7 旅立ち
近衛騎士団長セドリック・グレンヴィルは、魔法や魔術、あるいは呪術といった類のものを、微塵も信じていなかった。
実際、かつて国王が王子の病を治すため、国内外から名うての魔術師や呪術師たちを呼び寄せたことがあった。だが、誰一人として成果を上げることはできなかったのである。
ゆえに、サクラがシオン王子を救った際、ただの水を呪文で妙薬に変えたというのも、セドリックは信じていなかった。周囲の目を盗んで、杯の水に薬を入れたのだと断じたのである。
そして彼女もまた、他のペテン師らと同じく、虚言で虚栄を張るつまらない輩の一人にすぎないと、結論づけたのだ。
それでも、サクラが王子の命を救ったのは事実で、国王から命じられたこともあり、セドリックは彼女に最大級の敬意を払って接してきた。
しかし、彼女が造作もなく二頭の馬を操ってみせたことで、自分の認識が誤っていたことを痛感させられた。
彼女なら本当に、ただの水を奇跡の薬へと変えてもおかしくはない──そう考えを改めたのである。
純粋な少女を疑った己を恥じると同時に、不思議な彼女のことをもっと知りたいという特別な感情が胸に芽生えたのだった。
「団長さん。わたしたちは明日、イグナリア帝国へ向けて出発します。いろいろとお世話になり、本当にありがとうございました。王家のみなさんにも、よろしくお伝えください」
「承知いたしました。責任をもって、陛下とご家族にお伝えいたします。サクラ様がこの国を離れると寂しくなりますが、またお会いできる日を心より楽しみにしております」
それは決して社交辞令ではなく、セドリックの本心だった。
サクラが王家の晩餐に招かれた際、彼女が父親を探していると知ったカシアン国王は、各地に尋ね人のお触れを出し、広く情報を集めると約束した。
その確認のため、サクラはイグナリア帝国からの帰りに、カシアン国王のもとを再び訪れることになっている。
セドリックを見送った後、サクラはセレスティアに仲間を紹介するため、クライオスと精霊たちを厩舎へ連れて行った。
サクラが厩舎の扉を開けると二頭は仲睦まじくイチャついていた。邪魔したら悪いと思いそっと扉を閉めようとしたところ、それに気づいたアルゴスが声をかけてきた。
『何か御用ですか、サクラ様?』
「お取込み中のところ、ごめんね。セレスティアに挨拶しようと思ったの。いいかな?」
『か、構わないですよ』
お互い少し気まずそうに言葉を交わした後、サクラたちは中に入り扉を閉めた。
「セレスティア、改めまして。わたしはサクラよ。これからよろしくね」
『よろしくお願いします、サクラ様。それにしても本当に言葉が通じるのですね』
セレスティアはアルゴスから聞いていたので、それほど驚きはしなかった。
サクラは彼女にクライオスと精霊たちを紹介した後、これからについて説明した。
「明日から、イグナリア帝国へ向かうつもりよ。二人には馬車を引いてもらうので、お願いするわね」
『お任せください。サクラ様の望むまま、どこへでもお連れいたします』
当初は、氷竜を従えるサクラに屈したアルゴスだったが、今では彼女を心から信頼し忠誠を誓っている。
晩餐の席で国王は、サクラの功績に対し一生遊んで暮らせるだけの褒美を用意していたが、彼女は当面の生活資金しか受け取らなかった。実際の功績はセレーネの精霊水によるもので、自分の力ではないと過分な報酬に良心が咎めたのだ。
そのお金で旅に必要な日用品や衣類を買い揃えるため、サクラたちは宿の用意した馬車で平民街の商業区へと向かった。
高級ドレス姿で行商旅をするわけにはいかないし、灼熱のイグナリア帝国では、サクラの私服は暑すぎて着られないのだ。
◇◆◇◆◇
翌朝、サクラは宿の者たちに丁寧な挨拶を済ませると、前日購入した平民の服に着替え、出発のため玄関へ向かった。するとそこには白馬に跨り、凛々しく佇む近衛騎士団長セドリック・グレンヴィルの姿があった。
「団長さん、何かあったのですか?」
「サクラ様を城門までお送りしたいと陛下に願い出たところ、許可をいただきました。本日は私が先導を務めさせていただきます」
王家の紋章が入った豪奢な馬車を、十歳の平民少女が御しているだけでも、十分に悪目立ちしてしまう。憧れのセドリックに送られるのは嬉しいものの、さらに目立ってしまいそうで、サクラは素直に喜べなかった。
案の定、先導するセドリックは”白馬の王子様”そのもので、通りにいる女性たちの視線を一身に集めていた。
あちこちから熱い歓声や感嘆のため息が漏れ、一行はさらに衆目を集めた。
「おい、見ろよ。あの紋章、王族の馬車だよな? 何で御者が平民の少女なんだ?」
「わからん。でも、近衛騎士団長が先導しているから、王族の馬車なのは確かだろう」
などと人々がざわつき、サクラは気恥ずかしさに身を縮めながら内心で叫んだ。
(ただの荷馬車なんだから、そんなに見ないでーっ!)
