第17話 悪役令嬢に仕立てるためなら、人を階段から落としてもいいらしいです
翌朝のルナティック王立学園は、昨日までと変わらない穏やかな空気に包まれていた。
正門を通る馬車はいつものように列を作り、校舎へ向かう生徒たちは友人と談笑しながら石畳を歩いている。中央庭園では庭師たちが花壇へ水を撒き、朝露を残した草花が柔らかな日差しを受けてきらきらと光っていた。
少なくとも、何も知らない者の目には、いつもと同じ学園の朝にしか見えない。
けれどアマリリアは、正門を抜けたときから普段よりも周囲へ神経を向けていた。
昨夜、エミリア・ローデン、マリーネ・セルトン、ユフィナ・バレットの三人に何らかの新しい指示が届いた可能性が高い。ゼインの部下によれば、三人は夜遅くまで同じ屋敷に集まり、その後、普段とは明らかに違う様子で帰宅したという。
さらに今朝は三人とも、いつもよりかなり早く登校していた。
それだけなら偶然で済ませられる。
だが、ルシアが次に使う教室や移動経路を確認している姿まで見られていた。
「殿下」
「何だ?」
アマリリアは隣を歩くライルへ視線を向けた。
「今日は絶対に、一人で勝手に動かないでくださいませね」
ライルは一瞬きょとんとしたあと、少し呆れた顔になる。
「それは俺の台詞だろう」
「殿下は第一王子です。私より狙われる価値が高いでしょう?」
「君も十分高い」
「褒めています?」
「そういう話じゃない」
ライルは小さくため息をついた。
ただ、表情にはいつもの軽さだけではなく、はっきりとした警戒がある。
「ゼインたちは?」
「既に校内へ入っております。ルシアさんの周辺にも何人か配置しました」
「学園側は?」
「昨日の脅迫状を理由に、教師と学院警備の巡回を増やしていただいております」
「三人が何をするつもりなのかまでは?」
「まだ分かっておりません」
ライルの眉が僅かに寄る。
「それで泳がせるのか?」
「危険が具体的に分かれば、すぐに止めます。ただ、今の段階で三人を拘束しても、黒幕まで辿り着けるとは限りません」
「分かってる。でも」
「はい」
アマリリアは小さく息を吐いた。
「私も嫌な予感はしております」
昨日までの嫌がらせは、まだ小さなものだった。
私物を隠す。
課題の控えを破る。
噂を流す。
ベスター家の家紋に似せた印を使って脅迫状を送りつける。
どれも悪質ではある。
けれど、直接大きな怪我をさせるようなものではなかった。
それが昨日、食堂でルシアとアマリリアが直接話し、さらに一緒に昼食を取ったことで、三令嬢の計画は明らかに崩れ始めている。
追い詰められた側が次に何をするか。
そこが怖かった。
「今日、何か起きると思う?」
ライルが尋ねた。
「ええ。かなり高い確率で」
「なら」
彼は校舎へ入る直前で足を止めた。
周囲には登校してきた生徒たちがいるため、露骨なことはできない。それでもライルは少しだけアマリリアの方へ身体を向けた。
「怖い?」
アマリリアはすぐには答えなかった。
以前の自分なら、何を言われても「怖くありません」と返していただろう。
怖いと認めることは弱さだと思っていた。
けれど。
北の森で。
白鹿に。
泣かない者ほど苦しくなると言われた。
「……少しだけ」
今は。
それくらいなら。
言える。
ライルの表情が僅かに柔らかくなった。
「じゃあ」
彼は自然に手を差し出した。
「今日はこれで」
「登校中からですの?」
「婚約者だろう」
「まだ正式発表前ですわ」
「噂はもう十分広がってる」
「それはそうですけれど」
アマリリアは周囲を一度見た。
既に何人かがこちらを見ている。
今さら手を繋いだところで、噂が一つ増える程度だろう。
「では、少しだけ」
アマリリアはその手へ自分の手を重ねた。
ライルの指が自然に閉じる。
「嫌になったら離して」
「私は嫌になりませんわ」
「……そういうことを」
「何です?」
「朝から言うな」
ライルの耳が僅かに赤くなる。
それを見て、アマリリアは少しだけ笑った。
「殿下」
「何だ」
「今日も可愛らしいですわね」
「台無しだ!」
結局、いつものような声が校舎前へ響いた。
周囲にいた生徒たちが驚いたように振り返り、そのあと興味津々の顔でこちらを見る。
