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● 終点と一線 【2】



※



そこを待ち合わせ場所に指定して来たのは彼(・)の方である。


そのDM(ダイレクトメール)は昨晩受信したものである。比良坂(ひらさか)優子(ゆうこ)は当初、JR小倉駅々舎内の市営モノレール乗り場、その入り口辺りでどうですか? と提案していた。駅ビル内ゆえ、歩いて数分あるいは数十秒の範囲に喫茶店なり飲食店なり、望まれるのならば居酒屋も軒を並べている。


しかし、東京から訪れる彼が要望として挙げて来たのは『松本清張記念館』であった。待ち合わせ場所は是非ここにしませんかと。


北九州市が輩出した稀代の文豪、松本清張。学生時代に『点と線』を拝読しただけの優子に対し、彼は熱心な愛読者であったようだ。ネット上でのそういう素振りは記憶に無かったので意外には思いつつも、見学の後どこかへ移動すればいいだけの事である。特段の問題は無いように感じられたので快諾した。


すると今朝方、『九時半開館ですので、十時待ち合わせに変更でお願いします』との連絡が来ていた。昼前後の予定だったので急ではあるが、何かの都合なのだと理解し、『大丈夫です』と送信した。


折り返しの返信は素早く、『ありがとうございます』との謝礼までは良かったのだが、続く文言が優子の眉をひそめさせた。


『実は朝の報道の件なのですが……』




※



もより駅からJR鹿児島本線に乗り込む。土曜日の車内は平日と比べれば乗客はまばらで、苦もなく座ることができた。ネットのニュース欄トップは案の定として今朝方の速報関連だった。


西園寺某(なにがし)という女が弁護士を刺殺して全国に指名手配。併せて事件に深く関与しているとして、三十代男性の行方も警察は追っている模様……優子は避けるようにスマートフォンをしまい、車窓外の街並みへと目線を向けた。


……。


……。




……もう……終わろう……





誰かの声がした。はっとして左右を見る。どちらも空席があるのみ。気には障るが、追及する余裕が今はない。空耳。そう思うことした。


西小倉駅で下車。ここから徒歩でおおよそ五分、小倉城をも包み込む形で拡がっている勝山公園の中に記念館はたたずんでいる。優子としては十年前ぶり、二度目の来館になる。当時はまだ隣県の実家住まいであり、ここまで自らハンドルを握って来たものだった。


小倉城の石垣を眺めながら館内へ。彼からはメッセージアプリにて『すでに入館済みです』との連絡を受けていたので、観覧券を購入ののち、『順路』の明示に従って歩みを進めた。右手側は開口部として大胆に空間が切り取られ、売店や読書室などを有する地階へと続く階段が覗く。しかし、優子が向かうのはそこではなかった。


『 書(・)斎(・)の前で落ち合いましょう 』


彼は、そう寄越してきたのだった。



※



展示内容は構成として二つに分けられた。


七百冊超えの著書、その表紙を縦横にずらりと並べた壁から始まり、松本清張の生涯を詳細に明かす特大パネルを中心とした前半部。


渡り廊下を経て後半部となるが、資料保存のためか、ここから照明は徐々に弱々しくか(・)細(・)く(・)なって行く。低い位置に設けられた小窓から柔らかい陽光がひっそりと忍び込み、それを横目で眺めながら優子は進んだ。


そしてひときわ薄暗くなった角を曲る。目の前に建(・)屋(・)がその姿を現した。


東京都杉並区に有る松本清張の私邸、その一部が原寸大で再現されているのである。二階建ての邸宅は記念館の二階フロアを吹き抜けの形で貫き、堂々と鎮座していた。邸内への立ち入るは不可能だが、壁の一部はガラス張りとして処理され内部をうかがう事が出来る。一階は玄関と廊下の一部、そして応接間。しかし、それらが展示物としての主眼ではないのは一目瞭然である。見せ場は書庫である。一部屋では収まらず増改築に増改築を重ね、一階と二階にぐねぐねと跨(またが)るそれはさながら迷路そのものであった。ところ狭しと居並ぶキャビネット棚はほぼすべてが怒涛の冊数の書物で埋め尽くされている。各種各分野の専門書はもちろん、何かの図鑑やら目録やら、さらにはどこかの史料やら地図帳やら、仔細に見れば見るほど目眩がしそうな分量である。のみならず、足の踏み場にためらうほど、そこかしこと書類でパンパンに膨らんだ紙袋やら段ボール箱が無造作に置かれて積まれている。七百の著書の背景にあった、松本清張の知と智を支え裏付けた資料群。十年前の初見でもそうだったが、今回もやはりここで脚を絡め取られた。ただただ圧倒される。仕方がないと思う。図書館の蔵書ならば理解できるが、しかし、これはまごうことなき個人の所有物なのである。この情報量が一個人の脳を通り抜けた。可能なのか? いわゆる偉人と呼ばれる方々にすればこれくらいの文字量は当たり前なのか……まるで見当もつかない。それほどまでに書物の量は破格にして甚大であり、本たちがせめぎ合うギシギシという擬音すら可視化出来てしまいそうな、そんな異空間が偉人の痕跡として丁寧に切り取られているのであった。


