第96話:機械世界との次元水道サブスク締結と、コレットの涙
大宴会が夜更けに向かい、広場に心地よい満足感が漂う中、スチーム・シティの暫定首長となったコレット、職人連合の代表を務める長老技師たち、そしてアッシュとエレナが、工房の真鍮円卓を囲んでいた。
テーブルの上には、エレナが細密なエッチング加工で条文を刻み込んだ、重厚な真鍮プレート製の公式条約文書が静かに置かれている。
アッシュは作業服の袖をまくり、職人としての真剣な眼差しで面々を見渡した。
「腹も膨れたところで、本題に入ろう。地上・天界・冥界に続く第四の協定――【多元宇宙水利協定・機械世界サブスクリプション条約】の締結だ」
アッシュが配管図面をトントンと指先で叩きながら、条約の骨子を明快に説明する。
「内容は至ってシンプルだ。第一に、俺たち『神聖浄化水道局』が、地底三万二千メートルの超臨界水脈から汲み上げた無尽蔵の神聖純水を、スチーム・シティ全域のすべての家庭、工場、公共施設へ向けて、二十四時間三百六十五日、安定した水圧で供給し続ける。断水も水質悪化も一切なしだ。
そして第二に……その利用対価として、この世界が誇る『超高精度魔導歯車』と『純度九十九・九九パーセントの純真鍮インゴット』を、各戸の蛇口に取り付けた【超次元スマート・バルブ】を通じて、俺の口座へ毎秒自動決済で納めてもらう。これでどうだ?」
「どうかも何も……! そんなの、私たちにとって都合が良すぎます……!」
コレットが震える両手で真鍮の羽ペンを握りしめ、涙ぐんだ瞳でアッシュを見つめ返した。
「今まで私たちは、コップ一杯の泥水のために命を削って働き、メガ・バロン重工に金貨百枚を巻き上げられていました。……蛇口を捻るだけで清らかなお水が好きなだけ使えるなんて、どれほどの真鍮や歯車を差し出しても足りないくらいです! 街中の職人たちも、みんな『神聖水道のためなら、俺たちの魂を込めて削った歯車をいくらでも納める!』って、泣いて喜んでいるんですから!」
その言葉を裏付けるように、職人連合の長老技師が進み出た。
その腕には、深紅のビロード布に包まれた、頑丈な黒鉄の特製ケースが抱えられている。
「アッシュ殿。これは先代首長……コレットちゃんの父上エジソン殿が生前、腕利きの技師たちとともに数百年の技術を注ぎ込んで削り出した、我が世界の最高傑作――『超古代真鍮合金製・多次元万能配管レンチ』です。グレゴリーの略奪から隠し通し、いつかこの街のギガ・ボイラーを直してくれる真の配管工が現れた時に渡そうと、仲間たちと守り抜いてきた至宝です。どうか、あなたの神技への敬意として受け取っていただきたい!」
開かれたケースの中に横たわっていたのは、精密な多重遊星歯車が組み込まれ、チタン真鍮の積層装甲で鍛え上げられた、鈍い黄金の光を放つ一本の美しいレンチであった。
アッシュがそれを手に取ると、驚くほど手に馴染み、あらゆる口径のバルブや配管に合わせて瞬時にトルクを最適化する神秘的な魔導機構が息づいているのが分かった。
「……素晴らしい造りだ。寸分の狂いもない。ありがたく使わせてもらうよ、親方」
「おお……! 気に入っていただけて光栄です!」
アッシュがレンチを握りしめると、周囲で見守っていた職人たちから、地鳴りのような拍手と歓声が沸き起こった。
カチリ。
コレットと市民代表たちが、深い感謝と誓いを込めて真鍮プレートに署名を刻み込んだ。
その瞬間――世界樹へと繋がる次元ワームホール送水幹線と、都市全域の地下に張り巡らされた配管網が一斉に蒼白く脈動し始めた!
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……シュオオオオオオオオッッ!!
中央巨大バルブの開放とともに、地底から汲み上げられた清らかな水がスチーム・シティの動脈を一気に駆け抜ける。
広場の巨大噴水から、大通りの給水塔から、住宅街の小さな蛇口から、勢いよく澄み渡るクリスタルブルーの純水が夜空へ向けて吹き上がった!
長年サビと重油で詰まり果てていた真鍮パイプが清らかな水流によって息を吹き返し、街全体が巨大な水上庭園都市のように潤っていく。夜風に乗って水飛沫が舞い散り、月明かりを浴びて無数の虹を架け橋のように架けていた。
そして――アクア・エクスプレスの機関室に鎮座する、アッシュの多次元魔導大金庫が凄まじい音を立て始めた。
ガッチャン! カチカチカチカチカチッ!!
ジャラララララララララッ! ドサササササササササッ!!!!
「ひゃあぁぁっ!? アッシュ、今度は歯車と金属の地滑りですわぁぁっ!!」
エレナが裾をまくって飛び退いた。
天界の神力結晶、地上の白金貨、冥界の魂魄魔石に加えて――機械世界ギア・アルカディアの全戸から、職人たちが削り出したミクロン単位の細密時計歯車と、眩い黄金色に輝く純真鍮インゴットが、毎秒滝のような勢いで金庫へ雪崩れ込んできたのだ!
頑丈な耐熱防爆扉が内側から押し出されてギチギチと軋み、溢れ出た歯車の山にシロガネとクロが歓声を上げてダイブする。シロガネは小さな金の歯車を口にくわえて得意げに跳ね回り、クロの三つの頭は転がるインゴットを鼻先で器用に積み上げて遊んでいた。
「アッシュさん、本当に……本当にありがとうございました……!」
通水式を見届けたコレットが、アッシュの胸に飛び込んでぎゅっと抱きついた。
その頬には、安堵と希望に満ちた涙がとめどなく流れている。
アッシュはぶっきらぼうながらも温かい手つきでコレットの頭を撫でてやり、静かに告げた。
「礼を言うのは俺の方だ。素晴らしい工具と、最高の歯車をもらった。……もう水に怯える必要はない。飯をしっかり食って、親父さんの夢だった綺麗な街を、お前たちの手で育てていけ」
「はいっっ! 私、絶対にお父さんの工房を立て直して、みんなが笑顔で暮らせる街にします! ……また、温泉に入りに来てくださいね!」
「ああ、必ずな。パイプの点検ついでに寄らせてもらう」
二人は固い握手を交わし、砂漠の夜空に新たな時代の幕開けを告げる鐘の音が響き渡った。




