第11話 偽装婚約の終了を報告したら、父が一番うるさかったです
森の出口が見えたとき。
アマリリアは、自分が思っていた以上に身体へ力を入れて歩いていたことに、ようやく気づいた。
新月の森。
白い巨樹。
月守。
王家が八百年以上抱えていた歪んだ契約。
母エレナの残した言葉。
そして。
ライルとの告白。
正式な婚約の申し込み。
短い時間の中で、あまりにも多くのことが起きた。
森へ入ったときには昼を過ぎていたはずなのに、内部では時間の流れが曖昧だった。時計の針は途中で止まり、空はずっと新月の夜を思わせる暗さに包まれていた。
けれど。
白鹿のあとを追って歩き続けているうちに、前方の木々の隙間へ、少しずつ明るい色が見え始めた。
「……出口ですわね」
アマリリアが呟く。
「ああ」
隣のライルが答えた。
その声にも、少しだけ安堵が混じっている。
後ろを歩いている国王アルベルトも、森へ入ったときより明らかに肩の力が抜けていた。
三人とも。
生きている。
それだけで。
今は十分だった。
アマリリアは足元を確認しながら歩く。
森の中では、淡い銀色の光を放つ花や苔が道を照らしていた。だが出口へ近づくにつれ、その光は少しずつ弱くなり、代わりに外界の薄い日差しが差し込んでくる。
「殿下」
「何だ」
「お疲れではございません?」
「君ほどではない」
「なぜ私の方が疲れていると?」
「泣いたから」
アマリリアの足が止まりかけた。
「……殿下」
「何だ」
「その話は忘れてくださいませ」
「嫌だ」
「なぜ即答なのです?」
「珍しかったから」
「失礼ですわね」
「いや」
ライルは少しだけ笑った。
「忘れたくない」
アマリリアが黙る。
顔が。
少し熱い。
「……そういう言い方は反則ですわ」
「君に散々言われたから、少しくらい返してもいいだろう」
「成長なさいましたわね」
「誰のせいだ」
「私でしょうか」
「そうだ」
「では、もっと感謝していただいても」
「それは違う」
「細かいですわね」
いつものやり取り。
森を出る直前なのに。
先ほどまで八百年の契約を終わらせていたとは思えないほど、普通の会話だった。
けれど。
それが。
アマリリアにはとても嬉しかった。
森へ入る前まで。
ライルには。
自分には。
帰ってこられない可能性があった。
それを知っていたからこそ。
今こうして。
くだらない言い合いができる。
その事実が。
何より。
ありがたかった。
「二人とも」
後ろから国王の声。
「何でしょう、父上」
「出口を前にして喧嘩するな」
「喧嘩ではございません」
「していません」
声が重なった。
三人。
少し。
止まる。
国王が。
ゆっくり。
笑った。
「もう何も言わん」
「陛下?」
「息が合っていると言えば、また否定するだろう」
「それは」
「当然です」
また重なる。
国王は。
本当に何も言わなくなった。
ただ。
肩だけ震えていた。
「陛下」
「笑っておりません」
「絶対笑っておりますわ」
「気のせいだ」
「殿下と同じことをおっしゃいますのね」
「親子だからな」
その返しに。
今度は。
ライルが笑った。
アマリリアも。
少し笑う。
白鹿が振り返る。
淡い青の瞳。
『うるさい』
声はアマリリアにしか聞こえない。
「あら」
「どうした?」
「白鹿さんに怒られました」
「何と?」
「うるさい、と」
ライルが。
一瞬。
黙る。
「鹿にも言われたな」
「殿下もですわよ」
「俺だけではない」
「半分は殿下です」
「なぜだ」
『七割』
白鹿。
追加。
アマリリアが吹き出した。
「何だ?」
「いえ」
「何を言われた」
「秘密ですわ」
「気になるだろう!」
その声が。
森へ響いた。
白鹿が。
また振り返る。
『八割』
アマリリアは。
とうとう。
声を上げて笑った。
◇◇◇
森の境界。
その一歩手前で。
白鹿は止まった。
「ここまで?」
『ここまで』
アマリリアは白鹿の前へしゃがむ。
銀色の角。
白い毛。
森の中で見たときよりも、どこか普通の動物に近く見える。
