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『婚約を押し付けられたので、第一王子殿下を脅して婚約者になっていただきました』  作者: 伊佐波瑞樹


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11/42

第11話 偽装婚約の終了を報告したら、父が一番うるさかったです



 森の出口が見えたとき。


 アマリリアは、自分が思っていた以上に身体へ力を入れて歩いていたことに、ようやく気づいた。


 新月の森。


 白い巨樹。


 月守。


 王家が八百年以上抱えていた歪んだ契約。


 母エレナの残した言葉。


 そして。


 ライルとの告白。


 正式な婚約の申し込み。


 短い時間の中で、あまりにも多くのことが起きた。


 森へ入ったときには昼を過ぎていたはずなのに、内部では時間の流れが曖昧だった。時計の針は途中で止まり、空はずっと新月の夜を思わせる暗さに包まれていた。


 けれど。


 白鹿のあとを追って歩き続けているうちに、前方の木々の隙間へ、少しずつ明るい色が見え始めた。


「……出口ですわね」


 アマリリアが呟く。


「ああ」


 隣のライルが答えた。


 その声にも、少しだけ安堵が混じっている。


 後ろを歩いている国王アルベルトも、森へ入ったときより明らかに肩の力が抜けていた。


 三人とも。


 生きている。


 それだけで。


 今は十分だった。


 アマリリアは足元を確認しながら歩く。


 森の中では、淡い銀色の光を放つ花や苔が道を照らしていた。だが出口へ近づくにつれ、その光は少しずつ弱くなり、代わりに外界の薄い日差しが差し込んでくる。


「殿下」


「何だ」


「お疲れではございません?」


「君ほどではない」


「なぜ私の方が疲れていると?」


「泣いたから」


 アマリリアの足が止まりかけた。


「……殿下」


「何だ」


「その話は忘れてくださいませ」


「嫌だ」


「なぜ即答なのです?」


「珍しかったから」


「失礼ですわね」


「いや」


 ライルは少しだけ笑った。


「忘れたくない」


 アマリリアが黙る。


 顔が。


 少し熱い。


「……そういう言い方は反則ですわ」


「君に散々言われたから、少しくらい返してもいいだろう」


「成長なさいましたわね」


「誰のせいだ」


「私でしょうか」


「そうだ」


「では、もっと感謝していただいても」


「それは違う」


「細かいですわね」


 いつものやり取り。


 森を出る直前なのに。


 先ほどまで八百年の契約を終わらせていたとは思えないほど、普通の会話だった。


 けれど。


 それが。


 アマリリアにはとても嬉しかった。


 森へ入る前まで。


 ライルには。


 自分には。


 帰ってこられない可能性があった。


 それを知っていたからこそ。


 今こうして。


 くだらない言い合いができる。


 その事実が。


 何より。


 ありがたかった。


「二人とも」


 後ろから国王の声。


「何でしょう、父上」


「出口を前にして喧嘩するな」


「喧嘩ではございません」


「していません」


 声が重なった。


 三人。


 少し。


 止まる。


 国王が。


 ゆっくり。


 笑った。


「もう何も言わん」


「陛下?」


「息が合っていると言えば、また否定するだろう」


「それは」


「当然です」


 また重なる。


 国王は。


 本当に何も言わなくなった。


 ただ。


 肩だけ震えていた。


「陛下」


「笑っておりません」


「絶対笑っておりますわ」


「気のせいだ」


「殿下と同じことをおっしゃいますのね」


「親子だからな」


 その返しに。


 今度は。


 ライルが笑った。


 アマリリアも。


 少し笑う。


 白鹿が振り返る。


 淡い青の瞳。


『うるさい』


 声はアマリリアにしか聞こえない。


「あら」


「どうした?」


「白鹿さんに怒られました」


「何と?」


「うるさい、と」


 ライルが。


 一瞬。


 黙る。


「鹿にも言われたな」


「殿下もですわよ」


「俺だけではない」


「半分は殿下です」


「なぜだ」


『七割』


 白鹿。


 追加。


 アマリリアが吹き出した。


「何だ?」


「いえ」


「何を言われた」


「秘密ですわ」


「気になるだろう!」


 その声が。


 森へ響いた。


 白鹿が。


 また振り返る。


『八割』


 アマリリアは。


 とうとう。


 声を上げて笑った。


          ◇◇◇


 森の境界。


 その一歩手前で。


 白鹿は止まった。


「ここまで?」


『ここまで』


 アマリリアは白鹿の前へしゃがむ。


 銀色の角。


 白い毛。


 森の中で見たときよりも、どこか普通の動物に近く見える。


