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第58話:天上界の全神殿に【魔導スマート・バルブ】設置完了〜神界水道サブスクの開始〜

紫電の神鹿ライカが完全に元気を取り戻し、雷雲のアース接地バイパス工事が完了したことで、天上界の空気は劇的な一変を遂げていた。

 天を劈くような耳障りなプラズマ放電音は完全に消え去り、澄み渡る蒼穹からは、柔らかく暖かな陽光が世界樹の巨木を照らし出している。

 そして何より――。

 ライカの生み出す純粋な生体雷電エネルギーが、アッシュの敷設した天空バイパスパイプラインの『超高圧魔導ブースターポンプ』へと直接供給されるようになったのだ。


「ゴオオオオオオオオッ……!」


 地上の最果てのオアシスから汲み上げられた純度一〇〇%の奇跡の温泉と清冽な神聖水が、淀みなく、脈打つ心臓の血潮のように天界全域へと送り届けられる準備が整ったのである。

 だが、現場の最高責任者である元下水掃除人アッシュは、作業着の袖をまくり上げ、モンキーレンチを肩に担ぎながら、冷徹なインフラ技術者の顔をしていた。


「よし……基幹の送水幹線パイプラインは通った。だが、本当の工事はここからだぞ」

「わふっ?」

「ピュルッ?」


 アッシュの足元で、子犬姿の白銀狼コハクと、子鹿姿の神鹿ライカが、揃って小首を傾げた。

 横では不死鳥ルビーがアッシュの肩にちょこんと留まり、水たまりからミニサイズの海竜サファイアが「きゅるん」と顔を覗かせている。

 四大神獣がアッシュの周りで仲良くじゃれ合っている光景は、もはや天界の住人たちにとって見慣れた、しかし尊すぎて拝み倒したくなる日常となりつつあった。


「アッシュ、本当の工事、とは……? すでに水は天界の貯水塔まで届いているけれど……」


 傍らに控えるエレナが、不思議そうに紫の瞳を瞬かせながら問いかける。

 アッシュは首を横に振った。


「エレナ、水道ってのはな、ただ水を流せば終わりじゃないんだ。各家庭――いや、この天界で言えば【各神殿や宮殿】ごとの蛇口まで安全に分配し、適正な水圧を保ち、誰がどれだけの水を使ったかをミリ単位で正確に計量・管理できなきゃ、インフラとは呼べない」

「計量……管理、なの?」

「そうだ。水は無限に湧く魔法のオモチャじゃない。パイプの摩擦損失、バルブのパッキン摩耗、逆流防止弁の定期点検、フィルターの逆洗浄……これら全てに莫大な維持管理コスト(メンテナンス費用)がかかる。タダで垂れ流しにさせたら、あっという間に設備がパンクして、また元の汚水地獄に逆戻りだ」


 アッシュが背後の作業台を指し示す。

 そこには、ミスリルとオリハルコンを精密に削り出し、最果ての魔導回路を組み込んだ、手のひらサイズの美しい青銀色の器具が、何百個と整然と並べられていた。


「これが俺の特製――【遠隔制御型・魔導スマート・バルブ】並びに【神力流量メーター(神界水道メーター)】だ」

「す、スマート・バルブ……!」

「ああ。各神殿の引き込み管にコイツを取り付ける。ダイヤルを回せば必要な水圧がミリバール単位で自動調整され、蛇口を閉めればウォーターハンマー現象をゼロにするショックアブソーバーが作動する。そして中央には――水が通過するたびに回転する、微細な魔導インペラが仕込んである」


 アッシュは不敵に口角を上げた。


「そう、天界だろうが神々だろうが、例外はない。『使った分だけ、きっちり利用料を徴収する』。それがインフラの絶対原則だ!」


 ◆


 その一時間後。

 天上界の中心に聳え立つ最高神殿『万神殿(パンテオン)』の円卓の間に、錚々たる顔ぶれの神々が集結していた。

 かつて地上の下水掃除人を「下等な泥すすり」と侮っていた天界の主神級たちが、今は全員、喉をカラカラに渇かせ、脂汗を垂らしながら、円卓の上座に腰掛ける作業着姿のアッシュを固唾を呑んで見つめていた。


「え、ええと……アッシュ殿……?」


 恐る恐る口を開いたのは、豊穣と農耕を司る筋骨隆々の農耕神サトゥルヌスであった。

 その豊満なヒゲは乾燥でバサバサになり、愛用の鍬を持つ手は震えている。


「下界から素晴らしい水が上がってきたと聞き及んだのだが……我らの神殿の蛇口からは、未だに一滴の水も出てこぬ。一体どういうことなのだ……? 我が神聖果樹園の黄金リンゴが、水不足で萎れてしまう……!」

「そうだ! 我が鍛冶神殿の灼熱炉も、冷却水がなければ爆発してしまうぞ!」


 鍛冶の神ウルカヌスも悲鳴のような声を上げる。

 神々は誰もが、今すぐにでも蛇口からほとばしる極上の水を浴びたいと渇望していた。

 だが、アッシュは動じず、羊皮紙の束をバンッと円卓の上に叩きつけた。


「騒ぐな。水はすでに全神殿の直前まで来ている。だが、バルブを開ける前に――全員、この【天上界水道利用規約・神界サブスクリプション契約書】に署名・捺印してもらおう」