けれど。
その目には。
長い時間を生きている者特有の静けさがあった。
「ありがとうございました」
白鹿は。
少し。
頭を下げる。
『また』
「来てもよろしいのです?」
『森は閉じない』
「では」
アマリリアは。
少し考える。
「今度は、お菓子を持って参ります」
『菓子』
「甘いものはお嫌い?」
『知らない』
「では、楽しみにしてくださいませ」
ライルが隣で呟く。
「鹿に菓子を食わせるのか」
「何か問題が?」
「身体に悪いものもあるだろう」
「月守の使いのような方ですわよ?」
「だからこそ普通の鹿と同じか分からない」
白鹿が。
ライルを見る。
『心配性』
アマリリアが笑う。
「殿下、心配性だそうです」
「また俺にだけ聞こえないところで評価するのか!」
「事実ですわ」
「君が無茶するからだ!」
「はいはい」
「流すな!」
白鹿が。
鼻先で。
アマリリアの胸元の首飾りへ触れる。
淡い光。
『娘』
「はい」
『また』
少し。
間。
『泣け』
アマリリアの表情が止まった。
「……なぜ?」
『泣かない者』
『苦しくなる』
言葉。
短い。
でも。
胸へ。
すっと。
入った。
アマリリアは。
少しだけ目を伏せる。
「……覚えておきます」
ライルが。
何も聞こえていないのに。
彼女の表情が変わったことだけで。
そっと。
隣へ近づいた。
「何を言われた?」
「内緒です」
「またか」
「ですが」
アマリリアは。
少し笑う。
「悪い言葉ではありませんでした」
「そうか」
「はい」
白鹿が。
森の奥へ身体を向ける。
『帰れ』
「ええ」
『待ってる』
「また来ます」
白鹿は。
一度だけ。
振り返り。
そして。
木々の間へ消えた。
銀色の角。
最後まで。
淡く。
光っていた。
「行こう」
ライルが言う。
「はい」
国王も頷く。
三人。
一歩。
境界を越える。
その瞬間。
音。
一気に。
戻った。
「殿下!」
「陛下!」
「アマリリア様!」
「リリア!」
何人もの声。
馬の嘶き。
鎧。
足音。
風。
森へ入る前には普通だったはずの音が。
今は。
あまりにも。
大きく感じた。
◇◇◇
最初に飛んできたのは。
ディーンだった。
「殿下!」
「うわっ」
ライルが。
本気で驚いた。
近衛騎士としての礼も。
王族への距離感も。
その一瞬だけ。
完全に忘れていたのだろう。
ディーンはライルの両肩を掴み。
顔。
胸。
腕。
脚。
まるで怪我がないか確認するように視線を走らせる。
「ご無事ですか!?」
「あ、ああ」
「どこかお怪我は!」
「ない」
「本当に!」
「本当だ!」
ライルは。
少し困った顔。
でも。
怒ってはいない。
「ディーン」
「はい」
「心配をかけた」
その一言。
ディーンの表情が。
一瞬だけ崩れた。
「……いえ」
声。
少し掠れている。
「お戻りになられたなら、それで」
「ありがとう」
「……はい」
ディーンは。
ようやく。
手を離した。
次。
国王。
近衛騎士たちが一斉に集まり、陛下の無事を確認する。
しかし。
アマリリアへ。
向かってくる人影は。
一つではなかった。
「リリア!」
「お嬢様!」
「リリア!」
父。
兄。
ゼイン。
三方向。
「ちょっ」
避ける。
という選択肢を考える前に。
父ハロルド。
抱きつく。
「お父様!?」
「帰ってきた!」
「分かっております!」
「本当に!」
「見れば分かるでしょう!」
「馬鹿!」
「なぜ私が怒られているのです!?」
「心配させたからだ!」
「行く前に決まっていたことでしょう!」
「そういう問題じゃない!」
その後ろから。
アレク。
妹の頭を。
乱暴に。
撫でる。
「兄様!」
「帰ってきたな」
「髪が崩れます!」
「知らん!」
「今日かなり時間をかけたのですよ!?」
「生きて帰ったんだからいいだろ!」
「よくありません!」
さらに。
ゼイン。
一歩離れた位置。
膝。
つく。
「お嬢様」
「ゼイン」
「ご無事で」
声は。
いつも通り。
冷静。
でも。
少し。
震えている。