 けれど。


 その目には。


 長い時間を生きている者特有の静けさがあった。


「ありがとうございました」


 白鹿は。


 少し。


 頭を下げる。


『また』


「来てもよろしいのです?」


『森は閉じない』


「では」


 アマリリアは。


 少し考える。


「今度は、お菓子を持って参ります」


『菓子』


「甘いものはお嫌い?」


『知らない』


「では、楽しみにしてくださいませ」


 ライルが隣で呟く。


「鹿に菓子を食わせるのか」


「何か問題が?」


「身体に悪いものもあるだろう」


「月守の使いのような方ですわよ?」


「だからこそ普通の鹿と同じか分からない」


 白鹿が。


 ライルを見る。


『心配性』


 アマリリアが笑う。


「殿下、心配性だそうです」


「また俺にだけ聞こえないところで評価するのか!」


「事実ですわ」


「君が無茶するからだ!」


「はいはい」


「流すな!」


 白鹿が。


 鼻先で。


 アマリリアの胸元の首飾りへ触れる。


 淡い光。


『娘』


「はい」


『また』


 少し。


 間。


『泣け』


 アマリリアの表情が止まった。


「……なぜ?」


『泣かない者』


『苦しくなる』


 言葉。


 短い。


 でも。


 胸へ。


 すっと。


 入った。


 アマリリアは。


 少しだけ目を伏せる。


「……覚えておきます」


 ライルが。


 何も聞こえていないのに。


 彼女の表情が変わったことだけで。


 そっと。


 隣へ近づいた。


「何を言われた?」


「内緒です」


「またか」


「ですが」


 アマリリアは。


 少し笑う。


「悪い言葉ではありませんでした」


「そうか」


「はい」


 白鹿が。


 森の奥へ身体を向ける。


『帰れ』


「ええ」


『待ってる』


「また来ます」


 白鹿は。


 一度だけ。


 振り返り。


 そして。


 木々の間へ消えた。


 銀色の角。


 最後まで。


 淡く。


 光っていた。


「行こう」


 ライルが言う。


「はい」


 国王も頷く。


 三人。


 一歩。


 境界を越える。


 その瞬間。


 音。


 一気に。


 戻った。


「殿下!」


「陛下!」


「アマリリア様!」


「リリア!」


 何人もの声。


 馬の嘶き。


 鎧。


 足音。


 風。


 森へ入る前には普通だったはずの音が。


 今は。


 あまりにも。


 大きく感じた。


          ◇◇◇


 最初に飛んできたのは。


 ディーンだった。


「殿下!」


「うわっ」


 ライルが。


 本気で驚いた。


 近衛騎士としての礼も。


 王族への距離感も。


 その一瞬だけ。


 完全に忘れていたのだろう。


 ディーンはライルの両肩を掴み。


 顔。


 胸。


 腕。


 脚。


 まるで怪我がないか確認するように視線を走らせる。


「ご無事ですか!?」


「あ、ああ」


「どこかお怪我は!」


「ない」


「本当に!」


「本当だ!」


 ライルは。


 少し困った顔。


 でも。


 怒ってはいない。


「ディーン」


「はい」


「心配をかけた」


 その一言。


 ディーンの表情が。


 一瞬だけ崩れた。


「……いえ」


 声。


 少し掠れている。


「お戻りになられたなら、それで」


「ありがとう」


「……はい」


 ディーンは。


 ようやく。


 手を離した。


 次。


 国王。


 近衛騎士たちが一斉に集まり、陛下の無事を確認する。


 しかし。


 アマリリアへ。


 向かってくる人影は。


 一つではなかった。


「リリア!」


「お嬢様!」


「リリア!」


 父。


 兄。


 ゼイン。


 三方向。


「ちょっ」


 避ける。


 という選択肢を考える前に。


 父ハロルド。


 抱きつく。


「お父様!?」


「帰ってきた!」


「分かっております!」


「本当に!」


「見れば分かるでしょう!」


「馬鹿!」


「なぜ私が怒られているのです!?」


「心配させたからだ!」


「行く前に決まっていたことでしょう!」


「そういう問題じゃない!」


 その後ろから。


 アレク。


 妹の頭を。


 乱暴に。


 撫でる。


「兄様!」


「帰ってきたな」


「髪が崩れます!」


「知らん!」


「今日かなり時間をかけたのですよ!?」


「生きて帰ったんだからいいだろ!」


「よくありません!」


 さらに。


 ゼイン。


 一歩離れた位置。


 膝。


 つく。


「お嬢様」


「ゼイン」


「ご無事で」


 声は。


 いつも通り。


 冷静。


 でも。


 少し。


 震えている。


「ええ」


 アマリリアは。


 父に抱きつかれ。


