第60話:全宇宙の元栓を握る水神、今日も気ままに仲間と乾杯を
天空パイプラインの全面開通から、数日が過ぎた。
天界の全神殿に整備されたスマート・バルブは順調に稼働し、神力サブスクリプションの自動決済システムも完璧に軌道に乗った。
すべての激務と大工事を終えたアッシュが今いるのは――天上界で最も高い場所、世界樹の最頂部に新設された【雲上インフィニティ展望露天風呂】であった。
――ザアァァァァァ……。
湯船の縁から、透き通った琥珀色の神聖炭酸温泉が、果てしない雲海へと惜しげもなく流れ落ちていく。
視界を遮るものは何もない。
見上げれば、宝石を散りばめたような満天の星空と柔らかな月光。
見下ろせば、黄金色に輝く雲海と、その遥か彼方に広がる穏やかな地上の大陸。
湯気と共に立ち上るほのかな硫黄とヒノキの香りが、全身の毛穴という毛穴を優しく解き放っていく。
「ふううううううぅぅぅぅぅぅぅ……っ!!」
アッシュは肩まで湯に浸かり、魂の底から至福の長いため息を吐き出した。
「たまらん……! やっぱり、苦労して引いたパイプの先で入る一番風呂は、宇宙一の極上だな……!」
湯船の中には、アッシュだけではなかった。
アッシュの膝の上には、子犬サイズの白銀狼コハクが前足を縁に乗せて「ふひゃ〜」と脱力しきった顔で浮かんでいる。
その隣では、子鹿姿の紫電鹿ライカが、小さな紫水晶の角に湯をかけられて「くふぅ……」と心地よさそうに目を細めていた。
湯船の縁には緋色の不死鳥ルビーが器用に止まり、お湯をパシャパシャと羽に浴びて毛づくろいをしている。
そして深みのある浴槽の底からは、手のひらサイズの海竜サファイアが「ぷくぷく」と泡を出しながらアッシュの足の指の間をすり抜けて遊んでいた。
世界の四方を守護する四大神獣が、全員揃って完全無防備なモフモフ&癒し生物と化して湯に浸かっているのだ。
「ぷはっ! アッシュ、サウナの準備もバッチリ整ったわよ!」
露天風呂の脇に設置されたヒノキ造りの【雲上魔導サウナ】から、上気した顔のエレナが姿を現した。
湯浴み着を身に纏い、健康的で艶やかな肌をほんのりと桜色に染めている。
エレナの手には、神聖水で冷やしたクラフトビールの樽と、特製の宴会料理が載った大皿が握られていた。
「よし、サウナで限界まで汗を流して、水風呂でバチバチにととのったら……待ちに待った打ち上げ飯だ!」
アッシュは露天風呂から上がり、神聖サウナで一気に発汗。
世界樹の頂上から吹き抜ける冷涼な風と、氷結魔法でキリリと冷やした極上水風呂の交代浴をこなすと――脳内を満たす圧倒的な多幸感と共に、デッキチェアへと身を沈めた。
「ととのったああぁぁぁぁぁ……!!」
視界がクリアになり、全身の感覚が研ぎ澄まされる。
そこへ、エレナが誇らしげな笑顔で料理を並べた。
「アッシュ、今夜の特製メニューよ!
まずは天界特産の【黄金リンゴと神界ハチミツのシナモンバター焼き】!
そして下界の帝都から届いた極上特選牛を使った【霜降りアンガス牛の溶岩石ローストビーフ・特製トリュフ赤ワインソース】!
