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サラリーマン

 ミヤハラさん、と呼ばれて顔を上げるとミサキさんが少し困った顔で立っていた。

 「戻りました。点検は終わってますから、そのまま使っていただけます」

 「ああ、ありがとう」

 夢から醒めたような気分で言ったら、それがそのまま顔にも声にも出ていたらしくって、ミサキさんの顔は更に雲った。申し訳なくなる。自分より年下なのに自分と同じ役職で、それだけで彼女は気を使ってくれているのだろうに、その上自分の方はこうやって始終ぼうっとしているようでは彼女は気が休まる暇がないだろう。こんなんじゃ、彼女に指導されているサヤマ君やカスガ君ら、下っ端とまるで変わらない。

 心がまるでどこかに飛んでいってしまったような、というような形容詞はよく聞く。それは「一歩手前」状態だ。もしかしたら先ほどの自分はそんな様子に見えていたのかもしれない。だから、ミサキさんはこんなに不安そうな顔をしているのかもしれない。

 ミサキさんの顔をちらりと見上げる。「もし良かったら、私が代わりましょうか?」「調子、悪いんじゃないですか?」「無理はしないでください」そんな言葉を言いたいのかもしれない。でも、失礼にあたるかもしれないから言えないのかもしれない。何か言いた気な顔を見て、そう思う。優秀な人間も大変だなぁ。これが、出世第一の、割り切れる人間なら上手くやっていけるのだろうけど、この子みたいに人間関係には若干不器用そうで、気遣いの人間には気苦労が多いだろう。

 同情心なんて、僕が持てる筋合いはないのだけど。

 課長みたいにもっとさっぱりと割り切れれば、この子も楽なのに、と思う。この子のように真面目で思いつめやすそうな子は、技術的には優秀なのかもしれないけれど、この仕事に向いていないんじゃないかなぁ、と思う。ミサキさん、サヤマ君は、実は僕は会社を辞めるか、せめて前線じゃない部署に異動して欲しい人間ナンバー1位と2位だ。彼女たち自身のために。その点、新人のカスガ君なんて、結構適任なんじゃないかと思う。課長も同じことを考えているようだけど、彼は「とられる」事はないと思う。彼の性格は楽天的で享楽的であんまり深く物事を考えない。

 僕も「とられる」事は多分ないと思う。ミサキさんはぼうっとしてる僕が「とられる」んじゃないかって心配しているようだけど。僕は僕なりに「とられる」人間というのは、実は傾向があるんじゃないかと考えている。多分、課長も同じだと思う。

 僕がぼうっとしている時は、本当に何も考えずにぼうっとしている時だから、物思いにふけっているわけではないし。僕はあんまりやる気もないので、何かに根を詰めるということもしない。適度に家族を養っていけて、適度に楽に平穏に暮らせれば、人生それでいいと思ってしまえる人間なので。年下が上司になろうと、そりゃ発令が出てすぐはちょっとショックでも、すぐにまあ、しょうがないと諦めてしまえる人間で。あまり深く思い悩まないし、流されるまま生きていける僕は、きっと飛行船に「とられる」事はない。

 結局何も言わずに、軽く一礼してミサキさんは去って行ったので、僕はのろのろと出動の準備を始める。

 パソコンの画面にロックをかけて席を立ち上がり、エレベーターホールへ向かう。ミサキさんとか真面目な人は、出動に向かうのに色々持っていくようだけど、自分は手ぶらでふらりと行く。資料とか、持って行ってもいいけど、使える資料であるか否かはどうせ五分五分だ。ミサキさんとかは、一人でも多くの人が「とられ」ないように最善を尽くしたいらしくて、本当に真面目にやっているけれど、そういう意味では僕はちょっと不真面目で、できる範囲で「とられ」ないようにできればそれで充分だと思っている。人の命がかかってるんだから、という人もいるけど、本当に「命」がかかってるのかもわからないし。こんな事、それを阻止する立場の僕が言うべきじゃないかもしれないけれど、もしかしたら「とられた」方が本人にとって幸せかもしれないし。「とられ」た人がどうなるかなんて、いまだ誰にも分らない。

 小うるさい音をたてるエレベーターに乗って最上階。エアポートと会社では呼んでいる場所に出る。その名のとおり、小さいながら我が社の「空港」で、ここで我々の愛機が出動を待っている。入り口の守衛に首から提げた通行証を軽く持ち上げて見せて、入り口を通過。入ってすぐの通路の入り口で、通称凧班のナベ君が僕を待っていた。

 「お疲れー」

 僕が軽く手を上げると、ナベ君は仕事用の真面目な作ったような顔で軽く一礼した。

 「お疲れ様です。ミヤハラ主任」

 「カイトはどんな感じ?」

 「大まかに西っすね。西に3と南に1で出てるんで。もし余裕あったら南に寄ってもらう感じで」

 じゃあとりあえず、西の2つは潰さないと、と僕は目標を立てる。ミサキさんだとこの場合全滅させてくる。僕と彼女の大きな違い。

 「地図は?」

 「転送しときました」

 カイトとか凧、とか。社内の人間は結構適当に呼ぶそれは偵察機の事だ。小型で無人のそれは、凧班の人間がリモートコントロールで遠隔操作する。機能は主に追跡と簡単な映像撮影だけだから、本当に偵察用という感じなのだけれど。

 「ありがとう。じゃあ、行ってきます」

 「あれ? オペレーションには連絡しました?」

 「あ、忘れてた」

 「……言っときます」

 ナベ君は結構長い事僕と仕事してくれてるから、行動パターンを読んでくれてて大変便利だ。

 あと、オペレーション班のオカノ君も。

 ありがとう、ともう一度言って、自分の乗用機に向かう。機、といってもそんなカッコイイモノじゃなくて、電子操作できる、ハンググライダー、みたいなものだけど。

 大きな三角の屋根の色はパイロットが自分の好みで色付けしている。かなり派手にペイントしている奴もいるけれど、俺は落ち着くから紺に近い深い青が殆どで、端の方に一本斜めにシルバーのラインが入っている。体を支えるのは安定するように腕の下から足の付け根までを支えられるぶっといベルトで、それにうつぶせに横たわる形で乗る。付属のゴーグルとイヤホン、マイクにもそれぞれ役目があって、ゴーグルは、もちろん強すぎる太陽の日差しを遮る目的もあるけれど、それだけでなく、社内のオペレーションルームと常に電波で繋がっていて、地図や資料なんかをその場で見せてもらえる。イヤホンとマイクはオペレーションルームの人間と通信するため。僕らはこうやって、オペレーションルームと相互連絡を取り合いながら操縦する。

 「ミヤハラ主任、用意できました?」

 イヤホンから、若干ノイズ交じりの女性の声が聞こえてくる。

 「いつでもどーぞ」

 「では、開けます」

 閉じていた滑走路のドアが開く。風が顔に吹きつけて、青い空が眼前に開ける。 

 ゴーグルを下ろすと、その光景に方向を示す記号や数値類が重なる。

 僕は地面を蹴って、空へと飛び立った。

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