それでも。
二人の手は。
教室へ入る直前まで。
離れなかった。
◇◇◇
ルシアはその日、昨日まで以上に慎重に登校していた。
寮から中央校舎まで、友人二人と一緒に歩く。昨日の脅迫状の件を受け、学院警備の巡回も増えているため、少なくとも校内へ入れば少しは安心できると思っていた。
それでも、胸の奥に小さな不安は残っている。
『これ以上目障りな真似をすれば、次は紙では済まない』
昨日の脅迫状。
最後の一文。
何度思い出しても、嫌な寒気がした。
「ルシア、大丈夫?」
友人の一人が声をかける。
「うん」
「本当に?」
「昨日よりは」
「今日はずっと一緒にいるからね」
「ありがとう」
ルシアは少しだけ笑った。
昨日より気持ちが落ち着いている理由は、アマリリア本人と直接話せたことが大きい。
カルロスは何度も言っていた。
アマリリアは自分に嫉妬している。
カルロスへ未練がある。
だからルシアを嫌っている。
けれど、実際に会話をしたアマリリアは、ルシアの想像とはかなり違っていた。
怖くないとは言えない。
物言いは強いし、自信もある。
けれど。
少なくとも。
何もしていない相手を証拠もなく悪人と決めつけるような人ではなかった。
「ルシアさん」
廊下の先から声がした。
ルシアが顔を上げる。
「エミリアさん」
エミリア。
その隣にはマリーネとユフィナもいる。
ただ。
今日は三人とも。
少し様子がおかしかった。
「おはようございます」
「おはよう」
「昨日は眠れた?」
「少し」
「そう」
エミリアは微笑んだ。
いつも通りの笑顔。
そう見せようとしている。
でも。
ルシアには少し無理をしているように感じられた。
「皆さん」
「何?」
「少し顔色が悪くありません?」
三人が一瞬だけ固まった。
「そんなことないわ」
「寝不足なだけ」
「私も昨日遅くまで本を読んでいて」
それぞれが慌てたように理由をつける。
以前のルシアなら。
気にしなかったかもしれない。
けれど。
今は少しだけ。
周囲を見るようになっている。
「本当に?」
「大丈夫よ」
エミリアがすぐに答えた。
「それより、教室へ行きましょう」
「はい」
ルシアは友人たちと歩き始めた。
その少し後ろを。
三人がついてくる。
普段より。
少し距離が近い。
それが何を意味するのか。
ルシアにはまだ分からなかった。
◇◇◇
午前の授業は、何事もなく進んだ。
一限目。
二限目。
三限目。
アマリリアは授業へ集中しながらも、教師の説明が途切れるたびに廊下や窓の外へ意識を向けていた。
ルシアの教室は別棟にある。
直接様子を見ることはできない。
それが。
普段以上に。
落ち着かない。
「ベスター嬢」
「はい」
「窓の外ばかり見ているが、この問題は分かるのか?」
教師が少し呆れたように尋ねる。
アマリリアは黒板を見る。
魔術理論の計算式。
少し複雑。
でも。
答え。
すぐ。
「四十八です」
「……正解だ」
「ありがとうございます」
「本当に聞いていたのか?」
「耳は授業へ向けておりました」
「器用なものだな」
周囲から小さな笑いが起きる。
アマリリアは席へ戻った。
隣の令嬢が小声で尋ねる。
「何か気になることが?」
「少々」
「王宮のことです?」
「いいえ」
アマリリアは少しだけ考えた。
「学園内のことですわ」
それ以上は話さなかった。
今は。
噂。
増やさない。
方がいい。
三限目終了の鐘が鳴る。
次は移動教室。
アマリリアのクラスは西棟の上階へ向かうことになっている。
教室を出たところで。
廊下の向こうから。
ディーンが歩いてきた。
「ベスター令嬢」
「何でしょう」
「殿下からです」
ディーンは周囲に聞こえない程度まで声を落とした。
「ルシア嬢のクラスも、次の授業で西棟へ移動します」
「西棟?」
アマリリアは頭の中で校舎の配置を思い浮かべた。
中央棟と西棟を繋ぐ渡り廊下。
三階から二階へ続く大階段。
古い石造りで、幅は十分に広い。
けれど。
移動教室の時間帯。
生徒。
多い。
「ディーン様」
「はい」
「西棟の大階段」
「殿下も同じことを仰いました」
嫌な予感が。
同じ場所へ。
繋がる。
「行きます」
