第20話 悪役令嬢の噂を終わらせるため、今度は私たちが舞台を整えることにしました
旧採石場でルシアを救出した翌朝、王宮の一角にはまだ昨夜の慌ただしさが残っていた。
夜明け前まで続いた捜査によって、ベルド・カシアンとその元部下ハインツ・ローマンはそれぞれ別の場所へ拘束され、旧採石場と旧西門倉庫から押収された証拠品も順次王宮へ運び込まれている。三令嬢へ送られた脅迫状の控えや偽造印章、ベスター家の家紋を模した印、ムルール公爵家に関する帳簿、さらには学園食堂でアマリリアを断罪するための台本まで見つかったことで、少なくとも一連の嫌がらせをアマリリアが命じていたという疑惑には、何の根拠もないことが明らかになりつつあった。
けれど、それですべて終わったわけではない。
王宮や学園上層部が真相を把握したところで、既に広がってしまった噂まで一晩で消えてくれるわけではなかった。
アマリリアはカルロスへの未練からルシアへ嫉妬している。
第一王子ライルへ取り入り、王家の力を利用してムルール公爵家へ圧力をかけている。
エミリアたち三令嬢は、アマリリアの指示を受けてルシアへ嫌がらせをしていた。
どれも事実ではない。
そもそもカルロスとの婚約話そのものが、本人たちの意思をろくに確認しないまま父親同士によって進められたものだった。アマリリアはその婚約を望んですらいなかったし、カルロスへ恋愛感情を抱いたこともない。
それでも、人は事実より面白い話を好む。
そして一度出来上がった物語は、訂正する者がいなければ勝手に形を変えながら生き残る。
「ですので」
王宮の私的応接室。
アマリリアは長いテーブルへ幾つもの書類を並べながら、正面に座るライルへ微笑んだ。
「中途半端に一つずつ否定するより、一度まとめて全部表へ出してしまう方が早いと思いますの」
ライルはその笑顔を見た瞬間、露骨に嫌そうな顔をした。
「その顔を見ると不安になる」
「失礼ですわね」
「君が何か大きいことを思いついたとき、大体その笑い方をするだろう」
「まあ」
アマリリアは少し嬉しそうに目を細める。
「随分と私のことを理解してきましたわね」
「喜んでいいのか?」
「もちろんです」
「俺は少し怖い」
「そのうち慣れますわ」
「慣れたくない部分もある」
ライルはため息をつきながら、机の上の資料へ目を落とした。
そこには学園側から集められた噂の一覧、三令嬢の証言、ルシア本人の供述、ベルドたちから押収された偽造書類の写し、そして問題の台本が置かれている。
台本には、学園食堂の中央でカルロスがアマリリアとの婚約破棄を宣言し、三令嬢が順番に「アマリリアから命じられて嫌がらせをした」と証言する流れが細かく書かれていた。最後にはルシアを庇うカルロスの姿を学園中へ印象づけ、アマリリアを王家の婚約者として不適格だと思わせるところまで計画されている。
「これを全部公表するつもりか?」
「全部ではございません」
「どこまで出す?」
「ルシアさんの出生に関する話は当然伏せます。ベルド様が実父であることは、本人がまだ気持ちを整理できていない段階で他人が勝手に広めてよい話ではございませんもの」
ライルはすぐに頷いた。
「俺も同意だ」
「それから、三令嬢の家に関する不正疑惑についても、まだ調査が終わっておりません。そこも伏せます」
「なら、学園へ出すのは」
「実際に嫌がらせを行ったのは三令嬢だったこと。ただし三人は匿名の人物に脅され、私を犯人に見せかけるよう指示されていたこと。そして私は一切関与していなかったこと。その三点が中心ですわね」
アマリリアは指先で台本を軽く叩く。
「さらに、可能であればこれも見せたいです」
「やっぱり台本も?」
「ええ」
「そこは絶対だと思った」
「とても分かりやすいでしょう?」
「分かりやすすぎる」
ライルは台本を手に取り、改めて中身を読み返した。
「本当に、よくここまで考えたな」
「実行される前に止められましたけれど」