 兄に頭を撫で回されながら。


 それでも。


 ゼインへ。


 笑った。


「帰りました」


「……はい」


 ゼインは。


 深く。


 頭を下げた。


「お帰りなさいませ」


 その言葉。


 胸へ。


 届く。


 帰った。


 本当に。


 帰った。


「……ただいま」


 アマリリアが。


 小さく答えた。


 父。


 止まる。


 兄。


 手を止める。


 ゼイン。


 少しだけ。


 顔を上げる。


「今」


 ハロルドが言う。


「何です?」


「ただいまって」


「言いましたわね」


「普通に?」


「普通です」


「リリアが?」


「お父様」


「いや」


 父の目が。


 少し。


 潤んだ。


「もう一回」


「嫌です」


「なぜ!」


「一回で十分ですわ」


「父親にもう一回くらい!」


「嫌です」


「リリア!」


 いつもの父。


 アマリリアは。


 笑った。


 その横で。


 ライルが。


 ディーンとの確認を終えたあと。


 こちらへ来る。


「すごいな」


「何がです?」


「帰還直後から騒がしい」


「私の家族ですので」


「なるほど」


 ハロルド。


 ライルへ気づく。


 表情。


 変わる。


「殿下!」


「前伯爵」


「ご無事で!」


「ああ」


「よかった……!」


 父。


 本当に。


 安心したように。


 息を吐いた。


 数日前まで。


 娘をカルロスへ嫁がせようとした男。


 それなのに。


 今は。


 ライルが生きて戻ったことも。


 心から喜んでいる。


「ありがとうございます」


 ライルが言う。


「何がです?」


「アマリリアを待っていてくれて」


 ハロルド。


 一瞬。


 固まる。


 次。


 目。


 細くなる。


「……なぜ殿下が、娘を送り出した側のような言い方を?」


 空気。


 変わる。


 アレク。


 気づく。


 ゼイン。


 静かに一歩下がる。


 ディーン。


 遠くから。


 嫌な予感を察した顔。


「お父様」


「リリア」


「落ち着いてくださいませ」


「まだ何も言っていない!」


「顔がうるさいです」


「顔がうるさいとは何だ!」


 ライルが。


 少し。


 困る。


 そして。


 アマリリアを見る。


「今言うのか?」


「何を?」


「例の件」


「ああ」


 ハロルド。


 反応。


「例の件?」


 アレク。


 反応。


「まさか」


 ディーン。


 ゆっくり。


 空を見た。


 ゼイン。


 無言。


 逃げるように。


 また一歩。


「皆様」


 アマリリアが。


 手を叩く。


「ちょうどよいのでご報告いたします」


「待て」


 ライルが小声。


「何です?」


「もう少し場所を」


「ここで十分ですわ」


「俺にも心の準備を」


「森でなさいましたでしょう?」


「あれとこれは違う!」


 ハロルド。


「何の話だ!?」


 アレク。


「リリア」


 ディーン。


「殿下」


 国王アルベルト。


 少し離れた場所で。


 既に。


 面白そうな顔。


「父上!」


 ライルが気づく。


「何だ」


「その顔をやめてください」


「何もしていない」


「絶対楽しんでいる!」


 国王。


 否定しない。


 アマリリアは。


 咳払い。


「ご報告いたします」


「リリア!」


「お父様は黙っていてください」


「まだ内容を聞いていない!」


「だから今から話します」


 アマリリアは。


 ライルを見る。


 ライル。


 少し。


 覚悟を決める。


 そして。


 アマリリアの隣へ。


 立つ。


「私とライル殿下の」


 一拍。


「偽装婚約は終了いたしました」


 ハロルド。


 数秒。


 固まる。


 その後。


「おお!」


 顔。


 明るくなる。


「そうか! 終わったか!」


「はい」


「よかった!」


「そうですわね」


「ではカルロスとの話も潰せたのだな!」


「まだ正式手続きはございますが、問題ないでしょう」


「うむ!」


 ハロルド。


 嬉しそう。


「いやぁ、本当に助かった! これでリリアも自由に!」


「その代わり」


 アマリリアが続ける。


「本物の婚約をすることになりました」


「……」


 ハロルド。


 止まる。


「……誰と?」


 アマリリア。


 隣。


 見る。


 ライル。


 少し。


 手を上げる。


「俺です」


「……」


 沈黙。


 長い。


「……は?」


 ハロルド。


 顔。


 無。


「ライル殿下とです」


「……」


「正式に」


「……」


「お互いの意思で」


「……」


「お父様?」


「……」


 ハロルド。