「殿下も既に向かっております」
「分かりました」
「ただし」
「一人では行きません」
アマリリアはすぐに言った。
ディーンが少し驚く。
「珍しいですね」
「最近、皆様そればかり言いますわ」
「失礼いたしました」
アマリリアは足を速めた。
ただし。
走らない。
ここで慌てて走れば、何かを仕掛けようとしている側に警戒される可能性がある。
西棟へ近づく。
廊下。
生徒。
増える。
そして。
大階段。
見える。
三階。
上。
ルシア。
友人二人。
歩いている。
その少し後ろ。
エミリア。
マリーネ。
ユフィナ。
アマリリアは。
まず。
三人の顔を見た。
そこに。
昨日までのような。
ぎこちない笑顔すらない。
ただ。
怖がっている。
「……」
アマリリアの歩調が少しだけ速くなる。
「ディーン様」
「はい」
「周囲をお願いします」
「承知しました」
ディーンは自然に階段下へ向かった。
近衛騎士が学園内を歩いていること自体は、第一王子ライルの護衛として不自然ではない。
「階段では足元にお気をつけください」
周囲の生徒へ声をかける。
何気ない注意。
それだけ。
でも。
階段下。
人。
少し。
減る。
もし誰かが落ちても。
巻き込まれる人数。
少なく。
できる。
三階。
ルシアが階段を下り始めた。
友人二人。
前。
横。
そのすぐ後ろ。
エミリア。
右手。
少し。
上がる。
ルシアの背中へ。
近づく。
でも。
その手は。
震えていた。
マリーネは顔を青くし。
ユフィナは唇を強く噛んでいる。
楽しんでいるようには見えない。
悪意だけで人を傷つけようとしている顔でもない。
むしろ。
やりたくない。
そう。
顔。
「待って」
アマリリアは思わず小さく呟いた。
何か。
違う。
エミリアの手が。
ルシアの背中のすぐ近くまで伸びる。
けれど。
押せない。
最後のところで。
指。
止まる。
その瞬間。
「すみません!」
後ろから走ってきた男子生徒らしき人物が、エミリアの肩へぶつかった。
「きゃっ!」
エミリアの身体が大きく前へ崩れる。
伸ばしていた手が。
ルシアの背中へ。
強く。
当たる。
「え?」
ルシアの足が。
一段。
外れた。
身体が前へ傾く。
「ルシア!」
友人の悲鳴が響く。
周囲の生徒も声を上げた。
アマリリアは。
もう。
走っていた。
「ルシアさん!」
距離。
遠い。
間に合わない。
その前に。
階段横に立っていた学園職員が、手すりを越えるように身体を投げ出した。
ゼインの部下。
ルシアの腕を掴む。
もう一方の手で。
手すり。
握る。
ルシアの身体が階段へ完全に投げ出される直前。
ぎりぎり。
止まる。
同時に。
階段下からライルが駆け上がってきた。
「危ない!」
ルシアの腰が一段下の石へぶつかる。
鈍い音。
でも。
それ以上は。
落ちない。
「何があった!?」
「押したの?」
「誰が?」
階段周辺が一気に騒がしくなる。
アマリリアは息を切らしながらルシアのところまで駆け上がった。
「ルシアさん!」
「アマリリア様」
ルシアの顔は真っ青だった。
身体が小さく震えている。
「怪我は?」
「腰を少し」
「頭は打ちました?」
「いえ」
「なら、今は動かないでくださいませ」
アマリリアはその場へ膝をついた。
ライルもすぐ隣へ来る。
「治癒術師を呼べ!」
「はい!」
ディーンが近くの教師へ指示を飛ばす。
アマリリアはルシアの様子を確認しながら。
同時に。
階段上へ視線を向けた。
エミリア。
座り込む。
顔。
真っ青。
自分の手を見ている。
「違う……」
小さな声。
「違うの」
マリーネ。
ユフィナ。
泣きそう。
「エミリア」
「私」
エミリアは震えたまま首を振った。
「押すつもりじゃ」
その言葉。
周囲へ。
聞こえる。
「今、押すって言った?」
「エミリア様が?」
「ルシアさんを?」
一瞬で。
噂。
生まれる。
アマリリアは。
すぐ。
立ち上がった。
「皆様」
よく通る声を階段へ響かせる。
「少し下がってくださいませ」
生徒たちが動きを止めた。
「でも」
「今、本人が」
「私も聞きました」
アマリリアは冷静に返した。
「ですが、それだけで誰かを犯人と決めるには早すぎます」
