第37話 殿下を好きな理由を聞いたら、嫌うどころか少しだけ分かってしまいました
親睦茶会が始まってから、一刻ほどが過ぎようとしていた。
王宮庭園には、開始直後まで残っていた張りつめた空気が少しずつ薄れ、若い貴族たちの穏やかな話し声が広がっている。白い布を掛けた円卓には、焼き菓子や小さな果実のタルト、薄く切ったパンへ肉や香草を挟んだ軽食が並び、給仕たちは客たちの会話を遮らないよう静かな足取りで紅茶を注いでいた。
庭園の奥では、小さな楽団が柔らかな曲を奏でている。春の終わりを感じさせる暖かな風が木々の若葉を揺らすたび、花壇から運ばれてきた甘い香りが紅茶の香りへ微かに混じった。
正式な夜会ほど格式張った場ではない。
だからこそ、招待された若者たちも時間が経つにつれて少しずつ肩の力を抜けるようになってきたらしい。
「ベスター伯爵領では、今年も南側の水路を改修なさる予定なのですか?」
向かいに座った子爵家の令嬢から尋ねられ、アマリリアは手にしていたカップを受け皿へ戻した。
「ええ。昨年の雨季に一部で水の流れが悪くなった箇所がございましたので、今年は雨季へ入る前から手を入れる予定だと聞いております」
「伯爵家のご令嬢が、そこまで領内のことをご存じなのですね」
「父が何も教えてくれなければ、自分で書類を見ますので」
何でもないことのように答えると、令嬢が少し目を丸くした。
「ご自分で?」
「気になりますでしょう?」
「それは……そうですけれど」
「でしたら、調べればよろしいのです」
「なるほど」
隣に座っていた別の令嬢が、堪えきれなかったように小さく笑った。
「アマリリア様らしいですわね」
「私らしい?」
「ええ。学園でも、分からないことを分からないままにしておかれる印象がございませんもの」
「それは褒め言葉として受け取ってよろしいです?」
「もちろんです」
「でしたら、ありがとうございます」
アマリリアも少し笑った。
最初はどうなることかと思っていた茶会も、いざ始まってしまえば思っていたより普通に会話できている。
もちろん、ここへ集まった全員が純粋に親睦だけを目的としているわけではないだろう。
第一王子ライル・アースハルトの正式な婚約者となった自分が、どの程度社交へ対応できるのか。王妃セレーネとどれほど近い関係なのか。そして何より、ライルとの婚約が王家から示された形式だけのものではなく、本当に良好な関係を築けているのか。
そういったものを確かめようとする視線が混ざっていることくらい、アマリリアにも分かっている。
けれど、だからといって全員を敵だと考える必要はない。
昨日の自分なら頭では理解していたそのことを、今日は少しずつ実感できるようになっていた。
「アマリリア」
少し離れた場所から、聞き慣れた声で名前を呼ばれた。
反射的に顔を向けると、ライルが数人の子息たちと話している。その輪から離れたわけではなく、手にしていたカップを僅かに持ち上げてこちらへ見せただけだった。
「……?」
何だろうと首を傾げると、ライルは自分のカップを指したあと、今度はアマリリアの手元へ視線を落とした。
そこでようやく気づく。
自分のカップは、いつの間にか空になっていた。
話へ集中していて、まったく気づいていなかったらしい。
ライルが少しだけ笑い、近くを通る給仕へ視線を向ける。
呼ぶ?
恐らく、そう聞いている。
アマリリアは小さく首を横へ振ると、自分から給仕へ声をかけた。新しい紅茶を注いでもらい、礼を告げてからもう一度ライルを見る。
今度は小さく頷いた。
大丈夫。
そう伝えるつもりで。
ライルも同じように頷き、今度こそ目の前の子息たちとの会話へ戻っていった。
「アマリリア様?」
向かいの令嬢から声をかけられ、アマリリアも慌てて視線を戻した。
「失礼いたしました」
「いいえ」
令嬢は何かを察したらしく、少しだけ口元を緩めている。
「仲がよろしいのですね」
「……」
少し前までなら、こう言われただけで反射的に否定したくなっていたかもしれない。
今は違う。
「ええ」
少しだけ頬へ熱を感じながらも、アマリリアは逃げずに答えた。
「おかげさまで」
令嬢たちの表情がさらに柔らかくなる。
「素敵ですわ」
「とてもお似合いです」
「ありがとうございます」
まだ恥ずかしい。
それでも、自分とライルの関係を他人から見られることが、以前ほど嫌ではなくなっていた。
◇◇◇
やがて楽団の演奏が一度止まり、給仕たちが新しい菓子や紅茶を運び始めた。
招待客たちも自然と席を立ち、それまでとは違う相手と話すために庭園の中を移動し始める。アマリリアも先ほどまで話していた二人の令嬢へ礼を告げ、少しだけ肩の力を抜いた。
その時だった。
「アマリリア様」
聞き覚えのある声に呼ばれ、振り返る。
そこには、淡い藤色のドレスを身につけたレティシアが立っていた。
表情は穏やかだったが、最初に挨拶を交わした時よりも僅かに肩へ力が入っている。両手を身体の前で重ねた姿も落ち着いて見えるのに、指先だけがほんの少し動いていた。