 ゆっくり。


 アレクを見る。


「アレク」


「何です、父上」


「聞こえたか」


「聞こえました」


「殿下と」


「はい」


「リリアが」


「はい」


「本物の婚約」


「はい」


「する」


「そうです」


 ハロルド。


 空を見る。


「……」


 次。


「だめだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 北の森外縁へ。


 絶叫。


 鳥。


 数羽。


 遠くから飛び立つ。


「お父様!」


「だめだ!」


「なぜですの!?」


「娘をやるとは言っていない!」


「最初にカルロス様へ勝手にやろうとしたのはどなたです!?」


「それとこれとは違う!」


「同じです!」


「違う!」


「どこが!」


「今は!」


 ハロルド。


 ライルを指す。


 途中。


 王子。


 思い出す。


 指。


 慌てて下ろす。


「……殿下ですから!」


「意味が分かりませんわ!」


「公爵家ならまだ!」


「公爵家なら勝手に決めてよかったのです?」


「それは反省している!」


「では?」


「王家は駄目だ!」


「なぜ!」


「遠い!」


「何が!」


「身分が!」


「同じ王都ですわ!」


「そういう距離ではない!」


 ライル。


 完全に。


 困っている。


 アマリリア。


 父へ詰め寄る。


 ハロルド。


 娘から。


 半歩。


 下がる。


「お父様」


「何だ」


「先ほど、『もし結婚するなら先に言え』と仰いましたね?」


「言った」


「今、申し上げました」


「婚約してから言うな!」


「まだ正式手続き前です!」


「本人同士で決めている時点で遅い!」


「では森へ入る前に?」


「もっと駄目だ!」


「どちらですの!」


「とにかく!」


 ハロルド。


 胸。


 押さえる。


「父親として!」


 強調。


「話し合いを要求する!」


 アマリリア。


 目。


 細い。


「脅す気です?」


「なぜそうなる!」


「過去の自分の行動から?」


「俺は父親だぞ!」


「存じております」


「殿下にも!」


 ハロルド。


 ライルを見る。


 少し。


 姿勢。


 正す。


「その」


 敬語。


 迷子。


「非常に恐れ多いのですが」


「はい」


「娘との婚約について」


「はい」


「一度」


「はい」


「俺と」


 アレクが。


 小声。


「私、だ父上」


「私と!」


「はい」


「お話を!」


「もちろんです」


 ライル。


 即答。


 ハロルド。


 少し驚く。


「よろしいのですか?」


「当然です」


「王子殿下なのに?」


「アマリリアの父親でしょう」


 その一言。


 ハロルド。


 止まる。


「なら、話すべきだと思います」


「……」


 ライル。


 少し。


 緊張している。


 でも。


 逃げない。


「俺は」


 声。


 真面目。


「アマリリアが好きです」


 ハロルド。


 目。


 大きくなる。


 アマリリアも。


 固まる。


「殿下」


「何だ」


「今、ここで?」


「父親へ説明するんだろう」


「それはそうですが」


「君は黙っていろ」


「はい」


 珍しく。


 素直。


「最初は」


 ライル。


 続ける。


「正直、かなり怖い令嬢だと思いました」


「殿下」


「黙っていろ」


「……はい」


 ハロルド。


 小さく。


 頷く。


「分かります」


「お父様!」


「俺と殿下の意見が初めて一致した!」


「嬉しそうに言わないでくださいませ!」


「ですが」


 ライル。


 笑う。


「事情を知っても逃げず、一緒に解決しようとしてくれた」


 アマリリア。


 黙る。


「俺が生きたいと言ったとき、否定しなかった」


 森。


 旧図書塔。


 思い出す。


「王子だから犠牲になれ、とも」


「……」


「国のためなら仕方ない、とも言わなかった」


 ハロルドの顔から。


 少しずつ。


 騒がしさ。


 消える。


「それどころか」


 ライル。


 小さく笑う。


「そんなものはふざけている、と怒った」


「リリアなら言うでしょうな」


「言いました」


「でしょうな」


「お父様」


「黙っていろと言われただろう」


「なぜお父様が殿下側なのです!」


 ライルが。


 少し。


 笑う。


「俺は」


 声。


 真面目へ。


「この先も、アマリリアと一緒にいたいと思っています」


 ハロルド。


 黙る。


「契約のためではありません」


 アマリリア。


 胸。


 少し。


 熱い。


「王家の都合でも」


「……」


「カルロスとの婚約を潰すためでもない」


 ライル。


 ハロルドへ。


 まっすぐ。