「ええ」
アマリリアは。
父に抱きつかれ。
兄に頭を撫で回されながら。
それでも。
ゼインへ。
笑った。
「帰りました」
「……はい」
ゼインは。
深く。
頭を下げた。
「お帰りなさいませ」
その言葉。
胸へ。
届く。
帰った。
本当に。
帰った。
「……ただいま」
アマリリアが。
小さく答えた。
父。
止まる。
兄。
手を止める。
ゼイン。
少しだけ。
顔を上げる。
「今」
ハロルドが言う。
「何です?」
「ただいまって」
「言いましたわね」
「普通に?」
「普通です」
「リリアが?」
「お父様」
「いや」
父の目が。
少し。
潤んだ。
「もう一回」
「嫌です」
「なぜ!」
「一回で十分ですわ」
「父親にもう一回くらい!」
「嫌です」
「リリア!」
いつもの父。
アマリリアは。
笑った。
その横で。
ライルが。
ディーンとの確認を終えたあと。
こちらへ来る。
「すごいな」
「何がです?」
「帰還直後から騒がしい」
「私の家族ですので」
「なるほど」
ハロルド。
ライルへ気づく。
表情。
変わる。
「殿下!」
「前伯爵」
「ご無事で!」
「ああ」
「よかった……!」
父。
本当に。
安心したように。
息を吐いた。
数日前まで。
娘をカルロスへ嫁がせようとした男。
それなのに。
今は。
ライルが生きて戻ったことも。
心から喜んでいる。
「ありがとうございます」
ライルが言う。
「何がです?」
「アマリリアを待っていてくれて」
ハロルド。
一瞬。
固まる。
次。
目。
細くなる。
「……なぜ殿下が、娘を送り出した側のような言い方を?」
空気。
変わる。
アレク。
気づく。
ゼイン。
静かに一歩下がる。
ディーン。
遠くから。
嫌な予感を察した顔。
「お父様」
「リリア」
「落ち着いてくださいませ」
「まだ何も言っていない!」
「顔がうるさいです」
「顔がうるさいとは何だ!」
ライルが。
少し。
困る。
そして。
アマリリアを見る。
「今言うのか?」
「何を?」
「例の件」
「ああ」
ハロルド。
反応。
「例の件?」
アレク。
反応。
「まさか」
ディーン。
ゆっくり。
空を見た。
ゼイン。
無言。
逃げるように。
また一歩。
「皆様」
アマリリアが。
手を叩く。
「ちょうどよいのでご報告いたします」
「待て」
ライルが小声。
「何です?」
「もう少し場所を」
「ここで十分ですわ」
「俺にも心の準備を」
「森でなさいましたでしょう?」
「あれとこれは違う!」
ハロルド。
「何の話だ!?」
アレク。
「リリア」
ディーン。
「殿下」
国王アルベルト。
少し離れた場所で。
既に。
面白そうな顔。
「父上!」
ライルが気づく。
「何だ」
「その顔をやめてください」
「何もしていない」
「絶対楽しんでいる!」
国王。
否定しない。
アマリリアは。
咳払い。
「ご報告いたします」
「リリア!」
「お父様は黙っていてください」
「まだ内容を聞いていない!」
「だから今から話します」
アマリリアは。
ライルを見る。
ライル。
少し。
覚悟を決める。
そして。
アマリリアの隣へ。
立つ。
「私とライル殿下の」
一拍。
「偽装婚約は終了いたしました」
ハロルド。
数秒。
固まる。
その後。
「おお!」
顔。
明るくなる。
「そうか! 終わったか!」
「はい」
「よかった!」
「そうですわね」
「ではカルロスとの話も潰せたのだな!」
「まだ正式手続きはございますが、問題ないでしょう」
「うむ!」
ハロルド。
嬉しそう。
「いやぁ、本当に助かった! これでリリアも自由に!」
「その代わり」
アマリリアが続ける。
「本物の婚約をすることになりました」
「……」
ハロルド。
止まる。
「……誰と?」
アマリリア。
隣。
見る。
ライル。
少し。
手を上げる。
「俺です」
「……」
沈黙。
長い。
「……は?」
ハロルド。
顔。
無。
「ライル殿下とです」
「……」
「正式に」
「……」
「お互いの意思で」
「……」