優子はしばし、その場で立ち止まっていた。


※


ようやく拘束から解放されたように二階フロアへと進む。エレベーターも用意されているが、迷わず階段を選択。


上り詰めた先は再限邸の二階部分を取り囲むようにL字状になっていた。順路はここで右と左に分かれ、どちらも袋小路となっている。優子は左へ曲がった。


目的の書(・)斎(・)は二階書庫の反対側に有り、フロアの通路は迫るように伸びていた。優子は寄れる側まで再限邸の二階部分に近付いた。窓ガラスの向こうに書斎がうかがえる。この一方向からしか眺める事は叶わないが、知の巨人の仕事場としての無言の圧、それは存分に気配として刻まれていた。ここから何百という作品が育まれ、世へ放たれた……その説得力は今なお顕在で、力強く息づいていた。


視線を二階フロア行き止まりへ戻す。


突き当たりの壁際にはガラスのショウケース、その真上に展示パネルが掲げられていた。ケースの中は執筆に用いられた筆記用具や、取材用のカメラなどの私物が並べられている。展示パネルは書斎を室内から捉えた拡大写真で、執筆机の周辺に配置された小物などの解説が仔細になされていた。


それらを眺めつつ、脳裏にふわりと立ち昇った小さな疑問を優子は打ち消せずにいた。


……ところで彼(・)はどうしたのだろうか……と。


この記念館において、ここ以外に書(・)斎(・)は考えられない。


……なのに姿が見えない。


順路的には先ほどのL字通路を右に進み、休憩用の小スペースを経て、そこから先は一階エントランス前へと降りる階段となる。休憩している……のならば、最初からそう書いて来るはず。あと考えられるのは生理現象くらいか。トイレは一階と地階に一カ所づつで、この二階フロアには無い。


……どの道、もう少しここで待つ以外は無い。『書斎の前にいます』的なメッセージを送ろう……優子はそう考えをまとめ、取り出したスマートフォンの通信アプリを立ち上げようとしたその時であった。


「止(・)ま(・)っ(・)た(・)壁(・)掛(・)け(・)時(・)計(・)、素敵ですよね」


背後から声を掛けられ、反射的に振り返る。


地味なジャケット姿で、ひょろりと痩せ細った背の高い男が立っている。手を伸ばせば優子にあっさりと触れられるような近距離である。


書斎を観察している時には間違いなくいなかった。ショウケースへと向き直った時にもいなかった。


それなのに、いる。


背後にそっと立っていた。影のように。


優子は言葉を呑み、そして男の顔をただ見つめた。


目が合う。男は薄く笑っていた。込められた真意は読み取れない。


「書斎の壁掛け時計、主の死に伴い、時を刻む事を止めたそうです。なかなか幻想的なタイミングですよね。さすがの文豪、これくらいの不可思議現象はあって当然かと」


「……ええ……そうみたい……ですね」と、優子は歯切れ悪く答えるのが精一杯であった。その事は展示パネルにて解説してあり、彼女もすでに既読だった。論点はそこではない。


「あ、モ(・)ジ(・)ョ(・)ン(・)です。はじめまして、ア(・)ル(・)パ(・)カ(・)さ(・)ん(・)」


優子の疑問に感づいたように男は答え、ジャケットの内ポケットから名刺入れを取り出して、一枚を差し出した。


プラント設計会社の社名と東京某所の住所、そして彼の氏名と『課長代理』の肩書きが印字されていた。


「北條(ほうじょう)友樹(ともき)です。以後お見知りおきを」


「あ……はい。えーと……」


瞬間、優子は戸惑った。自分も本名を名乗るべきなのか?


すると、北條友樹ことハンドルネーム『モジョン』は、ここでもすばやく察してくれた。


「もちろん魔導の図書館内(・)と同じくモジョンと呼んでもらって構いません。だから僕はアルパカさんとお呼びしますけど、よろしいですか、アルパカさん?」


……貴女の氏素性は大丈夫です。本日の争点はそこではありませんので……


言外にそう告げられたみたいで、優子は素直にうなづいてみせた。


「はい。よろしくお願いします。モジョンさん」


ネット上の友人と初めて顔を合わせている。だからなのか、互いをハンドルネームで呼び合う方がしっくり来る。奇妙だが、距離感として確かに落ち着く。


現実と仮想空間、その両方に軸足を置いた位置にいま自分は立っている……得体の知れない動揺が、自身の中に芽生えている事を優子は自覚した。悪い気分ではない。


名刺入れをしまいながら、そんなモジョンが独り言のようにつぶやいた。「しかしまぁ、宮田さんにも困ったものですよね……ほんと、僕らの許可なんて取ってないのに、勝手にあんな事して……」


昨日、モジョンより唐突にDM(ダイレクトメール)をもらった。明日仕事の関係で北九州市入りしますので、時間を頂けませんかと。


わざわざモジョンが自分に会うために私的な時間を割いてくれるのは他でもなく、魔導の図書館内での共通の友人、宮田美代彦(ミヤタミヨヒコ)に関しての事だった。


数年前になんとなく三人で始め、なんとなく未完のままに放置していたリレー小説。それを宮田は一切の説明も無いまま、まったく別物といえるほど大幅な加筆修整の上で、連載公開に踏み切ったのである。ただし、厄介な問題はそこではなかった。


『トップニュースの弁護士殺しで共犯っぽい三十代男性って奴、アレ、宮田さんですよ』


第五話は今朝未明の公開だった。罪を犯してなお、宮田は執筆を続けているのである。とても正気とは思えなかった。


モジョンが乾いた咳をひとつこぼし、少ししわがれた声で付け加えた。







「まったく、なんでヒト殺しなんかに加担しちゃったんですかねぇ、あのヒト……」






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