第6話:神聖水で炊き上げる黄金米と、泥まみれの瀕死モフモフ〜白銀の神獣フェンリル〜
帝都が狂乱のパニックに包まれていることなど露知らず。
最果ての荒野に開通した奇跡の泉のほとりで、アッシュは至福の昼食の準備を進めていた。
「よし、火加減はこのくらいだな」
アッシュは小枝を集めて小さな竈を作り、使い古した鉄鍋を火にかけていた。
鍋の中に入っているのは、道中の村で買っておいた一握りの粗末な玄米と、先ほど湧き出たばかりの【神聖水】だ。
コトコトと心地よい音が響き、やがて鍋の隙間から立ち上ってきた湯気に、アッシュは思わず喉を鳴らした。
「……すさまじい香りだな」
ただの安物の米のはずだった。
しかし、神聖水のエーテルを吸い込んで炊き上げられた米は、まるで炊き立ての甘酒のように芳醇で、香ばしい甘みが荒野の風に乗ってどこまでも広がっていく。
蓋を開けると――眩いばかりの光が溢れ出した。
一粒一粒が真珠のように白く輝き、黄金色のツヤをまとった極上の銀シャリ。
傍らの焚き火では、荒野の岩陰を流れる清流で見つけた川魚が、香ばしい塩焼きとなってパチパチと脂を弾かせている。
「いただきます」
木のスプーンで熱々の米を一口、口に運ぶ。
ハフハフと息を吹きながら噛み締めた瞬間、濃厚な甘みと旨味が爆発した。
「んんんっ……!! 美味い……! 美味すぎる!」
噛めば噛むほど溢れ出る芳醇な米の甘み。
神聖水が米の芯まで浸透し、デンプンを極限まで分解して極上の旨味へと昇華させているのだ。
香ばしく焼き上がった川魚の塩気と、ふっくら炊き上がった白米の相性はもはや神の領域。
粗末な保存食の干し肉を神聖水で煮込んだだけのスープも、高級貴族レストランのコンソメを遥かに凌駕する奥深いコクを生み出していた。
「十年間の地下牢生活が嘘みたいだ……。これだけでも、ここに来た価値があったな」
至福の溜息を吐きながら最後の一粒まで平らげた、その時だった。
ガサリ……。
「……ん?」
岩陰から、微かな物音が聞こえた。
アッシュがサバイバルナイフに手をかけながら視線を向けると、そこには――泥まみれの小さな毛玉が、足をもつれさせながら倒れ込んできた。
「くぅぅ……ん……」
大型犬ほどの大きさの四足獣だった。
しかしその体は、帝都の上流から流れてきたと思われる猛毒のヘドロにまみれ、美しいはずの毛並みはドス黒く焼け爛れていた。
呼吸は浅く、紫色の毒素が血管を通じて全身を巡り、今にも心臓が止まりそうな瀕死の状態だ。
「これは……帝都の排水に巻き込まれたのか」
アッシュはすぐにナイフを納め、駆け寄った。
獣は警戒して微かに牙を剥こうとしたが、力尽きてグッタリと首を垂れる。
「大丈夫だ、何もしないよ。……よくここまで耐えて逃げてきたな」
アッシュは木桶にたっぷりと汲みたての【神聖水】を満たすと、両手で優しく獣の背中に注ぎかけた。
「――《真理の濾過》」
淡い青の光が、獣の全身を包み込む。
ジュウウウッ……! と音を立てて、こびりついていた猛毒ヘドロが蒸発していく。
体内に巡っていた毒素が毛穴から黒い煙となって抜け落ち、爛れていた皮膚が一瞬で滑らかな桃色へと再生していった。
そして、汚れがすべて洗い流された時――。
「……え?」
アッシュは目を見張った。
現れたのは、ただの犬ではなかった。
太陽の光を浴びてキラキラとダイヤモンドダストのように輝く、純白と白銀の極上モフモフ毛並み。
頭部には琥珀のように澄んだ二本の小さな角。
そして、その瞳は吸い込まれそうなほど深い金色を湛えていた。
「わふ……?」
獣がゆっくりと目を開けた。
全身の痛みが完全に消え去ったことに気づくと、不思議そうに自分の前足を見つめ、それから目の前のアッシュをじっと見上げる。
【個体識別:白銀の天狼(シルヴァ・フェンリル・幼体)】
【危険度:測定不能(成長時は単体で小国を滅ぼす神域の守護獣)】
「……フェンリルの、子供か」
アッシュが苦笑していると、子フェンリルはおずおずと鼻先をアッシュの膝に擦り寄せてきた。
クンクンと匂いを嗅いだ後――。
「わふっ! くぅ〜ん!」
嬉しそうに尻尾をブンブンとプロペラのように振り回し、アッシュの胸元へと飛び込んできた!
顔中をペロペロと舐め回し、極上のモフモフの頭を全力で擦り付けて甘えてくる。
「わ、わかった、くすぐったい! はは、元気になってよかったな」
アッシュが顎の下を撫でてやると、フェンリルは気持ちよさそうに喉をゴロゴロと鳴らした。
その瞳が、アッシュの鍋の底に残っていた少しの肉片をじっと見つめる。
「腹が減ってるのか? よし、お前にもご馳走を作ってやる」
アッシュが神聖水で煮込んだ干し肉を手のひらに乗せて差し出すと、フェンリルは目を輝かせて夢中でハフハフと平らげた。
食べ終わると、満足そうにアッシュの足元に丸くなり、スヤスヤと寝息を立て始める。
「琥珀色の目をしてるから……お前の名前は『コハク』だな」
アッシュが優しくその白銀の毛並みを撫でると、コハクは寝言のように「ふにゃ……」と小さく鳴いて、アッシュの足首にぎゅっと抱きついた。
最果ての荒野に、初めての家族ができた瞬間であった。




