6 馬車と二頭
翌日。
国王が「早急に用意させる」と言っていたので、サクラは今日か明日には馬車が届けられるだろうと胸を躍らせていた。
しかし、実際に馬車が届いたのは一週間も後のことだった。
セドリック団長に案内され、待ちわびた分だけワクワクしながら、サクラは馬車がある玄関へと向かった。
「サクラ様、こちらが陛下より賜りました、貴女専用の行商用馬車でございます」
そこにあったのは、光沢を放つ深いワインレッドの車体に、輝く金細工と王家の紋章が刻まれた最高級の馬車だった。
巨大な車体の屋根裏には、商品を収納するための空間が設けられている。
車内は快適な居住空間となっており、対面式のふかふかなソファとテーブルが備え付けられ、寝泊まりさえできるようになっている。
この大きな車体を引くのは、筋骨隆々の大きな白馬で、名前を『アルゴス』という。
あまりにも思い描いていた馬車とかけ離れていたため、サクラは唖然と立ち尽くした。
彼女の父ジンは、お金がなかったので、中古で格安の荷馬車を購入し、自分で修理して使っていた。
帆はないし乗り心地も悪く、ロバが引いていたので遅かったが、個人の行商用馬車はそういうものだと、サクラは思っていたのだ。
ほかの行商用馬車を何度か目にしたことはあったが、それは大商会の高級な馬車だと勘違いしていたのである。
どこからどう見ても、王族の馬車にしか見えず、「これのどこが、行商用なのよっ!」と、サクラは内心でツッコんだ。
だが、サクラが快適に旅を続けられるよう、一週間もかけて特注で造らせたのである。
「目立ちすぎるから普通の荷馬車がいい」なんて、口が裂けても言えなかった。
また一つ国宝級が増えてしまったと、サクラは頭を抱えるのだった。
その後、サクラは団長から馬の御し方を教わったが、どうしても思うように扱えないまま指導は終わった。
すっかり自信をなくして項垂れるサクラを、セドリックは優しく慰めた。
「サクラ様。うまく扱えなかったからといって、お気になさらないでください。このアルゴスは並の馬よりも体躯がひと回りも大きく、力も格段に強い名馬なのです。熟練の御者であっても手懐けるのは容易ではありません。国王陛下もその点を案じておられ、御者と護衛を十名ほど付けてもよいと、仰っておられます。いかがなさいますか?」
護衛ならクライオスだけで十分だし、何より精霊たちは人間に姿を見られるのを極端に嫌うので、サクラは申し出を断った。
◇◆◇◆◇
団長が帰った後、サクラはアルゴスを紹介するため、クライオスと精霊たちを連れて宿の裏手にある厩舎へと向かった。
最高級宿ル・パレ・ロワイヤルは厩舎も立派で、サクラの実家が幾つも収まるほど大きい。
建物の中に入り、周囲に誰もいないのを確認して扉を閉めると、精霊たちが姿を現した。
サクラは仲間を連れてアルゴスの近くまで歩み寄ると、優しく声を掛けた。
「アルゴス、今日は練習に付き合ってくれて、ありがとうね」
『お前! 言葉が通じるのか!?』
「うん。わたしね、人間以外の言葉が理解できるんだ。わたしの名前はサクラよ。よろしくね」
『……フン、オレは人間が嫌いだ。仲良くするつもりはない』
「そうなんだ……でも彼らは人間じゃないから、仲良くしてあげてね。彼は氷竜のクライ――」
『お前たちと仲良くするつもりはない! 出ていけ!!』
アルゴスはカッと目を見開き、大きな前脚を高く跳ね上げると、サクラを叩き潰さんばかりの勢いで激しく威嚇した。
「ご、ごめんなさい。今日はもう帰るわね」
アルゴスの機嫌が悪いから出直すことを、サクラはクライオスたちに伝えて出口へ向かった。
だがクライオスは少年から三メートルを超える氷竜へと姿を変え、サクラに仇なせば許さないとばかりに、アルゴスを睨みつけて低い唸り声を上げた。