「問題はそこじゃない」
ライルは途中の一文へ指を置いた。
「カルロスが、この台本を知らないのにかなり近いところまで自力で行っていることだ」
アマリリアは真顔で頷いた。
「そこですわ」
「自分は君から愛されている」
「ええ」
「君はルシア嬢へ嫉妬している」
「ええ」
「だから皆の前で自分から振ってやる必要がある」
「そこまでほぼ一致しております」
二人はしばらく黙って台本を見つめた。
ベルドが用意した筋書きは悪質だった。
しかし、その筋書きが成立する前提として、カルロス本人が既にかなり都合のよい思い込みを持っていたことも事実だった。
「カルロス様」
アマリリアが少し遠い目をする。
「ベルド様が何もしなくても、いずれ一人で似たことをなさっていたのでは?」
「否定できない」
「殿下」
「何だ」
「公爵閣下には言わない方がよろしいですわね」
「かわいそうだから?」
「かなり」
ライルは小さく笑った。
「昨日から急にグレイアスに優しいな」
「息子さんのお話を聞けば聞くほど、同情心が育ってまいります」
「俺も分かる」
そこへ扉が軽く叩かれた。
「失礼いたします」
入ってきたのはディーンだった。
「殿下、ベスター令嬢。ルシア・メイベル嬢がお見えです」
「もう?」
アマリリアは壁際の時計へ視線を向けた。
予定より少し早い。
「お通ししてくださいませ」
「承知しました」
ディーンが一度退室し、ほどなくしてルシアが入ってくる。
昨日の夜と比べれば顔色は戻っている。治癒術師の診察でも大きな怪我はないと確認されているが、目元には少し疲れが残っていた。
「ごきげんよう、ルシアさん」
「おはようございます、アマリリア様。ライル殿下」
ルシアは丁寧に礼をする。
「体調は?」
ライルが尋ねた。
「問題ありません。昨日、王宮の治癒術師様にも診ていただきました」
「腰は?」
「少し痛みますけど、大丈夫です」
「無理はなさらないでくださいませ」
「はい」
アマリリアが向かいの席を勧めると、ルシアは少し緊張した様子で腰を下ろした。
そして。
机の上に並ぶ資料へ視線を向ける。
「これは」
「学園の噂を終わらせるための相談です」
「噂……」
ルシアの表情が少し曇った。
「私のせいで」
「違います」
アマリリアは即座に否定した。
「でも」
「貴女は嫌がらせを受けただけです。誰かが勝手に貴女を利用した結果まで、貴女が責任を負う必要はありません」
「カルロス様が」
「カルロス様はカルロス様です」
アマリリアの返事が早すぎて、ライルの口元が少し緩む。
「そしてベルド様が」
そこまで口にすると。
ルシアの目が僅かに揺れた。
実父。
その事実は。
まだ。
重い。
「申し訳ございません」
アマリリアはすぐ声を柔らかくした。
「今は名前を聞きたくありませんでした?」
「いいえ」
ルシアは小さく首を振った。
「大丈夫です」
「本当に?」
「はい」
少しだけ深く息を吸う。
「まだ、どう思えばいいのか分からないですけど」
「分からなくてよろしいですわ」
「え?」
「昨日も申し上げましたでしょう?」
アマリリアは少しだけ微笑んだ。
「誰を父親だと思うかも、貴女が決めることです」
ルシアはしばらく何も言わなかった。
それでも。
最後。
小さく。
頷く。
「ありがとうございます」
「それで」
ライルが話を本題へ戻す。
「学園の件について、ルシア嬢の希望も聞きたい」
「私の?」
「ああ」
「でも、私は」
「当事者ですわ」
今度はアマリリアが続ける。
「私たちだけで勝手に決めるつもりはございません」
その言葉に。
ルシアは少し驚いた顔をした。
自分で選ぶ。
昨日から。
何度も。
アマリリアはそう言ってくれる。
ルシアは膝の上で手を組み、少し時間をかけてから口を開いた。
「嫌がらせについて、本当のことを話しても構いません」
「三令嬢についても?」
「はい」
「彼女たちは、実際に貴女を傷つけました」
「分かっています」