「レティシア様」
「先ほどお願いしたお話のことなのですが、今、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
来た。
そう思った瞬間、アマリリアの胸が少しだけ強く鳴った。
話すこと自体が嫌なわけではない。むしろ何を話すのか気になっている。
それでも、ライルを好きだと正面から認めた相手と二人で話すのだと思えば、まったく緊張しない方がおかしいのだろう。
「もちろんです」
アマリリアが頷くと、レティシアは僅かに安堵したように笑った。
「ありがとうございます」
「どちらでお話ししましょう?」
「もしよろしければ、もう少し人の少ないところでお願いできますか」
その言葉に、ほんの少しだけ警戒が浮かびかける。
しかし、すぐにアマリリアはその感情を飲み込んだ。
レティシアは先ほど、自分の知らないところでライルへ近づくような真似はしたくないと言っていた。自分で自分を嫌いになるようなことはしたくないとも。
その相手へ、何もされていないうちから疑いを向けるのは違う。
「分かりました」
アマリリアは一度周囲へ目を向けた。
少し離れた場所にセレーネがいる。別の令嬢と会話をしているようだったが、こちらの動きには既に気づいていたらしい。
視線が合った。
アマリリアが一度だけレティシアへ目を向けると、セレーネは意味を理解したように小さく頷いた。
止めない。
自分で決めなさい。
そんな顔だった。
そして、もう一人。
アマリリアは無意識にライルの姿を探した。
庭園中央付近で侯爵家の子息と話している姿を見つける。向こうもこちらを気にしていたらしく、ほとんど同時に目が合った。
ライルの眉が僅かに上がる。
レティシアと話しに行く?
言葉などなくても、そう尋ねられている気がした。
アマリリアは小さく頷く。
昨日の約束を思い出した。
嫌になったら戻ってきて。
でも、今はまだ大丈夫だ。
それを伝えるように、今度は先ほどよりはっきりと笑ってみせる。
ライルは数秒こちらを見ていた。
それから。
ゆっくりと頷いた。
来ない。
止めない。
こちらの判断を任せてくれる。
そのことが、胸の奥を少しだけ温かくした。
「アマリリア様?」
「失礼いたしました」
アマリリアはレティシアへ向き直った。
「参りましょう」
「はい」
二人は並んで、庭園中央から少し離れた東屋へ向かって歩き始めた。
◇◇◇
王宮庭園の東側、生垣の向こうへ設けられた小さな東屋は、完全に人目を遮る場所ではなかった。
庭園側から姿は確認できるし、少し離れた場所には巡回する近衛騎士もいる。ただ、楽団の音や招待客たちの声からは十分に離れており、普通の声で話している限り、内容までは届かない程度の距離だった。
ゼインたちも、どこか見える範囲にはいるのだろう。
アマリリアは東屋へ入る前に一度だけ周囲を確かめた。
レティシアは急かすことなく、その確認が終わるのを黙って待っている。
「こちらでよろしいです?」
「はい」
「座りましょうか」
「お願いいたします」
二人は石造りの長椅子へ腰を下ろした。
向かい合うのではなく、少し間を空けて同じ方向を向く形である。生垣を越えてきた春風が頬を撫で、花の香りを運んでくる。
少しの間、レティシアは口を開かなかった。
先ほどは、正式な婚約を壊すつもりはないと真っ直ぐ言い切った人である。それなのに今は、膝の上へ重ねた指先を僅かに組み直しながら、最初の言葉を探しているようだった。
「レティシア様」
「はい」
「無理にお話しにならなくてもよろしいですわよ」
レティシアが顔を上げる。
「え?」
「先ほどより緊張なさっておりますでしょう?」
「……分かります?」
「少しだけ」
少し前までなら、人の表情を読むことより隠された意図や危険性を探ろうとしていた。
今は。
目の前の人が、何を感じているのかを見ようとしている。
「もし、私へ何かを伝えなければならないと思っていらっしゃるのでしたら、その必要はございません」
アマリリアはレティシアを見た。
「殿下をお好きなことも、そのお気持ちをすぐには消せないことも、もう伺いました」
「はい」
「私はそれを理由に、レティシア様を責めるつもりはございません」
レティシアの目が少し大きくなる。
「本当に?」
「嫉妬はしておりますけれど」
「……」
「そこは別です」
レティシアの表情が僅かに緩んだ。
「アマリリア様は、ご自分から嫉妬していると仰るのですね」
「最近そうなりました」
「色々あったから?」
「かなり」
アマリリアがそう答えると、レティシアが小さく笑った。
「羨ましいです」
「何がです?」
「ご自分のお気持ちを、そうして言葉へできることが」
意外な返事だった。
レティシアは率直な人だと思っていた。
少なくとも今日見た限りでは、言うべきことから逃げる人ではない。
「レティシア様も、かなり率直では?」