「お父様?」
「……」
ハロルド。
ゆっくり。
アレクを見る。
「アレク」
「何です、父上」
「聞こえたか」
「聞こえました」
「殿下と」
「はい」
「リリアが」
「はい」
「本物の婚約」
「はい」
「する」
「そうです」
ハロルド。
空を見る。
「……」
次。
「だめだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
北の森外縁へ。
絶叫。
鳥。
数羽。
遠くから飛び立つ。
「お父様!」
「だめだ!」
「なぜですの!?」
「娘をやるとは言っていない!」
「最初にカルロス様へ勝手にやろうとしたのはどなたです!?」
「それとこれとは違う!」
「同じです!」
「違う!」
「どこが!」
「今は!」
ハロルド。
ライルを指す。
途中。
王子。
思い出す。
指。
慌てて下ろす。
「……殿下ですから!」
「意味が分かりませんわ!」
「公爵家ならまだ!」
「公爵家なら勝手に決めてよかったのです?」
「それは反省している!」
「では?」
「王家は駄目だ!」
「なぜ!」
「遠い!」
「何が!」
「身分が!」
「同じ王都ですわ!」
「そういう距離ではない!」
ライル。
完全に。
困っている。
アマリリア。
父へ詰め寄る。
ハロルド。
娘から。
半歩。
下がる。
「お父様」
「何だ」
「先ほど、『もし結婚するなら先に言え』と仰いましたね?」
「言った」
「今、申し上げました」
「婚約してから言うな!」
「まだ正式手続き前です!」
「本人同士で決めている時点で遅い!」
「では森へ入る前に?」
「もっと駄目だ!」
「どちらですの!」
「とにかく!」
ハロルド。
胸。
押さえる。
「父親として!」
強調。
「話し合いを要求する!」
アマリリア。
目。
細い。
「脅す気です?」
「なぜそうなる!」
「過去の自分の行動から?」
「俺は父親だぞ!」
「存じております」
「殿下にも!」
ハロルド。
ライルを見る。
少し。
姿勢。
正す。
「その」
敬語。
迷子。
「非常に恐れ多いのですが」
「はい」
「娘との婚約について」
「はい」
「一度」
「はい」
「俺と」
アレクが。
小声。
「私、だ父上」
「私と!」
「はい」
「お話を!」
「もちろんです」
ライル。
即答。
ハロルド。
少し驚く。
「よろしいのですか?」
「当然です」
「王子殿下なのに?」
「アマリリアの父親でしょう」
その一言。
ハロルド。
止まる。
「なら、話すべきだと思います」
「……」
ライル。
少し。
緊張している。
でも。
逃げない。
「俺は」
声。
真面目。
「アマリリアが好きです」
ハロルド。
目。
大きくなる。
アマリリアも。
固まる。
「殿下」
「何だ」
「今、ここで?」
「父親へ説明するんだろう」
「それはそうですが」
「君は黙っていろ」
「はい」
珍しく。
素直。
「最初は」
ライル。
続ける。
「正直、かなり怖い令嬢だと思いました」
「殿下」
「黙っていろ」
「……はい」
ハロルド。
小さく。
頷く。
「分かります」
「お父様!」
「俺と殿下の意見が初めて一致した!」
「嬉しそうに言わないでくださいませ!」
「ですが」
ライル。
笑う。
「事情を知っても逃げず、一緒に解決しようとしてくれた」
アマリリア。
黙る。
「俺が生きたいと言ったとき、否定しなかった」
森。
旧図書塔。
思い出す。
「王子だから犠牲になれ、とも」
「……」
「国のためなら仕方ない、とも言わなかった」
ハロルドの顔から。
少しずつ。
騒がしさ。
消える。
「それどころか」
ライル。
小さく笑う。
「そんなものはふざけている、と怒った」
「リリアなら言うでしょうな」
「言いました」
「でしょうな」
「お父様」
「黙っていろと言われただろう」
「なぜお父様が殿下側なのです!」
ライルが。
少し。
笑う。
「俺は」
声。
真面目へ。
「この先も、アマリリアと一緒にいたいと思っています」
ハロルド。
黙る。
