第74話:最深底タルタロスの決壊警報〜目覚めし宇宙の原初ゴミ【カオス・スラッジ】〜
「な、なんじゃぁぁぁぁっ!? この不吉極まりない地鳴りは……!?」
ハイボールのグラスを握ったハデスが、青ざめて立ち上がった。
宮殿のバルコニーから見下ろす冥府の最深底――神々ですら立ち入ることを禁じられた、奈落の牢獄『タルタロス』の古代封印壁から、赤黒い不気味な閃光と黒煙が吹き上がっていた。
『緊急警報! 緊急警報!』
『最深底タルタロスの超重力封印隔壁が、内圧上昇により完全崩壊! 内部に封じられていた超巨大質量体が、ステュクス川を逆流して急浮上中!!』
伝令の死神が、血を吐きながら大広間へ転がり込んできた。
ハデスの顔から血の気が完全に引いた。
「バ、馬鹿な……!? タルタロスの封印が破れたというのか……!? あそこには……あそこには全宇宙の創世以来、天界・地上・冥界のすべての知的生命体が無意識に捨て続けてきた、最悪の原初廃棄物が眠っているのだぞ……!!」
「原初廃棄物……?」
アッシュが作業着の襟を正して問いかける。
ハデスは震える声で語った。
「その名は……【混沌の汚濁神カオス・スラッジ】。数十億年前、神々が世界を創造した際に切り捨てた『未分化の魔毒と悪意の残滓』じゃ。全宇宙のあらゆる毒素、ヘドロ、歴史の澱みが凝縮し、自我を持った破滅の流体生命体……! 触れたものすべての物理法則を腐食させ、無へと還元してしまう絶対悪……!」
ズズズズズズズズズ……ッ!!
ドズドズドズドズドズッッッ!!
ハデスの言葉を裏付けるように、地平線の彼方から、天を覆い尽くすほどの黒紫色のヘドロ大津波が迫ってきた。
その全長、実に数キロメートル。
何億もの怨霊の顔が泡となって浮かんでは消え、空間そのものをドロドロに溶かしながら這い進む、超巨大な泥の怪物。
それが、澄み切ったばかりのステュクス川を逆流し、世界樹の根を伝って、地上と天界をも永遠の汚泥の底へと沈めようと猛烈な勢いで迫ってきていたのだ!
「お、終いじゃ……! カオス・スラッジが溢れ出せば、冥界はおろか、地上も天界もすべてが永遠のドブ泥の海に沈んで消滅する……!!」
ハデスが頭を抱えて膝をついた。
だが――その絶望の嵐の中、作業用ブーツをカチャリと鳴らして前に出た男がいた。
アッシュ・ウォーカーである。
「諦めるのはまだ早いぞ、ハデス」
「アッシュ殿……!? し、しかし、相手は神話の神々すら呑み込む原初のゴミ溜まりなのじゃぞ!?」
「ゴミ溜まりだからこそ、俺の仕事だ」
アッシュは工具ベルトのラチェットレンチを抜き、不敵に口角を吊り上げた。
「天界から地上、そしてこの冥界まで……何のためにパイプを繋いできたと思ってる? ……エレナ、ガンツ! 全通信回線を開放しろ! 宇宙史上最大の【三界同期流体オペレーション】を仕掛けるぞ!!」




