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熱血若手

 初フライトの時のことをよく覚えている。私は拍子抜けして、ぽかんとその場で突っ立ってしまった。指導員として一緒に来てくれたミサキ主任に怒鳴られるほど、見事にぽかん、と。

 それまでの私は酷く意気込んでいた。息巻いて。情熱に燃えていた。

 なのに、迎撃機を横付けして固定して、入り口から乗り込んだ飛行船の中は、空っぽだった。 


 「もー、また残業とか。やんなっちゃうわよね」

 ユキさんが、愚痴をこぼしながらぱちりとお箸を二つ重ねた両の手の、親指と人差し指の間に挟んで「頂きます」のポーズをした。

 元オペレーション部出身のこの女性は、言いたい事をはっきりきっぱり言う、頼れるお姉さん、という感じでなかなか好感が持てる。もっとも、その性格が災いして、社内には男女問わず敵も多いらしいのだけれど。

 残業しすぎの時の恒例、遅めの夕飯の出前の時間。私とユキさんは諸先輩方及び若干1名の下っ端に先立って、夕飯を先に頂いている。フロアでそのまま食べるわけにはいかないので、休憩室に入って。低めのテーブルと会議室から払い下げられた古くなったソファが設置してあるそこは、ご飯はちょっと食べ辛いのだけれど、すわり心地と居心地は良い。今は他に誰もそこを使う人はいないようで、部屋には私をユキさんだけだった。

 本日の夕飯は中華。私は海老のあんかけチャーハン、ユキさんは麻婆豆腐(ごはん付)、両方とも、卵スープがサービスでついてくる。衆人受けに狙いを定めているデリバリーの中華料理は、たまに食べると結構美味しいのだけれど、慣れてくると結構飽きる。その上このデリバリーチェーン会社は、中華に限らず洋食・和食も展開していて、ぶっちゃけベースの味は同じ系統。わが職場は、主に安いと言う理由で残業の度にその三種をローテーションしてとっているので、毎日似たような味を食べている事になる。

 正直飽き飽きしている、とはいえ会社のお金で食べれる夕飯なので、ありがたく頂くのだけど。

 「最近忙しいですね」

 「そうねえ。アオバたち、まだ戻ってこないしね」

 ユキさんは時計をちらりと見上げてそう言った。

 アオバさんは、ユキさんの同期生にあたるらしいと聞いたことがある。もっとも、アオバさんとユキさんは採用職種が違うのだけど。今日は、夜のフライトを下っ端のカスガ君に教える為に二人揃って出て行った。カスガ君は、結構不真面目で、お調子者で、出動させるのにはかなーり不安が残る子だけれど、課長は結構頻繁に彼を使いたがる。一応彼、新人ですよ? て確認したくなるくらい。

 正直、ちょっと妬ける。私は自分でも真面目にやっていると思っているし、実際成績も悪くない、と思う。それなのに、何故か課長は事ある毎にカスガ君を使いたがる。夜間フライトだなんて、私は入って1年はやらしてもらえなかったのに、彼はもう……。私が配属されたときの課長と今の課長が違う、というのもあるかもしれないけれど、それでも、私には今カスガ君がやられているようなやり方で仕事をもらえていない気がする。回数は稼げているけれど、いつもやり方の安定した、同じような仕事ばっかりだ。夜間だって、いまだに数えるほどしかやらない。

 カスガ君なんて、遅刻は多いし、こっそりフロア抜け出して非常階段でサボってゲームしてたりするし、自分に仕事が多いのを不満に思っていて、飲み会等でいろんな人に課長の悪口をぐちぐち言ってるくせに。