「契約のためではありません」
アマリリア。
胸。
少し。
熱い。
「王家の都合でも」
「……」
「カルロスとの婚約を潰すためでもない」
ライル。
ハロルドへ。
まっすぐ。
「俺自身が」
一拍。
「娘さんと婚約したいと思っています」
ハロルド。
何も。
言わない。
北の森。
風。
木々。
揺れる。
「……」
長い。
沈黙。
アマリリア。
少し。
不安。
自分でも。
驚く。
父の了承など。
以前なら。
気にしなかった。
縁談を持ってくる父を。
叩き。
蹴り。
当主から降ろした。
そんな自分が。
今。
ライルとの婚約を。
父が。
どう思うのか。
気にしている。
「お父様」
小さく。
呼ぶ。
ハロルド。
娘を見る。
そして。
大きな。
ため息。
「リリア」
「はい」
「お前は?」
「私?」
「殿下が好きなのか?」
言葉。
直接。
以前。
朝食時に聞かれた。
そのときは。
逃げた。
でも。
今は。
逃げない。
「はい」
アマリリア。
答える。
「好きです」
父。
少し。
目を見開く。
「本当に?」
「何度聞くのです?」
「お前が?」
「はい」
「誰かを?」
「はい」
「人間を?」
「お父様」
「いや!」
ハロルド。
慌てる。
「だって!」
「私を何だと思っておりますの!」
「昔から縁談相手を片っ端から潰してきた娘!」
「失礼です!」
「事実だ!」
「相手に問題があっただけです!」
「三人連続で?」
「三人とも!」
ライル。
小声。
「過去の縁談相手、少し気になるな」
「殿下」
「何だ」
「知らなくてよろしいです」
「余計気になる」
「忘れてください」
「嫌だ」
「あとで説明して差し上げます」
「本当か?」
「内容によります」
「もう逃げ道を作ったな」
ハロルド。
二人。
見る。
掛け合い。
見る。
そして。
少し。
肩。
落とす。
「……幸せそうだな」
声。
小さかった。
アマリリア。
聞こえる。
「お父様?」
「何でもない」
「聞こえました」
「聞くな!」
「もう聞きました」
「なら流せ!」
「嫌です」
「お前は!」
父。
怒る。
でも。
先ほどまでと違う。
少し。
力。
抜けている。
「……条件がある」
「また条件ですの?」
「父親として当然だ!」
ハロルド。
ライルへ。
真面目。
「殿下」
「はい」
「娘を泣かせないでください」
アマリリア。
止まる。
月守。
同じ。
『娘を泣かせるな』
言っていた。
ライルも。
思い出したらしい。
少し。
笑う。
「今日、二回目ですね」
「何がです?」
「同じことを言われました」
「誰に?」
「月守です」
ハロルド。
目。
大きい。
「月守が!?」
「はい」
「何と?」
「娘を泣かせるな。泣かせたら森へ返せ、と」
「それだ!」
ハロルド。
急に。
元気。
「それを採用する!」
「お父様!?」
「殿下!」
「はい」
「リリアを泣かせたら!」
ハロルド。
森を指す。
「返します!」
「勝手に決めないでくださいませ!」
「月守公認だ!」
「どこを公認したのです!」
ライル。
苦笑。
「分かりました」
「殿下まで!?」
「泣かせません」
真面目に。
言う。
アマリリア。
顔。
熱くなる。
「……殿下」
「何だ」
「そういう真っ直ぐな返事は」
「駄目か?」
「駄目ではありません」
「では」
「ただ」
「ただ?」
「心臓に悪いですわ」
「君に何度も言われた台詞だな」
「仕返しです?」
「少し」
「……」
「どうした」
「プラス」
「点数制はやめたんだろう」
「そうでした」
「復活させるな」
「危ないところでした」
ハロルド。
二人。
じっと。
見る。
そして。
「……分かった」
ぼそ。
アマリリア。
止まる。
「何がです?」
「婚約」
「お父様?」
「認める」
言葉。
短い。
「本当に?」
「ただし!」
すぐ。
指。
一本。
「今すぐ結婚は駄目だ!」
「まだその予定はございません」
「王宮へ住むのも!」
「正式婚約後は必要になる可能性がありますわね」
「駄目だ!」
「お父様」