ルシアの声は僅かに震えた。
机の紙が破られていた朝。
脅迫状。
食堂。
階段。
昨夜の誘拐。
全部。
まだ。
終わったような気がしない。
「怖かったです」
ルシアは正直に言った。
「今も、完全には平気じゃありません」
「当然ですわ」
「でも」
ルシアはゆっくり顔を上げた。
「三人が脅されていたことも、ちゃんと話してほしいです」
アマリリアの目が少し柔らかくなる。
「理由を聞いても?」
「私も」
ルシアは一度言葉を探した。
「誰かに勝手に悪い人にされるのは嫌だからです」
その一言。
アマリリアにはすぐ分かった。
自分もそうだった。
何もしていないのに、勝手な筋書きの中で悪役へされる。
本人の言葉より、噂の方が信じられる。
「そうですわね」
「三人がしたことは、消えないと思います」
「はい」
「私、今すぐ三人と普通に仲良くできるかと言われたら、分かりません」
ルシアは少しだけ目を伏せた。
「怖かったことは本当だから」
「それでよろしいのです」
「え?」
「許したくないなら、無理に許す必要はございません」
「でも」
「許すことと、本当のことを話すことは別です」
アマリリアは静かに言った。
「貴女は三人を許さなくてもいい。でも、三人が脅されていた事実まで隠す必要もない」
ルシアは少し考えたあと、頷いた。
「……はい」
「では、その形で進めましょう」
「ありがとうございます」
「それから」
アマリリアは少しだけ身を乗り出した。
「もう一つございます」
「何でしょう」
「カルロス様のことです」
ルシアの表情が固まった。
ライルは少し気まずそうに視線を横へ逸らす。
「どうされたいです?」
「……」
「今回の件で、カルロス様もベルド様に利用されました」
「はい」
「ただし、それとは別に」
アマリリアは少しだけ間を置いた。
「ご本人の思い込みも、かなりございます」
「……はい」
「かなり」
「アマリリア」
ライルが小声で止める。
「何です?」
「二回言わなくていい」
「重要ですので」
ルシアが思わず少し笑った。
「大丈夫です」
「本当?」
「私も、かなりだと思います」
ライルが口元を押さえる。
「殿下」
「悪い」
「笑わないでください」
「いや、ルシア嬢本人からそこまで言われるとは思わなかった」
張り詰めていた空気が、少しだけ軽くなる。
ルシアはそのまま少し考えた。
「私は」
頬が少し赤くなる。
「カルロス様のことは好きです」
アマリリアとライルが同時に黙った。
「でも」
「はい」
「今のままでは嫌です」
今度は。
はっきり。
言う。
「私の話を聞いてくれないから」
アマリリアは何も挟まず、続きを待った。
「守ると言ってくれることは嬉しいです。でも、私が嫌だと言っていることをやめてくれない」
「……」
「アマリリア様を疑わないでと言っても、何度も疑いました」
「はい」
「私が自分で決めたいと言っても、カルロス様は『自分が守る』と」
そこでルシアは一度唇を噛んだ。
「だから」
少し時間をかけて。
言う。
「少し距離を置きたいです」
「カルロス様と?」
「はい」
「本人へ伝えます?」
「伝えたいです」
「一人で?」
アマリリアが尋ねると、ルシアは少し迷った。
「できれば、誰か近くにいてほしいです」
「では私が」
「待て」
ライルがすぐ止めた。
「何です?」
「君が同席するとややこしくなる」
「なぜです?」
「カルロスが『アマリリアに何か言われたのか』って始める」
アマリリアとルシアが同時に黙った。
ほんの数秒。
「……ありそうですわね」
「あります」
ルシアまで即答した。
ライルは少し得意そうに二人を見る。
「だろう?」
「嬉しそうにしないでくださいませ」
「してない」
「顔が」
「君も読むな」
アマリリアは少し考えた。
「では、ムルール公爵閣下に立ち会っていただきましょうか」
「それがいいと思う」
ライルも頷く。
「俺も最初だけなら立ち会える」
