雪のあと
「おかえりなさい。シラお姉ちゃん」
いつからお姉ちゃんになったのだろうか。
ミオが私に向かってそう言った。
でも、悪い気はしなかった。
「今から一緒に散歩して欲しいな」
ナナシはまだ家に戻ってきていないのだろうか。
そう思って部屋の奥を見ようとした。
すると、部屋の奥からすでにへとへとのナナシが出てきた。
「ごめんよお……。シラちゃん。私じゃあ手に負えなくて……」
「ナナシ、直ぐに『疲れた』って言うんだもん。これじゃ、厳しいよ。だから、シラお姉ちゃん。行こう?」
ナナシは疲れ果てた老人のように近くの椅子に腰を下ろす。
「俺は家で待っておく。リビングにでも降ろしてくれ」
「うん。わかった」
レインを肩の上から降ろし、暖炉の前のソファに置いた。
「いくよ!」
ミオがそう言うと、私の手を引っ張り、外へ連れ出した。
外は一面、真っ白な雪で覆われていた。
「あっ。雪だ」
ちらほらと、真っ白な雪が降ってきた。
肌に触れると、ぴたりと溶けて、一粒の水滴となった。
ミオの頬は、りんごみたいに赤くなっていた。
「ほんとうだ。雪だね」
歩いて溜まった熱が、ほどよく溶けていく。
ミオはまだ星の出ていない空を見上げた。
「シラお姉ちゃん。ありがとう」
「私は何もしてないよ」
「ううん。おかげで決心がつけられたから」
ミオは言いづらそうに雪空を見上げる。
目元に落ちた雪が溶け、頬を伝って零れ落ちた。
「お葬式に行く日は……みんなで星空を見に行こうね」
ふと想像した。
レイン、ナナシ、ミオたちと一緒に星空を眺めている姿を。
「うん。楽しそうだね。みんなで行こう」
私がそう返事をするとミオは安心したように笑顔を見せた。
――ミオの家。ナナシとレインが暖炉を取り囲む。
「気、遣ってくれたんだろ?ありがとう」
レインがナナシに向かって言った。
「うん……。そりゃね。聞く限りだけど、君たちは凄絶な別れをしてるからね」
「凄絶なんてほどじゃないさ。俺の命は安かったからな」
「レイン。安くはないよ。少なくとも彼女にとってはね」
レインは窓から真っ白な景色を眺めている。
「だって残された人は苦しくて悲しんでるんだよ?安い命なら、そんなこと思われないし悲しまれないよ」
レインは黙って、真っ白な雪景色を見ていた。
まるで、遠い雪の日を見ているようだった。
「死んでしまった人に悲しく思ってくれる人がいるならもう、それは安い命じゃないよ」
ナナシの視界には、いつ降りやむかも分からない雪空が写っている。
「そうかもな」
乾いた風が針葉樹の隙間を通過した。
その反動で、針葉樹に溜まった粉雪がばさりと落ちる。
すると、真っ白だった景色に深い緑が姿を表した。
「枯れないんだな……」
「そりゃあ、生きている内はね」
二人は、暖炉の前で、二人の帰宅を待っていた。
――私たちはミオの家に帰ってきた。
「……ただいま」
私はレインとナナシに向かって言った。
そう言えることがどれだけ待ち遠しかったか。
「寒かったのにありがとうね。これ飲んで身体、あっためてね」
ロザリオは暖めた紅茶を持ってきてくれた。
「ありがとう」
夕焼けみたいな色の紅茶からは、湯気が溢れ出す。
周囲に、落ち着いた香りが広がる。
ミオと私が暖炉の前のソファでくつろいでいるとナナシがやってきた。
「明後日の話だけど、ご両親と話して、前日に夜空を見た方がいいかなって話したんだ。それで、今から前泊で、お葬式場の近くの宿に泊まろうって考えてるんだけどミオちゃんは大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ」
「わかった。伝えてくるよ」
ミオの返事を聞くと、ナナシは、両親のいる二階に上がった。
この部屋には私とミオだけになった。
外から吹き付ける風の音が冷たい。
パキパキと燃える炎がミオの瞳に写っている。
目の前の暖を見つめているのに、心はどこか遠くに行ってしまったようだった。
「そうだ」
ミオは突如、紅茶を一気に飲み干した。
ティーカップをカタンッと勢いよく机に置く。
私の半分くらい残っていた紅茶が静かに波紋を作る。
「ちょっと待ってて」
「お待たせッ!」
ミオが走って戻ってきた。
手にはアルバムのような分厚い本を両手に抱えて持っていた。
「それは?」
私がその分厚い本について聞くと、ミオは嬉しそうにその本を見つめた。
「これはね、アルバム!おじいちゃんと一緒に撮った星空の写真がいっっぱいに入ってるの。一緒に見よ!」
そう言うと、ミオはその分厚さに等しい大きさの一ページを開く。
「これがね!おじいちゃんと初めて一緒に行った時の写真。ほら、これがネコ座だよ」
ミオが指の腹で写真に写る星をなぞる。
そのなぞる手が、ネコっぽい形になっている。
「へぇ……本当だ。ネコみたい」
「でしょ!でね、これがフリードリヒの……」
ミオは、おじいちゃんと紡いできたこれまでの物語を私に教えてくれた。
本の一ページ一ページにはどれも、満点の星空が写っていて、所々おじいちゃんとミオが二人で写っている写真もある。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
アルバムの途中でミオの父の声がした。
「じゃあ、続きはまた今度だね」
ミオはアルバムをパタリと閉じた。
「うん、ありがとう……。どれも綺麗だった」
「よかった!じゃあ、あと……最後にこれも!」
「時間は大丈夫?」
「うん!あとこれだけだから……」
ミオは、閉ざしたアルバムを急いで開ける。
けれど、パラパラとめくる手つきは丁寧で優しかった。
その様子を両親が静かに見ている。
「なんだか、本当に姉妹みたいね……」
「うん……」
「きっと、こんな感じだったのかしら……?」
「かもしれないね……」
「あっ!お父さん、お母さん。ごめんね!もう閉じるわ!」
「……いいのよ、ゆっくりで」
ミオは分厚いアルバムを閉じた。
少しだけ見えた。
おじいちゃんから手渡された望遠鏡をミオが大事そうに手に取った写真が。
声がなくても、当時の声が聞こえてきそうな笑顔の写真だった。
あの写真みたいに、ずっとそのままでいたいと思っても、その時間は二度と戻ってこない。
暖炉の火は弱まり、もう消えそうだった。
それでもまだ、暖炉の周りには温もりが残っていた。