「週に三日は帰ってこい!」
「学校があります」
「では学校帰り!」
「王宮と伯爵家を何だと思っておりますの」
「馬車がある!」
「お父様」
アレク。
横から。
「父上」
「何だ!」
「娘離れしろ」
「嫌だ!」
「即答するな」
「お前は男だから分からん!」
「俺も子どもだぞ!」
「息子と娘は違う!」
「酷い!」
今度は。
父と兄。
騒ぐ。
アマリリア。
額。
押さえる。
「まったく」
ライルが。
隣。
笑う。
「賑やかだな」
「恥ずかしいですわ」
「俺は好きだけどな」
「……」
アマリリア。
ライルを見る。
「今の」
「何だ?」
「もう一度」
「嫌だ」
「なぜです?」
「君が何でも二回言わせようとするから」
「大事な言葉は何度聞いてもよいものです」
「駄目だ」
「殿下」
「駄目」
「けち」
「何とでも言え」
アマリリア。
少し。
頬。
膨らませる。
ライル。
それを見て。
笑う。
そして。
誰にも見えない位置で。
そっと。
手。
取る。
アマリリア。
目。
少し。
大きくなる。
「殿下」
「何だ」
「人が多いですわ」
「見えない」
「ディーン様が見ております」
少し離れた場所。
ディーン。
ものすごい勢いで。
顔。
反対。
向けた。
「見ていません!」
「今、見ていたでしょう」
「警戒していただけです!」
「何を?」
「周囲を!」
「私たちを?」
「違います!」
ライル。
「からかうな」
「面白いので」
「君は本当に」
でも。
手。
離さない。
アマリリアも。
握り返す。
◇◇◇
その後。
簡易治療所で。
三人とも。
念入りな診察を受けた。
ライル。
問題なし。
国王。
軽い疲労のみ。
アマリリア。
同じく。
大きな異常なし。
ただし。
魔力検査だけ。
通常と違っていた。
「……これは」
王宮魔術師が。
測定石。
見る。
困る。
「何でしょう」
アマリリアが聞く。
「ベスター令嬢の魔力に、二種類の波長がございます」
「二種類?」
「本来の魔力と」
魔術師。
ライル。
見る。
「殿下と似た波長」
アマリリア。
ライル。
互いを見る。
「新契約の影響か」
「恐らく」
ライルも。
測定。
同じ。
ライルの魔力の中にも。
アマリリアと似た。
銀色の波長。
「身体に問題は?」
国王が尋ねる。
「現時点ではございません」
「魔力量は?」
「殿下は」
魔術師。
測定石。
もう一度。
「以前より安定しております」
「安定?」
「はい。これまで殿下の魔力は、非常に強い一方、内部圧力が高い状態でした」
「五歳の暴走の名残か」
「それもあったのでしょう。しかし今は」
魔術師。
驚いた顔。
「水が二つの器へ均等に流れたような状態です」
アマリリア。
「私へ分散されたから?」
「はい。ただしベスター令嬢の側も、無理に受け止めている様子はありません」
「月の血」
国王が言う。
「適合しているのだろう」
「恐らく」
アマリリアは。
自分の手を見る。
何も変わっていない。
ただ。
森から出てから。
以前より。
周囲の魔力が。
少しだけ。
分かりやすく感じる。
風。
土。
木。
ライル。
「殿下」
「何だ」
「少し魔力を出していただけます?」
「なぜ?」
「確認です」
ライル。
指先。
小さな光。
魔力。
出す。
アマリリア。
その瞬間。
胸。
少し。
温かい。
「分かりますわ」
「何が?」
「殿下の魔力」
「前から感知はできただろう」
「違います」
アマリリア。
少し。
言葉。
探す。
「近い」
「近い?」
「自分のもののように」
ライル。
手。
止める。
二人。
少し。
黙る。
魔術師。
「今後、共鳴が起きる可能性があります」
「共鳴?」
「感情や魔力使用時に、互いの魔力が反応するなど」
アマリリア。
ライル。
また。
見る。
「感情も?」
アマリリアが聞く。
「可能性ですが」
ライル。
嫌な予感。
「待て」
「何です?」
「君が怒ったら俺にも分かるとか?」
「便利ですわね」
「どこが!」
「隠し事できませんわよ?」