ライルが僅かにアマリリアを見る。
ほんの数日前まで。
アマリリア自身が。
証拠もなく。
悪人。
扱う。
される。
だからこそ。
同じこと。
しない。
「ディーン様」
「はい」
「エミリア様の後ろにいた方を確認してください」
「既に」
ディーンは階段上へ視線を向けた。
「ぶつかったと思われる生徒が一人、見当たりません」
「どのような方でした?」
「上級生の男子制服に見えました。ただ、顔までは」
「分かりました」
アマリリアは再びエミリアを見る。
「エミリア様」
「……」
「立てます?」
エミリアは驚いたように顔を上げた。
「私を」
「はい?」
「責めないの?」
アマリリアは少し目を細めた。
「貴女の手がルシアさんへ当たったことは見ました」
「……」
「でも、その直前に貴女自身も前へよろけております」
エミリアの目が大きくなる。
「誰かにぶつかられたのでしょう?」
「……はい」
「なら」
アマリリアは少し声を柔らかくした。
「まず事情を聞きます」
「……」
「そのあとで怒るべきところがあれば、きちんと怒りますわ」
エミリアの目に涙が浮かぶ。
「どうして」
「何がです?」
「私」
一度。
息。
詰まる。
「ルシアさんを押さなきゃいけないって」
周囲。
静まる。
ライルの顔から笑みが消えた。
「誰に?」
彼が尋ねる。
エミリアはすぐには答えなかった。
マリーネとユフィナも涙を浮かべる。
「言えない」
「言ったら」
「家が」
その言葉で。
アマリリア。
ようやく。
確信。
する。
「脅されていたのですね」
三人が顔を上げた。
「誰かに、ご家族を材料に」
エミリアの目から涙が落ちる。
「どうして分かるの」
「貴女方のお顔を見れば、少なくとも楽しんでやっているようには見えませんもの」
マリーネがとうとう泣き始めた。
「ごめんなさい」
ユフィナも顔を覆う。
「最初は、こんなことじゃなかったの」
エミリアが震える声で話し始める。
「物を隠せって」
「紙を破れって」
「噂を流せって」
マリーネとユフィナも続ける。
「銀の花の手紙も」
「私たちが」
ルシアの表情が固まる。
アマリリアはすぐにそちらを見る。
「ルシアさん」
「……はい」
「今は何も決めなくてよろしいです」
「でも」
「全部聞いてからです」
ルシアは。
少し。
唇。
噛む。
それでも。
頷く。
「はい」
そこへ治癒術師と学年主任が到着した。
「メイベル嬢はこちらへ」
「お願いします」
治癒術師がルシアを診始める。
学年主任は周囲を見渡し、状況を察したように表情を険しくした。
「ここから先は別室で聞きます」
「お願いします」
アマリリアが答える。
主任は階段周辺の生徒たちへ向き直った。
「ここにいる生徒は教室へ戻りなさい」
「でも」
「今の話」
「何があったのか」
「命令です」
強い声。
不満。
あっても。
従う。
少しずつ。
周囲。
散る。
完全に噂を止めることはできない。
それでも。
これ以上。
余計な。
憶測。
増やさない。
必要。
「ルシア!」
廊下の奥から叫び声がした。
カルロスが走ってくる。
「カルロス様」
ルシアが少し驚く。
「大丈夫か!」
「はい」
無事を確認したカルロスは、次にエミリアを見た。
「貴様!」
「待ちなさい」
アマリリアが一歩前へ出る。
「何だ!」
「まだ事情確認の途中です」
「こいつがルシアを押したのだろう!」
「エミリア様自身も後ろから押された可能性があります」
「だが」
「ディーン様が目撃しております」
近衛騎士の名が出る。
カルロスは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「そして」
アマリリアは続ける。
「三人は、誰かに脅されていたようです」
「脅されて?」
「はい」
「誰に」
「それを今から調べます」
カルロスはルシアへ顔を向けた。
「ルシア」
「はい」
「アマリリアは」
また。
疑う。
その言葉。
出そう。
でも。
ルシアが先に口を開く。
「アマリリア様は助けてくださいました」
カルロスが止まる。
「……何?」
「私が落ちそうになったとき、すぐに来てくださいました」
アマリリアは少し首を振る。