「俺自身が」


 一拍。


「娘さんと婚約したいと思っています」


 ハロルド。


 何も。


 言わない。


 北の森。


 風。


 木々。


 揺れる。


「……」


 長い。


 沈黙。


 アマリリア。


 少し。


 不安。


 自分でも。


 驚く。


 父の了承など。


 以前なら。


 気にしなかった。


 縁談を持ってくる父を。


 叩き。


 蹴り。


 当主から降ろした。


 そんな自分が。


 今。


 ライルとの婚約を。


 父が。


 どう思うのか。


 気にしている。


「お父様」


 小さく。


 呼ぶ。


 ハロルド。


 娘を見る。


 そして。


 大きな。


 ため息。


「リリア」


「はい」


「お前は?」


「私?」


「殿下が好きなのか?」


 言葉。


 直接。


 以前。


 朝食時に聞かれた。


 そのときは。


 逃げた。


 でも。


 今は。


 逃げない。


「はい」


 アマリリア。


 答える。


「好きです」


 父。


 少し。


 目を見開く。


「本当に?」


「何度聞くのです?」


「お前が?」


「はい」


「誰かを?」


「はい」


「人間を?」


「お父様」


「いや!」


 ハロルド。


 慌てる。


「だって!」


「私を何だと思っておりますの!」


「昔から縁談相手を片っ端から潰してきた娘!」


「失礼です!」


「事実だ!」


「相手に問題があっただけです!」


「三人連続で?」


「三人とも!」


 ライル。


 小声。


「過去の縁談相手、少し気になるな」


「殿下」


「何だ」


「知らなくてよろしいです」


「余計気になる」


「忘れてください」


「嫌だ」


「あとで説明して差し上げます」


「本当か?」


「内容によります」


「もう逃げ道を作ったな」


 ハロルド。


 二人。


 見る。


 掛け合い。


 見る。


 そして。


 少し。


 肩。


 落とす。


「……幸せそうだな」


 声。


 小さかった。


 アマリリア。


 聞こえる。


「お父様?」


「何でもない」


「聞こえました」


「聞くな!」


「もう聞きました」


「なら流せ!」


「嫌です」


「お前は!」


 父。


 怒る。


 でも。


 先ほどまでと違う。


 少し。


 力。


 抜けている。


「……条件がある」


「また条件ですの?」


「父親として当然だ!」


 ハロルド。


 ライルへ。


 真面目。


「殿下」


「はい」


「娘を泣かせないでください」


 アマリリア。


 止まる。


 月守。


 同じ。


『娘を泣かせるな』


 言っていた。


 ライルも。


 思い出したらしい。


 少し。


 笑う。


「今日、二回目ですね」


「何がです?」


「同じことを言われました」


「誰に?」


「月守です」


 ハロルド。


 目。


 大きい。


「月守が!?」


「はい」


「何と?」


「娘を泣かせるな。泣かせたら森へ返せ、と」


「それだ!」


 ハロルド。


 急に。


 元気。


「それを採用する!」


「お父様!?」


「殿下!」


「はい」


「リリアを泣かせたら!」


 ハロルド。


 森を指す。


「返します!」


「勝手に決めないでくださいませ!」


「月守公認だ!」


「どこを公認したのです!」


 ライル。


 苦笑。


「分かりました」


「殿下まで!?」


「泣かせません」


 真面目に。


 言う。


 アマリリア。


 顔。


 熱くなる。


「……殿下」


「何だ」


「そういう真っ直ぐな返事は」


「駄目か?」


「駄目ではありません」


「では」


「ただ」


「ただ?」


「心臓に悪いですわ」


「君に何度も言われた台詞だな」


「仕返しです?」


「少し」


「……」


「どうした」


「プラス」


「点数制はやめたんだろう」


「そうでした」


「復活させるな」


「危ないところでした」


 ハロルド。


 二人。


 じっと。


 見る。


 そして。


「……分かった」


 ぼそ。


 アマリリア。


 止まる。


「何がです?」


「婚約」


「お父様?」


「認める」


 言葉。


 短い。


「本当に?」


「ただし!」


 すぐ。


 指。


 一本。


「今すぐ結婚は駄目だ!」


「まだその予定はございません」


「王宮へ住むのも!」


「正式婚約後は必要になる可能性がありますわね」


「駄目だ!」


「お父様」


「週に三日は帰ってこい!」


「学校があります」


「では学校帰り!」


「王宮と伯爵家を何だと思っておりますの」


「馬車がある!」


「お父様」


 アレク。


