第49話:神罰の使徒、光の槍を携えて降臨す〜軍神バルドルの威圧と、完全無視の配管工〜
その頃――世界樹ユグドラシル・アクアの最頂部、標高一万メートルの雲上現場。
天界の境界線に突き刺さった巨大な主枝の上で、アッシュ・ウォーカーは、エレナ、ガンツと共に、新設した高圧魔導バルブの据え付け作業に没頭していた。
「よし、ガンツ。フランジのガスケット、耐熱・耐神力仕様のオリハルコン・ラバーに交換したな?」
「おうよ旦那! ボルトの対角締めもトルクレンチでミリ単位まで均等に締め上げたぜ。これで内部圧力が五十メガパスカルまで跳ね上がろうが、ガス一粒、水滴一滴たりとも漏れ出しやしねえ!」
ガンツが太い親指を突き立て、満足げに笑う。
横では、エレナが魔導書とクリップボードを手に、パイプラインの流速データを素早くチェックしていた。
「アッシュ、地上のアクア・ヘヴン中央揚水基地から魔導通信が入ったわ。地上のブースターポンプ三基、並列運転で全開稼働中。揚程一万メートルの垂直配管内、キャビテーションの発生率は〇・〇一%未満。水質検査もオールグリーンよ」
「助かる、エレナ。お前が流量を監視してくれてるおかげで、安心して配管を繋げるよ」
「ふふ、パートナーですもの。当たり前じゃない」
エレナが柔らかく微笑み、冷たい神聖水で濡らした手ぬぐいをアッシュの首筋にかけてやる。
現場に流れる、確かな信頼と心地よい空気。
テラスの脇では、白銀狼コハクが雲の上に前足を投げ出して日向ぼっこをし、不死鳥ルビーがコハクの耳の毛を嘴で整え、ミニ海竜サファイアが水槽の中でぷかぷかと浮かんでいた。
だが――その職人たちの神聖な仕事場は、天を引き裂くような轟音と傲慢な閃光によって無残に踏みにじられた。
ドガアアアアアアアアンッ!!
黄金の神門『アムリタの門』が衝撃波によって吹き飛ばされ、雲海を焦がすような黄金のプラズマ雷光とともに、筋骨隆々の巨躯が天空から舞い降りた。
背中に六枚の白銀の翼を広げ、純白の神聖鎧を纏った男――軍神バルドル。
その手には、天の裁きを下す神造兵装『神槍グングニル・レプリカ』が握られ、穂先からはビリビリと致死性の神聖放電が迸っている。
さらにその背後には、神界近衛軍の精鋭騎士百騎が、抜き身の光剣を携えて整然と陣を敷いていた。
「下界のドブネズミどもめ!! 貴様らが、この忌々しい巨木を天界へねじ込んだ不敬なる罪人どもか!」
バルドルの咆哮が、成層圏の大気を激震させる。
その神威の凄まじさは、並の人間であれば声を聞いただけで鼓膜が破れ、魂を粉砕されて卒倒するレベルの超絶な圧力であった。
「オエッ……! やはり下界の泥すすりの匂いは耐え難いな。おい、そこにいるボロ作業着の小僧! 貴様がアッシュとかいう下水掃除人だな!」
バルドルは宙に浮いたまま、眼下のアッシュを虫唾が走るとばかりに見下ろした。
だが――。
「……おいガンツ。ここの四番エルボ継手、少し角度が甘いぞ。一・五度ほど外側に振って、流体抵抗を逃がせ」
「へいよ旦那。パイプレンチでクイッとひと曲げしてやらあ」
「カチャカチャ……」
アッシュは、空飛ぶ軍神など最初から存在しないかのように、ノギスで配管の内径を測りながら、淡々と作業の指示を出していた。
「な……っ!? き、貴様ぁぁぁっ!!」
バルドルの額に、太い青筋がビキビキと浮き上がる。
神界の治安を統括し、幾多の魔神や邪竜を屠ってきた歴戦の軍神が、下界の配管工に完全にゴミ扱い・スルーされたのだ。
「貴様……! 我が神威の前にあって、平伏すことすら知らぬのか!? 天界の軍神たる我が直々に神罰を下しに来てやったのだぞ!」
「うるせえな。作業中なんだよ。大声を出すなら、ヘルメットを被って立ち入り禁止区域の外でやってくれないか。安全第一って文字が読めないのか?」
アッシュはモンキーレンチを肩に担ぎ、鬱陶しそうに視線を向けた。
そのあまりに冷淡な態度に、近衛の副官が色をなして抜刀する。
「無礼者め! バルドル様にそのような口を利いて生きて帰れると思うな!」
副官が光剣を振り上げようとした瞬間、アッシュの前に凛とした足取りでエレナが進み出た。
紫の瞳を冷ややかに細め、神々の軍勢を一瞥する。
「神罰、神罰と騒ぎ立てる前に……ご自分の姿を鏡でご覧になったらどうですの? 神聖なる鎧のあちこちに、ドブ臭い泥水がこびりついておりますわよ。そんな不潔な状態で剣を抜くのが、天界の騎士の誇りですの?」
「な、なにを小娘が……っ!」
図星を指されたバルドルが、屈辱に顔を朱に染める。
天界の断水により、兵たちも満足に身体を洗えておらず、その甲冑の下からは隠しきれない汗と埃の臭いが漂っていたのだ。
「減らず口を叩くのもそこまでだ!」
バルドルは神槍の穂先をアッシュの喉元へと突きつけ、冷酷無比に通告した。
「神々の慈悲深き決定を申し渡す! 今すぐ、この世界樹を流れるすべての神聖水を、天上界の全神殿へと直結させ、二十四時間体制で無償献上せよ! 偉大なる神々の喉を潤し、アフロディア様の美肌を保つために、下界の泥すすりが命を削って水を差し出すのは、創世の昔より定められし絶対の義務である! 一秒たりとも遅れるな、直ちに工事を行え!」
かつての追放貴族バルトロメオや、強欲な大司教マクシミリアンと寸分違わぬ、吐き気を催すほどの独善と傲慢。
アッシュは静かに工具箱を閉じると、深く息を吐き出した。
「断る」
「……何だと?」
「お前たち、流体力学の基礎すら知らないのか? 世界樹を上がってきた水は、一万メートルの超高揚程で極限まで圧縮されている。そんな超高圧流体を、お前たちの老朽化したボロ配管に直結してみろ。全神殿のパイプが一瞬で破裂して、天界ごと粉々に吹き飛ぶぞ。……それに」
アッシュの黒い瞳に、底冷えするような職人の冷徹さが宿った。
「誰の命令だろうと、俺の作った水は、対価を払わず敬意も持たない傲慢な奴らには一滴も流さない。……神様なら、自分の力で雲でも絞って飲んでな」
その瞬間――バルドルの理性の糸が、ブツリと音を立てて千切れ飛んだ。
「き、貴様ぁぁぁぁぁぁぁっ!! 神への叛逆、万死に値する! その首をへし折り、力づくで水を奪い取ってくれるわぁぁぁぁぁっ!!」
神槍グングニルが黄金の雷光を爆発させ、アッシュの脳天めがけて急降下してきたのである!




