる。
ギルドの沽券にかかわる事案であり、未然に阻止しなければ支部長としての責任を問われかねない。
最悪のシナリオを回避するため、ガルドは魔石の独占契約を結ぶことにした。
彼は性格こそ残念極まるが、伊達に支部長の座に就いているわけではない。 瞬時に事態の核心を見抜き、的確な判断を下したのである。
「なるほど。魔石の価値は十分に理解いたしました。確かに、一個につき銀貨一枚では安すぎましたな。では、金貨一枚ではいかがでしょうか。二十五個すべてを買い取らせていただきます。ただし、ギルドとの独占契約が条件です。決して、他所へは流さないと約束していただきたい」
金貨二十五枚は、平民の年収に相当する額である。
それが適正な価格か判断がつかないサクラは、かつて父から教わった駆け引きを思い出し、ガルドの反応を窺うことにした。
「しばらく考えさせてください。他の商会とも交渉したうえで、最も条件の良いところと取引したいと思います」
平民の子供なら見たこともない大金に、飛びつくと決めつけていたガルドは、想定外の返答に激しく動揺した。サクラが大手商会と手を組めば、ギルドに勝ち目はない。優位に立っていたはずが、一転して崖っぷちに立たされてしまったのである。
子供だと侮った過ちを猛省し、彼はサクラと真摯に向き合うことを決意した。
そして、特定の商会が魔石を独占すれば、どれほど深刻な事態になるかを丁寧に説いた。そのうえで、ギルドが出せる限界の額――魔石一つにつき『金貨百枚』を提示した。
彼はなりふり構わずテーブルに額を擦りつけ、震える声で懇願したのである。
「支部長さん。商会なら、いくら出すと思いますか?」
「それは……潤沢な資本を持つ大手の商会であれば、ギルドの数倍は提示するでしょう……」
不利になることを承知で、彼は絞り出すように事実を伝えた。
「そうですか……。では、魔石一つあたり金貨百枚でお願いします」
「へ!? ……え、あ、ギルドと契約してくださるのですか? 一体、なぜ……?」
商会に売れば、彼女は一生遊んで暮らせるほどの大富豪になれる。ガルドは理解できないとばかりに、思わず間の抜けた声で聞き返した。
「わたしのせいで誰かを不幸にしたくないもの」
サラーマからスラムの惨状を聞いていたサクラは、アッシュのような子を一人でも多く救いたいと願っていた。そのため、できるだけ高値で売って、多くの資金を得ようとしたのである。
しかし、魔石を商会に売ることで、市場の混乱や大量の失業者を生んでしまうことは、彼女の望むところではなかった。
最悪の事態を免れ、胸を撫でおろしたガルドは、居住まいを正してサクラと正式な契約を交わした。
初めての商談がこれ以上ない形で結実し、さらに実り多い経験となったことに、サクラは深い満足感を覚えていた。
「……ふぅ、やれやれ。この魔石があれば、ギルドの仕事も格段に捗ります。なにせ、この辺りは火竜のせいで、殊更暑いですからな……」
「火竜がいるんですか!?」
サクラは弾かれたように身を乗り出すと、目を輝かせながら聞き返した。
「え、ええ。あそこに見える炎帝山の頂きに、古より火竜が棲んでいると言い伝えられておりましてね」
ガルドは窓の外、陽炎の向こうに霞む赤茶けた山を指し示した。
「その火竜について、詳しく教えてくれませんか?」
「そう言われましても、山の上空を竜らしき影が飛んでいるという目撃情報が数件ある程度です。なんせあそこは、暑すぎて麓に近づくことさえままならないですからな」
「そこへ行く道はありますか?」
「見渡す限りの砂漠で道などありませんが……まさか、炎帝山へ向かうつもりではありますまいな? 火竜は災厄の化身とも呼ばれる恐ろしい怪物です。絶対におやめください」
貴重な魔石の供給源であるサクラを、ガルドは心から案じて釘を刺した。
「そう、なんですね……気をつけます」
すでに炎帝山へ向かうと心に決めていたサクラだったが、ガルドがあまりに心配するので、曖昧な返事でごまかした。
「ところでサクラ様、この後はどのようなご予定ですか?」
「どこかで夕食を済ませてから宿に泊まり、明日の朝に帰るつもりです」
「それでしたら契約のお礼として、当ギルドはサクラ様にできる限りのもてなしをさせていただきたいと思います。お勧めのお食事処と宿屋の紹介状を書きますので、是非ご利用ください。もちろん、費用はすべて当ギルドが負担いたしますので、どうかご遠慮なく」
せっかくの申し出なので、サクラはガルドの厚意に甘えることにした。
そこは、商業都市バルカンでも最高級の店と宿で、至れり尽くせりのもてなしを受けることになったのだった。




