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第51話:美の女神アフロディア、美脚土下座で泣きつく〜「お願い、綺麗なお湯を流して!」〜

「ば……馬鹿な……!? 我が神界の誇る使徒神バルドルが……下界の獣の一撃で、敷石の染みにされただと……!?」


 黄金の神門の陰から固唾を呑んで戦況を覗き見ていた軍神アレスは、恐怖で腰を抜かし、黄金の剣を取り落としていた。

 三大神獣が完璧に連携し、あの一人の配管工のために命を懸けている。

 武力で水を奪い取るなど、神々の全軍を総動員したところで、逆に全員が肉球でミンチにされるだけの自殺行為であった。


 そこへ――神門の奥の回廊から、バタバタと猛烈な足音が響いてきた。


「退きなさい、この役立たずの筋肉バカども!」


 回廊の神官たちを突き飛ばしながら飛び出してきたのは、薄いシルクの神衣を乱れ髪のまま纏った、愛と美の最高女神――アフロディアであった。

 普段の気品に満ちた優美な微笑みなど完全に消え失せ、怒りと絶望で涙をボロボロとこぼしながら、雲の階段を猛烈なスピードで駆け下りてくる。


「ア、アフロディア様!? 下界へ降りてはなりませぬ! あそこには神をも恐れぬ凶暴な下水掃除の怪物が――」

「やかましいわ、アレス! わたくしはもう、一秒たりともこのカサカサ肌とドブ臭さに耐えられませんのよぉぉぉっ!!」


 アレスの頬に強烈な平手打ちを食らわせ、アフロディアは世界樹の枝の工事現場へと単身飛び出した。

 そして――作業着姿で配管図面をチェックしていたアッシュの姿を捉えた瞬間。


 ズザザザザザザザザァッッッ!!


 美しい真珠色の生脚を前方に投げ出し、アフロディアは濡れた大理石の上を十メートル近くも猛烈な勢いで滑り込んだのだ。

 その見事なスライディングの勢いのまま、アッシュの作業ブーツの爪先の前でピタリと制動をかけると――。


 ゴスッ!!


 惜しげもなく両膝を床に叩きつけ、豊かな豊満な胸元を地面に押し付け、美しい黄金の髪をアッシュの泥まみれの安全靴の上に力任せに擦り付けたのである!


「……へ?」


 ガンツがタバコをポロリと落とし、エレナが紫の瞳をパチクリと瞬かせた。

 全宇宙の神々と人間が崇拝し、一度拝顔するだけで一生の栄誉とされる最高美神アフロディアが、配管工の足元で、完璧な【美脚スライディング土下座】をキメていたのだ。


「お願いですわ、アッシュ様ぁぁぁぁっ!!」


 アフロディアは顔を上げ、涙とマスカラでぐしゃぐしゃになった顔で、すがりつくように叫んだ。


「どうか……どうかこの哀れなわたくしに、綺麗なお湯を……湯気立ち込める熱々の神聖湯を恵んでくださいまし! 二日もお風呂に入れないせいで、肌は乾燥で粉を吹き、神聖な黄金の髪はバサバサの藁屑のようになってしまいましたの! これ以上この不潔な状態が続けば、わたくし、美の女神としてのアイデンティティが崩壊して消滅してしまいますわぁぁっ!!」

「はあ……」


 アッシュは頭を掻き、足元で泣き叫ぶ最高女神を見下ろした。

 確かに、近くで見ると肌は乾燥で赤みを帯び、自慢の金髪も油分を失ってパサついている。風呂に入れない苦痛は、職人としても同情を禁じ得ないものがあった。


「エレナ、水汲み用のヒノキの柄杓を持ってきてくれ」

「ええ、どうぞ」


 エレナから受け取った柄杓で、アッシュは仮設タンクから汲み上げた、湧きたての神聖水をすくい上げた。

 底まで透き通るサファイアブルーの超純水。湯気がふわりと立ち上り、甘やかな大地の香りを放っている。


「ほら、頭を上げろ。とりあえず、顔の泥と油を洗い流してやる」

「えっ……? あ、温かい……?」


 ザバァァァッ!


 アッシュが柄杓一杯の神聖水を、アフロディアの頭上から惜しげもなく注ぎかけた。

 その瞬間――ジュワァァァッ!と心地よい蒸気音とともに、アフロディアの全身から淡い光のエーテルが立ち上った。

 髪や肌にこびりついていた目に見えないヘドロの粒子、汗、老廃物が、原子レベルで一瞬にして無力化され、サラサラとした光の粒子となって消滅していく。

 そして――。


「ふにゃあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……っっっ!!!!」


 アフロディアの口から、全宇宙の快楽を凝縮したような、蕩けきった絶叫が漏れ出た。

 粉を吹いていた頬が一瞬でみずみずしい桃のような弾力を取り戻し、バサバサだった金髪は、太陽の光を浴びた極上の絹糸のようにツヤツヤと輝きを取り戻したのだ。

 全身の毛穴が歓喜に震え、アフロディアは床にへたり込み、恍惚とした表情で自分の腕を撫で回した。


「な、なんという……なんという奇跡の湯ですの……!? 天界のどの霊泉よりも……何万倍も清らかで、肌に吸い付くように染み渡っていきますわ……! これです、わたくしが求めていたのは、この至高の湯ですわぁぁぁっ!」

「納得したか?」


 アッシュは柄杓を戻すと、腕を組んで冷徹に言い放った。


「助けてやるのは構わない。だが、タダで恵む気は毛頭ない。天界全域に水を流してほしければ――天界の全インフラと配管工事の全権を、俺に預けてもらおう。……いいな?」

「はいっ! 全権でも何でも、好きなだけお預けいたしますわ! ですからどうか、わたくしの神殿に……あの奇跡の湯を twenty-four hours 流し続けてくださいましぃぃぃっ!」


 最高美神アフロディアの完全屈服。

 ここに、人間による天上界の水道支配への第一歩が、確実に踏み出されたのであった。

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