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◎ひどいやつら【六】


※



弁護人が指定して来たのは、とある公営団地内の児童公園だった。


テニスコート二面分ほどの敷地に、ジャングルジム的な粗末な遊具がひとつ。あとは背もたれの無い二人掛けのベンチシートがポツポツと配置されているだけであり、公園というよりほぼ空き地然としたどこかさみしい印象の場所であった。平日の午後二時。小学生たちの下校時間には幾分か早いらしく、一組の親子が手をつないで散歩している以外に先客はいなかった。手近なベンチに腰を下ろすわたし。仕事上がりゆえのスーツ姿は相当に場違いで、まるで馴染んでいなかった。最近めっきり疎外感と隣り合わせになっている。


『週末で』と先方は提案して来たのだが、変に気を使われるのも癪にさわるので、平日の午後から半日有休を申請した。すんなりとそれは受理された上、特に上司から理由を尋ねられる事もなかった。こ(・)こ(・)で(・)変な気を使われていたか……胸中複雑ではあったが、ここは素直に甘んじた。事故から三カ月。わたし自身日常生活を取り戻せているつもりなのだが、周囲はそう見てはくれていない。


ベンチに座り、一段低くなった視界から改めて公園内を眺めてみる。特筆すべきは何もない。そよ風。穏やかな日差し。ありていな日常のひとコマ。


……あるいは、生活を取り戻せていると感じているのはわたしだけで、はたからはそうは見えていないのか……


妻を理不尽に奪われた哀れな男……偽りの元気で空回りの男……眼が死んだまま、時が止まったまま……後は何だろうか、いくつか候補を思いつくも、どれも当てはまっているようで、肯定するしかなかった。あれから職場ではずっと腫れ物あつかい……のような気がしてならない。配慮には感謝するが、もうよくはないか?……と、意見するのもはばかられる。わたしはしっかり前を向いているつもりなのだが、優しい環境がそれを遠回しに曖昧へと鈍化してくれる。


……見えているようで実は見えていないものって、結構まわりに多いのかもな……


視線を上へ。雲の少ない透き通った青空ではあったが、残念ながら月の姿は無かった。


スーツの上着はそのままに、でもネクタイをほどきワイシャツの第一ボタンを外した。緊張してどうする?  むしろ肩の力を抜かねば。わたしは顔のぐねぐねさんをそっと撫でた。



※



約束の十五分ばかし前に、スーツを着込んだ若い男が現れた。先の公判で見た顔だった。わたしは立ち上がり、近付いてくる彼へ浅く会釈した。


「あ、お待たせしてしまいましたか。これは失礼しました」


側で立ち止まり、男は懐から名刺入れを取り出した。慣れた手付きで一枚を差し出す。


「お気になさらずに。私が勝手に早く着いただけです」


名刺を受け取りつつ、頭を下げようとする彼をまず私は制した。「名刺は頂きます。しかし、私の名刺はもはや不要ですよね。氏名も連絡先もすでにご承知のようですので」


そもそもがビジネスの話ではない。無礼は最初から百も承知である。


「ええ。構いません。座りましょう」と言うやいやな、彼はさっさとベンチへ腰を下ろした。肩が触れるような位置で、隣り合わせととなるわたしと弁護人。


「あ、証人出廷のお知らせは届いてますよね?」と、間髪を入れず問いただしてくる弁護人。いきなりの本題突入は好ましい。それでいい。お互いに世間話の相手ではない。無駄なやり取りは排除するべきであり、名刺を出さなかったわたしの真意を彼は的確に汲んでくれたという訳だ。


そっと彼のスーツの胸元を見る。さすがは薄さが信条のスマートフォン、録音状態のそれが有るはずなのに、外目からの不自然さは皆無である。


「録音なんてしていませんよ、いやだなぁ」と、ほがらかに弁護人は笑った。こちらの意図をあっさりと看破、先ほどから遠慮なく披露してくれる察しの良さには舌を巻くしかない。生き馬の目を抜くような生業ゆえなのか、わたしは序盤から劣勢だった。


