第5話:水が出ない、飯が炊けない、風呂にも入れない〜帝都、半日で衛生壊滅パニック〜
その頃、大帝国アルカディアの帝都は、文字通り『この世の終わり』を迎えていた。
「水をくれ! 頼む、一口でいいから綺麗な水を恵んでくれえええっ!」
「うちの子供が高熱を出しているんだ! 泥水しか出ないなんて嘘だと言ってくれ!」
「おい、中央水利庁の役人を出せ! どうして蛇口から毒のヘドロしか出てこないんだよ!!」
帝都中央広場に聳え立つ中央水利環境庁の庁舎前には、数万人の市民や下級貴族が押し寄せ、怒号と悲鳴が渦巻いていた。
門を固める衛兵たちも、全身に生卵や汚泥を投げつけられ、顔面蒼白で盾を構えている。
帝都全域の上水道パイプラインは、アッシュが抜いた『浄化の大栓』の反動により、逆流した魔毒ヘドロで完全に目詰まり・破裂を起こしていた。
蛇口を捻れば真っ黒な汚泥が噴き出し、井戸水すらも地脈を通じて汚染され、飲むことすらできない。
水がないということは、生活のすべてが停止することを意味していた。
パン屋は生地を捏ねる水がなく全滅。
食堂も酒場も煮炊きができず営業停止。
病院では傷口を洗う水すらなく、阿鼻叫喚の地獄と化している。
そして何より――帝都の百万人全員が、風呂にも入れず、トイレも流せず、街全体が耐え難い悪臭に包まれていた。
庁舎の最上階、長官室。
「ヒッ、ヒイィィィッ! 誰か、誰かあの暴徒どもを追い払え! 軍を出して皆殺しにしろ!!」
バルトロメオ伯爵は、窓の外の怒号に怯え、机の下に潜り込んでガタガタと震えていた。
その姿はあまりにも無惨だった。
昨朝浴びた魔毒ヘドロのせいで、自慢の金髪はゴワゴワのドブ色に変色し、皮膚のあちこちが爛れて包帯まみれ。
何より、体を洗う水がないため、高級香水を一本丸ごと体に振りかけているのだが、その香水の匂いとヘドロの腐敗臭が混ざり合い、部屋中が「腐った薔薇の花壇にブタの死骸を放置したような」殺人的な激臭で満たされていた。
バァァン! と扉が開き、同じく包帯まみれの勇者レオンが飛び込んできた。
「伯爵! 宮廷魔術師団の連中は何をしている!? 早く水魔法で帝都中に綺麗な水を供給させろ!」
「そ、それが……!」
青ざめた副官がおずおずと報告書を差し出した。
「宮廷魔術師団総勢五百名を集め、朝から不眠不休で上級水魔法を詠唱させ続けたのですが……」
「結果はどうなった!?」
「……帝都の人口百万人の生活用水には、バケツ一杯の水滴にすら届かず……魔術師の八割が魔力枯渇で吐血し、過労で卒倒。残り二割も『二度と水魔法なんか撃ちたくない』と逃亡いたしました……!」
「な、なんだとぉぉぉぉっ!?」
レオンが絶叫した。
水魔法で出せる水など、せいぜい個人の飲用か戦闘用の一時的なものに過ぎない。
百万人分の煮炊き、洗濯、風呂、下水洗浄を賄うだけの膨大な水量を、魔術師の魔力だけで供給できるはずがなかったのだ。
「バカな……! では、あの古代水利環の浄化機構はどうなっているんだ!? なぜ動かない!?」
「そ、それにつきましても調査団を派遣したのですが……」
副官は怯えながら、さらに恐ろしい真実を告げた。
「水槽の底にあったはずの『青白い六角柱』が、跡形もなく消え去っておりました。……どうやらあれは、古代遺物などではなく……昨日追放されたアッシュが、自作して設置していた魔導具だったようでして……」
「「…………は?」」
バルトロメオとレオンの思考が、同時に凍りついた。
「じ、自作……? あのドブネズミが……?」
「はい。水利庁の過去十年の記録を洗い直したところ、帝都に流れ込む数百億トンの魔毒排水は、すべてアッシュ一人の固有スキルによって無害化されていたことが判明いたしました。……彼が抜いたあの栓こそが、帝都を支えていた唯一の心臓部だったのです……!」
「そ、そんな馬鹿なことがあってたまるかあああああっ!!」
バルトロメオが頭を抱えて絶叫した。
「ただの雑用係だぞ!? 魔法も使えない平民のドブ掃除だったはずだ! それが、帝都の命綱を握っていたなどと……!」
「ど、どうするんだ伯爵!?」レオンが青ざめて詰め寄る。「皇帝陛下も今朝、泥水を飲んで激しい下痢で寝込まれたそうだぞ! このままじゃ僕たち二人とも、反逆罪で処刑台送りだ!!」
「アッシュだ……! アッシュを探せえええええっ!」
バルトロメオは唾を撒き散らしながら絶叫した。
「帝国の全兵力を投入しろ! どんな手を使っても構わん、あの男を見つけ出し、今すぐここへ連れ戻すのだぁぁぁぁぁっ!!」