「今日だけです」
「そうなのです?」
「はい」
レティシアは少し遠くを見るように庭園中央へ視線を向けた。
「むしろ私は、ずっと何も言わない方でした」
「何も?」
「殿下をお慕いしていることも、ご本人へは一度も申し上げたことがございません」
「一度も?」
「はい」
それは意外だった。
過去に何度か夜会で会話をしており、ライル自身も何となく好意には気づいていたと言っている。
それでも、本人へ直接伝えたことはない。
「それは……なぜです?」
レティシアの指先が僅かに動いた。
「怖かったからです」
「断られることが?」
「それもございました」
レティシアは一度息を吸い、少し寂しそうに笑った。
「でも、それ以上に。殿下の前では、自分の気持ちが何なのか分からなくなることがございました」
「ご自分の気持ちが?」
「はい」
「どういう意味です?」
レティシアは少し考えたあと、ゆっくり話し始めた。
「私が初めてライル殿下をきちんと見たのは、十二歳の頃です」
六年前。
アマリリアは自然に頭の中で計算する。
ライルも十二歳。
今より随分幼かった頃だ。
「王宮で春の祝宴がございました。その時、私も父に連れられて参加していたのです」
「ええ」
「私は昔から、今ほど社交が得意ではございませんでした」
「意外です」
「よく言われます」
レティシアは少し笑った。
「侯爵家の娘ですから、礼法も会話も幼い頃から教えられてきました。でも、教えられてできることと、好きでできることは別でしょう?」
「……分かります」
その感覚は、アマリリアにも理解できた。
できること。
望んでやること。
それは同じではない。
「その日、私は庭園で同年代の令嬢たちと一緒に歩いておりました。その中に一人、足の不自由な伯爵家の令嬢がいらしたのです」
レティシアの声が少し静かになった。
「その方は、他の者より歩くのが遅かった。皆に悪意があったわけではないと思います。けれど話しながら移動しているうちに、その方は少しずつ後ろへ遅れていきました」
レティシアは少しだけ視線を落とした。
「誰も待ちませんでした。私もです」
「気づいていたのに?」
「気づいておりました」
「でも、待てなかった」
「はい」
言い訳を探す様子はなかった。
ただ、自分がしたことをそのまま口にしている。
「自分だけ戻れば目立つと思いました。皆が進んでいるのに、私だけ立ち止まったら変な目で見られる気がして。それが怖かったのです」
レティシアは膝の上へ置いた手を見つめた。
「十二歳でしたから。そう言えば、少しくらいは許されるのかもしれません」
けれど、と彼女は続ける。
「私は今でも、あの時のことを覚えております」
そこで。
アマリリアには何となく先が見えた。
「殿下がいらした?」
レティシアが顔を上げた。
「はい」
やはり。
「ライル殿下は、私たちより少し離れたところを歩いていらっしゃいました。私たちが先へ進み、その令嬢が後ろへ残った時も、最初は何も仰らなかったのです」
「それで?」
「ただ、その令嬢の隣まで行って」
レティシアの目が、六年前を思い出すように少し柔らかくなる。
「同じ速さで歩き始められました」
アマリリアは、その場面を想像した。
まだ十二歳のライル。
今より幼い第一王子。
周囲から常に見られる立場で。
遅れている令嬢の隣へ何も言わず立つ。
「何も言わずに?」
「最初は」
レティシアが頷いた。
「その令嬢が、『殿下はどうぞ先へ行ってくださいませ』と仰ったのです」
「殿下は何と?」
「『俺もゆっくり歩きたいから』と」
「……」
アマリリアの口元が少し緩んだ。
あまりにも。
ライルが言いそうだった。
「嘘ですわね」
「ええ」
レティシアも笑った。
「恐らく」
「殿下、歩くのはかなり速いですもの」
「ご存じなのですね」
「何度置いていかれそうになったと思っております?」
「まあ」
二人の間に、先ほどより柔らかな笑いが生まれる。
「結局、ライル殿下がゆっくり歩かれたものですから、私たちも待たざるを得なくなりました」
「王子だけ置いて先へは行けませんものね」
「ええ」
少し可笑しく。
でも優しい方法だ。
「それから、殿下は私たちへ特に何も仰いませんでした」
「叱らなかったのです?」
「はい」
「意外ですわね」
「私も当時はそう思いました」
レティシアは一度言葉を切った。
「ただ、帰り際に私だけを呼ばれました」
「レティシア様だけ?」
「はい」
声が少し小さくなる。
「『気づいてたよね』と」
アマリリアの表情から、自然と笑みが消えた。
「それだけ?」
「それだけです」
「責める言葉も?」
「何も」
けれど。
それだけで。
十分だったのだろう。
「言い訳できませんでした」
レティシアが少しだけ自嘲するように笑った。
「皆が行ったからとか、私だけ戻れなかったとか、言おうと思えば色々言えたのです。でも殿下は、ただ私が答えるのを待っていました」
「それで?」