 横から。


「父上」


「何だ!」


「娘離れしろ」


「嫌だ!」


「即答するな」


「お前は男だから分からん!」


「俺も子どもだぞ!」


「息子と娘は違う!」


「酷い!」


 今度は。


 父と兄。


 騒ぐ。


 アマリリア。


 額。


 押さえる。


「まったく」


 ライルが。


 隣。


 笑う。


「賑やかだな」


「恥ずかしいですわ」


「俺は好きだけどな」


「……」


 アマリリア。


 ライルを見る。


「今の」


「何だ?」


「もう一度」


「嫌だ」


「なぜです?」


「君が何でも二回言わせようとするから」


「大事な言葉は何度聞いてもよいものです」


「駄目だ」


「殿下」


「駄目」


「けち」


「何とでも言え」


 アマリリア。


 少し。


 頬。


 膨らませる。


 ライル。


 それを見て。


 笑う。


 そして。


 誰にも見えない位置で。


 そっと。


 手。


 取る。


 アマリリア。


 目。


 少し。


 大きくなる。


「殿下」


「何だ」


「人が多いですわ」


「見えない」


「ディーン様が見ております」


 少し離れた場所。


 ディーン。


 ものすごい勢いで。


 顔。


 反対。


 向けた。


「見ていません!」


「今、見ていたでしょう」


「警戒していただけです!」


「何を?」


「周囲を!」


「私たちを?」


「違います!」


 ライル。


「からかうな」


「面白いので」


「君は本当に」


 でも。


 手。


 離さない。


 アマリリアも。


 握り返す。


          ◇◇◇


 その後。


 簡易治療所で。


 三人とも。


 念入りな診察を受けた。


 ライル。


 問題なし。


 国王。


 軽い疲労のみ。


 アマリリア。


 同じく。


 大きな異常なし。


 ただし。


 魔力検査だけ。


 通常と違っていた。


「……これは」


 王宮魔術師が。


 測定石。


 見る。


 困る。


「何でしょう」


 アマリリアが聞く。


「ベスター令嬢の魔力に、二種類の波長がございます」


「二種類?」


「本来の魔力と」


 魔術師。


 ライル。


 見る。


「殿下と似た波長」


 アマリリア。


 ライル。


 互いを見る。


「新契約の影響か」


「恐らく」


 ライルも。


 測定。


 同じ。


 ライルの魔力の中にも。


 アマリリアと似た。


 銀色の波長。


「身体に問題は?」


 国王が尋ねる。


「現時点ではございません」


「魔力量は?」


「殿下は」


 魔術師。


 測定石。


 もう一度。


「以前より安定しております」


「安定?」


「はい。これまで殿下の魔力は、非常に強い一方、内部圧力が高い状態でした」


「五歳の暴走の名残か」


「それもあったのでしょう。しかし今は」


 魔術師。


 驚いた顔。


「水が二つの器へ均等に流れたような状態です」


 アマリリア。


「私へ分散されたから?」


「はい。ただしベスター令嬢の側も、無理に受け止めている様子はありません」


「月の血」


 国王が言う。


「適合しているのだろう」


「恐らく」


 アマリリアは。


 自分の手を見る。


 何も変わっていない。


 ただ。


 森から出てから。


 以前より。


 周囲の魔力が。


 少しだけ。


 分かりやすく感じる。


 風。


 土。


 木。


 ライル。


「殿下」


「何だ」


「少し魔力を出していただけます?」


「なぜ?」


「確認です」


 ライル。


 指先。


 小さな光。


 魔力。


 出す。


 アマリリア。


 その瞬間。


 胸。


 少し。


 温かい。


「分かりますわ」


「何が?」


「殿下の魔力」


「前から感知はできただろう」


「違います」


 アマリリア。


 少し。


 言葉。


 探す。


「近い」


「近い?」


「自分のもののように」


 ライル。


 手。


 止める。


 二人。


 少し。


 黙る。


 魔術師。


「今後、共鳴が起きる可能性があります」


「共鳴?」


「感情や魔力使用時に、互いの魔力が反応するなど」


 アマリリア。


 ライル。


 また。


 見る。


「感情も?」


 アマリリアが聞く。


「可能性ですが」


 ライル。


 嫌な予感。


「待て」


「何です?」


「君が怒ったら俺にも分かるとか?」


「便利ですわね」


「どこが!」


「隠し事できませんわよ?」


「それは君もだろう!」


 アマリリア。


 止まる。


「……確かに」


「なぜ自分は大丈夫だと思った!」


 魔術師。


 少し。


 苦笑。


「詳細は王宮へ戻ってから検査いたします」


