↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『婚約を押し付けられたので、第一王子殿下を脅して婚約者になっていただきました』  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
59/111

第59話 デートの翌日に仕事へ戻ったら、昨日見つけた荷札をすぐ調べなくても覚えていました



 市場デートの翌朝、アマリリアが目を覚まして最初に見たのは、寝台の脇に置かれた小さな花だった。


 昨日ライルから買ってもらった白と黄色の花を、侍女が夜のうちに寝室側の小瓶へ移してくれたらしい。王宮の庭で育てられている花と比べれば特別珍しい種類でもなく、一本一本も小さい。それでも朝の柔らかな光を受けている姿を見た瞬間、蜂蜜の焼き菓子の甘さや、人混みの中で繋いでいた手の感触まで自然に思い出された。


 寝起きから制度のことではなく、昨日のデートを思い出した。


 その事実が少し可笑しくて、アマリリアは枕元で小さく笑った。


「お嬢様、お目覚めですか?」


 隣室で控えていた侍女の声が聞こえる。


「はい。起きております」


 返事をして身体を起こすと、手首には昨日の葉の腕飾りがまだ残っていた。眠る前に外した方がよいか迷ったものの、革紐が柔らかく邪魔にもならなかったため、そのままにしていたのである。


 木片へ指を触れる。


 安価なものだ。


 けれど、自分が持っている高価な宝石の多くより、今朝はこれを身につけていたいと思った。


「本日もお着けになります?」


 入ってきた侍女が、アマリリアの視線に気づいた。


「……おかしいでしょうか」


「何がです?」


「昨日、市場で買っていただいたものを、王宮の中でも着けているのは」


 侍女は少しだけ目を瞬いたあと、柔らかく笑った。


「婚約者様からいただいたものを大切になさることの、どこがおかしいのでしょう」


「そう言われると、そうですわね」


「正式なお席で装いに合わない場合だけ外されればよろしいかと。本日は小会議室と王妃陛下のところだけでしょう?」


「はい」


「でしたら、そのままでよろしいと思います」


 アマリリアは素直に頷いた。


「では、着けていきます」


 その返事をした時の自分が少し嬉しそうだったらしく、侍女の口元がまた緩む。


「何です?」


「何も申し上げておりません」


「お顔が言っております」


「最近、その言い方を殿下もなさいますね」


「……広まりすぎです」


 朝から少しだけ恥ずかしくなりながらも、アマリリアは機嫌よく身支度を始めた。


          ◇◇◇


 小会議室へ入ると、ライルはすでに窓辺の席へ座っていた。


 今日は王子らしい服装へ戻っている。昨日の濃い青色の上着とは違い、王宮内で使う落ち着いた色の正装に近い衣服だったが、その胸元から細い青い紐が少しだけ覗いている。


 アマリリアは一瞬で気づいた。


「殿下」


「おはよう」


「それ」


 指を向けると、ライルが視線を下げる。


「ああ」


 衣服の内側から取り出したのは、昨日アマリリアが買った木製の栞だった。


「なぜ持ち歩いておりますの?」


「今日読む本に使おうと思って」


「本?」


「夜に」


「まだ使っていないのですね」


「昨日帰ってから、何に最初に使うかちょっと考えてた」


 アマリリアは思わず笑った。


「栞ですのに」


「君だって腕飾り着けてる」


 すぐに見つかった。


 アマリリアは手首を隠そうとはせず、そのまま卓上へ手を置いた。


「気に入っておりますので」


「俺も気に入ってる」


「まだ使っていないのに?」


「もらったことが」


 返事が早い。


 胸の奥がじんわり温かくなり、アマリリアは一度だけ視線を逸らした。


「朝からそういうことを仰らないでくださいませ」


「どういうこと?」


「私が返答に困ることです」


「困ってる?」


「少しだけです」


 以前ならもっと否定しただろう。


 今は、困ることも照れることも、そのまま伝えられる。


 ライルはそれ以上からかわず、隣の席を手で示した。


「座る?」


「はい」


 アマリリアが腰を下ろすと、机の上には封をされたままの一通が置かれていた。


 見覚えがある。


「第二共同倉庫の中間連絡ですわね」


「うん。昨日の朝、読まなかったやつ」


「まだ開いておりません?」


「君が六日間の終了後まで待つって決めたから」


「殿下も読んでいないのです?」


「一緒に見るものだと思ってた」


