2.少年と少女
長い旅路を経て中央都市のターミナル駅へと列車が到着した。鉄路の終わりを告げる車止めの手前で停車すると、機関車は溜息の様に蒸気を漏らす。
程なくして客車の扉が開くと、ホーム上は旅を終えた乗客たちで溢れかえった。
老若男女、種族様々、身分様々。それぞれ何かしらの目的を胸に、この都に降り立ったであろう群衆。その中に紛れて少年レンフォードの姿があった。彼は疲労困憊の様子で列車を後にプラットフォームを進む。
彼の地元からこの国の都である中央都市までは随分と長い旅路だったようである。いや、なにも乗車時間が長い事だけが疲労の原因ではない。
列車に連結された客車はいくつかの等級に別れているが、彼は一番廉価な三等車の乗車券を購入したのが災いしたようだ。
座席は固く、向かい合えば相席の者と膝が押し合うほど狭い。故に三等車は長旅にうってつけとは言い難い。決して大柄とは言えない彼にとってすら三等車は窮屈な代物で、体の自由を奪うのに十分であった。
駅出口へ歩きながら首をならしてみたり、肩を仰け反らせたり、あの手この手で体の凝りを和らげようとする。その様は傍から見たらさぞ奇妙な動きに見えたかも知れない。
ひっきりなしに駅へ到着する列車からは、夢を追い求めてこの地へと来た者が続々と押し寄せる。一方では夢敗れ、この地から去るためにプラットフォームへと向かう者もいる。
広い構内でただただ人の流れに身を任せ、やがて出口へと辿り着いた少年。
煉瓦、煉瓦、そして煉瓦。どれだけの数を、どれだけの時間を費やし積み上げたらこうも立派な面構えになるのだろうか。一歩外へ踏み出せば、駅舎が都の中枢部に恥じない外観を誇っているかが窺い知れる。
堂々たる佇まいのターミナル駅を背に、青空の下を歩み出す。
ふと、空を見上げると青空を漂う浮遊島。古来より人類に魔力を与えてきた高みの存在。そんな浮遊島とは別に、いくつかの小さな点が連なって、晴れ渡った水色のキャンパスを流れていく。自ら翼を羽ばたかせ空を舞う事ができる鳥とは明らかに異なる、人の手によって生み出された産物。翼を自由に動かせない代わりに、プロペラから得られる強力な推進力により人類を空へと誘う。
人為的に作られた飛行装置は全てひっくるめて航空機と呼ばれている。航空機は何かしらの目的を与えられ航行しているが用途は軍用、調査用、民間用、そして訓練生用と大まかに分けることができる。
機体のシルエットから察するに今まさに上空を舞っているのは、訓練生用の機体だ。飛空士を目指し日々精進する訓練生達が操る機体。
やがて少年もお世話になるであろう、その機体を目に胸が高まる。
しかし、望めば誰しもがいきなり空へ到達できるわけではない。一歩ずつ、確実に、そしてお互いに託し合うことができる仲間と共に進んでいく……
その一歩を踏み出すためにも彼は今日、中央都市へと足を運んだのであった。
飛空士科の入学式に参加するため学園のあるこの都へと降り立ったレンフォード。入学式だというのに諸事情により制服の用意が間に合わなかったため、できる限りの正装を纏い目的地へと向かう。
駅を後にして暫く。学園を構える旧市街地方面へと向かう為、人気の少ない裏通りへと入る。土地勘は無いが、地図を見た限り裏通りを抜けるのが最短経路と見たのだ。
裏通りに面する店の多くは看板を外し、窓の向こうは外光を吸い込むように暗い。店先に貼られた掲示物は滲み、色褪せ、千切れている。街路に敷き詰められた煉瓦の隙間からは雑草が隙あらばと顔を覗かせる。
都という割には随分とシケた場所もあるものだ。
少年がそんなことを考えていた矢先、面倒事に巻き込まれかけている女子学生の姿が目に入った。
