第83話:赤茶けた砂嵐と、錆びついた巨大要塞都市
ゴオオオオオオオオオオオオッッッ!!
次元ワームホールのサファイアブルーの光のトンネルを突き抜けた瞬間、【アクア・エクスプレス】の船体を襲ったのは、厚さ十センチの耐圧ガラス窓を激しく削り取るような赤茶けた猛烈な砂嵐と、肌を突き刺すような猛暑の熱波であった。
バチバチバチッ! と窓ガラスに無数の硬質砂粒と鉄粉が激突し、乾いた甲高い打撃音を立てる。
「うわっ……! 視界が完全にゼロだ! 外気温計が狂ったように跳ね上がってやがるぞ! 摂氏五十五度を超えた!!」
ガンツが操縦席の計器を太い指で叩きながら叫んだ。
オリハルコン製の特殊ワイパーが激しく砂煙を払うが、窓の外に広がるのは、見渡す限り地平線の果てまで赤茶色の砂丘が波打ち、熱気で空間そのものがグニャリと歪む灼熱の荒野であった。
空を見上げても、青空などどこにもない。
低くどんよりと垂れ込める重油のスモッグが太陽光を鈍い赤銅色に変色させ、地表には絶え間なく微細な酸化鉄を含んだ熱風が吹き荒れている。
大気中には微細な酸化鉄の粉塵が充満し、船体の吸気フィルターが早くもチリチリと微小な目詰まりの警報を発していた。
だが、アッシュがコンソールに手をかざし、神聖浄化フィルターの魔力波を一瞬流し込むと、フィルターに詰まりかけた鉄粉は瞬時に分解・無害化され、船内には清涼な空気が保たれる。
そして――荒れ狂う砂嵐のカーテンの向こうから、巨大な怪物の黒鉄の骨組みのような影が、ギチギチと大地を揺るがす軋み音とともに姿を現した。
「あれが……私の生まれ育った街、首都『スチーム・シティ』です……!」
コレットが操縦席のコンソールから身を乗り出し、悲痛な声で指差した。
そこにそびえ立っていたのは、何十万枚もの錆びついた真鍮プレートと巨大リベットによって継ぎ接ぎされた、直径数十キロメートルにも及ぶ超巨大な要塞都市であった。
天を衝くように林立する何千本もの黒鉄の排気煙突からは、昼夜を問わず有毒な煤煙が吐き出され、都市の外壁には、直径数百メートルを超える真鍮の巨大歯車群が、油の切れた悲鳴を上げながら重々しく噛み合って回転している。
都市の構造は、大きく三つの階層に分かれていた。
最上層には、巨大な反重力真鍮リングに支えられた特権階級の空中庭園都市。そこにはわずかな浄化水が贅沢に噴水として流され、メガ・バロン重工の重役たちが優雅に暮らしているという。
中層には、無数の蒸気ピストンと軍事工場が密集する工業区画。
そして最下層――砂嵐の吹き溜まりとなった底には、錆びたトタンと真鍮屑で組まれたスラム街が、蟻の巣のように広がっていた。
蒸気機関と歯車機構が極限まで発達した、スチームパンクの超巨大機械文明。
だが――その都市からは、かつて人類が夢見た機械の輝きは微塵も感じられなかった。
そこにあるのは、乾きと摩耗と、死を待つだけの機械たちの喘ぎ声だけであった。
「……酷い臭いだな。空気が完全に死んでいる」
アッシュが船外吸気口のエアフィルターの数値を読み取りながら、険しい顔で眉をひそめた。
大気中に充満しているのは、不完全燃焼を起こした重油のタール臭、限界を超えた摩擦熱で焦げ付いた鉱物潤滑油の刺激臭、そして砂塵と鉄錆の生臭さ。
生命の根源である「みずみずしい水の匂い」が、この都市の空気からは分子一つ残らず消滅していた。
アクア・エクスプレスは、コレットの細やかな操縦指示に従い、都市の下層――かつては巨大な下水放流口であったが、今は干上がってゴミ溜めと化した排気溝の陰へと静かに着陸した。
船体から繰り出された直径二メートルのオリハルコン製ワームホール送水幹線が、世界樹の根元とこの砂漠世界をガッチリと結び留めている。
プシューッと減圧音を立ててエアロックが開き、アッシュたちが足元を踏み出した瞬間、貧民街の路地裏に広がっていた光景を目にして、エレナが思わず言葉を失って立ちすくんだ。