「殿下が?」
「王宮で話せば安全だろう」
「でも」
ルシアの顔に緊張が浮かぶ。
「第一王子殿下の前で、カルロス様にあの話を」
「俺は黙っている」
「本当に?」
アマリリアが聞いた。
「何で君が疑う」
「カルロス様が私のことを言い始めたら?」
「……」
「ほら」
「努力する」
「努力なのですね」
ルシアが少し笑った。
「では、公爵様が一緒なら」
「そうしましょう」
アマリリアが満足そうに頷いたところで、再び扉が叩かれた。
「失礼いたします」
今度入ってきたのは王妃セレーネだった。
「まあ」
アマリリアが少し驚く。
「王妃様」
「お話中だった?」
「いえ」
「ならよかったわ」
セレーネの手には複数の紙がある。
「何ですの?」
「婚約披露の招待客候補」
「母上!」
ライルが即座に声を上げた。
「今その話!?」
「どうして?」
「事件の翌朝です!」
「だからこそ明るい話も必要でしょう?」
「それは」
「アマリリアさん」
「はい」
「今日はあとでドレスの採寸も」
「母上!」
ライルが頭を抱える。
ルシアは驚いた顔をしていたものの、やがて小さく笑った。
「王妃様」
アマリリアがセレーネへ向き直る。
「婚約発表ですが」
「何?」
「少しだけ、お待ちいただけます?」
セレーネの顔が一瞬変わった。
「嫌になった?」
「違います」
ライルが即答する。
「絶対違います」
「ライル」
「何です」
「なぜあなたが答えるの?」
「……」
アマリリアの口元が上がった。
「殿下」
「何も言うな」
「私が婚約を嫌がったと思われるのが嫌だったのですね」
「……」
「可愛い」
「言うな!」
セレーネは安心したように笑った。
「では、なぜ少し待つの?」
「学園の噂を先に片づけたいのです」
「なるほど」
アマリリアは問題の台本を差し出した。
セレーネは中身を読み始める。
そして、少しずつ表情が変わった。
「……」
「王妃様?」
「アマリリアさん」
「はい」
「これを考えた方は?」
「ベルド様たちです」
「そう」
セレーネは微笑んだ。
ただし。
目は。
まったく。
笑っていない。
「とても腹が立ちます」
ライルが少しだけ身体を引く。
「母上」
「何?」
「笑顔が怖いです」
「そんなことありません」
「あります」
セレーネは台本を閉じた。
「学園の噂を終わらせることには賛成です」
「ありがとうございます」
「正式婚約発表は、その翌日でもいいわね」
「母上」
「何?」
「もう日程を決めるのですか」
「当然でしょう?」
ライルは諦めたような顔でアマリリアを見る。
「アマリリア」
「何です?」
「俺、母上に勝てる気がしない」
「私もです」
「珍しく意見が合った」
「婚約者ですので」
「またそれか」
それでも。
ライルは。
少しだけ。
笑っていた。
◇◇◇
その日の午後。
王宮の別室では、カルロスが父グレイアスと向かい合って座っていた。
昨夜の出来事は、まだ完全には頭の中で整理できていない。
匿名の手紙。
旧西門倉庫。
偽造された三令嬢の証言。
自分へ近づいてきたベルド。
短剣。
王宮近衛。
そして。
自分が。
見事に。
利用されかけていた。
「父上」
「何だ」
「ベルド・カシアンという男は、本当に我が家の元使用人だったのですか」
「正確には、商会の会計監査役だ」
「なぜ私へ」
「お前が信じると思ったからだろう」
その言葉。
痛い。
「カルロス」
「はい」
グレイアスの声は。
昨日までより。
厳しい。
けれど。
怒鳴らない。
「ここ数日、お前は何度、根拠もなくベスター令嬢を疑った?」
「……」
「何度、ルシア嬢本人の言葉より、自分の考えを優先した?」
「父上」
「答えろ」
カルロスは目を伏せた。
「……分かりません」
「それが答えだ」
グレイアスは深く息を吐く。
「ベルドは、お前のその性格を利用した」
「……」
「アマリリアは自分を好きだ」
「……」
「ルシアはアマリリアに嫉妬されている」
「……」