「んー」と、あごの辺りを右の人差し指でポリポリ掻きながら、弁護人は回りをぐるりと見渡した。


「あるいはこの場所の指定も勘ぐっていますか? 私の仲間が遠くからスナイパーよろしく見張っていると? だから四方八方障害物にとぼしいこんなさびれた公園を選んだと? はっはははは、やだなぁ、そんな訳ないでしょー」


さらに快活と笑う弁護人。


一方、表情には決して出さなかったが、わたしもまたひたすらに満足だった。録音も仲間も、あえての否定でうやむやにしようとしているだけだ。ならばスマートフォンを見せてみろ。ヤツはあっさりと渡すだろう。当然だ。二台目の存在を明かす理由はどこにもない。仲間にしてもそうだ。さすがに狙撃は現実離れが過ぎるが、離れた位置から録画くらいはしているのではないのか……事前に覚悟はしていたが、どうやら相当に嫌なヤツのようだった。結構々々。それでいい。


「……本題を進めましょう。よろしいか」


弁護人は子供っぽく大袈裟にうなづいて見せる。「ええ、もちろん」


透けて見える傲慢と紙一重の悪意。隠す気すら無いようである。


一方でわたしの殺意はすっかりと飼い慣らされ、従順だった。おくびにも出さない。




※




「証人要請の意味を説明してほしい」


「あなたに証言して頂きたいからです」


「何を?」


「あの時、月の異形が姿を見せていた事を、です」


わたしは強い口調で否定した。「わたしには月のバケモノを見る事は出来ない。お生憎だが」


弁護人ははっきりと「いいえ」と返してくれた。「お知らせに書いてあったはずです。嘘はダメだと」


「嘘ではない」


「嘘です」


「なぜ嘘だと思う?」


「根拠が有ります」


「どのような?」


ここまでの応酬はシナリオ通り、想定内である。


さぁどう出る、弁護士? 手の内を明かせ。カードを見せてみろ。


彼はいったん口をつぐんだ。ただ表情には余裕がある。自信の裏付けからか、こういう処もあけすけで良いらしい。


「実はですね……」と、ゆっくりとした口調になる弁護人。どこか嬉しそうなのは見間違いではなさそうだ。


「先の公判後に密告が有りました。自称かつてあなたの知人であった人物からです。あなたと同じくその人物も傍聴席にいて、ふと見覚えのある顔に気付いた。そして被害者女性の苗字からあなたを思い出したと。そういう事です。断言してくれましたよ。幼少時、確かにあなたには月のバケモノが見えていたと」


わたしは失笑である。よくもぬけぬけと適当な事を言える。難癖も大概であるが、ちゃぶ台をひっくり返すのはここではない。水掛け論を続行した。「その人物の名は? 守秘義務か?」


弁護人は首を縦に振ってみせた。「守秘義務です」


「なるほど」


素直にうなづくわたし。悪いがこれも想定内だ。わたしの過去を知るという人物の関与、その可能性も検討済みである。用意していた台詞を披露する。


「先の発言を一部捕捉する。子供の頃は見えていた。しかし、ある日を境にまったく見えなくなった。以降もまったく見えないまま今に至る」


「ほぅ……」と、弁護人は口を尖らせた。「いつです?」


「中学に上がる前だったか、それくらいかと。かれこれ二十年近くは経つ」


「うーん……」と首をひねりながら、弁護人はスーツの懐を探った。スマートフォンを取り出す。画面を手早くタップし、現れた静止画像をわたしへと示した。


「被害車両の対向車、そのドライブレコーダーに残された事故直前の映像のひとコマです。無理にアップにしていますので画像が粗いですけど、よく見てください。運転手、つまり、あなたの目線が上を向いているのがわかります」


なるほど。わたしは彼の大層な自信の裏付けを知った。確かにこれは想定外だ。こんなものを隠していたとは。


ただし、まだ甘いと思う。


こんなものはいくらでも覆せる。


「いや、ただそちらに都合よく拡大解釈しているだけじゃないか。事故の時刻から月の方角と高さは特定出来るにしろ、わたしの座高、首の角度、眼球の位置、加えてサスペンションの沈み込みまでを、こんな粗い画像から正確に視線の仰角を割り出したと主張するのはかなり乱暴かと。ざっくりとした数値で可視の証明が成されたと言われても、わたしは同意出来かねる」