「私は、『気づいておりました』と答えました」
アマリリアは黙って続きを待った。
「そうしましたら殿下は」
レティシアが少しだけ目を細める。
「『次は待てばいい』と」
「……」
「それだけでした」
長い説教ではない。
責めてもいない。
過去の失敗を許さないとも言わない。
でも。
気づいていたことから逃げさせず。
次にどうすればいいのかだけを渡す。
「殿下らしいですわね」
アマリリアが自然にそう呟くと、レティシアが少し驚いたようにこちらを見た。
「そう思われます?」
「ええ」
「昔からそのような方でした?」
「昔の殿下は存じませんけれど」
アマリリアは少し笑った。
「最近の殿下は、待つのがお上手になりましたので」
「……そうなのですね」
レティシアは何か意味を考えたようだったが、それ以上深くは聞かなかった。
「その言葉が、ずっと頭から離れませんでした」
「『次は待てばいい』」
「はい」
「それが?」
「最初です」
レティシアは今度こそ、まっすぐアマリリアを見た。
「私がライル殿下を好きになったきっかけです」
胸の奥が。
少しだけ。
痛んだ。
だが同時に。
分かってしまった。
それが一番困る。
「……アマリリア様?」
「困りました」
「またですか?」
「ええ」
アマリリアは小さく息を吐いた。
「それは、好きになりますわね」
今度はレティシアが完全に動きを止めた。
「……」
「何です?」
「いえ」
「何でしょう?」
「婚約者であるアマリリア様から、『好きになりますわね』と同意されるとは思いませんでした」
「だって、仕方ございませんでしょう?」
少しだけ頬を膨らませる。
「十二歳の殿下にそのようなことをされたら、私でもかなり意識すると思います」
レティシアが堪えきれなかったように笑った。
「ありがとうございます」
「何のお礼です?」
「分かっていただけたので」
「分かりたくなかったです」
「まあ」
「もっと、どうでもよい理由ならよかったですのに」
「殿下のお顔が好みだった、とか?」
「それならまだ悔しいだけで済みます」
「充分悔しいのですね」
「当然でしょう?」
二人は顔を見合わせる。
そして。
今度は先ほどより自然に笑った。
◇◇◇
笑いが落ち着くと、東屋へ少しだけ静かな時間が戻った。
庭園中央からは、再び始まった楽団の演奏と客たちの話し声が届いている。ここまで離れていても、茶会が穏やかに続いていることは分かった。
レティシアは一度、膝の上で重ねていた手を組み直した。
「それから私は、殿下をよく見るようになりました」
その言葉には。
正直。
少しだけ胸がざわついた。
それでもアマリリアは逃げずに聞く。
「夜会でも?」
「はい」
「学園でも?」
「時々」
「まあ」
レティシアが少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「嫉妬しました?」
「少し」
「本当に正直ですね」
「最近の方針です」
「便利ですね」
「かなり」
また小さな笑いが生まれた。
けれど、そのあとレティシアの表情はゆっくり真面目なものへ戻っていった。
「でも、見れば見るほど分からなくなったのです」
「何が?」
「私が、本当に殿下を好きなのか」
アマリリアが目を瞬く。
「……?」
「先ほども少し申し上げましたが」
レティシアは、自分でも言葉を探すように少し時間を置いた。
「私が好きなのは、十二歳の時に『次は待てばいい』と言ってくださった殿下なのか。第一王子として誰かを助ける、理想的な姿なのか」
一度、声が少し揺れる。
「それとも、今ここにいらっしゃるライル殿下ご本人なのか」
アマリリアは、すぐには何も言えなかった。
それは。
簡単な問いではない。
「ずっと考えていたのです」
「六年間?」
「もちろん、六年間ずっとそのことだけを考えていたわけではありません」
レティシアが少し笑った。
「でも、殿下へ想いを告げようと思うたびに止まりました」
「なぜ?」
「もし殿下が第一王子でなかったら」
レティシアはアマリリアを見た。
「同じように好きだったのか」
「……」
「もし、あの日に私へ言葉をくださった方が別の人だったなら」
少し寂しそうに笑う。
「私は、その方を好きになったのではないか」
アマリリアの胸に、先ほどまでとは違う感情が生まれた。
嫉妬だけではない。
少し。
分かる気がした。
「それをずっと考えていらしたのですね」
「はい」
「だから告げなかった」
「そうです」
「どうしてそこまで?」
「もし」
レティシアはゆっくりと言葉を選んだ。
「私が好きなのが、私の中で勝手に作り上げた『優しい第一王子』だったら」
少しだけ視線を下げる。
「ライル殿下ご本人へ、とても失礼でしょう?」
アマリリアは、すぐに返事ができなかった。
胸へ。
少し。
刺さる。
自分が最初、ライルをどう見ていたかを思い出したからだ。
第一王子。
父が押しつけようとする婚約を逃れるために利用できる立場。