 何でもないように言われたが、アマリリアは少しだけ嬉しくなった。


「ありがとうございます」


「うん」


 以前なら、自分がいないところで先に情報を知られることへ強く拘っていた。今はその拘りも少し薄れているが、それでも一緒に考える相手が待ってくれたことは素直に嬉しい。


「試験は今日で何日目です?」


 アマリリアが尋ねる。


 ライルはすぐには答えず、卓上の予定表へ目を向けた。


「今日が六日目。夕方までで予備試験を一区切りにする予定」


「では、中間連絡はもう開けなくてもよいですね」


「俺もそう思う」


「何か安全上の問題があれば、ディーンから別に連絡が来ておりますもの」


「来てない」


「でしたら、終わるまで待ちましょう」


 アマリリアは封書を手に取らず、そのまま机の端へ置いた。


 思っていたより簡単にできた。


「昨日一日仕事しなかったから、朝一番で全部知りたくなるかと思いました」


「俺も」


「殿下まで?」


「ちょっとだけ」


「信用がございませんね」


「違うよ。君が仕事好きなの知ってるから」


 ライルは笑いながら続ける。


「でも今日は、昨日見つけたものの方が気になってるんじゃない?」


 アマリリアの動きが止まった。


「……覚えておりました?」


「荷車の札?」


「はい」


 忘れていない。


 昨日、市場の職人街側で見かけた、荷札のそばへ薄い色布を結んでいた荷車。


 その場では聞かなかった。


 詳細も記録しなかった。


 けれど一晩経っても、記憶にはかなり鮮明に残っている。


「気になっております」


 アマリリアは正直に答えた。


「調べる?」


「今日は仕事ですので、調べること自体は禁止されておりません」


「うん」


「でも」


 すぐにディーンへ場所を伝え、誰が使っているのか確認を頼むことはできる。


 昨日の自分なら、それを「後でやる」と決めていた。


 今朝になっても覚えているなら、必要な情報だと言えるかもしれない。


 ただ。


「今すぐではなくてもよいと思います」


 ライルが少しだけ目を見開いた。


「なんで?」


「第二共同倉庫の予備試験が今日終わります。その結果を見る前に別の表示方法まで追い始めると、また比べたいものが増えます」


「色布が良さそうだったとしても?」


「そもそも、良いのかどうかも分かりません」


 見ただけである。


 色布が用途を表しているとすら、確定していない。


 アマリリアが勝手に第二共同倉庫の試験と結びつけただけかもしれない。


「昨日は『似ている』と思いました。でも、それも私の見方です。実際には、店ごとの目印かもしれませんし、持ち主を示しているだけかもしれません」


「じゃあ、まだ何も分からない」


「はい」


「気になるのに?」


「かなり」


 アマリリアが即答すると、ライルが笑った。


「そこは変わらないな」


「変える必要がございませんもの」


「うん。俺もそう思う」


 気になる。


 知りたい。


 それ自体を捨てる必要はない。


 ただ、知りたいと思った瞬間に全部を追い始めなくてもよい。


「試験の結果を見たあと、それでも別の方法を比べる意味がありそうなら調べましょう」


「覚えてたら?」


「覚えております」


 少し強く答えると、ライルの口元が上がる。


「自信ある」


「昨日、あれほど気になったものですもの」


「でも紙には詳しく書いてないんだよな」


「はい」


「それでも覚えてる」


 ライルの言葉に、アマリリアは少しだけ黙った。


 手帳がないと忘れる。


 記録しなければ失う。


 どこかでそう思っていた。


 実際、細かな情報は記録した方がよい。


 けれど、自分にとって本当に強く残ったものまで、一日で消えてしまうわけではなかった。


「少し不思議です」


「何が?」


「書かなかったのに、ちゃんと覚えております」


「当たり前じゃない?」


「私には、あまり当たり前ではありませんでした」


 ライルは少し考えてから、穏やかに笑った。


「じゃあ昨日は、手帳なしでも大丈夫だったってことだな」


「完全に代わりにはなりません」


「そこは譲らないんだ」


「当然です」


 二人で小さく笑った。


          ◇◇◇


 やがてディーンとゼインが入室した。


 ディーンが抱えていたのは、今日の通常業務分の書類だけで、第二共同倉庫についての新しい報告はない。ゼインも、昨日のデートに同行しなかったためか、いつもよりわずかに興味深そうな視線をアマリリアの手首へ向けた。