「実際に掴んだのは学園職員の方ですわ」
「でも」
ルシアはアマリリアを見る。
「アマリリア様は、三人をいきなり犯人扱いしませんでした」
「……」
「カルロス様」
ルシアの声が少し強くなる。
「もう、アマリリア様を疑わないでください」
「私は」
「分かっています」
「君を守りたくて」
「はい」
「でも」
ルシアは静かに言った。
「守ることと、誰かを悪者にすることは違います」
カルロスは。
今度は。
言い返さなかった。
ただ。
俯く。
それだけだった。
◇◇◇
一刻ほど後。
学園内の特別面談室には、アマリリア、ライル、ディーン、学年主任、学院長補佐、そしてエミリア、マリーネ、ユフィナが揃っていた。
ルシアは治療室へ移っている。
腰の軽い打撲。
頭部にも首にも問題はない。
その報告を聞いた三令嬢は、少しだけ安堵したように息を吐いた。
けれど。
表情。
重い。
「全部」
学院長補佐が静かに言った。
「話してください」
三人は顔を見合わせる。
最初に口を開いたのはエミリアだった。
「最初の手紙は、三週間ほど前です」
「三週間?」
アマリリアが反応する。
「はい」
「私と殿下の婚約話が進む前ですわね」
「そうです」
ライルが腕を組んだ。
「なら最初から俺たちの婚約を狙ったわけではない」
「最初の手紙には、カルロス様とルシアさんのことだけが書いてありました」
「内容は?」
アマリリアが尋ねる。
エミリアは少し躊躇したあと答えた。
「『ルシア・メイベルがムルール公爵家へ入れば、三家との取引は完全に切られる』と」
ゼインが調べた内容。
三家とムルール公爵家の取引縮小。
繋がる。
「それで」
「最初は小さな嫌がらせをするように言われました」
マリーネが続ける。
「私物を隠したのは?」
「私たちです」
「課題の紙を破いたのも?」
「はい」
「廊下でルシアさんが転びそうになった件は?」
ユフィナが顔を伏せた。
「木の玉を転がしました」
「食堂でスープをかけた件は?」
三人が同時に首を振る。
「違います」
エミリアが答える。
「あれは本当に事故でした」
アマリリアの目が細くなる。
「では、その直後に私と関係があるような発言をしたことは?」
「指示です」
「偶然起きたことでも、私へ繋げるように?」
「はい」
ライルが低い声で呟いた。
「使えるものは何でも使ったわけか」
「……はい」
「銀花の脅迫状は?」
「私たちが入れました」
「印章は?」
「匿名の手紙と一緒に送られてきました」
学院長補佐が詳細を記録する。
アマリリアは一度深く息を吐いた。
「昨夜の指示は?」
三人の顔色がまた悪くなる。
エミリアの手が震えた。
「階段から」
一度。
言葉。
止まる。
「ルシアさんを落とせと」
ライルの表情が完全に冷たくなる。
「拒否したら?」
「三家が不正取引に関わった証拠を、王家へ送ると」
「不正取引」
アマリリアは少し考えた。
「貴女方自身に心当たりは?」
「ありません」
「ご家族は?」
「全部は知りません」
エミリアは苦しそうに答える。
「でも、ムルール公爵家との取引が減った頃から、父たちがお金の話をすることが増えました」
マリーネとユフィナも頷く。
「つまり」
ライルが言う。
「手紙の送り主は、三家が信じるだけの情報を持っていた」
「実際に不正があったのか、偽造した証拠を使うつもりだったのかはまだ分かりません」
アマリリアが続ける。
「でも」
エミリアが泣きそうな顔で言う。
「私たちがしたことは、本当です」
「ええ」
アマリリアは否定しなかった。
「貴女方がしたことは、なかったことにはできません」
三人の身体が少し強張る。
「ルシアさんへ謝罪する必要もありますし、学園からの処分も受けていただきます」
「はい」
「分かっています」
「本当に申し訳ありません」
「ですが」
アマリリアは少しだけ声を柔らかくした。
「貴女方がしたことと、貴女方が脅されていたことは別です」
三人が顔を上げる。
「責任は取っていただきます」
「……はい」
「でも、本当に悪質なのは」
一度。
間。
「人を階段から落とすところまで、貴女方を追い込んだ者です」
ライルが隣でアマリリアを見る。
少し。