王家の権力を持つ相手。
婚約者へしてしまえば便利な人。
あの時の自分は。
ライル個人を、どれほど見ていただろう。
「アマリリア様?」
「少し、耳が痛いですわ」
「え?」
アマリリアは苦笑した。
「私は最初、殿下をかなり立場で見ておりましたので」
「第一王子だから?」
「ええ」
「それで婚約を?」
「利用できると思いました」
レティシアが目を瞬いた。
「……かなり率直ですね」
「最近の方針です」
「便利です」
「でしょう?」
二人は少しだけ笑った。
だが、アマリリアはすぐに真面目な表情へ戻った。
「でも、今は違います」
「はい」
「殿下が第一王子でなくても」
一度。
胸の中で確かめる。
答えは。
もう分かっている。
「私は、殿下を好きだと思います」
口にした瞬間、やはり少し恥ずかしくなった。
それでも、レティシアの前で言ったことを後悔はしなかった。
レティシアはしばらくアマリリアを見つめたあと、静かに息を吐いた。
「羨ましいです」
「また?」
「はい」
「何がです?」
「それを迷わず言えることが」
「……」
「私は、まだ答えが出ていません」
レティシアは庭園中央の方へ目を向けた。
そこにはライルがいる。
けれど。
アマリリアはそちらを見なかった。
今は目の前のレティシアを見る。
「だから」
「はい」
「殿下へ想いを告げるつもりはございません」
「……」
「この気持ちを持っていることは認めます。まだ消せないことも」
レティシアは胸元へ軽く手を添えた。
「でも、殿下に受け取っていただこうとは思いません」
強がっているわけではない。
寂しさはある。
それでも。
自分で決めている。
そんな声だった。
「アマリリア様」
「何でしょう?」
「私は、あなたへ謝るべきでしょうか」
「なぜです?」
「あなたの婚約者を、まだ好きでいることを」
アマリリアはすぐには答えなかった。
風が生垣の葉を揺らし、遠くからカップの触れ合う小さな音が聞こえる。
考える。
嫌ではある。
少し胸も痛い。
それでも。
謝ってもらうようなことではない。
「いいえ」
やがてアマリリアは答えた。
「謝らないでくださいませ」
レティシアの目が少し大きくなる。
「ですが」
「私が嫌な気持ちになることと、レティシア様が謝る必要があることは別です」
「……」
「王妃様から、似たようなことを教わりました」
「王妃陛下が?」
「ええ」
「恋愛相談を?」
「最近、かなり」
「まあ」
「かなり困っております」
レティシアが小さく笑った。
「でも」
アマリリアは少しだけ姿勢を正した。
「レティシア様は何もしておりません。私を退けようとも、殿下へ隠れて近づこうともしていない」
「はい」
「でしたら、好きでいるだけなら、私が止めることではございません」
言葉へできた。
それでも。
胸の痛みが全部消えたわけではない。
消す必要もないのだと思う。
「ただし」
アマリリアが続けると、レティシアも少しだけ姿勢を正した。
「はい」
「嫉妬はします」
「……」
「それは許してくださいませ」
数秒。
レティシアは完全に言葉を失った。
やがて、本当に困ったような笑みを浮かべる。
「許すも何もございません」
「でしたら」
「むしろ」
レティシアは少しだけ言葉を選んだ。
「少し嬉しいです」
「なぜ?」
「アマリリア様が、殿下を本当にお好きなのだと分かりますので」
「……」
今度はアマリリアの頬が一気に熱くなった。
「レティシア様」
「はい」
「今、それを言う必要ございました?」
「最近の方針です」
「私のを取らないでくださいませ」
「便利でしたので」
「まあ」
結局。
二人はまた小さく笑った。
◇◇◇
東屋を出た頃には、庭園の楽団も二曲ほど演奏を進めていた。
「思ったより長くお話ししましたね」
レティシアが庭園中央へ戻る道を歩きながら言った。
「ええ」
「申し訳ございません。アマリリア様は本日の主役のお一人ですのに」
「主役と言われると落ち着きませんわ」
「正式婚約後、初めての王宮茶会でしょう?」
「そうですけれど」
「でしたら主役です」
「……」
「嫌です?」
「少し」
「正直ですね」
「最近の方針です」
「また」
二人で小さく笑った。
不思議だった。
ほんの少し前まで、レティシアは「ライルを好きな令嬢」という情報でしかなかった。
けれど今は違う。
十二歳の頃、自分が気づいていたのに動けなかったことを今も覚えている人。
六年前にもらった一言を、ずっと大切にしてきた人。
自分の感情が本当に何なのかを確かめようとし続けている人。
好きな相手に婚約者ができても、陰へ隠れて近づくのではなく、婚約者本人へ先に話そうとした人。
嫌いになれない。
本当に。
困るほど。
「アマリリア様」
「何です?」
「一つだけ」
レティシアが立ち止まった。
「本当に、ありがとうございます」
「何のお礼です?」
「聞いてくださったことです」
「私も気になっておりましたので」
「それでも」
