傍観者
「いただきます」と、語尾にハートマークでもつきそうな可愛らしい言い方をしてあげたのに、年下の新人君ははあ、と大きくため息をついただけだった。つるりと光沢のある黒塗りのお重の蓋を開けると茶色のウナギが照り輝いているよう。音を立てて割り箸を割って、私は遠慮なくそれに箸をつける。恨めしげな視線なんて、気にしない。
新人君への遅刻へのペナルティでうなぎを奢らせる事を思いついたミサキさんにはとっても感謝しなければ。こんな高い昼食は、なかなかありつけない。口に含んだウナギは高いだけあって、クセがなくて、食べた瞬間ぱりっと香ばしくて、ふわっと香りが口の中に広がって、甘めのたれの味がたまらない。とにかく、そんじょそこらのうなぎとはやっぱり、一線を画している。……とはいっても、正直自分も値段で味わっちゃっているんじゃないかな? という感じは否めないけれど。高いものだなんてそうそう食べなれていないし。でもやっぱり、美味しいものは美味しい。ついでにセットの肝のお吸い物も美味しい。お新香まで美味しく感じる。
ミサキさんは多忙な人だからお店には一緒にこれなくて、彼女の分はお持ち帰りで包んでもらう事にしたのだけど。一人で食事するのも嫌なので、代わりに新人君を引っ張ってきて、同伴させた。彼は今私の目の前で一番安かった「うな丼」を食べている。も一度言うけれど、恨めしげな視線は気にしない。
流石の高級店は、人もまばらでゆったりとした空気が流れているように感じる。店員さんの物腰も柔らかで、感じが良いし、テーブルに飾ってある花なんかも、ちょっとしたものなのにすごくセンスが良い。
「ちょっとお、そろそろその顔やめてくれない? せっかくの高いうなぎなんだから」
とうとう私が文句をつけると、新人君はむっと眉毛を寄せた。分かりやすい。
「自分が遅刻魔なのが悪いんでしょー」
「んな事言われても、俺だって、早く起きれるようにはイロイロ努力してるんですよ。目覚まし3個買いましたし」
「その態度。反省の色が見えない」
ぴしゃりと言ってやると、新人君はまたむう、と眉毛を寄せた。
ぼっちゃんなのかなー、と頭の片隅で考える。要領は悪くないし、愛嬌もあるから周囲のウケはいいんだけど、ウケがいいから逆に周囲が甘やかしてしまうのかもしれない。それで、甘やかされ慣れてしまっているのかも。その点、ウチの課長サマは厳しいからなぁ。それに、課長とは相性もあまり良くなさそうだし。だから、ミサキさんがよくさりげなく間に入って緩衝材代わりをしてあげてる。そんなことにも一切気づかないこの新人君は、まだまだだなぁって思うけれど。
「まあ、じゃあ。遅刻は認めますよ。俺が悪いです」
「そんなふてくされながら言われても」
「ふてくされてるのはユキさんに、とか。特上のうなぎに、じゃないです」
「課長に怒られた事?」
慰めて欲しがってるな、ってすぐ分かった。慰めて、共感して、そうだよね、ひどい課長だよね、って一緒に言って欲しい。顔に書いてある。
「っていうか、課長、俺に厳しくないです?」
「課長はやる気のない相手には厳しいよ。逆に向上心のある人にはそれなりの評価をしているし。公平な人だと思うな。あたしは君が課長に切り捨てられないのが不思議なくらい」
「切り捨て、って……」
「冗談じゃなく、ね。そのくらい冷たいし、厳しい人だとは思ってるよ」
言ったら新人君はちょっとびっくりしたような顔をした。意外そう。
「あの人、ユキさん達には優しいから、人気あるんだと思ってました」
あは、と私は思わず声を出して笑ってしまった。
「確かに、嫌いじゃないよ。でも、それは優しくされてるからだとかじゃなくて、あたしはあたしで、課長を評価してるから。仕事はできるし、きちんと部下の仕事ぶりを評価してくれる良い上司だからね。……前の部の課長なんてひどかったもの。女の子は仕事できないからにこにこしてればいい、って考え方の人で、しかも自分がなんか口答えされたりすると逆切れして、その日からその子をムシしたり、査定で悪い評価をつけたり」