「ではこの時、何をご覧になられていましたか? 前方ではなく、視線が上方を向いていたのは否定出来ません。月ではないのなら、何を?」


わたしは大型商業施設の名を挙げた。本来の目的地はそこだったからである。


「小高い位置に有るので、それが遠方に見えた。それだけだ。それが何か?」


すると、弁護人はもう一度スマートフォンの画面に触れた。画像が切り替わる。


「こちらは交差点の防犯カメラの映像です。やはり上を向いておられる」


「だから前方上方にある施設を見ていた。そう答えたはずだが」


弁護人はさらに画面を操作、次の画像が示される。「これは交差点付近にある生花店の防犯カメラの映像です。ほら、こちらも上を向いておられる。こちらの方が鮮明ですね。この顔の角度では、商業施設を捉えるのは低すぎるのでは?」


……いったい何か所から撮られているのだ?……まだ有るのか?……さすがに呆気にとられたが、わたしの主張を脅かす内容ではない。ただ写した場所が異なるだけで、月を見ていた確証としてはかなり弱い。


「何枚見せられても同じだ。わたしは商業施設を見ていた」


と、ここで弁護人は口をつぐんだ。わたしの瞳の奥を覗き込もうとする様に、こちらを正面から凝視する。


無言の攻防が数秒続いたのち、彼はさらに楽しそうな顔つきとなった。


「……本当は気付いていますよね」


「……何が?」


「目線が月を見ていたのを認めつつも、異形の可視を否定する方便です」


「ほぅ」と、わたしはわざと興味深げに乗ってやった。


「御教授願いたいね、このわずらわしくも幼稚な押し問答から解放されるのであるならば、ぜひ」


「よく見てください」


弁護人の人差し指が画面の上を滑って、車内の人物を指し示した。


助手席の妻だった。


「奥さまもまた上を向いておられるようです。ここからは多分に個人的な想像となりますが、奥さまもまた見えていたのではないですか、違いますか。ならば、だったら、そういう事にされれば、一応の理屈は通るかと」


弁護人は精一杯言葉を選んだようだった。当然だろう。まさか、どのように口が裂けても『死人に口なし』のせいにしてみれば? とは言えまい。しかし、彼の勧める案は伝わった。充分過ぎるほどに。


……バケモノが見える妻にうながされ、月を見た。だからわたしには見えていない。証人にはなれないと言えばいいじゃないかと……


故意(わざと)だ……


わたしを感情的にさせようと誘導しているのだ。もはやこいつの十八番(おはこ)だと思われる。さすがにわたしの中で殺意が騒ぎ始めた。これはよろしくない。追及しない方がいい。わたしは切り口を変える手を選んだ。


「喜んで憎まれ役を買って出るか……それが仕事とはいえ、あんたはなぜそこまでしてあんなクズをかばうんだ?」


弁護人はためらうでもなく、あっさりと答えた。


「仕事だからです。あんなクソ野郎でもね、弁護しないといけないんですよ、いくらかでも減刑させないと。やりたくはないですよ、でも国として国選弁護人をあてがうのは義務なので、仕方ないのです。ハイ」


国が定めた事だから何だ?


わたしが証人になろうがなるまいが、どう転んだとて極刑にはほど遠い。妻は殺されているのに、だ。結局は二十年以下か七年以下かという収監年数の差でしかない。


「君にわたしの気持はわからない」


「すべてわかるとはいいません。わかるのは一部だけ」


「……何がわかる?」


「お怒りはごもっとも。しかし、ひとり殺したところで死刑にはなりません。この国の司法は過去の判例からの逸脱を望んでいません。遺族の声をいちいち丁寧に掬(すく)い上げていたら、日常的に毎日どこかで死刑囚の首を吊るさねばならない。だから判事の責任で罰のさじ加減を下す。贖罪と再生の機会を与える事により、人を活かす。納得は出来ないと思いますよ、言われるまでもない。けれど、決して間違った考え方ではない。おわかり頂けませんか」


