● 終点と一線 【4】
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モジョンはくるりとその場で半回転、比良坂優子へ背を見せた。そのまま通路端まで進み、再現邸を正面にとらえる位置で立ち止まった。腕時計をチラリと見る。
松本清張記念館の二階フロア、再現邸二階部の書斎を目前とした、薄暗い袋小路での事である。
「モジョンさんは……その、宮田さんにお会いした事ってあるのですか?」
「ええ」とモジョンはこちらに向き直り、浅くうなづいてくれた。「大阪の枚方市、ご存知ですか。数年前のオフ会の時にそこで一度だけご一緒した事があります」
「枚方市わかります。訪れた事はありませんが」
「せっかくなので京都駅で待ち合わせして、伏見の寺田屋を見学したりしましてね」
そう言えばモジョンの創作スタイルはジャンルを問わない多芸多才型で、作品群は実に多彩だった事を思い出す。中岡慎太郎の陸援隊創設に関する短編なども書かれていたなと、優子はひとり納得した。
「あ、坂本龍馬の?」
「そうそう」とモジョンは満足気に目を細めたが、それはやんわりと困惑気味な上目遣いに変化した。「襲撃された時の刀傷などが柱に残っていたりして、なかなか楽しかったのですけど……ただ宮田さん、何をどう勘違いしていたのか、最後までイケダ屋って言ってましたよ。ここで階段落ちだったんですかね? とか。いや、『蒲田行進曲』のクライマックス、ここじゃねえから」
優子もまた即答に困った。「はぁ……そそっかしいヒトなんですね、宮田さん」
するとモジョンは「そうなんですよね……」と目線を下ろした。
※
宮田の話題は避けられない。そのためここに集っているのだから当然ではあるのだが、やはり気は引ける。当たりの柔らかい切り口で進めなければならない。気まずい沈黙が続くかと思われた矢先、モジョンが別の話題を口にして来た。
「アルパカさん、松本清張はお好きですか」
「……その、熱く語れるほどには読んでいないです」と恐縮するしかない優子。
するとモジョンは「いえいえ」と、なぜか小首を左右に振った。「僕もですよ。以前に『点と線』を読んでいるくらいで」
「え……」
優子は面喰らうしかなかった。自分と一緒なのかと。
「じゃ、ここに来たのって……」
「一階の書物庫、アルパカさんもご覧になられたでしょう? なんていうか、内臓がぐねぐねぐねぐねぇってなっているみたいで、アレをリアルで観たかったんですよ、はい」
……でもそれは『点と線』から作者に興味を抱いたって事で、作品としてとても好意的にとらえている訳ですよね……口には出さなかったが、優子がその様に推察していると、モジョンは少しいたずらっぽく口角を歪ませた。
「……もちろん好きですよ、『点と線』。犯人側の真相にも充分な意外性があって、とても上質なミステリーだと思います。んー、さすがに防犯カメラが街中に溢れる現在ではまったく成立しないアリバイ作りですし、本人確認のセキュリティがガバガバだった時代だからこそというのも有るのでしょうけれど、当時としてはかなり斬新なアイデアだったんじゃないでしょうか。また何よりも刑事がアリバイを崩そうと調べれば調べるほど、犯人側に有利な証人なり物証なりが新たに出て来て、よりアリバイが鉄壁になっていく様なんて傑出していますよね。またタイトルも意味深で好ましいです、『点と線』って」
言われて優子は戸惑う。何せ読んだのは学生の頃で、手の込んだ推理小説程度の感想しかもはや持ち合わせていなかったのである。
……『点と線』の意味?……あれ? なんだったっけ……あれあれ……
言い淀んでいると、またもやモジョンが察してくれた。
「劇中では『初動捜査の思い込みの点が誤った線を引いた』程度の言及のみで、それ以上は掘り下げていませんけれど、アリバイ作りに時刻表が多用されていたじゃないですか。時刻表っていわば線と線が巧みに交差している訳ですから、その間隙を突く犯人側と、小さな点から企みを暴こうとする刑事たちの奮闘ぶり。ここいら辺の含みもあったのではないかなと、個人的には思っています」
※
モジョンの講釈を聞きながら、優子は妙に緊張している自分に気付いた。
そこはかとなく漂う違和感。ぬぐえない不信感。
……何かがおかしい……ような……あれ?……なんなのだろう、この居心地の悪さ……
街灯のとぼしい夜道で、背後からひたひたと迫る何者かの気配。あの本能的なおぞましさ。