 「サヤマちゃん、眉間に皺よってるから」

 ユキさんが苦笑して言うので、私は自分の顔が険しくなっているのを知った。

 「すいません」

 「別に謝る事ではないけどさ」

 ユキさんは紙コップに入った卵スープを両手で温めるように覆って、何度か息を吹きかけてから一口飲んだ。さばさばした人だけど、こういう仕草は女らしいなあ。

 なんとなく、私も釣られてスープを飲む。熱めのスープからは飽きるほど嗅いだコンソメの香り。喉を通過して胃の中に入ると、少しおなかの中が温かくなったように感じた。

 飛行船にとられた人は、こういうのも味わえないんだな、と不意に思った。

 「とられる」という現象がいつから始まったのか、分かっていない。

 始めは原因も分からなかった。何かの病気の一種かと思われていた。

 人がある日突然、何の反応もしなくなる。話しかけても、叩いても揺すっても、反応はない。

 病院に運ばれても、特に外傷はない。体の機能は依然きちんと動いているから、生命維持装置当の必要もない。ただ、かれらは何も反応しない。

 そして、その後、人によって個人差はあるものの、早い人では1年、長い人では数十年の後、その人は消えうせる。消え方は人それぞれ、だという。日に日に体の色が薄くなって、空気に同化するようであったという例も報告されているし、電灯が切れかけたときのように、現れたり消えたり点滅するようであったという話も聞く。指先から溶け出すようだった、という話も聞いたこともある。

 私が小学生に上がった頃くらいの年代に、その原因がどうやら「飛行船」にあるらしい、という事が政府から正式に発表された。もっとも、それは以前から囁かれていた事だった。なぜなら「とられる」現象が起こり始めた頃から、誰がなんのために飛ばしているのか意図が不明な飛行船の目撃例が、頻発したから。真っ白い飛行船は、いつもゆったりと空を流れていた。

 「まあ、フライト組は大変よねえ。私はお気楽な事務職だからなんとも言いようがないけど」

 ユキさんは黙りこくった私を見透かしているような目で見て、気軽な口調でそう言った。

 「大変って程でもないですよ。ただ、飛行船の中を調べて資料の写真と動画を撮って、破壊してくればいいんですから」

 「でも、恐くない?」

 ユキさんの言葉に、私は自嘲的に苦笑した。

 「恐くないですよ。だって、飛行船には誰も乗ってないんですよ? 危険なもの、ないじゃないですか」

 私はずっと、迎撃機に乗って飛行船を撃破するパイロットはヒーローめいた何かだと思っていた。危険を顧みず、奇妙な現象の元凶を叩きに行く、正義の存在。

 そのヒーローに憧れて、厳しい試験を猛勉強で潜り抜け、希望の会社に入って希望の部署に入った。

 それのにに、初めてのフライトで私が見たものは、がらんとした無人の部屋だった。

 そこは、人の住む部屋のように絵がかけてあり、ソファがあり、テーブルがあった。本棚もあったし、食器類もあった。洋服箪笥もあった。それでも、そこは無人だった。ミサキ主任が目の前で持参した袋に本や食器類を手早く詰めている間、私は呆然とそこに立っていた。

 「サヤマ! ちゃっちゃと写真撮っちゃって」

 ミサキさんの声も耳に入らなかった。

 だって、そこには何もなかったから。私が常に倒す目標とし続けていた「憎い相手」がいなかったから。人、じゃなくても良かった。奇妙な怪物でも、地球外生命体でも。意思をもった生物ならなんでも。

 でも、空虚な空間、それがそこの全てだった。

 そいつらを倒すためだけに、私は青春をがり勉でぶっつぶし、何事も省みず、ずっとここだけを目指してきたのに……。

 「誰もいないのも、なんか、怪談的で恐くない? 得体が知れなくて」

 ユキさんは、見るからに気味が悪そうに顔をしかめてそう言った。

 「そうですか? でも、みんな無事ですし」

 「……恐いっすよ」

 不意に背後からそんな声が聞こえた。休憩室のドアを開けて今正にカスガ君が入ってこようという所。

 「特に夜間とかホント、どの隙間から何が発生してもおかしくない感じでめっちゃ恐いっすよ。恐くないなら、サヤマ先輩代わってくださいよー」

 「あら、お疲れ様」

 ユキさんは気さくにカスガ君とアオバさんに軽く手を上げる。

 私だって、できるなら代わりたい。そんな思いは口に出さずに私は軽く会釈を返してから食べ終わったゴミをまとめて、休憩室を出た。

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