レティシアはゆっくり頭を下げた。
「嬉しかったです」
アマリリアも少し黙った。
それから。
「では、私からも一つ」
「何でしょう?」
「殿下を好きになった理由は、よく分かりました」
「はい」
「それで」
アマリリアは少しだけ困ったように笑った。
「やはり、少し嫌です」
「まあ」
「でも」
レティシアをまっすぐ見る。
「レティシア様のことは、嫌ではございません」
レティシアが目を瞬いた。
それから、ゆっくり笑う。
「十分です」
「本当に?」
「はい」
「でしたら」
アマリリアも少し笑った。
「よかったです」
二人は再び並んで、庭園中央へ戻っていった。
◇◇◇
そして。
庭園中央へ戻った直後。
ライルがいた。
「殿下?」
「おかえり」
あまりにも自然に言われ、アマリリアは少しだけ目を細めた。
「待っておりました?」
「少し」
多分。
少しではない。
ライルが立っていたのは、東屋から戻ってくる道を確認できるものの、こちらへ圧をかけるほど近くはない絶妙な位置だった。
明らかに、待っていた人の場所である。
「ライル殿下」
レティシアが丁寧に礼をした。
「お久しぶりでございます」
「ああ。久しぶり、レティシア嬢」
ライルも王子らしい表情へ戻って挨拶を返す。
「正式なご婚約、おめでとうございます」
「ありがとう」
それだけ。
ごく普通の短いやり取りだった。
なのに。
アマリリアは見てしまう。
レティシアがライルを見る目が、ほんの少し柔らかくなることを。
胸が小さく痛んだ。
やっぱり。
嫉妬する。
でも。
先ほどまでとは少し違う。
理由を知っているからだ。
十二歳のライル。
『次は待てばいい』
そんなことを言われれば。
好きになる。
分かってしまう。
分かってしまうのが、少し悔しい。
「アマリリア?」
ライルの声で我に返る。
「何です?」
「どうした?」
「何も」
そう答えかけて。
やめた。
最近の方針。
思い出した。
「……少し嫉妬しております」
ライルが完全に固まった。
「え?」
「何です、そのお顔は」
「いや」
隣ではレティシアまで目を大きくしている。
「アマリリア様、ご本人へ仰るのですね」
「最近の方針です」
「強いですね」
ライルもようやく口元を緩めた。
「嬉しい」
「殿下」
「何?」
「そこは喜ばないでくださいませ」
「でも」
「でも?」
「君が戻ってきたから」
胸の奥が。
温かくなる。
「戻りました」
「うん」
「約束でしたので」
「それだけ?」
少し。
ずるい質問だと思う。
アマリリアは目を細めた。
「殿下」
「何?」
「ここは人が多いです」
周囲を見れば、若手貴族の何人かはこちらの会話が気になる様子を見せながら、それでも露骨には振り返らないよう努力している。
さらに遠くでは、セレーネが完全にこちらを見ていた。
しかも楽しそうである。
「じゃあ、あとで聞く」
「待つのですね」
「得意になったから」
アマリリアは少し笑った。
「でしたら、あとで」
「分かった」
ライルの表情が柔らかくなる。
その二人の様子を見ていたレティシアが、小さく笑った。
「本当に」
「何です?」
「お似合いです」
今度はアマリリアとライルが同時に止まった。
「レティシア様」
「はい」
「今、それを仰るのです?」
「言いたかったので」
アマリリアが返事を探している間に、レティシアは丁寧に礼をした。
「私は、他の皆様へもご挨拶してまいります」
「ええ」
レティシアが離れていく。
その背中を見送っていると、隣へライルが立った。
「何を話したの?」
聞いてから。
すぐに言い直す。
「言いたくなければいいけど」
「殿下」
「何?」
「聞いて構いません」
「本当に?」
「ええ」
アマリリアは少し離れていくレティシアを見た。
「殿下を好きになった理由を伺いました」
「理由?」
「十二歳の頃のことです」
「俺が十二歳?」
「ええ。殿下が、足のお悪い令嬢へ歩調を合わせて歩かれたそうです」
ライルの眉が僅かに寄った。
「……誰?」
「覚えておりません?」
「足の悪い……」
少し考える。
「……ああ」
「思い出しました?」
「何となく」
「まあ」
「何?」
「レティシア様は六年間覚えていらしたのに」
ライルは本当に分からないという顔をする。
「俺、そんな大したことした?」
アマリリアはその言葉を聞き、思わず少し笑った。
やっぱり。
この人なのだ。
「殿下」
「何?」
「そういうところです」
「何が?」
「好きになられるのです」
「……」
ライルが完全に固まった。
「え?」
「レティシア様のお気持ちが、かなり理解できました」
「アマリリア」
「何です?」
「それ、婚約者が言う?」
「私も困っております」
「何で?」
「理由が良すぎました」
「……」
「もっと、殿下のお顔が好みだったとかなら、ここまで納得しなかったと思います」
「それはそれで嫌じゃない?」
「嫌です」
「じゃあ、どっちでも嫌じゃないか」
「ですが、今より単純です」
