3 取り引き
サクラたちが商業都市バルカンへと辿り着いたのは、日没の二時間ほど前のことだった。
そこには検問待ちの長い列が伸びており、サクラの馬車はその最後尾に並んだ。
御者台で手綱を握るクライオスは、隣に座るサクラが一刻も早くアッシュのもとへ戻りたがっているのを察していた。
『サクラ、急ぐなら黒いカードを使ったら?』
「でも、みんなこの暑い中を我慢して並んでいるのに、ズルをするみたいで嫌なの。それに、優先されるのはアルセリア王国内の検問だけよ」
馬車の前には、質素な身なりの母親が五歳の息子の手を引き、一歳の娘を抱きながら並んでいた。
娘は泣きじゃくり、息子は何度も喉が渇いたとぐずっている。
「ごめんね。もう水はないの。バルカンに入ったらすぐに買ってあげるから、もう少しだけ我慢してちょうだい」
娘をあやしながら息子を宥める母親の顔は、暑さもあって疲労の色が濃かった。
その様子を見かねたサクラは、御者台から飛び降りると、女性に歩み寄り声をかけた。
「おばさん。水袋があったら貸してくれる?」
「いいけど、水袋は空だよ」
「ええ、構わないわ。すぐに返すから、お願い」
女性が水袋を手渡すと、サクラはクライオスを連れて馬車の中へ入った。そして彼が亜空間から出した冷たい水で、水袋を満たしたのである。
サクラが親子のもとへ戻り水袋を返すと、女性は困惑の表情を浮かべた。
「お嬢ちゃん、気持ちは嬉しいけど、あいにく持ち合わせが少なくてね。こんなにいっぱいの水は、とてもじゃないけど買えないよ」
申し訳なさそうに首を振る女性に、サクラは屈託のない笑顔を向けた。
「お金なんていらないわ。困った時はお互い様でしょ。それに水ならたくさんあるから、遠慮しないで。その代わり、このことは内緒にしてほしいの。それと、水は馬車の中でソファに座って飲んでね。検問の順番になったら声を掛けるから、寝ていてもいいわよ」
「お嬢ちゃん……すまないね。ありがたく、そうさせてもらうよ」
サクラの厚意を汲み取った女性は、その優しさに甘えることにした。
冷えた水で十分に喉を潤した三人は、疲れもあって、涼しい車内で気持ちよさそうに寝息を立て始めた。
御者台に戻ったサクラは、クライオスとセレーネに人語を教えながら、検問を待った。
それから一時間以上経ち、ようやく順番が回ってくると、サクラは車内の親子を起こした。
馬車から降りた女性はサクラに深々と頭を下げて礼を述べ、子供たちは元気に手を振りながら母親とともに検問の列へと戻っていった。
その後、サクラはクライオスの行商人用ギルドカードで検問を通過し、商業ギルドへと向かった。
サクラたちが商業ギルドへ足を踏み入れると、クライオスに女性たちの視線が釘付けになった。
この国では、強烈な日差しに焼かれた褐色の男性ばかりである。
その中にあって、白銀髪と透き通るような肌を持つ彼は、ただでさえ目を引く上に神秘的な美貌なので、女性たちは一瞬で魅了されてしまったのだ。
受付でサクラは行商人用のギルドカードを提示し、クライオスの通訳だと伝えた。
そして魔石を売りたいと、受付嬢に申し出たのだが――
「魔石……ですか? 申し訳ございませんが、当ギルドではそのような物品は取り扱っておりません」
「お願いです。担当の方と交渉させてもらえませんか?」
「当ギルドの規定により、例外は一切認められておりません。どうぞお引き取りください」
ここまで来て門前払いだけは避けたかったサクラは、やむを得ずブラックカードをそっと差し出した。
すると受付嬢は顔色を変え、「少々お待ちくださいませ」と言い残して、奥の部屋へと駆け込んでいった。
アストライア大陸の商業ギルドは、国が違ってもすべて同一の組織である。
そのため、アルセリア王国の意向でサクラのために『特別ランク』が新設されたことは、瞬く間に全ギルド職員へと周知されていた。
噂に尾ひれがつき、「商業ギルドはアルセリア王国の脅しに屈した」だの、「サクラはカシアン国王を籠絡した傾国の美少女」だのと、彼女は好奇の的となっていた。
一方で、世界に一枚しかないブラックカードを拝めた者は幸せになれると、職員の間で話題になっていたのである。
「お待たせいたしました。支部長がお会いになりますので、こちらへどうぞ」
ほどなくして戻って来た受付嬢に恭しく案内され、サクラとクライオスは応接室へと通された。
そこには恰幅のいい男性が、額に汗を浮かべながら満面の笑みで待ち構えていた。
「ようこそおいでくださいました。私が当ギルドの支部長、ガルド・バルザムでございます。よろしくお願いいたします」
その愛想笑いとは裏腹に、彼は腸が煮えくり返っていた。
たかが平民の小娘ひとりに、支部長である自分が直接接客せねばならなくなり、彼は苛立ちを募らせていたのだ。
しかし、一国の王が身元保証人となっている少女を蔑ろにするわけにもいかず、渋々ながら自ら応対することにしたのである。
とはいえ、国王を動かすほどの少女には興味があり、彼は品定めするような目でじろりと見た。
(なんだ。どんな美少女かと思えば、どこにでもいるただのガキじゃないか。どうしてカシアン国王が、こんな小娘のためにわざわざ『特別ランク』など設けさせたのか、まったくもって理解できんわ)
「よろしくお願いします、支部長さん。わたしはサクラで、彼はクライオスです」
ガルドに促され、サクラとクライオスはテーブルの席に腰を下ろした。
「なんでも『魔石』とかいう珍しい石を、売りたいと伺いましたが……」
「はい。特殊な水に浸すと、冷気を放出する石なんです」
サクラは、小さな魔石が一つ入った底の浅い木の器をテーブルに置いた。
「ほう、それが魔石ですか。冷気を放出するとは、実に素晴らしいですな」
ガルドはいかにも興味深げに相槌を打つが、その瞳の奥には冷笑が浮かんでいる。
(ただの石ころじゃねぇか! よりによってこの俺が、ガキの『おままごと』に付き合わされるとはな……)
「それじゃ、詳しい説明を――」
「その魔石、銀貨一枚で買わせてもらいます」
長話に付き合わされてはたまらないので、ガルドはサクラの言葉を遮るように言った。
ただの石ころに銀貨一枚も支払うのは馬鹿げているが、それで厄介払いができれば安いものだと彼は考えたのである。
しかし、サクラが不満げな表情を見せたので、なんてがめついガキだと、彼は心の中で毒づいた。
「おや、銀貨一枚ではお気に召しませんかな? では三枚なら、いかがでしょうか」
「支部長さん、ちゃんと話は最後まで聞いてください。そうでないと、魔石の価値がわかってもらえないでしょ」
「……はぁ、左様でございますな。失礼いたしました」
(この歳になって、孫のような娘に説教を食らうとは……)
「いいですか、注ぐ水の量で冷たさを調節できるんです。ただし、水が多すぎると冷えすぎてしまい、危険なので注意してください。それじゃ、実際にやってみますね」
サクラが少量の精霊水を水袋から器に注いだ途端、魔石から勢いよく冷気が噴き出した。