「「「サ、サブスクリプション……!?」」」


 神々が目を白黒させる。

 アッシュの隣に控えていた美の女神アフロディアが、艶やかなドレスの裾を揺らしながら、淑やかに契約書の内容を読み上げた。


「皆様、よくお聞きなさいませ。これまで皆様は、天界の水を『湧いて当たり前、使って当たり前のタダ水』と思い込み、無駄遣いを極めておいででした。その結果が、あのヘドロ逆流と断水パニックですわ。アッシュ様が命懸けで敷設されたこの天空パイプラインを利用するにあたり、天界の全神殿は、アッシュ様が提示する規約に従う義務がございます!」

「な、なにを……! 我らは神だぞ!? 人間ごときに利用料を払えと言うのか!?」


 知恵の神トトが気色ばんで叫んだ。

 だが、その瞬間――。


「ガアアアアッ……!!」


 アッシュの足元から、白銀の神狼コハクが巨獣化の片鱗を見せる威嚇の唸り声を上げた。

 さらに、不死鳥ルビーが紅蓮の神火を羽から散らし、海竜サファイアが絶対零度の冷気を噴き上げ、神鹿ライカが紫電の角をギラリと光らせる。

 四大神獣が同時に放つ神威のプレッシャーに、知恵の神は「ヒィッ!」と悲鳴を上げて尻餅をついた。


「文句があるなら、水は一滴もやらん」


 アッシュは静かに、しかし絶対的な声で言い放った。


「いいか? パイプラインの保守、神獣たちの健康管理とブラッシング、フィルターの清掃。これらにはすべてエネルギーが必要だ。タダで奉仕するお人好しは、下界にも天界にも存在しない。お前たちが払うべき対価は、金貨でも宝石でもない。神々の余剰エネルギー――【神力(ディバイン・パワー)】だ」

「神力を……!?」


 軍神バルドルが身を乗り出した。包帯を巻いた精悍な顔に、深い感嘆の色が浮かぶ。


「アッシュ殿……具体的には、どういう仕組みなのだ?」

「簡単だ。各神殿の蛇口に俺が取り付けた【魔導スマート・バルブ】は、水が流れると同時に、使用者の体内から『活動に支障のない極微量の余剰神力』を自動的に抽出し、神力結晶(ディバイン・コイン)として計量・決済する。従量課金制だ。使えば使うほど、少しずつ神力がアッシュの管理金庫に引き落とされる。無駄遣いをやめれば、神力も減らない」


 アッシュは円卓の神々を見渡した。


「プランは三つ用意した」

「プ、プランだと……!?」

「ああ。

 第一:【ベーシック・飲料水プラン】。日々の飲料と料理用。神聖ミネラルをバランスよく配合した軟水だ。基本料金は一日あたり小神力コイン十枚。

 第二:【プレミアム・温泉引込プラン】。各神殿の浴場に、最果てのオアシス直通の極上美肌炭酸温泉を二十四時間掛け流し。疲労回復、筋肉痛緩和、神格向上効果つき。月額大神力コイン三十枚。

 第三:【エンタープライズ・完全無制限プラン】。神殿内の噴水、庭園の散水、巨大プールまで使い放題。水神アッシュによる二十四時間駆けつけ修理サポート&緊急バイパス優先権つきだ」


 あまりにも理路整然とした、下界の近代インフラ企業の料金プランに、神々は呆然と口を開けていた。

 だが――喉の渇きは限界であり、何よりアフロディアのツヤツヤに輝く美肌と、バルドルの傷が癒えつつある姿を見れば、その水が本物であることは明白だった。


「わ、私は……【プレミアム・温泉引込プラン】で頼む……! 我が畑にも、神聖水を引いてくれ……!」


 農耕神サトゥルヌスが、震える手で羽ペンを取り、一番乗りで契約書に署名した。


「我もだ! 鍛冶神殿には【エンタープライズ】が必要だ! 神力などいくらでもくれてやる、早くあの清冽な水を炉に注がせてくれえええっ!」

「我が軍神殿も【プレミアム】を所望する! 兵たちの傷を癒す温泉は至高の軍需物資だ!」


 次々と神々が我先にと契約書に群がり、署名と神紋の捺印を押していく。

 知恵の神トトも、最後には「ぐぬぬ……背に腹は変えられん……!」と涙目でサインした。

 全神殿の署名が完了した契約書を受け取り、アッシュは満足そうに頷いた。


「よし、契約成立だ。これより――天上界全域、通水開始!」


 カチリ。

 アッシュが手元の親元栓(マスター・コントロール・バルブ)を回した瞬間、世界樹を貫く天空パイプラインが眩い青光を放ち、天上界の全神殿へと極上の神聖水が一斉に解き放たれたのであった。

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