「難しいな……」
ライルが何とも言えない顔をする。
そのあと。
少しだけ声を落とした。
「それで、大丈夫だった?」
アマリリアはライルを見る。
少し胸が痛んだ。
嫉妬もした。
今もしている。
でも。
それは「大丈夫ではない」ということとは違う。
「はい」
アマリリアは頷いた。
「少し嫉妬しました」
「うん」
「今もしております」
「うん」
「でも、大丈夫です」
ライルの表情から、少し緊張が抜けた。
「そっか」
「ええ」
「戻ってきてくれたし」
「それ、また仰ります?」
「嬉しかったから」
アマリリアの頬がまた少し熱くなる。
「殿下」
「何?」
「ここ、人が多いです」
「知ってる」
「でしたら」
「でも本当だから」
「最近、それで押し切りますわね」
「君もだろ?」
「……」
「お互い様?」
アマリリアは数秒ライルを見た。
それから。
小さく笑う。
「婚約者ですので」
「取られた」
「早い者勝ちです」
二人で笑う。
周囲の若い貴族たちが、また僅かに口元を緩めていることにも気づいた。
けれど。
今日は。
それがあまり嫌ではなかった。
◇◇◇
茶会は、その後も穏やかに続いた。
アマリリアはレティシアとばかり話すことはせず、意識して別の令嬢や子息たちとも会話をした。
王妃教育で教えられた通り、特定の家へ長く時間を割かない。
ライルの側へずっと張りつかない。
自分で話して。
困ったら戻る。
それを。
少しずつ実践できている気がした。
途中、レティシアがライルと短く会話する場面も一度あった。
本当に短い挨拶程度だった。
それでも。
アマリリアは見てしまった。
胸も少しざわついた。
けれど。
黒装束を呼ぼうとは思わなかった。
そのことに気づいた瞬間、自分でも少し可笑しくなった。
「何か楽しそうね」
隣からセレーネが声をかけてくる。
「王妃様」
「何?」
「私、今少し成長を実感しております」
「どんな?」
「殿下がレティシア様とお話ししていても、黒装束を呼ぼうと思いませんでした」
セレーネが数秒止まった。
そして。
すぐに口元を手で覆った。
「王妃様」
「ごめんなさい」
「笑っております?」
「だって、基準が」
「私にとっては大きな進歩です」
「それはそうだけど」
「でしょう?」
「ええ」
まだ少し笑いながらも、セレーネは頷いた。
「本当に成長したわね」
「褒めております?」
「かなり」
「でしたら、よろしいです」
アマリリアも少し笑った。
そのまま、またライルの方へ目を向ける。
ちょうどレティシアとの会話が終わったところだった。
離れようとしたレティシアと、一瞬だけ目が合う。
レティシアは少し困ったように笑った。
アマリリアも、自分の胸元へ軽く手を触れる。
嫉妬はある。
でも。
同時に。
少し安心している。
レティシアなら、自分の知らないところで何かをすることはない。
少なくとも。
今はそう信じられる気がした。
「王妃様」
「何?」
「恋敵というものは」
「うん?」
「友人になれるのでしょうか」
今度はセレーネが少し驚いた顔をした。
「なりたいの?」
「分かりません」
「そう」
「でも、嫌いではないので」
セレーネは少し考えたあと、柔らかく笑った。
「なら、なれるかもしれないわね」
「簡単です?」
「分からない」
「まあ」
「だって、感情ってそんなに綺麗に一つずつ分かれないでしょう?」
「……」
「嫉妬しながら好きになることもあるし、苦手なのに信頼することもある。嫌だと思うところがあっても、友人になれないとは限らないわ」
「ええ」
「その人を何と呼ぶかは」
セレーネは少しだけ笑った。
「後から決めればいいのよ」
アマリリアは、その言葉を胸の中で一度転がした。
どこか。
自分とライルの関係にも似ている。
始まりは偽装。
仮の婚約。
名前だけが先にあった。
けれど、その中身は後から変わっていった。
そして今。
正式な婚約者となり。
互いに好きだと知っている。
「そうですわね」
アマリリアは小さく笑った。
「今は、それでいい気がします」
◇◇◇
その夜。
ベスター伯爵家へ戻ったアマリリアは、自室の窓辺へ立ちながら、昼間のことを何度も思い返していた。
茶会は無事に終わった。
大きな失敗もなかった。
ライルと離れた場所でも、自分で他の貴族と話すことができた。
困ったら戻れる。
そう思えたからこそ。
安心して離れていられた。
そして。
レティシア。
会う前は、ライルを好きな令嬢というだけで胸が落ち着かなかった。
実際に会えば。
やはり嫉妬した。
レティシアがライルを見る目を見た時には、胸も痛んだ。
けれど。
それだけではなかった。
「『次は待てばいい』……ですか」
アマリリアは窓の外へ広がる夜の庭を眺めながら呟いた。
十二歳のライル。
誰かを大声で叱るでもなく。
見て見ぬふりをしたことを責め続けるでもなく。
気づいていたことだけは見逃さず。
次にどうすればいいかだけを渡す。
そういう人だった。