「お願いしますわ」


「……ああ」


 ライルだけ。


 少し。


 不安そう。


 アマリリア。


 気づく。


「殿下」


「何だ」


「何か隠していらっしゃる?」


「ない!」


「反応が早いですわね」


「ないと言っている!」


「怪しい」


「本当にない!」


「では安心です」


「君、絶対疑っているだろう」


「半分ほど」


「やっぱり!」


 治療所に。


 声。


 響く。


 外。


 待っているディーン。


 また。


 ため息。


          ◇◇◇


 帰還の準備が整った頃。


 空は。


 夕方へ近づいていた。


 森へ入った時間。


 外界では。


 想像より短かった。


 三刻近く森内部にいたはずなのに。


 外では。


 一刻少々。


 時間の流れが違ったらしい。


「陛下」


 オズワルドが国王へ近づく。


「王宮へ戻り次第、貴族院への説明準備を」


「ああ」


「契約原本の公開範囲は」


「全て出す」


 周囲。


 少し。


 ざわつく。


「陛下」


 王宮官僚。


 驚く。


「全て、ですか?」


「王家に都合の悪い部分も含めてだ」


「しかし」


「隠せばまた同じことになる」


 国王。


 静か。


 でも。


 強い。


「王家が過去に契約を破り、ルーナの名と土地、歴史を奪った。その事実も公表する」


「貴族院が荒れます」


「分かっている」


「王家の正統性を問われる可能性も」


「それも分かっている」


「陛下」


「だから」


 国王。


 少し。


 息。


 吐く。


「帰ってからが本番だ」


 ライルが。


 父を見る。


「手伝います」


「当然だ」


「そこは少し労ってください」


「第一王子だろう」


「森から帰ったばかりです」


「俺もだ」


「……」


「文句は?」


「ありません」


 アマリリア。


 少し。


 笑う。


「親子ですわね」


「君にだけは言われたくない」


 ライル。


 即答。


「何ですの、その返し」


「君と父上の会話も大概だ」


「お父様と私?」


 少し離れた。


 ハロルド。


 聞こえる。


「リリア! 俺たちは仲良し親子だ!」


「どこがです!」


「ほら」


 ライル。


 笑う。


「似ている」


「似ておりません!」


「声の大きさも」


「殿下!」


 また。


 いつもの。


 空気。


 でも。


 国王の顔には。


 少し。


 疲れ。


 そして。


 覚悟。


 アマリリアは。


 それを見て。


 明日以降。


 大変になる。


 分かる。


 王家の歴史。


 土地。


 制度。


 貴族。


 全部。


 簡単には。


 変えられない。


 けれど。


 今日は。


「陛下」


「何だ?」


「本日は一度お休みになってくださいませ」


 国王。


 少し驚く。


「君が言うのか」


「何です?」


「今すぐ仕事を始めろと言いそうだと思っていた」


「私を何だと思っておりますの」


「息子を脅して婚約を迫った令嬢」


「陛下まで!」


 ライル。


 吹き出す。


「父上、それは俺が最初に言った」


「事実だろう」


「事実ですが!」


 アマリリア。


 頬。


 少し膨らむ。


「もうその話は終わりです」


「終わらないと思う」


 ライル。


 断言。


「なぜです?」


「絶対一生言われる」


「嫌ですわ」


「俺もだ」


「殿下は被害者側では?」


「だからこそ忘れない」


「執念深いですわね」


「君に言われたくない」


 また。


 笑い。


 少し。


 生まれる。


          ◇◇◇


 王都へ戻る馬車。


 帰り。


 アマリリアとライルは。


 また同じ馬車だった。


 ただし今回は。


 ディーンが。


 別の馬車へ。


「なぜディーン様は?」


「父上の護衛へ回った」


「そうですの」


「ああ」


「では」


 アマリリア。


 左右。


 見る。


 車内。


 二人。


「二人きりですわね」


「……」


 ライル。


 少し。


 身構える。


「なぜ警戒なさるのです?」


「君がそう言うと嫌な予感がする」


「失礼ですわね」


「屋上の記憶が強い」


「もう脅しません」


「本当か?」


「多分」


「信用できない!」


 アマリリア。


 笑う。


 それから。


 少し。


 静かになる。


 馬車。


 揺れる。


 窓の外。


 北の森。


 少しずつ。


 遠ざかる。


「殿下」


「何だ」


「終わりましたわね」


「ああ」


「八年間」


「……」


「怖かったでしょう」


 ライル。


 窓。


 見る。


「今になって」


「はい」


「少し実感してきた」