わたしは即答だった。


「大いに間違えた考え方だ。君は家族を理不尽に殺されていない。説得力は皆無、のれんに腕押し、ぬかに釘だ。贖罪と再生? 笑わせるな、そんなものを被害者遺族は誰も望んでいない。ブタに真珠だ。いいか、君たちの本来の仕事は被告人の減刑などではない。君らの側からも遺族感情をいちいち丁寧に救(・)う(・)事(・)だ(・)」


「それでは、司法は公的な復讐のためだけに機能する事になってしまいます」


「君は罰の本質を曲解している。そもそも人を殺したりなんてしなければ、罰せられる事はない」


うんざりした表情のまま、前屈みの姿勢でわたしは顔を正面に向けた。と、見せかけつつ、スーツの懐へ右手を滑り込ませる……やむを得ない。


「もう話にならないな。やはり来るのではなかった」


視線から弁護人を外したまま、会話は続ける。右手は上着の下で脇に吊るした鞘(ホルスター)を探っていた。指にグ(・)リ(・)ッ(・)プ(・)が触れる。


「最初の会話に戻ろう。スマートフォンでの録音を否定したな。もちろん疑ってはいたが、それだけではない。ボイスレコーダーの所持も疑っていた。でもボディチェックは出来ない。それをすれば、わたしも同じ扱いを受けるからだ。君はスナイパーを配置しておくべきだったんだよ」


わたしはおもむろに抜き身のサバイバルナイフを取り出した。刃渡りは十五センチ以上。マット(ツヤ消し)ブラックの刀身はギラギラした刃物感を極力削ぎ落としてはいたが、それでも鋭利な切っ先は剣呑さをただただ無闇やたらと主張していた。弁護人の上半身が、反射的に背後へ逃れるように反れる。わたしは左手で彼の胸ぐらをつかんだ。


見開かれただけの両目。先程までの饒舌さはどこへやら、「あ」とか「ひっ」などと言葉にならない音だけをポロポロとこぼして、弁護人は小刻みに震えていた。


そんな彼の喉元へサバイバルナイフを刃をあてる。ぐねぐねと浮き彫りになる頸動脈。


「やめ……やめ! 西園寺さん!」


ひび割れた声で喚く弁護人を眺めながら、わたしは自身を客観的に捉えていた。人さまに刃物を押し付けるなど初めての経験だが、存外に取り乱してはいないようだ。あるいは加虐行為に高揚してしまうかもと、そんな懸念もあるにはあったが、毛ほども興奮していない。おもむくままに。たんたんと。


……色々と、感情の配線がおかしくなってしまったようだ……


漏らしたのはため息だった。まあいい。仕方ない。もう後戻りは出来ないのだから。


そしてわたしは胸ぐらをつかんでいる左腕へさらに力を込めた。サバイバルナイフから伝わる脈動。刃が喉元の肌へ喰い込む。歯を噛む弁護人。震える顎。発汗。わたしを引き剥がそうと必死にもがくも、形勢の逆転が訪れることはなかった。そういうタイミング。どうか受け入れてくれ。わたしはただそう願うしかなかった。


「刃渡り六センチ以上の刃物を正当な理由なく所持しているだけで銃刀法違反だったか。結構。理由は有るがな。しかし、この違反を加算しても…」


返り血は面倒だが配慮の余裕も技術も無い。凶器は別の場所に破棄すべき。土地勘はゼロ。逃走経路の候補は記憶済みだが、防犯カメラの有無でその都度判断して行くしかない。どの道もう奴の仲間が通報しているだろうから些末ではあるが……瞬間的にあれやこれやと事後処理が脳裏を掠めてゆく。冷静だった。どう考えても異常事態なのだが、平常心を維持出来ている。これは喜ばしい誤算だった。


では殺(・)し(・)文(・)句(・)の続きを口にしよう。文言はとっくに浮かんでいた。







「人ひとり殺しただけでは死刑にはならない。そうだったよな」








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