さらに、最果ての神聖純水で仕込んだ【雲上クラフトエール(黄金ペールエール)】と……神聖果樹園の黄金リンゴを丸ごと搾って低温発酵させた、私特製の【神界黄金クラフトシードル】よ!」
テーブルの上に広がる、視覚と嗅覚を暴力的に刺激する究極の飯テロ空間。
黄金色に泡立つクラフトエールと、グラスの中で繊細な真珠の泡を立ち上らせるシードルを手に取り、アッシュは四大神獣と仲間たちを見渡した。
「みんな、天界のバイパス工事、本当にお疲れ様だった! 乾杯!!」
「「乾杯っっ!!」」
「わふん!」
「ピピィ!」
「キュルルン!」
「ピュルッ!」
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……ぷはあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
「くぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーっっ!! 美味ええええええええっ!!」
冷え切った黄金のエールが、火照った喉をダイレクトに駆け抜けていく。
神聖水仕込みならではの圧倒的な透明感と、華やかなホップの苦味、そして麦芽の濃厚なコク。
すかさずエレナが注いでくれた神界シードルを一口含むと――シュワリと弾ける爽快な炭酸とともに、黄金リンゴの蜜のような甘みと芳醇な酸味が口内いっぱいに駆け抜けた。
「うわ……! エレナ、このシードル、めちゃくちゃ美味いぞ! リンゴの華やかな香りが鼻から抜けて、いくらでも飲めそうだ!」
「ふふ、神聖水で発酵速度を極限までコントロールした私の自信作よ! ローストビーフとも相性抜群なんだから!」
そこにすかさず、分厚く切られたローストビーフを一切れ口に運ぶ。
ジュワリッ……!
噛み締めた瞬間、極上の肉汁と芳醇なトリュフ赤ワインソースが口内いっぱいに爆発した。肉の旨味を噛み締めながら、再びシードルを流し込む。
完全なる天国。至高の調和であった。
「はむっ……! この黄金リンゴのシナモンバター焼きも絶品だわ……! サクサクのパイ生地と、とろける果肉の甘みが、冷たいバニラアイスと絡み合って……昇天してしまいそうだわ……!」
エレナが頬を押さえて身悶えし、ガンツも「ドワーフの野営飯とは次元が違うぜ! 肉汁と酒が止まらん!」とローストビーフを頬張っている。
コハクとライカには、味付け前の特選赤身肉が山盛りに振る舞われ、二匹は尻尾をプロペラのように振り回しながら夢中で平らげていた。
「あらあら、皆様とても楽しそうですわね」
雲海を割って現れたのは、美の女神アフロディアと、軍神バルドルであった。
アフロディアはすっかりアッシュのファンクラブ筆頭のような穏やかな笑顔を浮かべ、バルドルは手土産にと天界の美酒樽を担いでいる。
「アッシュ殿、天上界の神々を代表して、改めて礼を言わせてくれ。各神殿の戦士たちも、あの温泉のおかげで傷が癒え、英気を養っている。貴殿は我ら神界の真の大恩人だ」
「大恩人、なんて大層なもんじゃないよ」
アッシュはビールジョッキを傾けながら、照れくさそうに笑った。
「俺は元々、王都の地下で薄汚れたドブを掃除していただけの男だ。無能だと罵られて追放されて……ただ、誰も来ない静かな場所で、気持ちのいい風呂に入って、美味い飯を食って、仲間たちと笑って暮らしたかった。それだけなんだよ」
「ふふふ……その『ただ気持ちよく暮らしたい』という想いが、最果ての荒野を世界一の温泉リゾートに変え、帝国を屈服させ、太古の災厄を鎮め、ついには天界の神々までをも救ってしまわれたのですわ」
アフロディアが優しく微笑む。
「今や貴方は、全宇宙の水の元栓を握る、生ける神話そのもの。もし貴方がバルブをひとひねりすれば、天界も下界も一日で跪く……世界で最も恐ろしく、そして世界で最も愛されているお方です」
「おいおい、そんな物騒な元栓の使い方はしねえよ」
アッシュは夜空を見上げ、満足そうに目を細めた。
「蛇口を捻れば、清らかな水が出る。
湯船に浸かれば、今日一日の疲れが吹き飛ぶ。
風呂上がりに、美味い飯と酒を仲間と囲む。
それ以上の幸せなんて、この世界のどこにもないんだからな」
コハクがアッシュの膝に顎を乗せ、ライカがそっと体を寄り添わせる。
ルビーが満足げにさえずり、サファイアが穏やかな波紋を広げた。
地上と天界、そのすべてを繋ぐ大水利インフラを築き上げた男は、明日もまた、気ままにモンキーレンチを手に取り、仲間たちと共に最高の温泉日和を迎えるのだろう。
元下水掃除人のスローライフ温泉奇譚――ここに、堂々たる神話の完成を見るのであった。
(第4章 天上界渇水パニックと天空パイプライン編 完)
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