人通りが殆ど無い場所ということもあり、厄介事の類が一つや二つ起きていたところで驚くようなことでもない。
男二人組相手にナンパを仕掛けられている少女。面倒事に巻き込まれかけている、というよりはあと一歩といった段階にも見受けられる。
口説き落とす事に成功したら、直ぐにでも如何わしい行為に及ぼうとしているのは、誰の目から見ても明らかであった。
――あまり気分の良い光景とは言えない。可哀相だけど、仲介に入ったところで体格の良い男二人を相手に一方的に痛い思いをするのは自分だろう…… そして痛い目に逢った後、白昼堂々と路上で醜態を晒すのが目に浮かぶ。関わらないでおこう……
少年は我ながら懸命な判断だと自分に言い聞かせる。少年は少女と男二人組と目を合わせないように、距離をとり素通りしようとする。
――ようやく夢にまで見た、飛空士としてのキャリアをスタートさせる晴れの日だ。暴力に屈して無様な恰好で学園に登場という訳にもいかない。
見て見ぬ振りでその場を通り過ぎたレンフォードであったが、少しばかりの未練があったのか、少女にもう一度目を向ける。男に迫られている小柄な少女は、彼が入学する学園の制服に身を包んでいる。しかしその制服は、通常の制服とは一か所違いがあった。胸元に翼を模った紋章が刺繍されている。
それは中央都市の学園内で最も権威ある飛空士科の学生であることを示す紋章。今に直ぐにでも男達に食われてしまいそうな少女は、自分と同じく空を目指す者。
そうと分かれば前言撤回、彼女を助ける理由にもなる。同じ夢へ向かい精進する者同士、やましい思いは無いが好感度を上げておいて損は無いだろう。少しばかりの未練が動機へと変貌した。
だが体格だけはご立派な大男二人を相手になんとかなるのか。戦闘術など生まれてこの方一度も習ったことが無い。なら、穏便に言葉の力で治めるか。
でも、話の通じる頭脳が筋肉に侵食されずに残っているのだろうか。
最適解が見つからないまま、気付いた時には少女の背に立ち、男二人と向かい合う恰好となっていた。
「んだてめぇ? なにガンつけてやがる? 痩せた野菜みたいな軟弱者が邪魔すんじゃねえよ!」
「おまえら白昼堂々こんなことして。相手は学生、それも飛空士科の学生だ」
「それがどうした? あぁ?」
「学園の、それも飛空士科の学生に手を出したとなれば、それなりの裁きは下されると思うが」
「それがどうした? 捕まらなきゃいいんだよ、捕まらなきゃな。それとも何だ、その裁きっていうのはお前が直接下すのか?」
図体のでかい男二人は、少年の忠告を嘲笑う。
話の通じる相手では無さそうだ。
少年と少女を取り囲む状況は芳しくない。少年の下腹辺りに位置する、大男達の股間は服の上からでも分かるほど隆起している。ここで止めなければ直ぐにでも裏路地に連れ込んで『そういう行為』に及ぼう。そう言わんばかりの状態である。
さてどうしたものか。少年が考える間もなく、真っ先に口を開いたのは少女であった。
「婚約者。婚約者だからこの人」
そう彼女に言い放たれ、指差されたレンフォードは唖然とした表情を浮かべる。突然見ず知らずの相手に何を言い出したかと思えば、婚約者などという単語を口にしたのだから無理もない。
少女の発言と同時に男二人の視線が彼に集中する。このまま唖然としてもいられない、見知らぬ子が咄嗟に作り出した突破口に便乗し、彼も即興する。
「そ、そう。婚姻者だこの娘は。だからこれ以上手を出すな。これ以上手を出し――」
少年が咄嗟のアドリブを全て口から出し切る前に、彼女が再び口を開き付け加える
「んっ? でもルーには付き合っている人なんていないし…… だからこの人は婚姻者じゃない……かも? えっと知人…… でも初めて会った?」