嬉しそう。
「殿下」
「何だ」
「何です、その顔」
「いや」
「褒めたいのでしょう?」
「今は真面目な場だ」
「先日も同じことを仰っておりましたわ」
「覚えてたのか!」
三人の緊張が、ほんの少しだけ緩んだ。
「匿名の手紙は残っています?」
アマリリアが尋ねる。
エミリアは頷いた。
「全部」
「全部ですの?」
「怖くて、捨てられませんでした」
「どこに?」
「家です」
「回収できます?」
「はい」
学院長補佐がすぐに口を開く。
「学園から使者を出しましょう」
「待ってください」
ライルが止めた。
「普通に使者を出せば」
アマリリアもすぐに理解する。
「黒幕へ、三人が話したと気づかれる可能性があります」
「では?」
「王宮側で回収します」
ライルはディーンを見る。
「父上へ報告を」
「すぐに」
「それから」
アマリリアは三人へ視線を戻す。
「一つお願いがございます」
「何でしょう」
「今日のことを、表向きはまだ全部話さないでください」
三人が驚く。
「なぜ?」
「黒幕を捕まえるためです」
エミリアの顔に不安が浮かぶ。
「でも」
「怖いです?」
アマリリアが尋ねる。
エミリアは。
もう。
強がらない。
「はい」
「当然です」
アマリリアは静かに言った。
「ですが、もう三人だけではありません」
学年主任を見る。
「学園もおります」
ライルを見る。
「王家もおります」
そして。
最後。
自分。
「私もおります」
エミリアの目から、また涙が落ちた。
「どうして」
「何がです?」
「私たちは」
声。
震える。
「あなたを陥れようとしたのに」
アマリリアは少し黙った。
「怒っております」
三人がびくりとする。
「ただ」
アマリリアは続けた。
「怒っているからといって、何もかも一緒にするつもりはございません」
「……」
「全部終わったあと」
少しだけ。
笑う。
「きちんとルシアさんへ謝って、学園から怒られてくださいませ」
マリーネが泣きながら少しだけ笑った。
「はい」
◇◇◇
その日の午後。
王宮の国王執務室には、アルベルト、ライル、アマリリア、ムルール公爵グレイアス、ディーン、そしてゼインが揃っていた。
ハロルドは呼ばれていない。
今回の件には直接関係がない。
そして何より。
呼べば話が長くなる。
「三家の不正取引について」
グレイアスは提出された資料へ目を落とした。
「心当たりがあります」
「あるのか」
アルベルトが尋ねる。
「正確には、不正の疑いです」
「内容は?」
「一年ほど前、我が商会の地方支部で帳簿の不一致が見つかりました」
アマリリアが少し身を乗り出す。
「三家が関与を?」
「直接関与した証拠は出ていません。ただ、問題になった取引に関わる商人が三家の領地を経由していたため、取引規模を縮小しました」
「それを手紙の送り主は知っていた」
ライルが言う。
「恐らく」
「そして、『証拠がある』と三令嬢を脅した」
「はい」
グレイアスの表情が険しくなる。
「本当に証拠があるのなら、当時の調査で拾えなかったものです」
「偽造の可能性もございますわね」
アマリリアが言う。
「十分あります」
そこへ。
ゼインが一枚の紙を出した。
「もう一つ、共通点が見つかりました」
「何だ」
国王が尋ねる。
「三家へ匿名の手紙が届いた経路です」
全員の視線が集まる。
「通常の郵便ではなく、屋敷使用人が届けた形跡もございません。ただし、三家全てへ定期的に出入りしている人物が一人おります」
グレイアスの顔が変わる。
「名前は?」
「ベルド・カシアン」
公爵の手が止まった。
「知っているのです?」
アマリリアが尋ねる。
「知っている」
グレイアスは苦い顔で答えた。
「元ムルール公爵家商会の会計監査役だ」
「元?」
「一年前、不正帳簿の件で解雇した」
執務室の空気が変わる。
「なら」
国王が言う。
「お前への恨みもある」
「はい」
「三家の事情も知っている」
「可能性は高いです」
アマリリアは少し考えた。
「でも」
「何だ?」
ライルが見る。
「ベルドという方が、なぜ私まで悪役令嬢へ仕立てる必要がありますの?」
グレイアスの表情がさらに重くなった。
「一つ、思い当たることがあります」