……絶対に何かが違う……なに?……なにが?……
ほどなくして、合点が行く。
モジョンの『点と線』の感想が鮮明すぎるのだ。まるで読んだのが昨日今日だと言わんばかりに。
だったら『以前』などと言わずに、そう答えればいい。でも、それもおかしな話になる。ならば松本清張に心酔したのはいつなのだ? どうして、今この瞬間、ここにいる? この場所を指定して来たのは昨晩で、その直前に読破したという流れなのか。あり得ない話ではない。確かに昨日も『以前』だ。なのだが、いくらなんでも突飛過ぎはしないか? そこまで直近で感銘を受けたのなら、やはり本人から『読んだばかりなのです』的な一言が添えられてしかるべきなのではないだろうか……勘繰りが過ぎるのか……
ここは本題を切り出すしかない。そう判断するのに迷いはなかった。
「モジョンさん、あの、宮田さんの話なんですけど……」
「あ、そうそう、宮田さんなんですけど、実はパチスロの目押しが下手なんですよ」
ケロリとした顔で、そう答えるモジョン。
いや、横道に逸れ過ぎでは……出鼻をくじかれた形となった優子は、ただ押し黙るしかなかった。
「……」
「その、さっき話したオフ会の翌日ですね、枚方駅の近くのホールで並んで打ったんですけど、あの人、七を揃えるのに三ゲームくらい無駄に回してましたからね。タイミング押しなんです」
謎の単語が並ぶ。いったい何の話なのだろうか……ささいな質問すらためらわれ、やや呆れたように耳を傾けるしかない優子。正体不明の気持ち悪い感触はそのままで、この間も腹の底でとぐろを巻いて堆積し続けていた。
「……あ、タイミング押しってのはですね、だいたいこの辺だよなぁ……って目星を付けてストップボタンを押すやり方です。要は正しく見えていないんですよ、リールが」
「……はぁ……」
「肝心のものが見えていないと言う、パチスロ打ちとしてはなかなか難儀な症状でして……でも打ちたい衝動は抑えられないと。厄介な病気でしょ、ギャンブルって」
そう言って、モジョンは白い歯を見せて笑う。
……故意だ……
優子の疑問はここで頂点となった。モジョンは宮田の弁護士殺しの件から、わざと言及を避けようとしている。
なぜ?
そのために、ここに来たのではないのか……なぜ?……
あけすけな疑義に足を取られると、これまでを振り返らざるをえない。違和感の洗い出し、それを必須と感じてならない。なんだ、この動悸の高まりは? どうして手のひらの中に汗を握っている? 直感が警告をうながす。知恵を廻せ、考えを巡らせろ、と。
無視できないほどにモジョンがあやふや過ぎる。
重要参考人と宮田美代彦がイコールであると、警察が知り得ている可能性はかなり低いはずで、その進言を警察へして良いのかどうか……優子はそういう相談だとばかし思っていた。ネット上に投稿しているのだから、どこの地域の基地局経由なのかぐらいは、運営側に捜索協力を申し出れば容易に特定できるのではと。
だが、なかなかそういう話にならない。モジョンはどこか他人事のような素振りに徹している。ネット上の知り合い程度とはいえ、友人を警察に売ってしまって良いのか……そういう苦悩を吐露されるとばかり考えていた。が、今のモジョンにはその気配すらない。醸し出してはいるが、どこか芝居掛かっているというか、真剣さが不足しているというか……この不自然さの正体は何なのだろう……
何かがズレている。ボタンの掛け違い程度では済まない、大原則としての立ち位置の差、それをどうしても否定出来ない自分。
……モジョンが思う本題は違うという事なのか?
そういえば、さっきどうして背後から声を掛けられたのか……『書斎の前で待っている』と自分で返信しておきながら、その場にいなかったのはなぜか……
一階フロアから二階フロアへの移動経路は順路をたどるのなら二つ、階段とエレベーターだ。階段を登ってきた先にエレベーターの昇降口があり、それはこの書斎前からでも見渡せる範囲内である。少なくとも自分の後に扉の開閉音など利用された気配はない。自分と前後して階段を登ってきたのなら、『書斎の前で待っている』が嘘になる。
順路に従えばL字廊下の途中に休憩所が設けてあり、その室内の奥に一階エントランス前へ通じるもうひとつの階段がある。
考えられるとしたら、『休憩所に隠れていた』が妥当か? そこに扉は無く、壁が切り取られているだけなので、身を潜めてこちらを伺うのは容易である。でもなぜ? 隠れる理由とは?