「ゼイン」


「何でしょう」


「今、腕飾りを見ました?」


「見ました」


「何か?」


「特には」


 あまりにも淡々としている。


「似合っているくらい言ってもよろしいのでは?」


「お嬢様」


「何です?」


「言ってほしかったのですか」


 自分から求めた形になった。


 アマリリアは一瞬固まる。


 ライルが横で吹き出した。


「ゼイン!」


「お似合いです」


「今言われても遅いです!」


「難しいですね」


「何がです?」


「以前のお嬢様でしたら、私が装飾品を見た時点で『仕事中です』と仰っていたかと」


「……」


 否定できない。


「今は?」


「少しくらいなら構いません」


「では、変わられましたね」


「それを言うとまた成長観察になります!」


 ディーンまで口元を緩めている。


 昨日一日いなかっただけなのに、いつもの小会議室の空気が妙に懐かしかった。


「市場外出はいかがでした?」


 ディーンが書類を置きながら尋ねる。


 仕事上の報告を求める口調ではない。


 アマリリアは少し考えたあと、普通に答える。


「楽しかったです」


 室内が一瞬静かになった。


「何です?」


「いえ」


 ディーンがすぐに視線を逸らす。


「今、驚きましたね」


「少しだけ」


「なぜです!」


「以前でしたら、『有意義でした』から始まるかと」


 ゼインが静かに補足する。


「あるいは『いくつか気になる点がありました』でしょうか」


「皆様」


 アマリリアは両手を卓上へ置いた。


「私がどれだけ仕事しかしていない人間だと思っております?」


 三人が黙った。


「なぜ全員黙るのです!」


 ライルが堪えきれず笑い出した。


「俺はちゃんと、昨日楽しんでるところ見たから」


「殿下だけが味方です」


「珍しい」


 ゼインの一言でまた笑いが起きる。


 アマリリアも最後には諦め、頬を緩めた。


          ◇◇◇


 笑いが落ち着いたところで、通常業務へ戻った。


 今日の確認事項は多くない。


 旧様式二十七件のうち、まだ発生元が十分に整理できていない数件について、追加の地域記録が届いている。ただし、その内容だけで新しい傾向が確定するほどではなく、アマリリアたちは淡々と発生元と結果を表へ加えるだけに留めた。


「残っていたグレース領内の四件ですが」


 ディーンが一枚の一覧を卓上へ置く。


「三件まで村名が確認できました。一件はまだ共同集荷地点までしか遡れておりません」


「ルーデとベネへ集中しております?」


「いいえ」


 アマリリアはその返事に、むしろ少し安心した。


「分散している?」


「はい。別の三村です。三件とも一件ずつ」


「では、ルーデとベネだけに特別な問題があったと考える材料にはなりませんね」


「少なくとも今の段階では」


 ライルが一覧を見る。


「むしろ、あの二村は理由を追えたから目立っただけかもしれない?」


「その可能性もございます」


 アマリリアは頷いた。


 分かった事例ほど、問題が大きく見える。


 分からない事例は、数字の中で静かに残る。


「一件ずつの村へ、同じような詳細照会をします?」


 ディーンが尋ねる。


 アマリリアはすぐには答えなかった。


 昨日までなら、調べられるなら調べたいと思っただろう。


「その三件の結果は?」


「二件が現場書換、一件が救済手続きです。いずれも当日中に搬入されています」


「本人へ大きな損失が残った記録は?」


「現時点では確認されておりません」


「では、今すぐ各村の伝達経路まで追わなくてもよいと思います」


 ディーンが頷く。


「理由は?」


 ライルが尋ねた。


「ルーデとベネでは、同じ領内で受領後の伝達が曖昧だったうえ、実際に旧様式利用者が出ました。そこから通知の意味変化という問題が見えました。でも今回の三件は、まだ同じ原因と分かっておりません」