「それは、好きになりますわね」
昼間、レティシアへ言ったのと同じ言葉を、今度は一人で口にする。
言ってから。
少し悔しくなる。
「殿下は昔から余計なことばかりなさいますのね」
もちろん。
余計なことではない。
分かっている。
それでも、文句くらいは言いたかった。
そして。
もう一つ。
レティシアの話を聞いたことで、自分自身についても気づいたことがある。
もしライルが第一王子でなかったら。
自分は同じように好きだったのか。
答えは、ほとんど考える間もなく出た。
好きだ。
多分ではない。
きっと。
第一王子でなくても。
少し抜けているところも。
人を見ているところも。
待つことを覚えてくれたところも。
自分の嫌を嫌として受け止めてくれるところも。
自分が言いたくなるまで待ってくれるところも。
自分を選んだと真っ直ぐ言うところも。
全部。
好きなのだと思う。
「……」
そこまで考え、アマリリアは額へ片手を当てた。
顔が少し熱い。
「これは、まだ殿下には言えませんわね」
最近は正直に言うことを意識している。
けれど、何でもすぐに伝えなければならないわけではない。
これは。
まだ。
自分の中へ置いておきたい。
でも。
いつかは言えるかもしれない。
そう思えること自体が、以前の自分とは随分違っていた。
窓を閉めようと手を伸ばした時。
控えめに扉が叩かれた。
「お嬢様」
「何です?」
侍女の声だった。
「王宮より、お届け物がございます」
「この時間に?」
「はい」
少し不思議に思いながら扉を開けると、侍女が小さな封筒を両手で持っていた。
「どなたから?」
「第一王子殿下からです」
「……殿下から?」
「はい」
アマリリアは少しだけ動きを止めた。
「何かございました?」
「中身までは存じ上げません」
「当然です」
封筒を受け取る。
王家の正式文書に使われる重い封ではなく、簡易的な印だけが押された私的なものだった。
侍女はまだ。
こちらを見ている。
「侍女さん」
「はい」
「出ていってくださいませ」
「まだ何も申し上げておりません」
「お顔が何か言っております」
「失礼いたしました」
侍女は少しだけ笑いながら一礼し、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
アマリリアは机へ戻り、封を開いた。
中には。
一枚だけ。
短い手紙。
『今日はお疲れさま。
ちゃんと戻ってきてくれて嬉しかった。
君が大丈夫だと言ったから、俺も待てた。
俺も少しは、君を信用するのが上手くなったと思う。
また明日。』
「……」
アマリリアはしばらく、紙を持ったまま動けなかった。
最後に書かれた言葉。
また明日。
それだけなのに。
胸の奥が。
じわりと温かくなる。
今日。
レティシアから聞いた。
『次は待てばいい』
十二歳だったライルは、誰かへそう言った。
そして今。
十八歳になったライルは。
アマリリアが自分で話して戻ってくるまで、待っていた。
「本当に」
アマリリアは少し困ったように笑った。
「そういうところですわ」
好きになられる理由。
自分が好きになった理由。
今日一日だけでも。
また一つ。
増えてしまった気がする。
手紙を丁寧に折り、机の引き出しへしまう。
それから寝台へ向かおうとして。
止まった。
もう一度。
引き出しを開ける。
手紙を出す。
読む。
「……」
やっぱり。
少し笑った。
今日。
恋敵だと思っていた令嬢と話した。
その人がライルを好きになった理由を知った。
嫌うどころか。
少しだけ。
分かってしまった。
それは決して、嬉しいだけのことではない。
嫉妬もする。
胸も痛む。
レティシアがライルを見る目を何度も見たいかと聞かれれば、見たくないと答えるだろう。
けれど。
それでも。
誰かの感情を知ることは、思っていたほど怖くなかった。
誰かがライルを好きだからといって。
自分の居場所が消えるわけではない。
誰かがライルの優しさを知っているからといって。
ライルがアマリリアを選んだ事実までなくなるわけではない。
そして。
ライルが自分を選んだことを信じられるからこそ。
他の誰かの感情へも。
少しだけ。
余裕を持って向き合える。
嫉妬をしない人間になる必要などない。
嫉妬しても。
嫌だと思っても。
そのあと自分がどう動くのかは選べる。
それが。
今日。
アマリリアが知ったことだった。
ただし。
だからといって。
何でも平気になったわけではない。
翌日。
学園でレティシアと再び顔を合わせた時。
ライルが何気なく。
「昨日、レティシア嬢とは何を話したの?」
と尋ね。
その問いへレティシアが。
「殿下を好きになった日のことを」
と。
本人を前にして一切隠さず答えた結果。
今度はライル本人が。
自分の知らないところで六年間も大切に覚えられていた十二歳の頃の話を聞かされ。
アマリリア以上に恥ずかしがることになるとは。
この時の二人は、まだ知らなかった。