「自分がルシアを守らなければならない」
「……」
「全部、お前が信じたかった話だ」
カルロスは膝の上で拳を握った。
「私は」
「何だ」
「ルシアを守りたかった」
「それは分かっている」
「なら」
「守りたいと思うことと、実際に守れていることは違う」
カルロスが顔を上げる。
父は。
真っ直ぐ。
自分を見る。
「お前はルシア嬢が何を望んでいるか聞いたか?」
「……」
「聞いた上で、自分の考えと違っていても受け入れたか?」
「……」
「ベスター令嬢が何度『違う』と言っても、お前は信じなかった」
カルロスはまた目を伏せる。
今回は。
逃げ道。
少ない。
「父上」
「何だ」
「私は」
言いづらそうに喉を動かす。
「そんなに馬鹿なのでしょうか」
グレイアスはすぐには答えなかった。
「そこを父親へ聞くな」
「……」
「ただ」
深いため息をつく。
「今から直せ」
カルロスが少し驚いた。
「直せますか」
「知らん」
「父上」
「だが、直そうとしなければ一生そのままだ」
グレイアスは少し目を細めた。
「私は、お前を立て直すために婚約者を与えようとした」
「アマリリアを」
「ああ」
「……」
「それが間違いだった」
カルロスが顔を上げた。
父が。
自分の間違い。
認める。
あまり。
見たこと。
ない。
「お前を直すのは、伴侶の仕事ではない」
「……」
「自分でやれ」
しばらく。
沈黙。
続く。
カルロスは。
やがて。
小さく。
「はい」
そう答えた。
そのとき、扉が叩かれた。
「公爵閣下」
「何だ」
「ルシア・メイベル嬢がお見えです」
カルロスの身体が固まる。
「ルシアが」
「カルロス」
グレイアスは息子を見る。
「今度は」
一度。
間。
「話を聞け」
「……はい」
◇◇◇
ルシアは、グレイアスとライルの立ち会いのもと、カルロスと話すことになった。
アマリリアは同席しなかった。
自分がいれば、カルロスの思考がまた妙な方向へ向かう可能性がある。
だから別室で待つことにした。
「気になりますわね」
アマリリアはソファへ座りながら呟いた。
「聞き耳は駄目だぞ」
隣にいるライルがすぐに言う。
「殿下はこちらへ来てよろしいのです?」
「最初だけ立ち会った。ルシア嬢が話し始める前に出てきた」
「なぜ?」
「二人で話す方がいいと思ったから」
「公爵閣下は?」
「残ってる」
「なるほど」
アマリリアは少し落ち着かない様子で膝の上へ手を置いた。
「ルシアさん」
「うん」
「ちゃんと言えるでしょうか」
「言えるよ」
ライルは即答した。
「なぜ分かるのです?」
「昨日、本人が言っていただろう」
「……」
「自分で決めたいって」
アマリリアは少し笑った。
「殿下」
「何だ」
「ルシアさんを信じておりますのね」
「ああ」
「それは嬉しいです」
「なぜ君が嬉しがる」
「私も好きになりましたので」
ライルの動きが止まった。
「友人として」
「……」
「殿下?」
「先に言え」
「何を想像なさったのです?」
「何も!」
「嫉妬?」
「してない!」
「顔が」
「うるさい!」
アマリリアは楽しそうに笑った。
「殿下」
「何だ」
「私が好きなのは」
少しだけ身体を寄せる。
「殿下ですわよ?」
ライルが完全に固まった。
「……」
「安心なさいませ」
「君は」
「はい」
「今、それ必要だった?」
「かなり」
「絶対楽しんでるだろ」
「半分は」
「残り半分は?」
「本気です」
ライルの顔が一気に赤くなる。
「それが一番困る!」
別室へ。
ライル。
声。
響く。
◇◇◇
一方。
カルロスと向かい合ったルシアは、しばらく何も言えずにいた。
グレイアスは少し離れた席へ座っている。
口は挟まない。
ただ。
見守る。
「ルシア」
カルロスが先に口を開いた。
「昨日は」
「カルロス様」
「……何だ」
「先に私から話してもいいですか?」
カルロスの言葉が止まる。
父の言葉。
『今度は話を聞け』
思い出す。
「……ああ」
