● 終点と一線 【5】
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ともすれば互いの呼吸音すらたやすく拾えるほど、その空間は静まりかえっていた。室内の照明はほの暗く、足許ににじむような淡い影を這わせながら、比良坂優子はその男と向かい合っていた。
松本清張記念館、その二階フロアの一角での事である。
「……でも、ご安心を」と、宮田 美代彦。口調は柔らかいが目は笑っていない。優子は見逃さなかった。
「アルパカさんにお願いがあって、ここまでご足労頂きました。先ほどはああいう風に言いましたけど、警察に追われているヒトはぼくではないですよ。無関係です」
……ニュースに便乗しただけでは悪趣味過ぎはしないか……まだ信じられない。不信感はぬぐえない。緊張感の継続は必須だと本能が告げていた。
「……西園寺ってヒトととの関係は?」
「そこ重要ですか?」
「ええ、とても……わたしは比良坂優子です。宮田さん、本名を教えてください」
優子としてはさり気なく尋ねたつもりだった。しかし、不自然な感じに宮田は目を閉じた。浅いため息と共に。
「……ごめんなさい。名乗れないです。でも特に問題は無いかと」
そう答える宮田。隠すか。『無関係』という主張の信憑性が損なわれただけだ。
「宮田さんが『宮田 美代彦』の前に使っていたというハンドルネーム、『宮田ザイオン』……本名のサイオンジをもじったものなのでは?」
宮田は無言。先ほどまでの即答が嘘のようだ。チラリと腕時計を見る。表情はそのままだが、まとう雰囲気が微かに変わった。冷めた感じに。
十秒ほどの間を空け、宮田 美代彦は口を開いた。軽口風に言う。
「モジョンさんに言われましたよ。アルパカさん、賢いからすぐにバレますよと。いやはや本当にそうなりました。もうちょっと仕掛けをしていたのですがね、はははは、無駄になっちゃいました」
「仕掛け?」
「『ひどいやつら』はどこまで読んでくれています?」
ここでなぜその話になる?……まるで意味がわからないが、正直に答えるしかなかった。「一応最新話までは……」
「だったら公開の時刻を予約設定していたので、もう第六話が読めるはずです。確認してもらっていいですか。五千文字くらいです」
優子は自身のスマートフォンを取り出し、魔導の図書館を開いた。ブックマークから宮田のHPへ。確かに『ひどいやつら』の更新がなされていた。一度だけ宮田へ目配せ。書いた本人は何も言わず、ただうなづいて見せただけだった。
文字を追う。
……主人公が指定された児童公園で弁護人と会う。丁々発止のやり取りを経て、弁護人の喉元へナイフを突きつける……というあらすじだが、それよりも優子の興味は一点に尽きた。
主人公の名が西園寺。これまでかたくなに登場人物の名を不自然なほどに伏せていたのに、ここに来て唐突と明かされている。
宮田と目線を探る。向こうもまた、こちらを探るような目だった。
……試していたのか……だから呼んだ……でも、わざわざここを指定した理由は?……
「わたしに……いくつか嘘をついてますね?」
指名手配中の西園寺という女を知らないという意見は破綻している。宮田は素直に非を認めた。
「……はい」
「モジョンさんはどこまで知っているんです?」
「ここまでのお膳立てだけです。でも、そうじゃないと色々辻褄が合わないでしょ? 彼名義のDMとか名刺とか。お渡したアレは枚方市でのオフ会の時に頂いた本物です。もちろん許可は得てますので」
「詳しく説明して下さい、どういう事なんです?」
「まあまあ、落ち着いて……」
宮田のしたり顔は変わらず、それがさらに優子の感情を煽った。感じていた恐怖はとっくに霧散し、憤りが顔をのぞかせる。
「ふざけないで! 何がしたいの? どうしてこの場所なの? ここである意味は?」
「意味は有ります。ぼくにだけ、ですけど」
「何の? どういう事?」
「大きな声は駄目ですって。怒られますよ」と、宮田は立てた人差し指を自身の唇へとあてた。もちろん優子は気に入らない。
「あなたが言わせているんでしょ!」
さすがの剣幕に押され、宮田は一歩後退した。背中が柵に触れる。その先は再現された松本清張の書斎である。宮田は一瞬だけ背後をうかがう。少し困った表情を浮かべ、横目でチラリと腕時計を見て、そして優子へと視線を戻した。
「『点と線』と違って、ここでタイミングは必要ない。さえぎるものが無いからです」
……何を言っているのだ、この男は?……油断すれば笑ってしまうほど、その返事は理解不能だった。まともに答える気がないのか。意図して的の中心を外した言い方をしている……優子の感情は昂る一方だった。
「だから、わかりやすく説明してください! 何も伝わらない!」
すると、宮田は文字通りに肩を落とした。
「すいません、ぼくの小説と一緒ですね……説明下手っていうか……だから誰も読んでくれないんだよなぁ……」
そんな話はどうでもいい。
再度叫びそうになるのを堪えながら、優子は唇を噛んだ。この男は適当すぎる。いやしくもいい歳をした社会人として、まったく責任感がない。どうしてそこまで奔放というか、無頓着でいられるのか。
……やっぱり……やっぱり苦手だ……宮田 美代彦……
噛み合わなさを痛感。しかし、説明責任は何としても果たしてもらう。優子は知らずと両の拳を握り締めていた。
「小説内で設定を台詞で説明するのは芸がありません。鼻につきます。でも、これはゲンジツの話ですよね? 理由も都合も有るからこうなっている。それを明かして下さい。それだけです。宮田さんの心のあり様を話してください。私が求めているのはそれだけです」
すると、宮田はスラックスのポケットから親指ほどの大きさのものを取り出した。優子に差し出す。USBメモリだった。
「……なんですか、これ?」
怪訝な表情と愛想のない返事。優子にはこれが精一杯だったのだが、宮田は少しだけ嬉しそうに目尻を下げていた。
「実はそのぅ……ぼくは理由あってケータイ小説から離れなければならなくなりまして」
持ってまわった言い方はよしてくれ、そう懇願しているはずなのに、それでも宮田 美代彦は論点をずらそうとする。
嗚呼、なるほど……
優子はようやくにして理解した。
この男を何から何までもが杜撰で、不器用が服を着て徘徊しているようなものなのだ。そしてその自覚が微塵として無い。故に他者と関われば関わるだけ敵を増やしていく。
今度は優子が無言になる番だった。宮田も喋ろうとしない。十秒では済まなかった。三十秒ほどが流れてから、ようやく宮田がやや遠慮気味に言葉を紡いだ。
「アルパカさん、『ひどいやつら』をお返しします。続きをお願い出来ませんか……」
と、殺人の重要参考人とおぼしき人物に誘われる異常事態。
わたし、何してるんだろ……
だから説明しなさいって……優子はもう、特に驚くことも呆れることも放棄していた。