アルゴスは恐怖のあまり腰を抜かして、その場に力なく崩れる。
馬たちの悲鳴のような嘶きが上がり、異変を察したサクラは慌てて振り向いた。
「ちょっと、クライオス! 何してるの!?」
『挨拶代わりにボクの本当の姿を見せてあげたんだ』
「馬たちが怯えてるじゃない。早く人間の姿に戻ってちょうだい!」
クライオスが少年の姿になると、サクラはアルゴスに駆け寄り、ガタガタと震える首をそっと抱きしめた。
「怖がらせてごめんなさい。でも怯えなくていいのよ。だってクライオスはとても優しいから、あなたに危害を加えることはないわ」
竜語を理解できなくてもアルゴスは、氷竜がサクラに従っているのを見て取れた。
そして、あの氷竜を言いなりにして「恐くないから」と微笑むサクラに、自分は抗う術を持たぬのだと本能で悟った。
「ねぇ、アルゴス。どうしてそんなに人間が嫌いなのか、教えてくれる?」
アルゴスは荷馬車を引く馬として牧場で育てられた。
彼は、時折仲間がいなくなることに気づくも、一定の年齢になると別の場所へ移されるのだと思い込んでいた。
つい最近も、幼馴染で恋仲だった牝馬のセレスティアが、牧場から連れ出されたまま戻って来なかった。
やがて自分の番になり、また彼女と一緒にいられると喜んだのも束の間、団長のもとへ連れていかれ、仲間との再会は叶わないのだと理解した。
だから、大切なセレスティアを奪った人間が嫌いになったのだと、アルゴスは正直に語った。
「わたしたち人間の勝手な都合で、大切な仲間と引き離されてしまったのね。本当にごめんなさい。でも、もうこれ以上、あなたに辛い思いはさせないわ。だって、あなたはもう、わたしの大切な仲間だもの」
サクラは大きな瞳に涙を浮かべ、アルゴスの首筋に顔を埋めながら、心からの謝罪を口にした。
◇◆◇◆◇
翌日。サクラに馬車の扱いを教えるため、近衛騎士団長セドリック・グレンヴィルは再び宿を訪れた。
毎日午前と午後に一時間ずつ、サクラが馬車を自在に操れるようになるまで、彼は指導することになっている。
まずは復習を兼ねて、団長が自ら手綱を握り、馬車を走らせて手本を示した。
続いてサクラが交代して操ると、手綱さばきこそ覚束ないものの、見事に馬車を御してみせたのである。
前日サクラに屈服したアルゴスが、未熟な彼女を補うように自ら導いて動いたのだ。
その劇的な変化を目の当たりにし、セドリックは己の目を疑った。
「サクラ様……昨日とは比べものにならないほどの上達ぶりです。一体、何があったのですか?」
「えっと……昨日、団長さんが帰った後、アルゴスと仲良くなったの」
「たった一日で気難しいアルゴスを手懐けるなど、並の御者にできることではありません。ベテランでも数日はかかるというのに」
かくいう団長ですら、馬の扱いを得意としていたが、アルゴスを手懐けるのに三日も要していたのである。
午前の指導が終わると、セドリックは感服したようにサクラへ告げた。
「もはや、私が教えることは何もありません。なので指導は、これにて終了とさせていただきます」
「あの、団長さん。最後にもう一つだけ、お願いがあります。もう一頭、馬を頂けませんか? アルゴスと一緒に育てられた『セレスティア』という牝馬が欲しいんです」
「セレスティアですか? その情報は、どちらから?」
「えっと……その……ちょっと小耳に挟んだというか……偶然、聞いたというか……」
サクラは視線を泳がせながら、しどろもどろに言い繕った。
「そうですか……。それで、そのセレスティアという馬を手に入れて、どうなさるおつもりですか?」
「だって、こんなに大きくて重い馬車を、アルゴスだけで引かせるのは、あまりに可哀そうだもの」