ルシアは一度深く息を吸った。
「私は、カルロス様のことが好きです」
カルロスの目が大きくなる。
「ルシア」
「でも」
少しだけ間を置く。
「今のままでは、一緒にいたくありません」
カルロスの表情が完全に止まった。
「……なぜ」
質問はした。
でも。
以前なら。
このあとすぐ。
自分の考え。
話す。
今回は。
待つ。
「私の話を聞いてくれないからです」
「……」
「アマリリア様を疑わないでと言いました」
「……」
「私は何もされていないと、何度も言いました」
「……」
「でもカルロス様は、私より自分の考えを信じました」
カルロスは何も言えない。
「守ると言ってくれたことは、嬉しかったです」
ルシアの目に少し涙が浮かぶ。
「でも」
声。
少し。
震える。
「私が嫌だと言っているのに続けるのは、守ることではないと思います」
カルロスは膝の上で拳を握った。
「……ごめん」
ルシアの目が大きくなる。
グレイアスも少しだけ驚いた。
「今」
「……」
「謝りました?」
「はい」
カルロスは少し恥ずかしそうに視線を落とした。
「俺」
普段。
自分。
『私』
呼ぶ。
でも。
今。
少し。
崩れる。
「分からなかった」
「……」
「ルシアを守ることが、俺が正しいと思うことをすることだと思っていた」
ルシアは黙って聞く。
「でも」
カルロスは一度父を見る。
そして。
もう一度ルシアへ向き直る。
「違うらしい」
「らしい?」
「……違う」
言い直す。
ルシアの口元が少し緩んだ。
「たぶん」
「カルロス様」
「違う」
もう一度修正する。
グレイアスは額へ手を当てた。
それでも。
少し。
嬉しそう。
「だから」
カルロスはルシアを見る。
「少し距離を置きたいなら」
言葉を出すのに。
少し。
時間。
かかる。
「……分かった」
ルシアの目に涙が浮かぶ。
「本当に?」
「本当だ」
「追いかけない?」
「努力する」
「努力」
「……追いかけない」
「はい」
二人は少しだけ笑った。
「でも」
カルロスが続ける。
「好きでいるのは」
「それは」
ルシアの頬が少し赤くなる。
「自由です」
「……よかった」
全部が一日で変わるわけではない。
思い込みの強さも。
人の話を最後まで聞けないところも。
自分が正しいと思い込む癖も。
すぐ。
消えない。
けれど。
初めて。
相手の言葉を最後まで聞いて。
自分と違う答えを。
受け入れた。
「それから」
ルシアは少しだけ強い表情になる。
「アマリリア様にも謝ってください」
カルロスの顔が固まった。
「……」
「カルロス様?」
「それは」
「嫌?」
「……」
ルシアの眉が少し下がる。
「私、そういうところです」
カルロスはすぐ言い直した。
「謝る」
「本当に?」
「ああ」
かなり。
苦しい。
でも。
言った。
「何を謝れば」
ルシアの眉が今度は寄った。
「そこからですか?」
「多くて」
グレイアスがとうとう深いため息をついた。
「カルロス」
「はい」
「全部だ」
「父上」
「全部」
「……はい」
◇◇◇
話し合いを終えたルシアが別室へ戻ってくると、アマリリアはすぐに立ち上がった。
「どうでした?」
「お話しできました」
「カルロス様は?」
「聞いてくださいました」
アマリリアの目が大きくなる。
「まあ」
ライルも同じように驚く。
「本当に?」
「はい」
「偽物では?」
「殿下」
「悪い」
ルシアが少し笑った。
「距離を置くことも受け入れてくださいました」
「そう」
アマリリアは小さく息を吐く。
「よかったですわね」
「はい」
ルシアの表情は、昨日の夜より明らかに柔らかい。
「それから」
「何です?」
「アマリリア様へ謝ると」
アマリリアの顔が固まった。
「……」
「アマリリア様?」
「ルシアさん」
「はい」
「私」
一度。
真面目。
顔。
「明日は雪でも降るのでしょうか」
「今は春です」
ライルがすぐ返した。
「それくらい驚いております」
