体験者
「俺、サヤマさんに嫌われてるんっすかね?」
ちょっと傷ついたように、今まさに出て行ったサヤマの背中を目で追いながらカスガがだれにともなく呟くように言った。
「そうじゃねえ?」
「ひどっ。フォローしてくださいよ」
「お前に現実を見つめる力をつけさせてやろうという先輩のありがたい思いやりがわからんか」
「分かりません」
カスガはお調子者だけど、いつもこの調子だから場が明るくなる。のんびりまだ夕飯を食べているユキが苦笑して少し弁当箱をずらして場所をあけた。
「帰ってきて早々泣き言うから、女々しいやつって思われて愛想点かされたんじゃない?」
こう見えて、彼女はなかなかのSだ。
「ユキさんまでぇ」
「で、楽しかった? アオバとの夜の二人っきりのフライトは」
「正直、サヤマ先輩かミサキ主任と二人っきりのが良かったです」
「本当に正直だな」
俺は結構痛く感じるくらいにカスガの頭を拳で締め付ける。
「嘘です。先輩は超カッコよくて俺もうめろめろでした」
「つーか仕事の事誉めろよ。俺がカッコイイのは知ってるけれども」
「へー。アオバって自信家だったんだー」
というような会話はこの三人では結構いつもの事で。
サヤマの態度が主にカスガに硬い理由は俺も、多分ユキも知っているけれど敢えて口に出さない。
ユキは過去に一度だけひどく酔っ払ったt時に俺にこぼした事がある。
「私はお気楽な腰掛事務職だから、あんたたちの事は全然分からないし、わかりたくもないけど。私はただ傍観者だけど。でも、結構見ていて痛々しい。パイロットの人たちはみんな、へヴィなのよ」
そういう意味で、きっとユキは結構カスガを気に入っているのかもしれない。カスガは何故うちの課に配属されたのかわからんがまったくヘヴィじゃない。両親兄弟じいちゃんばあちゃん健在で、健やかに、やや甘やかされがちに育てられたごく普通のぼっちゃんだ。なんでここに入ったんだ、と聞いたら「女の子にもてるかと思ってー」という返答だったし。そうか、この職種ってモテ系職種だったんだ? ってその時初めて知った。そういえば危険手当つくから給料相当いいし、有名だし、一応公務員のくくりだから安定してるし、適度に運動しなきゃなんないからそこそこの年行ってもスマートな人多いしな。何より飛行船と戦うヒーローなイメージが結構定着してるし。
ま、実際は戦うっつっても、飛行船内の映像撮って、資料になりそうなもの全部回収してから、飛行船に穴あけて墜落させるだけだけど。飛行船の墜落、つったら普通は大事になりそうなものだけど、俺たちが迎撃している飛行船は普通の飛行船じゃないから、穴があいて中の空気だかガスだかが抜けていくとしゅるしゅると縮まって、風呂の水が排水溝に吸い込まれていく時のようにしゅるしゅる渦巻いて小さくなって、すぽんと消えてしまう。それはまるで、幻の存在がとつぜん現実の中に紛れ込んでしまったかのようなものだ。
「じゃああたしも、ご馳走様」
と言ってユキは立ち上がってゴミを回収して休憩室を出て行く。
彼女は交友関係も広いから、色々な噂も知っているし、本当の話も知っている。「ヘヴィ」なパイロットたちの事情も大方知っている。
俺の姉、サヤマの母親、ミサキ主任のお兄さん、ミヤハラ主任の親友、そして、ヤハタ課長の妹と婚約者。全員が近しい誰かを「とられ」てしまっているという事を。そのうち、ミヤハラ主任の親友と俺の姉、ヤハタ課長の妹はもう、姿もなくなってしまっているらしいけれど、他はまだ、病院や家のベッドで昏々と意識を失ったままでいるらしい。
姿があるから、「とられた」人たちを取り戻せる可能性を探してしまう。我々の会社は、そういう会社だし。そういう縋る様な志を持った人が多く集まる。
だからだろうか、会社の人間が「とられて」しまう事例が後を絶たない。
みんな口にせずとも気づいている。身近な人で「とられた」人間はみんな真面目であったり思慮深かったり、繊細だったり。
「さー、メシメシ」