「げげ。そんな人、いんですか?」
「たくさんいるよ。よく聞くよ。でも、うちの課長はしないでしょ? しかも頭の良い人だから仕事の進み具合も良く理解できてるし、意思の疎通も上手くいく。うちの班が働きやすいのは、あの人の力、大きいと思うよ。もっとも、ミサキさんとか、有能な人が揃ってるって言うのも、あると思うけど。君は、すごく恵まれたトコに配属されてるんだよ?」
言ってみたら、ちょっと嫌そうに顔をしかめられた。口をへの字にして。認めたくない、って顔。
「でも、俺に関して言えば、課長に嫌われてる時点で居心地良くないんですけど」
それは、だから、君の勤務態度のせいでしょ? って言っても今は無駄だろうな、って思うからもう言わないでおく。今はとにかく怒られた直後で、「課長憎し」が先に来ちゃってるようだから。
代わりに前々から思ってた事を言う。
「でも、あたし、課長は君の事、自分でもおっしゃってる通り、本当に期待してると思うな。君が好かれてるとは思わないけど、期待はかけてると思う。だから、もどかしいんだと思うんだよね。早く君が使い物になるようになって欲しくて、ついつい色々仕事押し付けちゃう、みたいな」
確かに、課長と新人君は相性が悪いだろう。それはもう、性格的な問題だからしょうがないけれど。だけど、課長は性格が合わないとか、いけ好かない、とかいう私情を仕事に挟む程子供は人ではないし。でも、前々から見ていて確かに、新人君には結構ヘヴィーな仕事をどさっと押し付けたり、結構レベルの高い要求をしていたりするように見えた。ミサキさんが影でこっそりとフォローしなきゃとても追いつかないくらいの。
実際、彼が遅刻が多いのだって、日々の仕事のハードさと、新人にはありえないくらいの詰め込みすぎアンド、残業の多さのせいもあるのではないかと思うんだけど。だからこそ、ミサキさんだってあまり大袈裟に咎めないし、他の部員もまあ、しょうがないかな、みたいな顔で見てる。ただ、課長だけは違う。そんな例外を認めないくらいに厳しい。
「言ってみれば、愛なんじゃない?」
言ってみただけなのに、新人君はほんとうに嫌ーな顔をした。
「そんな顔しないでよ。正直だなあ」
「いやあまりにも気色悪くて思わず」
「仮にも上司に向かってそういう言い方しないの」
どこまで嫌っているんだ、と半ば呆れた気分になる。
「やっぱユキさんもどっか、課長の肩持ちますよねー」
恨めしげに新人君はわざとらしくいじけたような声を出す。
「仕事できる人の方が魅力的に見えるしね」
「仕事できる、って。あの人、なんか上層部の弱味握って課長になったって噂ですよ?」
「どっから聞いたの。そんなん」
「色々聞こえてきます。噂多いですね、うちの課長」
私は大きなタメイキをつく。全く、視野の狭い暇人たちが新人までも巻き込んだか。どうせ毎夜どこかで開催されているくだらない飲み会で酔いに任せて吐き出された噂話だろう。そういうのを片っ端から鵜呑みにしてるんだから、本当、世間知らずの若輩者だわ。
「人を噂でしか判断できないような人間になっちゃ駄目だよ? カスガ君。うちの会社、噂話ハンパないから。悪意のある噂だってあるし、故意に流された噂だってある。それで判断してると、相手の本質を見失うよ」
これは、結構本気の忠告。私も新入社員だった頃、なんどもそれで色々なものを見失いそうになった。噂の陰がちらついて。相手のことが真っ直ぐに見れなくなった。後悔してる事だって、あるし。
「あたし、事実無根なのにミヤハラ主任と不倫してるって噂流されたことあるし」
と言ったら、新人君はぶ、っと飲みかけていたお茶を吹き出した。
驚いてやんの、と思ったのもつかの間。
「あの噂、嘘なんですか!?」
って信じてたのかい! それに、まだ流れてたの、その噂。
私は身を乗り出して目の前の男の子の長身の頭をぽかりと殴る。
「見損なうなっつーの」




