第13話:現れた追放貴族の使節団「戻ることを許してやる」〜フェンリルの咆哮一発で失禁土下座〜
ズドドドドドドドッ!!
荒野の乾いた大地を揺るがし、百騎を超える重装騎兵の地響きが迫っていた。
先頭に立つのは、泥まみれになりながらも黄金の甲冑をガチャガチャと鳴らす勇者レオン。そしてその後ろの豪奢な馬車からは、香水の瓶を両手に握りしめたバルトロメオ伯爵が身を乗り出していた。
「あ、あれを見ろレオン殿! なんだあの緑は……!?」
「バカな……! 死の荒野のど真ん中に、あんな巨大な湖と石造りの要塞都市があるはずがない……!」
二人の眼前に広がっていたのは、彼らが想像していた「飢えと渇きで野垂れ死に寸前のアッシュの姿」では断じてなかった。
そこにあったのは――底まで透き通るサファイアブルーの巨大な泉。
美しく整えられた白大理石の街並みと、豊かに実った黄金の穀物畑。
立ち上る温泉の清らかな湯気と、どこからともなく漂ってくる香ばしい焼き肉と焼きたてパンの暴力的なまでの芳香。
そして何より、街の中を行き交う人々は誰もが清潔な衣服をまとい、肌は艶やかに輝き、満面の笑みを浮かべていたのだ。
五日間、泥水を啜り、ウンコ臭い帝都で地獄を見てきたレオンたちにとって、それは狂乱するほど眩い光景であった。
「オエッ……! あ、あいつだ! アッシュがいたぞ!」
バルトロメオが、泉のほとりでドワーフたちと設計図を広げていたアッシュを指差して叫んだ。
レオンは顔を醜悪に歪め、馬を急加速させてオアシスの境界線へと乗り入れた。
「アッシュゥゥゥッ!!」
レオンの怒号に、作業の手を止めたアッシュが振り返る。
ドワーフのガンツや、エプロン姿のエレナ、猫人族の開拓民たちも、物々しい騎兵隊の出現に警戒して集まってきた。
「……勇者レオンに、バルトロメオ伯爵か。ずいぶんと薄汚れた格好でお出ましだな。帝都からここまで、わざわざ泥遊びでもしに来たのか?」
「き、貴様ぁぁぁっ! 無礼な口を利くな!」
レオンは馬から飛び降りると、聖剣の鞘を地面に突き立て、精一杯の威厳を作って胸を張った。
「アッシュ! 皇帝陛下とこの僕の慈悲深さに感謝するがいい! 貴様が持ち去った『浄化の大栓』を直ちに返還し、帝都の地下水路へ戻って以前と同じようにドブ掃除を再開するなら――貴様の不法占拠と国家反逆の罪を、特別に不問にしてやると言っているのだ!」
「ほほぅ?」アッシュは冷ややかな目で二人を見つめた。「不問、ですか」
「そうだ!」と、馬車から降りてきたバルトロメオが偉そうに顎をしゃくった。
「感謝して平伏せよ! 日給も銅貨三枚から五枚に引き上げてやる! 帝都はお前ごときがいなくても困ってはおらんが、民が少しばかり騒いでいるのでな! 連れ戻してやるのは我が水利庁の情けだ! さあ、今すぐ荷物をまとめてついてまいれ!」
そのあまりの傲慢さに、周囲のドワーフや猫人たちが怒りで武器を握りしめた。
エレナも眼鏡の奥の目を吊り上げ、侮蔑の眼差しを向ける。
だが、アッシュは静かに片手を挙げて仲間たちを制した。
「断ると言ったら?」
「ハッ! 断るだと!?」
レオンが嘲笑を浮かべ、腰の聖剣をジャキンと半身抜き放った。
「勘違いするなよ、ドブネズミ! 拒否権など最初からあるわけがないだろう! 従わぬというなら、後ろに控える特務騎士百名でお前の手足を切り落とし、首に鉄の鎖を巻いて馬車で引きずり回して帝都へ連行するまでのことだ! おい騎士ども、この無能を捕縛――」
レオンが号令を下そうとした、その瞬間であった。
――ズズズズズズズズズズッ!!!!
大気が、一瞬にして絶対零度の氷点下へと凍りついた。
日光が遮られたわけでもないのに、視界が闇に染まり、天と地が逆転したかのような超重圧が荒野全体を圧迫する。
「ヒッ……!? な、なんだ……このプレッシャーは……!?」
レオンの愛馬が白目を剥いてその場に卒倒し、百名の精鋭騎士たちの馬が一頭残らず前脚を折って地面に崩れ落ちた。
そして――アッシュの背後から、静かに『それ』が歩み出てきた。
「グルルルルルルルルルルルルッ……」
地獄の底から響いてくるような、空間を削り取る地響きの唸り声。
そこにあったのは、もはや手のひらサイズの可愛らしい毛玉ではなかった。
普段は魔力を節約し、大好きなアッシュに甘えるために幼体の姿をとっていたコハクが、主人の危機と無礼な敵意を前にして、神域の真の力を完全に解放したのだ。
体長五メートルを超える、威風堂々たる白銀の巨躯。
頭部には天を突く二本の神角。
全身から迸る神聖な雷光と、この世のすべての生命を平伏させる圧倒的な神気――太古の神獣【白銀の天狼】の真の姿であった。
「ひ……ヒィィィィィィィィィッ!?!?!?」
バルトロメオが腰を抜かし、泥濘の中に尻餅をついた。
レオンの顔から血の気が完全に失せ、握っていた聖剣がガタガタと音を立てて震える。
「フェ……フェンリル……!? 神話の、神域の守護獣が……なんでこんなところに……!?」
コハクは、アッシュを害そうとしたレオンたちを黄金の双眸で冷酷に見下ろすと――天に向けて顎を跳ね上げた。
「――クワァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!!!!!!!」
ドォォォォォォォォォンッ!!!!
荒野の岩山が三つ、一瞬で粉々に消し飛んだ。
放たれた神獣の咆哮波は、特務騎士団百名の全身を容赦なく叩き伏せ、頑丈な鋼鉄の鎧を飴細工のようにへこませて地面へと叩き落とした。
「ぎゃああああああああっ!」
「お許しをぉぉぉぉぉぉっ!!」
「ジョロロロロロロロロ……ッ!」
悲鳴と共に、騎士たち全員が失禁した。
あの傲慢だった勇者レオンですら、股間を黄色い染みで濡らしながら、土下座の姿勢で地面に額を激突させてガタガタと震えていた。
一歩でも動けば、首を食いちぎられる――本能がそう告げていたのだ。




