第47話:【純水ショック】〜綺麗すぎる水が、天界の旧式フィルターを破壊した件〜
同時刻――天上界・中央オリンポス大神殿。
そこは、森羅万象の理を統べる神々が集い、永遠の栄華と至福を享受するはずの、全宇宙で最も清浄なる聖域であった。
白大理石の円柱が果てしなく立ち並ぶ大広間の中央には、天界の繁栄と生命力の象徴である【始祖のアムリタ大噴水】が聳え立っている。
神々が口にする不老不死の甘露酒の原料であり、美の女神たちが肌の若さを永遠に保つために浴びる至高の聖水が、創世の昔から一度たりとも枯れることなく湧き出していた泉である。
しかし――いま、その大噴水の前には、何百人もの神々が半狂乱となって詰め寄っていた。
「おい! 水利を司る神官神を出せ! なぜ蛇口からプシューと乾いた空気しか出てこんのだ!?」
「わらわの朝の洗顔が……! 顔を洗えぬではないか! 肌がつっぱって、細かいシワが寄ってしまうぞえ!!」
「我が神殿のプールが干上がっておる! 太陽神アポロ様が『熱中症で倒れそうだ』と氷枕を求めておられるぞ!!」
「それどころではない! 先ほど黄金の蛇口を力任せに捻ったら、ボフッという爆音と共に、腐った卵のような悪臭を放つ黒褐色の泥水が噴き出してきたのだぞ!!」
神々の怒号と悲鳴が反響する中、白髭を蓄えた水利神官長ヘルメスが、脂汗で顔をぐしゃぐしゃにしながら、大理石の床に膝をついて平伏していた。
「も、申し訳ございませぬ……! 天界の全導水管、および減圧水槽を緊急点検いたしましたが、物理的な管の亀裂や破断は見当たりませぬ! しかし……下界の大地から吸い上げていたはずの霊水が、導水管の内部で完全に凝固・閉塞を起こし、一滴たりとも天界へ揚水されてこないのです……!」
「何故じゃ!? 下界の愚民どもが何か不敬な細工でもしたというのか!?」
最高神の側近である審判神が、青筋を立ててヘルメスの胸ぐらを掴み上げた。
だが――ヘルメスはガタガタと震えながら、天界の神々が数万年にわたって下界の人間たちに隠し続けてきた、最大にして最も恥ずべき秘密を白状せざるを得なかった。
そもそも、神々が「天の恵みの奇跡の霊水」と自慢していた水。
それは天界で自然に湧き出ていたものでは断じてなく、**下界の大地から見えない魔導水脈を通じて吸い上げた地下水を、天界の旧式大型浄化施設『神聖ゼオライト濾過大樹』で無理やり不純物を濾し取って使っていたもの**に過ぎなかったのだ。
そして――その天界の旧式フィルターは、古代の多孔質魔石を利用した、極めて旧態依然とした『吸着型構造』であった。
下界の濁った水に含まれる「適度な雑味、鉱物イオン、有機物の不純物」を表面に吸着させることで、辛うじて浸透圧のバランスを保ち、水をろ過・循環させていたのである。
だが――数ヶ月前。
地上の下水清掃員アッシュの手によって、世界の水環境は不可逆的な大変革を遂げていた。
アッシュの神話級ユニークスキル《真理の濾過》によって、大地深層の汚泥は分子レベルで解体・昇華され、世界樹ユグドラシル・アクアを通じて地上全土を巡る水脈は、不純物・毒素・悪意を完全にゼロにした究極の【超高純度神聖水】へと生まれ変わってしまったのだ。
「そ、それが……全ての破滅の引き金だったのです……!」
ヘルメスが床に額を擦り付け、絶望の涙を流しながら叫んだ。
「世界樹の枝が天界の導水基部に接続された瞬間……アッシュなる下水掃除人の生み出した【超純水】が、天界の濾過大樹へと一気に流入いたしました! 不純物が分子一つすら存在しない超純水は……あまりにも強烈な『超溶解力』と『浸透圧差』を持っております!」
「な、なんじゃと……? 溶解力……浸透圧差じゃと……!?」
ヘルメスの悲鳴のような解説が、静まり返った神殿に響き渡る。
「極限まで純粋な水は、周囲のあらゆる物質からミネラルや魔力を貪欲に奪い取ろうとする性質を持ちます! その結果……数万年間、天界のフィルター内に蓄積し、安定していたはずの古代の吸着魔石が、内部から急速に溶け出して自壊! フィルターの骨格が崩壊したことで、内部に溜め込まれていた数万年分の『神界廃棄物(神聖スケール)』が一気に剥離し、配管の内部で大爆発を起こして逆流を始めたのでございますぅぅぅっ!!」
「「「な、なんじゃとぉぉぉぉぉぉぉっ!?!?!?」」」
神殿中の神々が、目玉が飛び出さんばかりに白目を剥いた。
これを現代の流体工学では――【純水ショック(高純度水によるスケール急速溶出閉塞現象)】と呼ぶ。
人間が地上で汚水を垂れ流していたからこそ辛うじて動いていた天界のボロ設備が、地上の配管工が世界を綺麗にしすぎたせいで、自重に耐えきれず完全に自爆したのだ!
「お、おのれ……! 下界の泥すすりの下等種族が生意気にも世界を掃除しおったせいで、我ら至高の神々が断水だとぉぉっ!?」
玉座の列から立ち上がったのは、天界水利委員会の頂点に君臨する傲慢なる海と水の神・ネプチューンであった。
青い長髪を逆立て、黄金の三叉槍を床に突き立てる。
「神聖なる神殿をドブ泥で汚した罪、万死に値する! 軍神バルドルよ! 直ちに神界軍を率いて世界樹を駆け下り、そのアッシュとかいう下水掃除人を八つ裂きにして神罰を下せ! そして地上の水をすべて天界へ無償で差し出させるのだ!!」
「応ッ!! 神界の威厳、人間ごときにコケにされて黙っておれるか!」
筋骨隆々の巨躯を誇る軍神バルドルが、光り輝く神槍を掲げて咆哮した。
自分たちの設備の老朽化とメンテナンス不足を棚に上げ、神々はあろうことか、世界を救った命の恩人たる配管工へ向けて、理不尽極まりない「神罰の進軍」を開始したのであった。