城門には王都を発つ人々の長い列ができており、その最後尾では門兵隊長がサクラの到着を待っていた。
彼に気づいたサクラは、嬉しさのあまり「隊長さ~ん!」と元気よく手を振った。
隊長はサクラへ柔和な笑みを返した後、すぐさま表情を引き締め、先導するセドリックへ向けて鋭く敬礼を捧げた。
「近衛騎士団長殿、ここからは私がサクラ様をご案内申し上げます」
「任せたぞ。それではサクラ様、道中くれぐれもお気をつけて」
「はい。さようなら、団長さん」
隊長はサクラの馬車を、検問のない専用の通路へと誘導した。
そこには二十名を超える老若男女が静かに整列しており、馬車が近づくやいなや、全員が一斉に深く頭を下げた。
「隊長さん、あの人たちは?」
「私の家族と従者たちです。サクラ様のおかげで、私たちは誰一人として路頭に迷わずに済みました。本日はサクラ様が王都を立たれると伺い、どうしてもお見送りしたいと駆け付けた次第です。皆を代表し、心よりお礼を申し上げます」
隊長は深く頭を下げて謝意を示した。
「ううん。自分のためにしたことだから気にしないで。だって隊長さんが処分されたら、わたしは一生後悔していたもの。今日だって隊長さんに会えなかったら、きっと心残りだったはずよ。だから笑顔で見送ってくれると嬉しいわ」
「はい。それではサクラ様、お気をつけて」
隊長は、にこやかな笑みを浮かべ、深い感謝を込めてサクラを見送った。
「さようなら、隊長さん」
サクラが元気に手を振ると、それに呼応して隊長の一家と従者たちも、笑顔で手を振り返した。多くの人たちに温かく送り出され、サクラは晴れやかな気分で城門をくぐり、王都を後にした。
しばらくしてサクラは、クライオスを青年の姿に変えさせ、馬車を走らせながら御し方を教えた。王家の紋章が刻まれた豪奢な馬車を、子供が操るのは悪目立ちするし、何より防犯上よくないと判断したからだ。
昼時、常春の心地よい日差しのもと、二人はル・パレ・ロワイヤルの支配人に用意してもらった絶品のサンドイッチを堪能した。
一か月分を用意してもらうと、サンドイッチは二、三日しか持たないため、食べきれないのではと支配人は心配した。
だが、クライオスの亜空間に保存すれば、どれだけ時間が経っても劣化することはない。
サクラはアルゴスとセレスティアに、王都で仕入れた干し草や野菜、果物などを与え、一頭ずつ抱きしめて労った。
午後の道中、サクラは馬車を走らせながら、セレーネとクライオスに人語を教えた。
セレーネは早く他の精霊たちと対等になりたくて、クライオスは大好きなサクラの期待に応えたくて、人語の習得に勤しんでいる。
やがて小さな宿場町に辿り着くと、サクラとクライオスは飯屋で夕食を済ませてから、隣の宿屋へ向かった。
建物に入ると、カウンターの奥で宿主がだるそうにふんぞり返っていた。
「いらっしゃい」
宿主は二人に品定めするような目を向けたが、サクラはためらいもなく歩み寄って尋ねた。
「ねぇ、おじさん。わたしのお父さんが、一年前から行方不明なの。ジン・スグリという行商人なんだけど、知らない?」
「そんな昔のことなんて、いちいち覚えちゃいねぇよ。泊まらないのなら、とっとと出ていきな」
二人が宿泊客でないと見なした宿主は不愛想に返した。
「あっ、泊まります。宿泊料はいくらですか?」
「素泊まりで銅貨五枚だ。身分証がなければ、その倍をいただく」
サクラが銅貨十枚とギルドカードを差し出すと、それを受け取った宿主は訝しげな表情で呟いた。
「はぁ? なんだ、このカード……」
だが次の瞬間、彼は顔面蒼白になり、カードを持つ手を大きく震わせると、慌てて立ち上がり深く頭を垂れた。
「た、大変失礼いたしました! ま、まさかサクラ様が、このようなオンボロ宿にお泊りになるとは夢にも思わず――」
宿主は冷や汗を流しながら、必死に謝罪と弁明を繰り返した。
すでに商業ギルドから全加盟店へ、『名誉最高ランク』新設の通達が回っていた。
そこには、十歳の少女サクラのために設けられた特別なランクであり、彼女が十三歳の少年と行動を共にしていると記されていた。そのため、青年姿のクライオスを見た宿主は、通達の少年とは別人だと判断したのだ。
加えて、そんな凄い少女なら豪奢な身なりで、こんな宿に泊まるはずがないと決めつけていたのである。
「サクラ様、お部屋へご案内いたします。どうぞ、こちらへ」
宿主の豹変ぶりに、サクラは戸惑いながらも後をついていくと、一泊銀貨五枚の一番いい部屋へ通された。
ル・パレ・ロワイヤルのスイートルームに比べたら雲泥の差だが、それでも他の部屋よりはかなりマシである。
翌朝、サクラとクライオスが宿を発つためカウンターへ向かうと、建物内は隅々までピカピカに磨き上げられていた。
「おはようございます、サクラ様。昨夜は、よくお休みになれましたでしょうか?」
前日はむさくるしかった宿主が、慣れない一張羅に身を包み、身だしなみを整えて、まるで別人のように二人を出迎えた。
「おはようございます、おじさん。よく眠れたわ」
「左様でございますか。それは何よりでございます」
(そりゃそうだろうよ、この宿で一番高い銀貨五枚の部屋なんだからな!)
引きつった笑みを浮かべながら、彼は心の中で毒づいた。
「ところでサクラ様、お父様について、過去二年分の宿帳を隈なく調べましたが、残念ながらお名前の記載はございませんでした」
「調べてくれたの? ありがとう、おじさん」
「め、滅相もございません! この程度、当然の務めでございます!」
前日の失態を取り戻そうと、宿主は目の下に濃いクマをこしらえながら、徹夜で大掃除と調べものに励んだのだった。