「それは君もだろう!」
アマリリア。
止まる。
「……確かに」
「なぜ自分は大丈夫だと思った!」
魔術師。
少し。
苦笑。
「詳細は王宮へ戻ってから検査いたします」
「お願いしますわ」
「……ああ」
ライルだけ。
少し。
不安そう。
アマリリア。
気づく。
「殿下」
「何だ」
「何か隠していらっしゃる?」
「ない!」
「反応が早いですわね」
「ないと言っている!」
「怪しい」
「本当にない!」
「では安心です」
「君、絶対疑っているだろう」
「半分ほど」
「やっぱり!」
治療所に。
声。
響く。
外。
待っているディーン。
また。
ため息。
◇◇◇
帰還の準備が整った頃。
空は。
夕方へ近づいていた。
森へ入った時間。
外界では。
想像より短かった。
三刻近く森内部にいたはずなのに。
外では。
一刻少々。
時間の流れが違ったらしい。
「陛下」
オズワルドが国王へ近づく。
「王宮へ戻り次第、貴族院への説明準備を」
「ああ」
「契約原本の公開範囲は」
「全て出す」
周囲。
少し。
ざわつく。
「陛下」
王宮官僚。
驚く。
「全て、ですか?」
「王家に都合の悪い部分も含めてだ」
「しかし」
「隠せばまた同じことになる」
国王。
静か。
でも。
強い。
「王家が過去に契約を破り、ルーナの名と土地、歴史を奪った。その事実も公表する」
「貴族院が荒れます」
「分かっている」
「王家の正統性を問われる可能性も」
「それも分かっている」
「陛下」
「だから」
国王。
少し。
息。
吐く。
「帰ってからが本番だ」
ライルが。
父を見る。
「手伝います」
「当然だ」
「そこは少し労ってください」
「第一王子だろう」
「森から帰ったばかりです」
「俺もだ」
「……」
「文句は?」
「ありません」
アマリリア。
少し。
笑う。
「親子ですわね」
「君にだけは言われたくない」
ライル。
即答。
「何ですの、その返し」
「君と父上の会話も大概だ」
「お父様と私?」
少し離れた。
ハロルド。
聞こえる。
「リリア! 俺たちは仲良し親子だ!」
「どこがです!」
「ほら」
ライル。
笑う。
「似ている」
「似ておりません!」
「声の大きさも」
「殿下!」
また。
いつもの。
空気。
でも。
国王の顔には。
少し。
疲れ。
そして。
覚悟。
アマリリアは。
それを見て。
明日以降。
大変になる。
分かる。
王家の歴史。
土地。
制度。
貴族。
全部。
簡単には。
変えられない。
けれど。
今日は。
「陛下」
「何だ?」
「本日は一度お休みになってくださいませ」
国王。
少し驚く。
「君が言うのか」
「何です?」
「今すぐ仕事を始めろと言いそうだと思っていた」
「私を何だと思っておりますの」
「息子を脅して婚約を迫った令嬢」
「陛下まで!」
ライル。
吹き出す。
「父上、それは俺が最初に言った」
「事実だろう」
「事実ですが!」
アマリリア。
頬。
少し膨らむ。
「もうその話は終わりです」
「終わらないと思う」
ライル。
断言。
「なぜです?」
「絶対一生言われる」
「嫌ですわ」
「俺もだ」
「殿下は被害者側では?」
「だからこそ忘れない」
「執念深いですわね」
「君に言われたくない」
また。
笑い。
少し。
生まれる。
◇◇◇
王都へ戻る馬車。
帰り。
アマリリアとライルは。
また同じ馬車だった。
ただし今回は。
ディーンが。
別の馬車へ。
「なぜディーン様は?」
「父上の護衛へ回った」
「そうですの」
「ああ」
「では」
アマリリア。
左右。
見る。
車内。
二人。
「二人きりですわね」
「……」
ライル。
少し。
身構える。
「なぜ警戒なさるのです?」
「君がそう言うと嫌な予感がする」
「失礼ですわね」
「屋上の記憶が強い」
「もう脅しません」
「本当か?」
「多分」
「信用できない!」
アマリリア。
笑う。
それから。
少し。
静かになる。
馬車。
揺れる。
窓の外。
北の森。
少しずつ。
遠ざかる。
「殿下」
「何だ」