「書き間違いとか、古い用紙が残ってただけかもしれない?」


「ええ。今は発生事例として残し、同じ村や近い経路から繰り返し出るようなら優先して確認する方がよいと思います」


 ディーンが記録へ追記する。


「では、追加照会は保留。反復があれば優先度を上げる形で」


「お願いいたします」


 以前なら、一件でも理由不明があれば気持ち悪かった。


 今も気にならないわけではない。


 ただ、全部の理由を同じ深さで追うことが、本当に人のためになるわけではない。


 追う側にも。


 答える側にも。


 時間がかかる。


「アマリリア」


 ライルが小声で呼ぶ。


「何です?」


「今日、かなり止まれるな」


「昨日休みましたので」


「関係ある?」


「あると思います」


 少し考えてから続ける。


「昨日、仕事をしない時間を過ごしたから、今日すぐ全部やらなくても仕事は逃げないと分かった気がします」


「仕事は逃げない」


「残念ながら」


 ディーンが淡々と付け加えた。


「むしろ増える場合がございます」


「それは言わないでくださいませ」


 また小さな笑いが広がった。


          ◇◇◇


 昼になる前、セレーネのもとへ向かった。


 今日は王妃教育ではなく、先日整理した制度伝達の要点票について、追加で一つだけ相談する予定だった。


 王妃の執務室へ入ると、セレーネは書類から顔を上げた瞬間、アマリリアの手首へ視線を向けた。


「それね」


「何がです?」


「ライルが買ったもの」


「もうご存じなのです?」


「昨日帰ってきてすぐ聞いたわ」


 アマリリアは隣のライルを見る。


「殿下」


「何?」


「王妃様へ何をどこまでお話しになったのです?」


「腕飾りと栞と焼き菓子と昼ご飯と」


「十分多いです!」


「あと、君が荷札を見つけたけど調べなかったこと」


「そこまで!」


 セレーネが楽しそうに笑っている。


「いいじゃない。ちゃんとデート報告をしてくれたのよ」


「殿下から?」


「ええ」


「私にも報告するよう仰いましたのに」


「あなたからも聞きたいもの」


「同じ内容になります」


「同じ出来事でも、立場が違えば見え方が違うのでしょう?」


 完璧に返された。


 アマリリアは口を開いたまま止まり、やがて諦めたように息を吐いた。


「王妃様、それをここで使うのはずるいです」


「便利でしょう?」


「最近、皆様が便利な言葉を覚えすぎです」


 セレーネは笑いながら、二人へ座るよう促した。


「それで、楽しかった?」


 ライルではなく、アマリリアへまっすぐ尋ねる。


 昨日ハロルドへ答えた時と同じように、今度も迷わなかった。


「はい。とても」


「何が一番?」


「一番です?」


 少し困った。


 焼き菓子。


 買い物。


 腕飾り。


 花。


 手を繋いだこと。


 馬車で肩へ寄りかかったこと。


 一つに決めづらい。


「選ばなくてもいいわ」


 セレーネが言う。


「今、全部思い出した顔をしていたから」


「王妃様まで顔を読むのです?」


「母親だから」


「便利すぎません?」


 ライルが笑う。


「でも」


 アマリリアは少しだけ手首の葉飾りへ触れた。


「仕事をしなくても、一日が何も残らないわけではないと分かりました」


 セレーネの表情が少し柔らかくなる。


「それは良かったわ」


「昨日は何も調べておりません。気になるものは一つ見つけましたけれど、その場では聞きませんでした」


「苦しかった?」


「少しだけ」


「それでも?」


「ライル様と歩く方が大事でしたので」


 言ってから、室内が静かになったことに気づく。


 アマリリアは瞬きをした。


 セレーネが笑みを深めている。


 ライルは明らかに嬉しそうだ。


 控えていた侍女の一人まで、視線を少し下げながら口元を緩めている。


「……何です?」


「何も」


「王妃様」


「すごく自然に言うようになったと思って」


「また成長観察です!」


「でも本当でしょう?」


 否定できず、アマリリアは少しだけ頬を赤くした。


          ◇◇◇


「では、仕事のお話をしてもよろしいでしょうか」


「どうぞ」


 アマリリアはようやく本題へ入った。


 先日、セレーネから「誰に読ませるのか」と問われて止まっていた一枚要点票案。


 その後も、万能な配布先を決める答えは出ていない。


 昨日までのアマリリアなら、「そろそろ案を完成させなければ」と考えたかもしれない。


 今日は少し違った。


「要点票そのものを、全制度変更へ共通で使う必要はないと思い始めました」


 セレーネが眉を少し上げる。


「どうして?」


「制度によって、実際に使う人が違うからです」


「それは前にも出ていたわね」


「はい。でも、その違いをこちらで全部分類して、配布先一覧まで作ろうとすると、要点票より複雑な仕組みになります」


「そうね」


「ですので」


 アマリリアは一度言葉を区切った。


「要点票を必ず作ることではなく、『誰が実際に行動を変える必要がある制度か』を通知作成時に一度確認する仕組みの方が大事なのではないかと」


 セレーネはすぐに答えなかった。


「もう少し聞かせて」


「例えば今回の新様式なら、村役場が知るだけでは足りませんでした。共同倉庫、商人、場合によっては個人農家など、実際に用紙を配る・書く・持ち込む方へ届く必要がございました」


「ええ」


「別の制度なら、村役場だけで完結するかもしれません。ですから、『要点票をこの五種類の相手へ送る』と固定するのではなく、正式通知を出す前に『この変更で実際に行動を変える人は誰か』を確認する」