……私が本当にひとりで来ているかを確認したかった……という事か……
根拠としては薄いが、当面の説明がつくのはこれ以外に無さそうだ。
モジョンの真意は極めて不明である。だが、どうやら目的は宮田の安否ではない。嫌な感じに背筋が粟立つのを、優子は意識せずにはいられなかった。
さっきの名刺、勤務先の連絡先が記載されていたはず。確認すべきなのか……
それを憂うと同時、ある仮説が優子の脳裏に瞬いた。
……あるいは……そういう事なのかと。静かに、でもゆっくりと一度だけ深呼吸をして、優子は腹をくくった。その時。
……。
……。
……もう終わろう……
また空耳。これはよろしくない。しかし、構うのは今ではない。黙殺。宮田へ向き直った。
「そう言えばつかこうへいもお好きなんですか?」
「あ、『蒲田行進曲』の事だったら映画の方を観ているだけです、深作欣二監督の。もう古い作品ですけどね」
それは好都合。条件としては自分も同じで、もう少し分け入った話が出来る。優子は乗ったふりを続けた。
「もうずっと前ですけど、わたしも観ました。さすがにあの大階段は旅籠には大袈裟すぎで、劇中劇ならではの誇張というか脚色というか、雰囲気を味わうものだと思いそうなものですけれど……宮田さんって、本当にそそっかしいヒトなんですね」
取って付けたみたいにクスクス笑ってみせると、モジョンは「そうですね」と、はぐらかすように目線を泳がせた。「あの方の感覚はちょっと常人の理解を越えているといいますか……宮田さんが書いた『ケルベロスが地獄でつくだ煮屋をやる話』とか読まれましたか? なかなかのイカれ具合ですよ」
どういう話なんだよと呆れつつも、不愉快さは表情に出さないよう何とか押し込んだ。あと一歩、この会話を踏み込まねば。優子はその点に集中した。
「……それでも寺田屋とイケダ屋を間違えたりはしないと思いますけどね。竜馬が暗殺された場所って記憶が、何よりも勝っているんでしょうか」
すると再現邸の書斎を正面に捉えた柵に背中を預け、モジョンはゆっくりと腕を組んだ。「そうですね、柱の刀傷でワーワー騒いでましたから、あのヒト」
優子は押し黙った。張り付けていた柔和な表情が、刹那で消えてなくなる。
……やっぱりだ……
不快だった。なぜ嘘をつくのかと。
「……違います」
「ん?」
「違いますよ」
穏やかにもう一度否定する優子。対するモジョンもまた冷静だった。「……何がです?」
「坂本龍馬が暗殺されたのは河原町の近江屋です。伏見の寺田屋ではありません。違います」
「……ああ、そうでしたね……うっかりしてました」
「いいえ、それも違います」
「……何がです?」と、やはり動じないモジョン。どこか涼しげな感じすら纏っていた。
……この余裕の根拠はなに?……
一抹の不安がちらりとよぎりはしたが、構わず優子は続けた。
「竜馬と運命を共にした中岡慎太郎を主人公に据えたケータイ小説を執筆した本物のモジョンさんなら、うっかりでも間違えたりはしないはずです」
「……」
さすがにモジョンは即答しなかった。腕を組んだまま、ただこちらを見ている。表情に変化はない。焦燥も動揺もない。そのままの顔付きで、一度だけ浅く「ふぅ」と息を吐いた。やはり何かが引っかかりはするが、追及の手を止める選択肢はない。優子はそう判断した。
「寺田屋は竜馬の定宿で実際に襲撃も受けていますけど、未遂で済んでいます。暗殺の現場はそこではないんです……柱に実際の刀傷を見たから、それで思い違いをされたんでしょう?……そうではないのですか、宮田さん」
数秒。さすがに沈黙が二人の間に横たわる。
モジョンをかたった目の前の男は、ようやく腕組みを解いた。だらりと両の腕を下げる。
「だったら……」と、一歩前へ。
……しまった……
ようやく優子は男が秘めていた余裕の正体を知った。
……ここまでがシナリオ通り、想定内なんだ……
うかつ。まんまと踊らされている。屈辱で顔が赤くなる……前に、迫り来る恐怖が先立ち、顔から血の気が引いた。
……これがケータイ小説なら……これまでを総括する殺し文句が来る。そしてその引きでこの章は幕切れ……わたしならそうする……
事実そうなった。
宮田美代彦が口にしたのは、いかにもな台詞だった。
「……だったらアルパカさん、貴女はいま、弁護士殺しの重要参考人と二人っきりという事になりますね」