「終わりましたわね」
「ああ」
「八年間」
「……」
「怖かったでしょう」
ライル。
窓。
見る。
「今になって」
「はい」
「少し実感してきた」
「何が?」
「もう」
一拍。
「満月を怖がらなくていい」
アマリリア。
言葉。
出ない。
ライルは。
笑っている。
でも。
目。
少し。
赤い。
「殿下」
「何だ」
「こちらへ」
「何?」
アマリリア。
隣。
座席。
少し。
叩く。
「隣へ」
「なぜ」
「よいから」
ライル。
疑う。
でも。
移動。
隣。
座る。
アマリリア。
そっと。
肩。
寄せる。
「……アマリリア」
「少しだけです」
「何が?」
「何もしません」
「それが一番怖い」
「失礼ですわね」
でも。
ライル。
動かない。
アマリリア。
彼の肩へ。
頭。
少し。
乗せる。
しばらく。
無言。
馬車の音。
だけ。
「泣いてもよろしいですわよ」
アマリリア。
小さく。
言う。
「俺が?」
「はい」
「泣かない」
「白鹿さんが」
「何?」
言ってから。
アマリリア。
少し。
止まる。
「……泣かない者は苦しくなる、と」
ライル。
黙る。
「それで、森で君に?」
「はい」
「だから」
「無理にとは申しません」
アマリリア。
彼の手。
取る。
「ただ」
指。
絡める。
「私の前なら」
一拍。
「我慢しなくてよろしいです」
ライル。
何も。
言わない。
長い。
沈黙。
その後。
手。
握る。
「……今は」
「はい」
「泣かない」
「分かりました」
「でも」
「はい」
「少し」
ライル。
アマリリアの方へ。
身体。
寄せる。
「このままでいてくれ」
アマリリア。
目。
少し。
大きくなる。
「もちろんです」
それだけ。
言う。
からかわない。
点数も。
言わない。
ただ。
一緒。
馬車の揺れ。
手の温度。
肩。
触れる。
ライル。
小さく。
息。
吐く。
「アマリリア」
「はい」
「帰ったら」
「はい」
「正式な婚約手続きがある」
「そうですわね」
「本当にいいのか」
アマリリア。
顔。
上げる。
「まだ聞きます?」
「確認したい」
「何度でも答えますわ」
「……」
「私は」
手。
握る。
「ライル・アースハルト殿下と」
「うん」
「正式に婚約したいです」
ライル。
少し。
笑う。
「俺も」
「では、決まりですわね」
「ああ」
「ただし」
「何だ」
「王宮生活は私の自由時間を確保してくださいませ」
「もう条件交渉か!」
「重要です」
「婚約したばかりだぞ!」
「だから今のうちに」
「君は本当に現実的だな!」
「それから市井へ出る日も」
「待て!」
「月に最低二回」
「具体的!」
「旅行も」
「増やすな!」
「殿下」
「何だ!」
「私と一緒に生きたいのでしょう?」
ライル。
止まる。
「それは」
「では」
アマリリア。
にこ。
「よろしくお願いいたします」
「……」
「殿下?」
「ずるい」
「何が?」
「それを使えば何でも通ると思うな」
「駄目です?」
「……内容による」
「では交渉の余地ありですわね」
「君は本当に!」
馬車。
中。
ライルの声。
響く。
御者。
前。
聞こえる。
少し。
笑っている。
その日。
新月の森から。
三人は。
無事に帰還した。
八百年以上続いた王家の歪んだ契約は終わり。
ライルは。
満月の夜へ怯える必要を失い。
アマリリアは。
森へ残る未来を回避し。
国王は。
王家が背負うべき罪を。
正面から受け止めることを決めた。
そして。
もう一つ。
偽装婚約。
それも。
終わった。
代わりに始まったのは。
本当の婚約。
だが。
アマリリアは。
このとき。
まだ知らなかった。
王都へ戻った瞬間。
王妃セレーネが。
正式婚約の報告を聞いた喜びのあまり。
「すぐに婚約披露の準備を始めましょう!」
と。
王宮中へ号令をかけ。
さらに。
ハロルドが。
「まだ娘を渡す準備ができていない!」
と。
王宮の応接室で。
第二戦を始めることになるとは。
もちろん。
ライルも。
知らなかった。