 ライルが隣で少し身を乗り出す。


「その答えによって、必要なら要点票を付ける?」


「はい。見本が必要なら見本を付ける。旧様式の回収が必要なら、それも書く。逆に三頁の正式通知だけで十分なら、余計な紙は増やさない」


「一枚要点票を制度にするんじゃなくて、考える項目の方を制度にする?」


 ライルの言葉に、アマリリアは少し考えてから頷いた。


「今のところは、その方が近いです」


 セレーネが二人を交互に見る。


「悪くないと思うわ」


 アマリリアは嬉しくなったものの、そこで結論にはしなかった。


「ただ、これも実際に通知を作る担当者の負担を増やします」


「そうね」


「毎回『誰が行動を変えるか』を細かく洗い出すのが現実的かは、ディーンや担当部署の方へ聞かなければ分かりません」


「そこまで考えているなら、聞きなさい」


「はい」


「でも」


 セレーネが少し笑う。


「今日中に決めなくていいわよ」


 先回りされた。


「分かっております」


「本当に?」


「昨日デートをした人間ですよ?」


「それは証明になるの?」


「一日仕事をしませんでした!」


 少し自慢げに言った自分が可笑しくなり、アマリリア自身も笑ってしまう。


「では、かなり信用しましょう」


 セレーネも笑った。


          ◇◇◇


 昼食後、アマリリアとライルは王宮の回廊を歩いていた。


 今日は庭へ行く予定ではなく、それぞれ別の仕事へ戻る途中である。


「アマリリア」


「何です?」


「昨日の荷札、まだ気になる?」


「気になります」


「朝と同じくらい?」


「少し減りました」


「減るんだ」


「今日の要点票のお話をしていたら、そちらへ頭が移りましたので」


「じゃあ忘れるかも?」


「それならそれでよいです」


 朝に話した時より、さらに自然に言えた。


「でも、本当に必要そうなら?」


「覚えていると思います。それに、第二共同倉庫の試験結果を見たあとで、別の表示方法の事例を比較したくなるかもしれません」


「その時に探す?」


「はい」


 先に探しておいて、使える材料を全部並べる。


 そうしなくてもよい。


「何だか」


 ライルが少し笑う。


「君、昨日一日でまた変わった?」


「一日で変わったわけではございません」


「じゃあ積み重なった?」


「それなら納得します」


 アマリリアは手首を少し持ち上げ、葉の腕飾りを見る。


「でも、昨日のことは大きかったのかもしれません」


「何が?」


「何も仕事をしない時間でも、無駄ではないと分かったことです」


 ライルの表情が柔らかくなる。


「また行こう」


「はい」


「次はどこがいい?」


「市場以外でも?」


「もちろん」


 アマリリアは少し驚いた。


 デート。


 市場。


 今まではほとんどその二つを一緒に考えていた。


「王都には、他にもございますものね」


「公園とか、劇場とか」


「劇場」


「嫌?」


「行ったことはございます。でも、殿下と二人ではありません」


「じゃあ候補」


「お父様が」


「そこは」


「また二人で頑張る?」


「はい」


 二人で同時に笑った。


 まだ次のデートの日程も決めていないのに、もうその次を考えている。


 でも。


 それでいい気がした。


          ◇◇◇


 午後も半ばを過ぎた頃、ディーンが小会議室へ戻ってきた。


 アマリリアとライルは別々の仕事を終え、ちょうどもう一度合流したところだった。


「第二共同倉庫から連絡が届いております」


 その一言に、アマリリアの視線が自然に上がる。


「安全上の問題です?」


「いいえ」


「では?」


「予備試験六日間が予定どおり終了したとの報告です」


 アマリリアは一瞬だけ机の上へ視線を落とした。


 いよいよ。


 結果が来る。


「集計まで届いております?」