「これは……あまりにも、あまりにも残酷ですわ……!」
薄暗いスモッグの下、油まみれの鉄板の庇の陰に群がっていたのは、ボロボロの耐熱麻布を被り、やせ細った体で力なくうずくまる何万人もの市民たちであった。
老人も、屈強な若者も、幼い子供たちまでもが、手足のいずれかを真鍮やブリキの機械義肢へと置き換えている。
関節の油が切れているのか、誰かが身動きをするたびに、キィキィ、ギギギと耳障りな金属摩擦音が路地裏に虚しく反響していた。
彼らの虚ろな瞳が見つめているのは、路地の要所に設置された頑丈な鋳鉄製の公共給水柱。
だが――その給水柱のメインバルブには、メガ・バロン重工の不吉な歯車社章が刻まれた【巨大な電磁ダイヤル錠】が何重にも巻き付けられ、厳重にロックされていた。
給水柱の周囲には、防毒ガスマスクを装着し、蒸気圧式の重機関銃を構えた重装甲兵たちが、冷酷な眼差しで市民たちを威嚇している。
「水だ……頼む、水の一滴だけでも分けてくれ……! 娘の体内の蒸気ピストンが焼き付いて、呼吸が止まりそうなんだ……!」
片腕が真鍮の義手になった初老の父親が、熱で赤く腫れ上がった幼い娘を抱きかかえ、給水柱の兵士の足元へすがるように這い寄った。
娘の小さな胸には、真鍮製の小型蒸気ピストンが埋め込まれており、それがカチッカチッと不規則な異音を立てて止まりかけている。体内の循環液が干からび、肺の機能を補助するピストンが焼き付きを起こしかけているのだ。
だが――。
ドカッッッ!!
「失せろ、ドブネズミが! 我が社の給水柱に触れるな!」
重装甲兵の鉄靴が、容赦なく父親の顔面を蹴り飛ばした。
父親は泥土に吹き飛び、抱きかかえられていた幼い娘が力なく転がり落ちる。
「水が欲しければ、今すぐ電子マネーで金貨百枚を支払え! 払えないなら、その娘の胸に埋め込まれている心臓補助ピストンを抜き取って我が社に差し出せ! 貴様ら貧民の肉体など、我が社の蒸気炉のスクラップ部品以上の価値はないのだ!」
兵士たちの下劣な嘲笑が路地に響き渡る。
周囲の市民たちは、恐怖に震えながら顔を伏せ、ただ嵐が過ぎ去るのを待つことしかできない。
乾きと暴力によって、人間としての尊厳すら完全に奪い去られたディストピアの現実。
サッ……。
アッシュは無言のまま、倒れ伏していた父親と少女の元へと歩み寄った。
そして、兵士たちの死角になるように素早くしゃがみ込むと、作業着の懐から自前の水筒を抜き出し、少女のひび割れた唇へとそっと傾けた。
トス、と落ちた数滴の神聖純水。
その瞬間、少女の胸の蒸気ピストンから、プシューッと清らかな純白の蒸気が立ち上り、規則正しく力強い駆動音を取り戻した。少女の顔にパッと血色が戻り、父親が目を見開いてアッシュを見上げる。
「あ……あぁ……っ!? あんた、これは……!?」
「静かに。……娘さんを連れて、奥へ隠れてな。すぐにこの街の蛇口を、全部開けてやるから」
アッシュの低い囁きに、父親は大粒の涙をポロポロとこぼしながら、何度も、何度も無言で頭を下げ、娘を抱きしめて路地の奥へと姿を消した。
その一部始終を見守っていた天狼コハクが「グルルルルッ……!」と低く地を這うような怒りの咆哮を漏らし、ケルベロス・クロの三つの頭が一斉に青い眼光を爛々と輝かせた。
不死鳥ルビーの全身から青白い神聖火炎の熱波がチリチリと立ち上り、紫電鹿ライカの角が怒りの放電を爆発させる。海竜サファイアもまた、アッシュの影の中で青い牙をむいて敵を睨み据えていた。
「……ガンツ、エレナ」
「おうよ旦那、言わなくても分かってるぜ! 胸糞悪い連中をぶちのめす準備はいつでもオッケーだ!」
「ええ、アッシュ! こんな非道、絶対に許せませんわ!」
アッシュは静かに作業着の袖をまくり上げ、腰の工具ベルトの大型レンチの感触を確かめると、凍りつくような冷徹な声で呟いた。
「この街の悪徳企業どもに……配管工の正しい『流儀』を、一から叩き込んでやる必要があるな」




