第32話:天空の薬湯と、美肌炭酸泥パック〜エルフ大長老の若返り〜
オアシス都市の迎賓館に到着したエルフ使節団の空気は、まさに氷点下の冷たさであった。
先頭を歩くのは、樹齢八百歳を超えるエルフの大長老、セリア・シルフィード。
銀色に輝く長い髪を豪奢な髪留めで結い上げ、白磁のようなローブに身を包んでいるが、その目元や口元には八百年の歳月が刻み込んだ深い小じわと、隠しきれない疲労の色が濃く滲んでいた。
「……フン。野蛮な人間どもが砂漠のど真ん中に作った張り子の街か。空気は乾燥し、埃っぽくて肌がひび割れそうじゃわい」
セリアは不機嫌そうに銀の杖をコツコツと床に打ち鳴らした。
エルフ族は本来、清らかな水と森のエーテルを糧として生きる種族。
しかしここ数十年、世界的な地脈の乱れによってエルフの森の聖なる泉も水質が悪化し、セリア自身もひどい慢性的な乾燥肌と、魔力不足による関節の激痛に日夜悩まされ続けていたのだ。
「大長老様、会談の前に、主催者のアッシュ殿より『旅の砂埃を落としていただくための専用特別浴室』が用意されているとのことですが……」
「馬鹿を申すな! 人間どもが沸かしたドブ湯など、エルフの高貴な肌に触れさせられるものか! 即座にアッシュとかいう小僧を呼び出し、エルフの森へ神聖水を無償で流す契約に署名させよ!」
怒鳴り散らすセリアの前に、静かに姿を現したのはアッシュであった。
豪奢な正装などではなく、清潔な白の作業衣をまとったアッシュは、穏やかな笑顔で一礼した。
「大長老セリア様、ようこそアクア・ヘヴンへ。……お怒りはごもっともですが、その前に、少しお顔とお身体を温めていきませんか? 貴女様の身体が、極度のエーテル渇水で悲鳴を上げているのが見えます」
「な、何じゃと……!? 無礼な平民め、八百年の大長老たる我が肉体を値踏みするか!」
「値踏みではありません、職人の診断です。騙されたと思って、三十分だけお時間をください。もし気に入らなければ、無条件で森へ水を引く契約書にサインしましょう」
「……ほほう? 言ったな小僧! 後で泣き言を言っても許さぬぞ!」
セリアは鼻を鳴らし、案内された【貴賓専用・天空薬湯殿】へと足を踏み入れた。
ギィィ……と開かれた檜の引き戸の奥。
そこに広がっていたのは、四方を最高級の古代香木で囲まれた、湯気の立ち込める幻想的な空間であった。
床一面には角のない滑らかな神聖翡翠が敷き詰められ、浴槽にはエメラルドグリーンに微かに発光する極上の湯が、絶え間なく掛け流されている。
漂ってくるのは、呼吸をするだけで肺胞が洗われるような、千五百種類の大自然の生薬とミントが融合した清涼な芳香。
「な……なんという清らかなエーテルの濃度じゃ……! 我が森の最深部にある始祖の泉すら足元にも及ばぬぞ……!?」
セリアは圧倒されながらも、従者に手伝わせてローブを脱ぎ、恐る恐る足先をエメラルドの湯へと沈めた。
摂氏四十度――人肌よりも少しだけ温かい、絶妙な湯加減。
「…………っっっっっっっ!!!!」
肩まで湯に浸かった瞬間、セリアの口から、八百年間の人生で一度も出したことのない艶めかしい吐息が漏れた。
アッシュが《真理の濾過》によって水分子を極限まで微細化し、古代薬草の有効成分だけを原子レベルで溶かし込んだ【奇跡の神聖薬湯】。
その超微細な水滴が、八百年間にわたって乾ききっていたセリアの皮膚の隙間へと、まるで砂漠が雨を吸い込むように怒涛の勢いで浸透していく!
「あぁぁぁ……っ! 関節の痛みが……骨の軋みが、全部溶けていくようじゃ……!」
そこへ、専属のエステ担当として控えていたエレナが、漆黒の陶器の小鉢を手に歩み寄った。
「セリア様、仕上げにこちらの【神聖炭酸泥パック】をお顔と首筋に塗布させていただきますわ」
「な、なんじゃその黒い泥は……!?」
「ご安心くださいまし。アッシュさんが神聖水脈の最深部から採取し、不純物を完全濾過してマイナスイオンと高濃度炭酸を限界まで充填した奇跡の美肌泥ですの」
エレナの手によって、冷たく滑らかな泥がセリアの顔全体へと優しく伸ばされた。
シュワシュワシュワ……ッ!
肌の上で微細な炭酸の泡が心地よく弾け、毛穴の奥深くに詰まっていた何百年分もの老廃物と魔力疲労を、根こそぎ吸い出していく。
二十分後。
神聖水で泥を洗い流し、鏡の前に立ったセリアは――。
「ひ……ひぎゃあああああああああああっっっ!?!?!?」
迎賓館全体を揺るがすような絶叫を上げた。
鏡の中に映っていたのは、目元にシワを刻んだ偏屈な老躯などでは断じてなかった。
ゆで卵の薄皮を剥いたかのように、白く透き通り、ツヤツヤと輝く極上の美肌。
頬には瑞々しい薔薇色の赤みが差し、八百歳のはずの顔立ちが――どう見ても**「十代後半の可憐なエルフの美少女」**へと、完全なる超若返りを遂げていたのだ!
「わ、わらわのシワが……! ほうれい線が消えておる!? 肌がピチピチじゃ! 胸も張っておるぞ!?」
セリアは自らの頬を両手で触り、プルプルと弾む感触に涙をボロボロと流して狂喜乱舞した。
「アッシュ殿ぉぉぉぉぉぉっ!!」
湯上がりローブを翻し、猛ダッシュで飛び出してきたセリアは、テラスにいたアッシュの両手をガッシリと握りしめ、目を爛々と輝かせた。
「我がエルフ族は、未来永劫アクア・ヘヴンと血の同盟を結ぶ! 森の全領地、全秘宝を差し出してもよい! だから頼む……わらわを週に三日……いや、毎日のようにこの風呂に入れさせてくれええええっ!!」
大陸で最も頑固と言われた樹齢八百年の大長老が、わずか三十分でアッシュの温泉の完全なる虜となった瞬間であった。