「何が?」


「もう」


 一拍。


「満月を怖がらなくていい」


 アマリリア。


 言葉。


 出ない。


 ライルは。


 笑っている。


 でも。


 目。


 少し。


 赤い。


「殿下」


「何だ」


「こちらへ」


「何?」


 アマリリア。


 隣。


 座席。


 少し。


 叩く。


「隣へ」


「なぜ」


「よいから」


 ライル。


 疑う。


 でも。


 移動。


 隣。


 座る。


 アマリリア。


 そっと。


 肩。


 寄せる。


「……アマリリア」


「少しだけです」


「何が?」


「何もしません」


「それが一番怖い」


「失礼ですわね」


 でも。


 ライル。


 動かない。


 アマリリア。


 彼の肩へ。


 頭。


 少し。


 乗せる。


 しばらく。


 無言。


 馬車の音。


 だけ。


「泣いてもよろしいですわよ」


 アマリリア。


 小さく。


 言う。


「俺が?」


「はい」


「泣かない」


「白鹿さんが」


「何?」


 言ってから。


 アマリリア。


 少し。


 止まる。


「……泣かない者は苦しくなる、と」


 ライル。


 黙る。


「それで、森で君に?」


「はい」


「だから」


「無理にとは申しません」


 アマリリア。


 彼の手。


 取る。


「ただ」


 指。


 絡める。


「私の前なら」


 一拍。


「我慢しなくてよろしいです」


 ライル。


 何も。


 言わない。


 長い。


 沈黙。


 その後。


 手。


 握る。


「……今は」


「はい」


「泣かない」


「分かりました」


「でも」


「はい」


「少し」


 ライル。


 アマリリアの方へ。


 身体。


 寄せる。


「このままでいてくれ」


 アマリリア。


 目。


 少し。


 大きくなる。


「もちろんです」


 それだけ。


 言う。


 からかわない。


 点数も。


 言わない。


 ただ。


 一緒。


 馬車の揺れ。


 手の温度。


 肩。


 触れる。


 ライル。


 小さく。


 息。


 吐く。


「アマリリア」


「はい」


「帰ったら」


「はい」


「正式な婚約手続きがある」


「そうですわね」


「本当にいいのか」


 アマリリア。


 顔。


 上げる。


「まだ聞きます?」


「確認したい」


「何度でも答えますわ」


「……」


「私は」


 手。


 握る。


「ライル・アースハルト殿下と」


「うん」


「正式に婚約したいです」


 ライル。


 少し。


 笑う。


「俺も」


「では、決まりですわね」


「ああ」


「ただし」


「何だ」


「王宮生活は私の自由時間を確保してくださいませ」


「もう条件交渉か!」


「重要です」


「婚約したばかりだぞ!」


「だから今のうちに」


「君は本当に現実的だな!」


「それから市井へ出る日も」


「待て!」


「月に最低二回」


「具体的!」


「旅行も」


「増やすな!」


「殿下」


「何だ!」


「私と一緒に生きたいのでしょう?」


 ライル。


 止まる。


「それは」


「では」


 アマリリア。


 にこ。


「よろしくお願いいたします」


「……」


「殿下?」


「ずるい」


「何が?」


「それを使えば何でも通ると思うな」


「駄目です?」


「……内容による」


「では交渉の余地ありですわね」


「君は本当に!」


 馬車。


 中。


 ライルの声。


 響く。


 御者。


 前。


 聞こえる。


 少し。


 笑っている。


 その日。


 新月の森から。


 三人は。


 無事に帰還した。


 八百年以上続いた王家の歪んだ契約は終わり。


 ライルは。


 満月の夜へ怯える必要を失い。


 アマリリアは。


 森へ残る未来を回避し。


 国王は。


 王家が背負うべき罪を。


 正面から受け止めることを決めた。


 そして。


 もう一つ。


 偽装婚約。


 それも。


 終わった。


 代わりに始まったのは。


 本当の婚約。


 だが。


 アマリリアは。


 このとき。


 まだ知らなかった。


 王都へ戻った瞬間。


 王妃セレーネが。


 正式婚約の報告を聞いた喜びのあまり。


「すぐに婚約披露の準備を始めましょう!」


 と。


 王宮中へ号令をかけ。


 さらに。


 ハロルドが。


「まだ娘を渡す準備ができていない!」


 と。


 王宮の応接室で。


 第二戦を始めることになるとは。


 もちろん。


 ライルも。


 知らなかった。

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