「何でしょう」
「ベルドには娘がいる」
「娘?」
アマリリアが首を傾げる。
グレイアスは少しだけ間を置いた。
「正確には、実の娘です」
「誰です?」
「ルシア・メイベル」
室内が完全に静まった。
アマリリアとライルが同時に公爵を見る。
「待ってくださいませ」
アマリリアの声が低くなる。
「ルシアさんのお父様はメイベル男爵でしょう?」
「養父です」
「では」
「ベルドは平民出身で、若い頃にメイベル男爵家の親族女性との間に娘をもうけました。正式な婚姻はしておらず、その娘は母方の縁でメイベル家へ引き取られています」
「ルシアさん本人は?」
「実父について知っているかどうか分かりません」
アマリリアは少し黙った。
ルシアへ。
嫌がらせ。
させる。
黒幕。
実父。
可能性。
「でも」
ライルも同じ疑問を抱いたらしい。
「自分の娘を傷つけてることになる」
「そこが、私にも理解できません」
グレイアスは重く息を吐いた。
「別の目的があるのでしょう」
アマリリアが呟く。
「恐らく」
ゼインが続けた。
「ベルド・カシアンは現在、王都南区に潜伏している可能性があります」
「場所は?」
「昨夜までは宿に滞在していました」
「昨夜までは?」
「今朝、姿を消しました」
ライルの表情が険しくなる。
「こちらが動いたことに気づいた?」
「可能性はございます」
国王はすぐに命令を出した。
「捜索を続けろ」
「はい」
「ルシアさんには」
アマリリアが尋ねる。
「まだ伝えない」
アルベルトが答えた。
「私も賛成です」
「証拠がない段階で」
ライルも続ける。
「実父が黒幕かもしれない、なんて本人へ言えない」
「ええ」
アマリリアは一度目を伏せた。
もし。
本当。
なら。
ルシア。
傷つく。
「ただし」
アマリリアは顔を上げる。
「ルシアさんの警護を増やしてくださいませ」
「当然だ」
ライルが答える。
「そして君も」
「私も?」
「狙われてるだろう」
「分かっております」
「本当に?」
「殿下」
「何だ」
「婚約者様に心配をかけるような真似はいたしません」
ライルは一瞬だけ言葉に詰まった。
「……ならいい」
「素直ですわね」
「君がその言葉を使うと弱いんだよ」
「知っております」
国王が額へ手を当てた。
「緊張感をどこへ置いてきた」
「父上」
「何だ」
「これが通常です」
「息子よ、それを誇るな」
グレイアスが僅かに笑った。
張り詰めていた空気が。
ほんの少しだけ。
緩む。
◇◇◇
その夜。
王都南区の外れにある倉庫街は、昼間の賑わいが嘘のように静まり返っていた。
人通りのない路地を、一人の男が歩いている。
灰色の外套。
深く被った帽子。
片手には小さな鞄。
中には帳簿と手紙の控え。
幾つかの印章。
そして一枚の肖像画。
ピンクゴールドの髪をした少女。
ルシア。
男は古びた倉庫の裏口から中へ入り、静かに扉を閉めた。
「もう少しだった」
低い声に、悔しさが滲む。
「アマリリア・ベスター」
その名前を吐き捨てるように口にした。
「お前さえいなければ」
鞄を机へ置く。
ルシアの肖像画を取り出す。
「カルロスはルシアを選ぶ」
ムルール公爵家へ。
娘。
入る。
それ。
できれば。
自分。
失った。
名誉。
地位。
金。
取り戻せる。
「公爵も」
男は歪んだ笑みを浮かべた。
「自分の息子が、私の娘を選んだと知れば」
復讐。
だけ。
ではない。
娘を利用して。
自分の人生。
やり直す。
その歪み。
本人。
気づかない。
「次は」
新しい紙を取り出す。
宛先。
書く。
『カルロス・ムルール様へ』
そして。
その下。
『ルシア嬢を階段から落とそうとした真犯人は、まだ捕まっていない』
『アマリリア・ベスターは証拠を隠している』
男は小さく笑った。
「お前なら」
カルロスの顔を思い浮かべる。
「信じるだろう」
けれど。
同じ頃。
倉庫街の入口では。
一人の黒装束の男が。
静かに。
その建物を見つめていた。
ゼインは男が倉庫へ入ったことを確認すると、懐から通信具を取り出す。
「見つけました」
短く報告する。
逃げたつもりの男は。
まだ。
自分が既に追いつかれていることに。
気づいていなかった。