と嬉しそうに中華丼とシューマイと半ラーメンを並べだしたカスガを身ながら考える。
こいつなら、大丈夫だろうなあ、と思う。
俺は駄目だった。
俺は「とられ」かけた。
夏の暑い日だった。
丁度カスガくらいの年次だった。
その時、俺の姉は寝込んで既に4年目になっていた。
姉が「とられて」から、鬱々と毎日色々考えていた。姉が生きている意味とか、この4年間の俺たちの努力の意味とか。家族の事とか周囲の反応とか。友人だとか、自分の生きる意味だとか。今の仕事について、とか。
考えているのに、酷く疲れていた。何もかもが面倒くさいような無気力感に、ふいに襲われたりした。
会社に行こうと思って空を見上げると、輝くような派手な水色が広がっていた。むかつくなあ、あおいなあ、と思った。その真ん中を真っ白い飛行船がゆっくりと横切っていった。まるで泳ぐような滑らかさで。暑さも忘れるくらい涼しげな様子で。
いいなあ、と思った。俺もそこに行きたいなあ。
気づいたら、居心地の良い場所にいた。どこかの部屋のような感じで、俺は柔らかいソファに座っていた。目の前には透明なグラスにぽこぽこと小さな泡が立ち上る炭酸飲料らしきものの入ったグラスが置かれていた。グラスの縁にかけられたレモンが爽やかな良い匂いを放っていた。 窓があったから外を見たら、水色か、鮮やかな雲の白しかなかった。
「これ、どこかに行くんですか?」
俺は当たり前のように側にいた人に聞いた。
「いくらしいですよ。邪魔が入らなければ、良いトコに連れて行ってくれるらしいですよ」
爽やかに笑ってその人は言った。夏の日に見るにはぴったりの涼しげな笑みだった。
「良いトコですか」
「はい。現実が嫌になった人を連れて行ってくれるらしいので、夢か幻の中だと思うんですけどね」
「そこは、良いんですかね」
「少なくとも、苦しい事はないような」
「ああそうですね。現実は苦しくてたまらないですもんね」
俺は目の前の炭酸飲料のグラスに手をつける。喉が渇いたというよりは、それが酷く魅力的に見えたので。
その時、地面がぐらりと揺れた。突然の衝撃に、グラスを落としてしまった。グラスは、割れることなくそのまま地面に吸い込まれるように消えて行った。
顔を上げて見上げた窓の外、当時新入社員だった自分でも見覚えのあった迎撃機が正に横付けされようとしているのを見た。シルバーの羽に赤いラインは当時俺の指導員をしていたミサキさんのものだとすぐに分かった。
ああ、俺、飛行船の中にいるんだ、と今更ながらにはっとして。
戻らなきゃと思った。
「一緒に行きますか?」
となりにいた人に聞いたら、その人は軽く微笑んで首を振った。
「でもこの飛行船は、落とされますよ?」
「落とされたら、気づいたら別の飛行船に乗ってるんです。目的地に着くまで、そうやって私たちは旅ををするの。これで私は3体目だし。……正直、現実に戻る勇気は私にはもうないんです」
ここにいれば、少なくとも苦しい事はないの。
彼女は言った。
それじゃあ、と俺は手短に言ってドアを開けて部屋を出た。出るときにミサキ主任とすれ違った。俺は一足先に迎撃機の所へ行って、その羽の上に飛び乗る。
しばらく待っていると、ミサキ主任が戻ってきて、迎撃機が発進した。
俺は気楽にその屋根に胡坐を書いて、向かって来る風に顔を吹かれながら、輝くように水色の空の中をどこまでもかき分けていた。
そして俺は、家のベッドの中で目を覚まし、飛行船の中で会った人が姉だったと気がついた。
もしかしたら、飛行船での「旅」が無事終われば、体が消えていくのではないかと、そう思った。
その時俺が信じたその仮説が本当ならば、確かに課長やミサキ主任や、サヤマなんかの望みは捨てきれない。
でも、彼らは一度現実を捨てた人だと考えるなら。課長たちは、彼らに捨てられたも同然だと考えれば。俺たちのこの迎撃はいたずらに苦しめるだけなのかもしれない。彼らを、そしていまだ大切な人たちが帰ってくるのを夢見る人たちを。