何を言い出したかと思えば、用意した突破口を少女は自ら閉じてしまう。言っていることに偽りは無いが、この状況下で何故その二言目を口から漏らした。何を考えている。
残念ながら、眠たげな表情をした少女の顔は変化に乏しく、何を考えているのかさっぱり読めない。
「あぁ面倒くせぇ! もうこの細い男、寝かしつけて、その子連れ込んじゃいましょうぜ!」
痺れを切らした大男に首元を掴まれ、レンフォードは片手で軽々と吊るし上げられた。足が浮き、普段よりも目線は高いが景色を楽しむ余裕などない。血管の浮き出した大男の腕はぶれることなく、常人の太ももの如く逞しい。
もう一人の男は少女の腕を右手で掴む。そして左手は、待ちきれないとばかりに膨らみきった股間を揉み始める。
今すぐにでもこの場から連れ去られそうな少女を前に、これ以上迷っている余地など無い。
一か八か、やってみるか。あんな成りの大男でも、股間に隆起させるものが付いているという事は、狙うべきは……
少年の首を掴んでいる男が一瞬、他所を向いた。
今しかない。宙に浮いた足を目一杯振り上げると、幸運な事につま先が大男の急所を捕らえた。堪らず、男は背中から地面に倒れ込み、握力が抜けた手から少年が解放された。
どんなに体型が良くとも大切な箇所を護る筋肉の鎧は備わっておらず、護る術など存在しない。故に急所なのである。
少女を連れ去ろうとしていた男が異変に気付き、すぐさま腕を大きく振りかぶり少年を殴りにかかる。
「わぅ……」
少女は妙な言葉を口にすると、腕を回し鞄を振り上げた。小柄でリーチの短い少女ながら、腕を半周も振り回せばそれなりの勢いを生み出す。硬質な皮素材の鞄が容赦なく、大男の急所を襲う。
彼女が狙ったのか定かでは無いが、絶妙なタイミングでの共闘となった。
「やるなぁ君」
「真似してみただけ…… 痛いのかな」
「まあな…… 痛いぞ」
窮地を切り抜けたと安心したのも束の間。息を荒げながら、大男二人が地に腕を突く。直ぐにでも立ち上がって、殴りかかってきそうな構図となる。こうしてはいられない。
「逃げるぞ!」
「うん」
レンフォードは少女の手を引き、大男二人に背を向ける。直ぐにでも、人通りの多い場所に出たかったが、少女の足が遅い。彼女は必死で走ってはいるようだが、彼にとっては早歩き程度の早さである。後方を振り返ると、怒気を帯びた男達が駆け始めた姿が目に映る。
「君? 表通りはどっち?」
「こっち。たぶん」
今さっき足を踏み入れた街の地理など彼は知る由も無い。少女の助言に従い、隣接した建物の隙間を駆け抜ける。二人に走って抜けられる幅でも、大男にとっては窮屈過ぎるようで、壁に腕を擦り付けながら必死に追い回す。
狭い隙間を抜け、明るい場所へ飛び出すと人々が行き交う表通りに立っていた。
「あの野郎! もう少しだったのに」
「こんな公然の場じゃどうしようもねえよ、兄貴」
「このまま我慢して帰るなんてできねえ。店行くぞ店。お前いくら持ってる?」
二人の大男は狩りを諦め、大人の店が立ち並ぶ一角へと消えて行った。
追手が背を向けたのを確認し、レンフォードは少女との会話を試みる。
「えっと、君――」
「ありがとう」
「おっおう。怪我とかなくて良かったよ。そうそう、その制服と胸元の刺繍、飛空士科の生徒だよね? 名前とか――」
「ルー」
レンフォードの会話を二度遮り、短い言葉を返した少女。長話は無用とばかりに彼女は彼に背を向けると、その場を去って行った。
名前は聞けなかったが、無理に追う必要は無い。同じ空を志す飛空士科の生徒同士、そのうちまた見かけるだろうから。
「それにしても、よく分からない奴だったな――」