「概要のみです。詳細集計は明日の午前中になる予定ですが、現場責任者から先に一つ確認したいことがあるとのことです」


「何でしょう」


 ディーンが手元の短い連絡票を開く。


「三種類の札のうち、どれか一つを『一番良かった案』としてまとめる形にするべきか。それとも、作業員や時間帯によって評価が分かれたこと自体を残すべきか、との問い合わせです」


 アマリリアは黙った。


 ライルも少しだけ眉を上げる。


「分かれた?」


「そのようです」


「どの程度?」


「詳細は明日です」


 アマリリアの中に、強い好奇心が湧く。


 現行札。


 用途欄追加。


 形状変更。


 どれが。


 誰に。


 どの時間で。


 どうだったのか。


 今すぐ知りたい。


 けれど。


 概要は明日まとまる。


 安全問題もない。


「現場責任者へ」


 アマリリアは少し考えてから答えた。


「無理に一番を作らなくてよいとお伝えくださいませ」


「よろしいのです?」


「評価が分かれたなら、それが結果では?」


 ディーンが少しだけ目を細める。


「『王宮へ報告するなら結論が必要だ』と考えている可能性があります」


「またですね」


 ライルが言う。


「王宮に出すなら答えを一つにしなきゃって」


「ええ」


 アマリリアは頷いた。


「一番を決めるための試験ではございません。誤配送を減らし、現場で無理なく使える方法を探すためです」


「では、『評価が分かれた場合は分かれたまま報告。理由や条件差が分かれば併記』で?」


「お願いします。ただし、現場で明確に使えないと判断されたものがあるなら、それもそのまま書いてくださいませ」


「承知しました」


 ディーンが記録する。


「詳細は明日、でよろしいですね」


 一応確認された。


 アマリリアは少しだけ笑った。


「はい。今日は見ません」


「殿下」


 ディーンが今度はライルを見る。


「俺も待つ」


「承知しました」


 それだけで話は終わった。


          ◇◇◇


 夜、自室へ戻ったアマリリアは、昨日と同じように机の前へ座った。


 小さな花はまだ元気だった。


 手首には葉の腕飾り。


 手帳を開く。


 今日は仕事の日だったので、書くことも昨日より多い。


 旧様式三件の追加起点。


 要点票ではなく、「実際に行動を変える人は誰か」を通知作成時に確認する案。


 第二共同倉庫の予備試験が終了したこと。


 評価が一つにまとまらなかったらしいこと。


 それらを必要な範囲だけ記す。


 そして最後に。


『昨日の色布付きの荷札は、今日も覚えていた。まだ調べていない』


 アマリリアはその一行を見た。


 忘れていない。


 でも。


 調べてもいない。


 以前なら、とても中途半端で落ち着かなかった状態だろう。


 今は。


 これでよいと思える。


 明日、倉庫試験の詳細を見る。


 その結果によって、昨日見つけた別の表示方法を調べる意味が生まれるかもしれない。


 逆に。


 別のことが重要だと分かり、忘れてしまうかもしれない。


 どちらでもよい。


 必要なら。


 その時に見ればいい。


 アマリリアはペンを置き、机の上の花を見た。


 昨日は仕事をしなかった。


 今日は仕事をした。


 どちらの日にも、それぞれ残ったものがある。


 以前の自分なら、仕事をしなかった一日を「何も進まなかった日」と見たかもしれない。


 今はそう思わない。


 ライルと歩いた。


 楽しかった。


 そして今日、仕事へ戻れた。


 それで十分に繋がっている。


 明日は、第二共同倉庫の予備試験結果を見る。


 おそらく、また簡単には一つの答えへまとまらない。


 けれど。


 その方が。


 今のアマリリアには、少しだけ楽しみだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。