「俺も」
「殿下まで」
ルシアが今度ははっきり笑った。
「では」
アマリリアは再び座る。
「次は学園ですわね」
「噂のことですか?」
「はい」
「どうするのです?」
アマリリアは机の上から例の台本を取り出した。
「ベルド様たちが用意した、この筋書き」
「……」
「逆に利用します」
ルシアの表情に少し不安が浮かぶ。
「どうやって?」
「皆様が一番噂を好きな場所」
少し考え。
「食堂?」
「正解です」
ライルが額へ手を当てた。
「本当にやるの?」
「ええ」
「学園長の許可は?」
「先ほど取りました」
「いつ!?」
「殿下がルシアさんのお話し合いへ行っている間に」
「相談してから動くって言っただろ!」
「許可を取っただけです」
「またその理屈!」
アマリリアは少し笑った。
「でも」
今度は真面目な顔へ戻る。
「内容は一緒に決めます」
ライルが少しだけ黙る。
「なら」
「はい」
「仕方ない」
「ありがとうございます」
ルシアは台本へ視線を落とした。
「カルロス様も参加するのですか?」
「もちろんです」
「大丈夫でしょうか」
「そこは」
アマリリアは少し考える。
「何も詳しく伝えない方がよろしいかと」
「なぜ?」
ライルがすぐ聞く。
「自然な反応が必要です」
「待て」
「何です?」
「まさか」
ライルは台本とアマリリアの顔を交互に見る。
アマリリアはとても綺麗に微笑んだ。
「カルロス様には」
「はい」
「ある程度」
口元が少し上がる。
「ご本人らしく振る舞っていただきます」
「嫌な予感しかしない!」
「安心してくださいませ」
「どこを!」
「最後は私たちがひっくり返します」
「それが一番不安なんだ!」
ルシアは思わず笑った。
アマリリアとライルのやり取りを見ながら。
昨日まで。
自分は。
誰かが勝手に作った筋書きの中にいた。
本人の希望は。
聞かれない。
カルロスとの関係も。
ムルール公爵家へ入ることも。
誰を父親と思うかも。
誰か。
決める。
でも。
今は。
違う。
「私も」
ルシアが口を開いた。
「やります」
アマリリアが顔を向ける。
「よろしいのです?」
「はい」
「怖くない?」
「少し怖いです」
ルシアは正直に答えた。
「でも」
それでも。
少し笑う。
「今度は、自分で決めたことなので」
アマリリアの目が柔らかくなる。
「では」
手を差し出す。
「一緒に」
ルシアはその手を握った。
「はい」
ライルは二人を見る。
「俺は?」
アマリリアは少し笑い、反対の手を差し出した。
「もちろん、殿下も」
「……」
ライルは少し照れたように笑い、その手へ自分の手を重ねた。
「何か」
「何です?」
「変な同盟だな」
「悪役令嬢と被害者と第一王子ですもの」
「自分で悪役令嬢と言うな」
「噂上です」
「ならいい」
三人は少しだけ笑った。
その日の夕方。
学園側から、翌日の昼休みに「最近校内で発生している嫌がらせおよび虚偽の噂について、関係者から説明を行う」とだけ生徒たちへ通知された。
当然、たったそれだけの文章で噂が収まるはずもない。
むしろ逆だった。
「誰が説明するの?」
「ルシアさんじゃない?」
「アマリリア様も出るらしいわ」
「カルロス様も?」
「第一王子殿下まで来るって聞いた」
「では、本当に何か大きなことがあったの?」
放課後の教室。
寮。
図書室。
食堂。
あらゆる場所で。
翌日。
何が起きる。
話。
広がる。
そして。
翌日の昼休み。
ルナティック王立学園の食堂中央には、多くの生徒が集まることになる。
ベルドが用意した台本では。
そこで。
アマリリア・ベスターが悪役令嬢として断罪されるはずだった。
けれど。
実際に。
最初に声を張り上げるのは。
台本の存在をほとんど知らされていない。
カルロス・ムルール本人だった。
そして、その第一声を聞いた瞬間。
アマリリアは。
心の底から。
こう思うことになる。
――なぜ、そこだけ台本通りなのです?