「確かに、この規模の馬車なら二頭引きが理想です。しかし、二頭引きは制御が難しく、危険も増します。だからこそ、一頭で引けるアルゴスを選んだのです」
「もし、どうしてもうまく御せなかったら諦めるわ。だからお願い、団長さん」
サクラは胸の前で祈るように両手を組んで切望した。
「わかりました。サクラ様がそこまで仰るのなら、何とかしましょう」
「ありがとう、団長さん!」
◇◆◇◆◇
セドリックが帰った後、サクラは厩舎へと向かいアルゴスに状況を説明した。
「アルゴス、セレスティアと一緒にいられるかもしれないわ。でも、そのためには条件があって、二頭で馬車を引いても大丈夫だってことを、団長さんに示さないといけないの」
『セレスティアと一緒にいられるのなら、どんなことでもする』
サクラはアルゴスに、セレスティアを獲得するための作戦を伝えた。
◇◆◇◆◇
翌日。
セドリックが連れてきたセレスティアと共に、サクラはアルゴスが待っている厩舎へと向かった。
そして厩舎の扉を開けたとたん、アルゴスが嘶きを上げ、呼応するように大人しくて優しそうなセレスティアも興奮して鳴きだした。
セドリックはセレスティアを必死に宥めながら、サクラを制するようにして注意を促した。
「サクラ様、危険です! 馬から離れてください!」
「大丈夫よ。だってこの子たちは、ただ再会を喜んでいるだけなんだもの」
するとセレスティアが頭を下げたので、サクラが額を優しく撫でると、すっかり落ち着きを取り戻した。
アルゴスは興奮して鳴いていたのではなく、セレスティアに事情を説明して、サクラに額を撫でさせるよう指示していたのだ。
続いてサクラは鳴き続けるアルゴスのもとへ行き、額を撫でて大人しくさせた。
それがサクラの作戦だとはつゆ知らず、その光景に団長は驚きを隠せない様子で尋ねた。
「サクラ様。馬の扱いに、ずいぶんと長けておられるのですね。もしや、ご実家でも馬を飼っておいでなのですか?」
「ええ。お父さんが行商人だから、荷台を引くのに……」
そうごまかしながら、サクラは内心で「本当はロバなんだけどね」と悪戯っぽく呟いた。
アルゴスとセレスティアを馬車に繋ぎ終えると、セドリックは二頭引きの手本をサクラに見せようとした。
だが、彼がどれほど巧みに合図を送っても、二頭は無視して顔を擦り付けながらイチャついている。
サクラは頃合いを見計らい、困惑するセドリックに声をかけた。
「団長さん。わたしにやらせてください」
「サクラ様、この二頭を操るのは、並の馬より遥かに困難です。一歩間違えれば暴走を招き、お命に関わります」
「少しでも危ないと思ったら、すぐに団長さんが止めてください。それならいいでしょ」
「ふう……わかりました。ですが、くれぐれも無理に動かそうとはしないでください。よろしいですね?」
セドリックはため息まじりに釘を刺すと、隣のサクラへ手綱を預けた。
「わかったわ、団長さん。それじゃ、アルゴス、セレスティア。進んでちょうだい」
サクラが手綱を介して合図を送ると、二頭は一瞬で姿勢を正し滑らかに前進し始めた。
それまで頑なに動こうとしなかった二頭が、体格差があるにも関わらず、まるで一つの生き物のようにぴったりの歩調で動き出したのである。
サクラの手綱さばきはまだ未熟であるにもかかわらず、二頭はまるでベテランが御しているかのような完璧な動きで一周し、元の位置へと戻った。
狐につままれたような顔のセドリックが、その後何度か交代して試みるも、結果は変わらなかった。
「団長さん。これならセレスティアを一緒に連れて行ってもいいでしょ?」
「え、ええ……も、もちろんです……」
サクラが御す馬車は完璧な乗り心地で、微塵の不安も感じさせなかったため、セドリックは認めざるを得なかった。




