2 サラーマ一家
翌朝、サラーマは再び滋養たっぷりのスープをこしらえて、サクラたちの部屋を訪れた。
前夜と同じように、サラーマがアッシュを優しく抱きかかえ、サクラが丁寧にスープを飲ませた。
「おばさん、お願いがあるの。わたしたち、商業都市バルカンで取引をするつもりなんだけど、それが終わるまでアッシュを預かってくれないかしら?」
「どれくらいの期間だい?」
「一週間もあれば戻ってこられるはずよ。もちろん、その間の宿泊料は前払いするわ。それに、アッシュの世話もお願いするから、二人分の料金を払うわね」
アッシュを慈しむように抱きかかえるサラーマを見て、サクラは彼女になら託せると確信したのだ。
「いいよ、引き受けた。だけど、料金は一人分で十分だよ。あんなに美味いご馳走を、家族全員でいただいたんだからね」
「ありがとう、おばさん」
◇◆◇◆◇
サクラは宿を発つ前、カウンターにいるサラーマへ改めて声をかけた。
「それじゃ、おばさん。行ってきます。アッシュのこと、お願いしますね」
「責任を持って預かるから、安心して行っておいで」
「あ、これ。お世話になるお礼です。みなさんで食べてください」
サクラがサンドイッチの盛られた皿を差し出すと、それを見たカシムとルルが飛び上がって喜んだ。
サラーマ一家は総出でサクラの馬車を見送った後、さっそく食堂でサンドイッチを堪能した。
「まさか、こんなに美味いものを二度も食べられるとは思わなかったよ。サクラちゃんに会わなかったら、一生味わうことはなかっただろうね」
サラーマはジューシーな肉サンドを頬張り、極上の味わいを噛みしめながら、しみじみと呟いた。
「それと、お母さんのおかげね」
そう言ってシャラは、サラーマに微笑んだ。
「わたしゃのかい?」
「ええ。私、知っているのよ。毎日、お母さんが夜中にこっそり抜け出して、アッシュに食べ物を届けていたこと。それがなければアッシュはとうに死んでいたはずだから、サクラちゃんはウチに来なかったわ。だって、あんなに立派な馬車に乗るくらいだもの、もっと大きな宿に泊まったはずよ」
「誰にも悟られないように注意を払っていたつもりだけど、バレていたんだね」
サラーマは決まり悪そうに頬を掻き、苦笑いしながら返した。
「私もアッシュの世話を手伝うわ。お母さんとサクラちゃんが救った命だもの。大切にしないとね」
「……ああ、そうだね……わたしゃ、お前たちがいい子に育ってくれて本当に嬉しいよ」
サラーマは目に涙を浮かべ、愛おしそうにシャラを抱き寄せると、その頬に慈しみのこもったキスを贈った。
一家は身も心も満たされ、至福のひと時を過ごしたのだった。
◇◆◇◆◇
その日、アッシュ以外の宿泊客はいなかったため、サラーマ一家は食堂で昼食をとっていた。
「いいよなぁ、サクラは。いつでもあんなに美味いものが食べられて」
サンドイッチの味が忘れられず、カシムは母の手料理を食べながら思わず呟いた。
「贅沢を言うんじゃないよ。温かい食事が食べられるだけでも有難いと思いな。アッシュなんて、飢え死にするところだったんだからね。そういう人がスラムには大勢いるんだよ――」
サラーマがカシムを諭していると、外から彼女を呼ぶ声が聞こえた。
玄関へ出てみると、道の向かいには町長を中心に、険しい表情を浮かべた住民たちが大勢集まっていた。
「どうしたんですか? 町長さん」
「サラーマよ。町中でお前さんがスラムの子を匿っているという噂で持ち切りなんじゃ。それで真偽を確かめに来たんじゃよ」
「……誰が、そんなことを?」
サラーマは動揺を必死に押し殺しながら聞き返した。
すると群衆の中から、不敵な笑みを浮かべた隻眼の男が右手を上げ、一歩前へと進み出た。
「俺だ! 昨日、異国の馬車がスラムのガキを連れ去るのを見たんだ。そいつらが今朝、この宿から出てきたのもな! あんな珍しい馬車を、見間違えるはずがない。その時、スラムのガキはいなかったから、まだ宿の中に潜んでいるはずだ!」
家族総出でサクラを見送った場面を目撃され、もはや弁解の余地はなかった。
異彩を放つ豪華なサクラの馬車を、見紛うはずはないと思ったからだ。
サンドイッチに浮かれて警戒を怠ったことを、サラーマは激しく後悔した。
「どうなのじゃ? サラーマよ」
町長に問いただされ、彼女は覚悟を決めた。
「……本当です。ですが町長、あの子の病は完治しているので、感染の心配はありません。わたしゃ何度も抱きかかえたけど、赤い斑点なんて出ちゃいない。だから安心して――」
「信じられねぇ! スラムの汚いガキを抱きかかえるなんて正気か!?」
「この裏切り者が!!」
「病気を撒き散らす前に、とっとと町から出ていけ!!」
サラーマの必死の訴えを遮るように、群衆からは怒号と罵声の嵐が吹き荒れた。
昨日まで近所付き合いをしていた隣人たちの目は、今やスラムの人間へ向けられるものと同じで、剥き出しの嫌悪と拒絶に染まっていた。
「お主の言うことが真実じゃとしても、看過するわけにはいかぬ。スラムの者に近づいてはならぬ、触れてはならぬ、関わってはならぬ、という町の掟に背いたのじゃからな。それに、まだ斑点が現れてないからといって、感染していないとは限らん。今すぐ町から出て行ってくれ」
「……わかりました。ですが、いろいろと準備があるので、夜になるまで待ってください。今日中に必ず町を出ますから。お願いです、町長」
「夕刻までじゃ。それ以上は待てぬ」
スラムの人間を嫌悪し排除する掟を定めたのは町長であり、それに背いたサラーマを彼は許せなかったのだ。
サラーマが深く頭を下げて家の中へ戻ると、激しい罵声に怯えた子供たちが、身を寄せ合って震えていた。
子供たちを安心させようと、彼女はあえて明るく振る舞った。
「――というわけさ。夕方になったら町を出て、バルカンへ向かうよ。サクラちゃんにアッシュを引き渡さないとならないからね」
容赦なく照りつける強烈な日差しのもとでは、徒歩での移動は過酷を極める。サラーマたちは、気温の下がる夜を待って出発するしかなかった。
「そのあと私たちはどうするの?」
シャラは不安げな面持ちで母に尋ねた。
「どこか別の町で再出発だよ。わたしゃが必死に働いて稼ぐから安心しな。だけど、お前たちも力を貸しておくれ」
「わかったわ。あたしも精一杯手伝う。でも、どこの町へ行くの?」
「さあねぇ。わたしゃたちの噂が届かないくらい、ずっと遠くの町になるだろうよ」
「だけど、まだ幼いルルは長旅に耐えられないわ」
「そうだね。だから、サクラちゃんに馬車で送ってもらえないか頼んでみるよ」
「それなら、いっそのことアルセリア王国へ行きましょうよ。住みやすい国だって聞くし、あのサンドイッチみたいな美味しい料理が、たくさん食べられるかもしれないでしょ」
「それがいいね。カシムとルルも、それでいいかい?」
美味しいものがいっぱい食べられると聞いて、さっきまで怯えていたのが嘘のように、カシムとルルは目を輝かせて大喜びした。
その姿を見てサラーマとシャラは顔を見合わせ、安堵の吐息を漏らしたのだった。




